第8話 オカンか?
六月に入った。この部屋の入居日数の記録を毎日更新している。
不動産屋のオヤジはえらい喜んでいた。そりゃあそうだろう、今までの入居者は入居してもすぐに出て行ってしまう。どんなに安くしても一週間ともたなかったのだから。
まあ、俺の場合はたまたま幽霊とウマが合ったというか、幽霊にも居場所を許可したというか……うーん、むしろこれはシェアハウス? そんな感じのノリになってるというか。
何よりも良かったのは、相手が幽霊だったという事だ。
だってアレだよ、フツーに考えたらさ、年頃の男女がさ、同じ部屋で毎日過ごしてんだよ? 事故が起こらない方が不自然じゃん?
でもほら、そこはね。相手が死人で幽霊だからね。そういう間違いも起こらないし、ってーかそういう関係になれないし。
つーかそれ以前にさ、幽霊相手にそういう感情にならんだろ、フツー!
いや、確かに幽霊は寂しいのか何なのか知らんけど、たまーに俺と一緒に寝たがるんだけどさ。
だけど俺とイチャイチャしたいわけじゃなくて、生身の人間のぬくもりに触れたがってるだけみたいな感じなんだよね。まあ、相手死人だし。俺生きてるし、一応あったかいし。
もしも俺が幽霊に触れることが出来たら、やっぱ冷たいんだろうな。血、通ってないし。きっと慢性的な血行不良なんだろうな。当たり前か。
幽霊、俺のこと結構よく見てんのな。特に趣味も無いから、暇つぶしに俺の観察してんのかもしれないけどさ。
最近職場で慣れない仕事の手伝いをさせられてて、ちょっと疲れがたまっていたのを、あっさり幽霊に見抜かれた。
あの血行不良に『顔色悪い』って言われんだぜ。いやいや、お前の方が顔色悪いって。死人に心配されるってなんだよ。
まあ、アイツもアイツなりに俺とのつかず離れずな生活に満足してるんだろう。それだけにこの生活が根底から揺るがされるようなことがあってはならんのだろうし、その生活の維持のためには俺に倒れられちゃ困るってのはわからんでもない。
だけどだ。アイツは幽霊であって、死人であって、既に市の人口に計上されていないのだ。本来なら存在しないやつが、なんで親以上に細かく口出しして来るんだよ!
『想ちゃん、お家にまで仕事持ち帰るのって良くないと思う。仕事は職場でするものだよ。お家は休むところでしょ。ちゃんと休まないといい仕事はできないよ』
『想ちゃん、最近、緑黄色野菜が少ないよ。ピーマン、にんじん、ほうれんそう、かぼちゃ、なんでもいいから緑黄色野菜食べようよ』
『想ちゃん、ちょっと便秘っぽいよね? こんにゃく食べるといいよ。あとはゴボウね。サツマイモでもいいよ。食物繊維がたっぷりだから、ちゃんと出るべきものが出るよ』
『想ちゃん、そんな暗いところで本読んじゃダメだよ。眼が悪くなるよ。明るいところで読もうよ』
『想ちゃん、今日は暑くなるから、水分ちゃんと摂ってね。熱中症は気づいた時には重症化してるから。そうなる前にこまめに水分補給してね。塩レモンの飴とか舐めてた方がいいよ、お茶だけだとナトリウムが不足するからね……』
待て待て待て、お前は俺のオカンか?
