第10話 ロールケーキ

 たったの二日だ。俺が家を空けた日数。

 なのになんだかものすごく懐かしいってどーゆーこと?


 そして。幽霊がいない。てか、ちょっと、どこ行ったのよ、幽霊! まさか俺が出張行ってる間に成仏しちゃったとか?


「幽霊? おい、どこだ、幽霊!」

『おかえり想ちゃん』


 幽霊がバスルームから顔を出した。こいつがいたという安心感で、バスルームから出て来たという『やや非日常』を一瞬忘却の彼方に置いて来そうになった。

 スーツケースを玄関に置いて上着を脱ぎながら、二日ぶりに見る同居人に疑問を投げつけた。


「そんなとこで何やってんだ?」

『ああ、うん、スーツ脱げないかなーって』


 えへへと笑ってるけど、スーツを脱ごうとした形跡は見られない。


「脱ぎたかったの? 暑いの?」

『幽霊だから、気温は別にどうでもいいんだけどね。ほら真冬用のスーツに八十デニールのタイツ履いたやつが同じ部屋にいたら、想ちゃん暑苦しいでしょ? だから脱いだ方がいいかなって思ったんだけど。やっぱり死んだときの恰好がデフォルトみたいで、オプション機能とかないっぽいんだよね』


 霊体の服装にオプションを求めるなよ。とか思いつつ、スーツケースの中身を出す。


「いや、その気持ちだけで十分だから。俺、気にしないから」

『うん、想ちゃんならきっとそう言ってくれるとは思ったんだけどね。でも、想ちゃんいない間、思ったより寂しかったから』


 俺もちょっと寂しかったけどね。だけどね……。


「フツーの女の子に言われたらめっちゃ嬉しいけどさ、幽霊に言われると『取り憑かれた感』しかないのはどういうわけだろうね?」

『取り憑いてるからじゃない? てか、これって取り憑いてるのかな?』

「いや、俺に聞くなよ、自分のことだろ」


 つーか、なんで出張から帰って来ていきなり夫婦漫才みたいなのに付き合わされてんだ?

 俺は部屋着に着替えて、スーツケースから出した洗濯物を洗濯かごに放り込んだ。パソコンだの資料だのを出していて、ふと帰り際に買ったものを思い出した。


「幽霊にお土産買って来たよ」


 俺は向こうの担当者から貰ったクッキーと自分で買って来たロールケーキをテーブルの上に置いた。当然の如く、幽霊はロールケーキに反応した。


『想ちゃん! あたしがロールケーキ好きって言ったの覚えててくれたの?』

「そりゃまあ、あれだけアピールされりゃあな。クッキーは貰いもの」

『想ちゃん大好き! ねえ、もう結婚しようよ!』

「なんで霊と結婚せにゃならんのだ」


 と言いつつも、俺はニヤつくのを必死で我慢した。

 いや、こいつに言われたのが嬉しかったわけじゃねえんだよ。そういうふうに言われたことが無いっつーか、簡単に言えば俺はモテないんだ、そういう台詞に対する免疫がまるで無い。

 なもんだから、相手が幽霊でもちょっとは嬉しくなったりしたわけだ。感情に正直すぎる自分の体が憎い。


『ねえ想ちゃん、ロールケーキ食べたーい!』

「どうぞ」

『じゃなくてー。出して切ってよー。一緒に食べようよ~』

「いや、俺的にはまずはカバンとかスーツケースとか片付けたい。全部片付いて、心配事がなくなってからゆっくりくつろぎたい」

『想ちゃん、A型?』

「いや、B型」


 言っとくが、俺は血液型で人を判断するってやつ、全く信じねえ。俺今までに一発でB型って当てられたこと、生まれてこの方一度もねえ。そして今またその記録をさらに更新した。


『わかった。じゃあいい子にして待ってる』

「いや、俺は今ロールケーキの気分じゃねえから、一人で食っていいし。出してやるからちょっと待て」

『一緒がいいの。だから待ってる。想ちゃんコーヒーだけでもいいよ。それでも一緒にコーヒー飲みたいから』


 なんだよめんどくせーな。俺は自分の都合で動きたいのに。

 まあ、これ以上ごちゃごちゃ言われんのもめんどくさいんで、さっさと片付けてコーヒー二つ淹れて、幽霊の分だけロールケーキを皿に出してやった。


『ねえ、想ちゃん、どっか具合悪い?』

「いや」

『ロールケーキ、嫌い?』

「好きだよ。でも今は気分じゃない」

『そっか……』


 だからなんでそんな寂しそうな顔するんだよ!


『あのさ、あたしこうして貰ったら食べれるけど、実際ケーキって減らないじゃん? だから今度から想ちゃんの食べたいときに合わせるね。ロールケーキ、乾燥してガビガビになっちゃうから』


 出す前にそれ気づけよ……。

 だけど、幽霊が言ってたこともあながち間違いではなかった。疲れがたまってたのか、俺は体の不調を感じた。

 大好きなロールケーキを食べたいと思わなかったのはそのせいかもしれない。なんだか体がだるいなと思っていたら、頭痛がし始めて、急に寒気がしてきた。

 俺の様子に異変を感じ取ったのか、幽霊が『想ちゃん、マジで顔色悪いよ』と言いだした。熱を測った方がいいと急かされて、体温計を探すのに手間取って、結局体温を測った時には三十八度五分まで上がっていた。


「ヤバい。俺、死ぬ」

『死人の前で言っていいジョークとは思えないし』

「いや、ジョークじゃねえ、マジでしんどい」

『ゆっくり寝てたら治るから。冷却シート、あたしじゃ買って来られないから、タオル冷やして絞ろうね。今持ってきてあげるから』


 パタパタと幽霊らしからぬ足音を立て、タオルを絞りにバスルームへ向かう彼女におれは地味に疑問を呈してみた。


「タオル絞れんの?」

『当たり前じゃん。何のためのポルターガイストよ? なのにこのスーツは脱げないのよね』


 ポルターガイストの概念がよくわからなくなってくる。まあいいか、そんなこと考えてたらますます熱が上がる。

 ベッドの中でどうでもいい事を考えていると、思い出したように幽霊が振り返った。


『経口補水液もあった方がいいけど、あたしじゃ買って来られないから……作ろっか?』

「え? 作れんの?」

『塩と砂糖と水があれば作れるでしょ? 配分なんかネットで検索すればいくらでも書いてあるし』


 言うが早いか、幽霊はパソコン(もちろん俺のだ!)を勝手に立ち上げて、検索し始めた。半透明の細長い指が滑らかにキーボードを叩くのを見て、コイツも仕事してたんだよなぁなんて今更思ったりする。


『あったあった。すぐ作るから待っててね!』


 って言ったのはいいけど。よく考えたらさ、それができるんだったらロールケーキも自分で出せるんじゃねーの? そこ、ツッコんじゃいけないの?

 鼻歌を歌いながら経口補水液を作る彼女を見ながら、俺はなんとも言えない脱力感に襲われた。

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