第11話 鯛

『想ちゃん、まだ熱下がんない?』

「あー、うん。薬飲んだわけでもないからな。自然治癒だと時間がかかる」


 かと言って薬を買いに行く元気は、今の俺には存在しない。


『お薬、買ってこようか』

「いや、それ無理だろ」

『あたしに考えがある。任せといて』

「待て待て、窃盗はダメだぞ」

『大丈夫、死んでも犯罪には手を染めない!』


 死んでも、って死んでるし。いや、これは「死んでからも」という意味か?

 どうする気か知らんけど、俺の言う事なんか聞くわけもなく、さっさと出て行ってしまった。いつものように壁から。

 物理法則無視するのやめようよ。ニュートリノじゃないんだからさ。ちゃんと玄関から出て行けよ。

 まったくこれ以上俺に余計な心配をかけないでくれよ、頼むから……ってか、なんで俺がアイツの心配してんだよ。病人が死人の心配っておかしいだろ、どう考えても。まあ、逆でもおかしいけど。


 なんて考えている間に、俺はどうやら寝てしまったらしい。

 夢の中で女の人が二人で何か喋ってる。片方は幽霊だ。七月だというのにいつものように真っ黒スーツに八十デニール(?)とやらの分厚いタイツを履いた幽霊が、これまたいつものように黒ゴムでまとめた髪を後ろへ追いやりながら、一生懸命身振り手振り何かを喋ってる。

 もう一人の女性は三十前後アラサーか、綺麗なお姉さんって感じの人だ(つっても俺も幽霊もアラサーだけど)。栗色のショートヘアにノンフレームの眼鏡が知的な、サンドベージュの良く似合う才女っぽい感じの人。


 幽霊が必死で何かを喋ってるのに、お姉さんにはそれが伝わってるの伝わってないのか、何かを手元のメモに書きながら頷いてる。一応会話は成り立ってるんだろうか。


 ふと、お姉さんの方が俺を見た。そして一言。「彼、起きてるじゃない」。


『あ、ほんとだ、想ちゃん起きてたの? 大丈夫? また熱上がってたよ』

「え? あ、俺、目ぇ開けて寝てた? てか、まだ夢見てる?」


 つーかそこのお姉さん、知り合いじゃないし。知らん人が家にいること自体、正常じゃないだろこれ。


羽鷺うさぎ想一郎そういちろうさんですね、お邪魔してます。鶴亀不動産の秋谷です」


 お姉さんがいきなりそう名乗った。いやいやいや、おばちゃん、いつの間にそんなに若返ったんだよ。いつの間にそんなにスマートになったんだよ。いつの間にそんなに賢そうになったんだよ。いまどきの美容整形は凄いな、マジで別人じゃん!


「今日は両親の代わりに私が代理できました。娘の鯛子たいこです。はじめまして」


 なんだ、おばちゃんじゃなくて娘さんか。びっくりしたなぁ、もう。てかおい、亀蔵・鶴江の娘が鯛子かよ! 何のギャグだ。


『ね、想ちゃん、秋谷さんち、みんな名前がおめでたいでしょ? だからすぐに治ると思うの』

「あの、何がどうなってんですか?」


 俺はボーっとする頭で現状を整理しようと試みたが、多すぎる情報量に瞬殺で断念し、あっさり鯛子さんに聞くことに作戦を変更した。


「こちらにいらっしゃる玲子さんが鶴亀不動産に駆け込みまして」

「玲子さんって誰ですか?」

「羽鷺さん、幽霊が見えるんですよね?」

「はい」

「その幽霊が、玲子さんと仰るんです。以前こちらの部屋に住まわれていた小場家おばけ玲子れいこさんです」

「え? 幽霊、小場家さんだったの? 玲子さんだったの? 出来過ぎたジョークだな!」

『もう! 鯛ちゃん、それ個人情報だから!』


 幽霊が文句を言っているが、鯛子さんにはどうやら聞こえてはいないらしい。


「それでですね。自動書記って言葉をご存知でしょうか?」

「いや」

「玲子さんがうちの父に憑依して、父にペンを持たせ、自分の言いたいことを紙に書かせたんです」

「はあ……」

「そこに、あなたが熱を出していること、玲子さんは霊体であるため薬が買いに行けないこと、冷却シートと経口補水液も必要な事を書いたんです。それを見て父が私に連絡して来たという事です。私は薬局で薬剤師をしているので、薬と冷却ジェルシート、それから経口補水液、ゼリー状カロリー補給食などをお持ちしました……あ、ほら、これが自動書記です」


 言うなり、鯛子さんの右手がペンを取り、メモ帳に何かを書き始めた。


 ――たいちゃん、ありがとう。おじさんとおばさんによろしく。


「ほら、これが玲子さんの自動書記です。こうして私に意志を伝えてくれました」

『そうなの。今これ鯛ちゃんに書かせたの、あたしだから』


 へー、なるほど……上手いこと考えたもんだな。


「今そこで幽霊が自分で鯛子さんに書かせたって言ってます。あと、自分の名前は個人情報だって怒ってます」

「あ、ごめんね、玲子ちゃん」

『もお~。でも鯛ちゃんだから許す!』

「許すそうです」


 淡々と事務的な口調だった鯛子さんは、それ聞いてクスッと笑うとハンドバッグからレシートを取り出した。


「これがレシートです。あとで清算してください。あ、こっちのどら焼きは母からの差し入れです。それじゃ、私はこれで失礼します。まだ仕事中なので」

「あ、すみません、お忙しい中」

「羽鷺さんはこのまま寝ていてください。勝手に出て行きます。ここに私のケータイの番号書いておきました。何かあったらここにかけてください。マスターキーで開けて来ますから」


 あ、そっか。マスターキーでこの部屋に入ったのか。そうだよな。幽霊じゃねえんだから。この人は生身の人間なんだから。


「ありがとうございます、助かります」

「それじゃ」


 彼女はさっさとハンドバッグを持って出て行ってしまった。本当に勤務中に抜け出してくれたんだろう。幽霊が後を追いかけて玄関でお見送りしている。多分鯛子さんには見えないんだろうけど。


 それにしてもあの二人、顔見知りなのかな。鯛子さん、幽霊のこと『玲子ちゃん』って呼んだな。幽霊も『鯛ちゃんだから許す!』とかって、なんだか仲が良さそうだった。


 玄関から戻って来た幽霊が袋の中から薬を出して、俺の前に置いた。


『ほら、一刻も早くお薬飲んだ方がいいよ。せっかく鯛ちゃんが持って来てくれたんだから。それで冷却シート貼って寝よう。早く元気になってね。話し相手がいないと寂しいし』


 待て、話し相手の為に俺の熱を下げたいのかお前は。そこなのか……。

 なんだか再び熱が上がりそうな気が、した。

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