それだけならまだいい。まだ許す。
『想ちゃん、メールでもLINEでもちゃんと挨拶文くらいは入れなよ。職場の人なんでしょ? おはようございます、とか、お疲れ様です、とかさ。単なる相手からの連絡事項でも、了解しましたとか承知しましたとか、なんか書けるでしょ? お友達だったらスタンプでもいいじゃん、何かリアクションしなよ』
いや、LINEを覗き見るのはヤメロ。それ、マジでヤメロ。てか、人間として間違ってるぞ、それ。たとえそれが死人だとしてもだ。
『ねえ、想ちゃん。洗濯物の干し方、これコツがあるんだよね。ちゃんと縫い目に合わせて干すの。よじれたり曲がったりしたまま干すと、そこだけ二重三重になるから、乾きが遅くなるでしょ? ちゃんと縫い目を合わせて干すだけで、もっと早く乾くから』
『想ちゃん、窓は一カ所だけ開けるより、二カ所開けた方が効率よく換気できるよ。空気の流れができるからね。まあ、そういうところは霊の通り道にもなるんだけどね』
『想ちゃん、お皿洗う時ね、油でギチョギチョになったお皿を重ねたら、全部油がついちゃって大変になるでしょ? だから油のついたお皿には重ねない方が効率がいいの。洗う前にティッシュで油を軽く拭き取ればもっと楽だよ。スポンジも油ベッタリになったら、洗剤を追加すりゃいいってもんじゃなくて、スポンジを先に洗っちゃえばいいの。そしたら洗剤少なくて済むし、地球の環境にも優しいでしょ?』
『想ちゃんも少しは読書した方がいいよ。仕事にも役立つことがあるし、初対面の人との会話が弾むかもしれないよ。好きなジャンルとかないの? ミステリーとか、コメディとか』
さすがに温厚な俺でもこれは黙っていられなかった。
「いくらなんでも俺の生活に介入しすぎじゃない? もう一度はっきりさせておくけどさ、俺、ここの家賃払って住んでるわけ。そりゃあんたのお陰で激安で住むことはできてるし、ご飯の作り方も教えて貰ったりしてるけどさ、基本、俺はこの家でくつろぎたいわけ。職場で仕事してんだからさ、ここではリラックスしたいわけ。あんまり細かいことまで口出ししないでくれないかな。読書とかそんなことまで幽霊に言われる筋合い無いし」
一言で済ませようと思ったのに、ついうっかり溜まった鬱憤を晴らすかのように一気にぶちまけちまった。
幽霊はハッとしたように口を噤んで……それからジャケットの裾を両手で握りしめて俯いた。
『ごめん。悪気はなかったんだけど』
「あー……いや、それはわかってるよ。俺が要領悪いから見ててイライラするんだろ? でも俺、幽霊ほど要領よく動けないから、ちょっとずつ慣れて行くしかないんだよね」
『うん、わかってる。ごめん』
って、素直に謝られちゃうと、こっちもなんか居心地悪いっつーか、俺なんか悪いことした? みたいな気分になるっつーか。
なんだかな。家にいるのに変に疲れる。
そんな俺に気付いたのか幽霊が『散歩して来るね』って出て行った。そんな風に気を使われるのすら疲れるんだけど……。
とはいえ、一人になれる時間はそんなにないから、のんびりしようとコーヒーを淹れてみた。
あれ? 俺って一人の時いつも何してんだろ?
ぼけーっとコーヒーを飲みながら、自分に何の趣味もないことに気づいた。せっかくの一人の時間なのに、どうやってその時間を満喫したらいいのかわからない。
ふと、さっきまで幽霊のいたベッドに目をやった。本が一冊置いてあった。この前幽霊が借りてきてほしいって言ってた推理小説だ。
なんとなく気になって手に取った。表紙いっぱいにドーナツの写真。そういえばアメリカのポリスマンはみんなドーナツ食ってるな。日本でいうところのアンパンみたいなもんかな。
いまさら読書なんて。フンと鼻で笑ってはみたものの、特にすることも無いんで最初のページを開いてみた。
フツーの女の子たちのお喋り。こんなの何が面白いんだろう? 俺には無縁――あ、待てよ? 普通の女の子たちのお喋り? これ、幽霊がしたい事なのかも。
幽霊は彼氏もいなかったって言ってた。デートもしたかっただろうし、お友達とお喋りもしたかっただろう。今だってしたいに決まってる。
だけど彼女の話し相手は、今のところ俺しかいない。そりゃ確かにかまって欲しいに違いない。寂しい思いをしてたんだよなぁ、きっと。
ちょっとの反省をしつつも本のページを繰っていく。気づいたらどっぷりとハマっていた。彼女が帰って来るころには半分以上読んでそのまま寝落ちしていた。
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