第7話 地獄だし
引っ越しして一週間経った。不動産屋のオヤジが言ってた最初の難関クリアだ。あとはどれだけこの記録を伸ばしていけるかというところだが、俺は既に一年分の家賃を前払いしている。今から別の部屋に引っ越すという選択肢は残されていない。
とりあえずあのやたらとフレンドリーな幽霊とはうまくやってる。まあ、共同生活なんてもんはお互いが譲り合って初めて成り立つものだから、そこは俺もあまり幽霊の個人的な事には介入しないように気を付けてはいるんだけど。
むしろ幽霊の方にもう少し気を使って欲しい。あんまり俺の生活に介入されたくないっつーかなんつーか。
とは言え、アイツのおかげで助かってることはある。
まずは飯だ。ご飯が自分で炊けるようになったのはかなりポイント高いんだが、それだけじゃなくて五分でできる手抜き料理とか、一食当たり五十円くらいのビンボー飯の作り方を教えて貰ったのはかなり助かった。
『もやしは安いし
「どれくらい?」
『量なんかテキトーでいいよ、そこに中華だしちょっと入れてレンジで十秒。ほら、中華だしが溶けたでしょ? そしたらごま油とラー油を入れて、白ごま入れて混ぜる。だから量なんかテキトーでいいってば。あ、ほらモヤシ茹で上がったよ、ざるに取って。で、水分を良く絞るの』
「熱っつ!」
『ちゃんと絞らないと水っぽくなって味が薄くなるからね。そうそう、絞ったらさっきの醤油に色々混ぜたやつに入れてザクっとかき混ぜる。そのまま五分放置すれば出来上がり!』
これがアホみたいに美味しかったんだ。多分材料費は二十五円かかってない。その隣で木綿豆腐のステーキを焼いた。生姜醤油(チューブの生姜絞っただけだぞ)で焼いたら、醤油の焦げた匂いがたまらない!
この豆腐が三十円だったから一食当たりおかずだけで五十円だぞ。すげえ。しかもモヤシが結構量が多くて半分しか食べなかったから、二回に分けて食べると考えて、一食四十二円だ。すげえ、マジすげえ。
その他にも野菜切って耐熱皿に並べてオリーブオイルぶっかけてトースターで焼いただけのやつとか、コーンの缶詰とほうれん草をバターで炒めて塩コショウしただけのやつとか、茹でたエノキと千切り竹輪をめんつゆマヨネーズで和えただけのとか。
味付けなんか塩コショウか醤油かめんつゆだけでどうにでもなる。そこにオプションで生姜やわさびを足せばグレードアップだ。ポン酢もなかなかに使える。
野菜は茹でるか炒めるかすれば、どうにでも食べられる。こんなに簡単にいろいろ作れて応用もできるとは、正直思ってなかっただけにかなり驚いた。
しかもこれらをめちゃくちゃ簡単にサクッと説明してくれたんだ、幽霊には大感謝だ。きっとこの幽霊はもっといろいろ作れるんだろうな。俺のレベルに合わせて簡単なやつだけ教えてくれてるんだろうな。
そんなことを考えながら、いつものように夕ご飯を食ってた時だ。幽霊が唐突に『ねえ』と言いだした。
「ん?」
『図書館とか行かないの?』
「は? 図書館? 何しに?」
『図書館なんだから本読むに決まってんじゃん』
「いや、そうだけど。でも、俺、読書とかしないし。本読む趣味無いし」
『本は読んだ方がいいよ。学生の時に先生に言われなかった?』
「言われたけど……でも、そういう趣味無いから」
俺がきっぱりと読書への拒絶を示すと、彼女は言いにくそうにモジモジし始めた。
『ねえ、あたし読みたい本があるんだけど、借りてきてほしいなって。ほら、あたしが図書館行って勝手に本がペラペラめくれてると、いろいろ不審じゃない? だからと言って幽霊が相手じゃ本は貸出してくれないだろうし。それ以前に貸し出しカード作れないんだよね、身分証明書無いしさ。死亡診断書提示して貸し出しカード作ってくれってわけにはいかないでしょ?』
いや、死亡診断書を身分証明書代わりにしようって発想がむしろねえよ。
「いいよ。俺が借りて来てやるよ」
『やった! ありがと!』
「で、何が読みたいんだ?」
『料理のレシピ本』
「は? だってフツーにいろいろ知ってんじゃん」
『想ちゃんがサクッと作れるようにあたしがアレンジを考えといてあげよっかなーって思って。昼間一人でヒマだし。レシピ本って眺めてるだけでも楽しいから』
「いや、まあいいけどさ」
俺の貸し出しカードで料理のレシピ本かよ……。
『常備菜のやつと、ワンディッシュ系のやつ。五分でできる、とか書いてあるともっといい』
「それ、俺が作るんだよね」
『そうそう。あとはあたしの個人的な趣味でお菓子の本も』
って嬉しそうに笑うし。
「わかった。明日早く帰れたら借りてくる」って守れるかどうかわからん約束をしたわけなんだが、そういう約束に限って無駄に守れちゃったりするんだな。
翌日しっかり五冊抱えて帰って来ると、幽霊は飛び上がらんばかりに喜んだ。
『ありがと、想ちゃん! ありがとー!』
俺の腕に抱きついてくるその手はひんやりと冷たくて、まあ、むにゅっと押しつけられる胸はそこそこ大きくてちょっとドキドキするんだけど、所詮死人だし、てか幽霊だし、そこ素直に喜んでいいのか悪いのかよくわからん感じだ。
「あれ? っていうかさ。幽霊なのにすり抜けないわけ?」
『想ちゃんはあたしを触るのは無理だと思うけど、あたしはいくらでも触れるよ。そうでなきゃポルターガイストとか無理じゃん?』
「いやいやいや、なんで俺の方からは触れないわけよ?」
『知らないよ、あたし幽霊の仕組みには詳しくないもん』
「幽霊なのに?」
『何人も自分が自分を最もよく知る人間とは限らないのである』
「そりゃまあ、そうだけどさ」
そうしたら、幽霊のやつ、ちょっと寂しげな眼をして俺の事を見上げたんだ。
『ねえ、想ちゃんはさ。あたしのこと触りたいとか思う? 触れてみたいとかそんな風に考えたりする?』
「いや、幽霊だしな。生身の女の子だったら、一緒に住んでること自体かなりヤバいけど」
いや、フツーに考えたら、幽霊と一緒に住んでることの方がずっとヤバいか。
『あたしが生身だったら?』
「あー、それはヤバいね。マジでヤバいわ。幽霊でほんと助かってる」
いや待て、そこ「助かってる」とか言っていいとこだったんだろうか? 「死人でありがとう」って言ってるようなもんだよな。やっぱ良くないよな。
『ねえ、今日一緒に寝ようか』
「は?」
何を言いだすんだこの死人は。
『想ちゃん、あたしのこと触れないから大丈夫だよ。あたしは想ちