第19話 あんたバカぁ?

「さっきの話なんですけど」


 部屋を出るなり、田島さんが口を開いた。


「羽鷺さん、なんでわたしを部屋に入れたんですか?」

「え? だって手料理食べたいって言うから?」

「羽鷺さん、カノジョいますよね?」

「はい? いやいやいや、いないいない。断固いない」

「そんな事言ったらカノジョ可哀想だなぁ」

「いや待ってよ、ほんといないから」


 なんで俺にカノジョがいることになってんだよ? しかもどうしてそんなに自信満々に言うんだよ。


「わたし、羽鷺さんのお料理に興味があっただけですから心配しないでくださいね。美味しかったし、レパートリーも増えて良かった。感謝してます」

「待って待って、なんで俺にカノジョがいることになってんの?」

「じゃあなんでカトラリーが二つずつあるんですか? お皿もグラスも全部二つずつ」

「あ、それは――」


 幽霊の分です、とは言えないじゃん。だけど俺の返答をジーっと待つかのように黙られちゃうと、なんか言わなきゃならんって感じだよね?


「お客さん用? かな?」


 って俺、誰に聞いてんだよ!


「でも戸棚にあったウサギとオバケのマグカップは、お揃いで買ったみたいに見えましたけど」


 鋭い! 女性はどうしてこんなに鋭いんだ!

 いやそこは認めよう。確かにそのマグカップはお揃いで買ったよ。だけど、それだけなんだよ、アイツとお揃いを意識して買ったのは。しかもそれ、アイツが欲しいって言いだしたやつだし。


「ウサギの方がカノジョのですよね。大丈夫です。彼女がいないことにしたいんですよね? わたし、職場でも誰にも言いませんから。一緒に住んでるんですよね? 今日は追い出しちゃったんですか? なんか悪いことしちゃったなぁ」


 いや、追い出してなんかいないよ、ずっといたよ、田島さんの隣に!

 だけど俺とアイツはそういう関係じゃなくて、取り憑いてるか取り憑かれてるかっていう関係であって。


 っていう俺の心の叫びは所詮「心の叫び」でしかなく、田島さんに聞こえているわけではないんで、彼女から見れば俺は困り果てて口を噤んでしまったようにしか見えないはずだ。ここは一つ何か喋らなければ。

 と思えば思うほど、何を言ってもボロが出るような気しかしない。本当のことを言ってもどうせ信じて貰えないだろうし、かといって嘘言ってもすぐにバレるだろう。こんな時俺はどうするのがベストなんだよ?


「えっとさ、嘘ついたり誤魔化したりっての、俺できないから、正直に言っちゃうんだけどさ。俺、カノジョいないから。だからもしそういうのがいるような気がしたなら、それは気のせいだから。それと今はカノジョとか作る気ないから。今は生活と仕事がいっぱいいっぱいで、そういう余裕全然ないから。だから田島さんも全然気にしなくていいよ」


 バレてないよな? とりあえず一つも嘘は言わなかったしな。


「そうなんですか。おかしいなぁ、女性の陰があの部屋にはあったんだけど。でも良かったです。カノジョさんがいるのにお部屋に遊びに行っちゃったかと思って、ちょっと申し訳なく思ってたんで。そうじゃないなら一安心です」

「逆に聞くけど」


 俺は幽霊の言葉でちょっと引っかかってることがあったんだ。


「田島さんは俺に警戒しなかったの? 男の一人暮らしの家に、一人で遊びに行くのとか、警戒するんじゃないかなって」

「ああ、それは無かったですよ」


 俺、そんなに草食に見える訳? まるっきり害の無い男って感じ?

 って顔に書いてあったんだろうか、俺の顔見て彼女はクスクス笑った。


「下心があったら金曜日の晩に招待するじゃないですか。だけど羽鷺さん、に招待してくれるんだもん。絶対下心ないって思いましたよ。だから安心して来たんです」


 ああ、女の人はそういうところで見抜くのか。そこへ行くと、俺ってバカ丸出しじゃん。

 俺が地味に落ち込んだところへ、彼女はあっけらかんと空を仰いで付け加えた。


「それに羽鷺さん、真面目ですもん。会社の後輩に手を出して仕事しにくくなるなんて馬鹿な事、羽鷺さんがするわけないです。わたし、羽鷺さんのこと先輩として凄く尊敬してるんですよ。今日でますます尊敬しちゃった」


 社交辞令だってのは頭ではちゃんと理解してるんだけど、そんなこと正面切って言われるとなんか照れるな。


「あ、駅見えて来た。もう大丈夫です。あとは一人で帰れますから。今日は本当にごちそうさまでした。いつかウサギのマグカップの人、紹介してくださいね。それじゃ、失礼します!」

「え? あ、気を付けて」


 っていう間もなく彼女は手を振って駆けて行った。

 ウサギのマグカップの人……。

 田島さんには「俺には付き合っていないけど好きな人がいる」と見えたんだろうか。

 それが幽霊? おいおい、幽霊だぞ? 死人だぞ? うちに幽霊がいるなんて聞いたら、田島さんだって来なかっただろうになぁ。


***


「ただいま」

『はぁ? 何やってんの?』


 いや待て、俺が何した? そういう切り返しってあるか?


「そこは『おかえり~』だろ。いきなり『あんたバカぁ?』みたいなのナシだろ」

『あんたバカぁ? って言われなかっただけマシよ、なんでもう帰って来てんのよ』


 って、その腰に手を当ててこっちを指さすのヤメロ。霊体のくせに。


「だって、幽霊も聞いてただろ? 駅まで送って来ただけなのに、そんなにかかるわけないじゃん」

『そうじゃなくて! せっかくのチャンスだったのに。アホなの?』

「アホって……」

『そりゃあ想ちゃんはいい人だけど、想ちゃんみたいな優しいだけしか取り柄の無いような男は、そうそうチャンスは回ってこないんだよ。ただでさえウサギ並みの草食動物なのに、みんな美味しい獲物はライオンに持ってかれちゃうじゃないの。なんで逃すかなぁ!』

「なんだよ、幽霊は俺と田島さんがくっついた方が良かったのかよ」

『そうじゃなくて、チャンスを逃すなって言ってるんだよ』


 コイツ……ほんとに。

 思わずこっちもムスッとしてしまう。


「いいんだよ俺は」


 俺は幽霊がそこに座っているのを無視してベッドの上にごろんとひっくり返った。やっぱり俺の方から接触しても通り抜けるらしい。どう考えても頭突きになるか、運が良くても彼女の膝枕になるかというところだったが、生憎どちらにもならなかった。


「俺、やっぱり好きな子としか付き合えないし。田島さん、すごくいい子だけど、恋愛対象じゃないよ」

『想ちゃんそんな事言ってたらいつまで経っても女の子と付き合えないよ? あたしみたいに婚期逃しちゃってもいいの?』

「あんたさぁ」


 思わず口を突いて出た。幽霊に「あんた」なんて言うの、久しぶりだな。最初の頃はずっとそう呼んでたのに。最近コイツの事なんて呼んでたんだろう?


「あんた、男の気持ちってもんを全くわかってねえよな。そんなんだから独身のまま死んじゃったんじゃねえの?」


 しまった。

 言ってしまってから、その言葉の意味する絶望を正しく理解してしまった。

 それは幽霊の表情にも如実に表れていた。漫画ならここで白目剥いて顔に縦線がいっぱい入り、後ろに『ガーン』って文字が入ってるに違いない。


 でも、俺の気持ちだって少しくらい考えてくれてもいいんじゃないのか、この鈍感女!

 そう思った俺はなんだか意地になって、黙って家を出た。

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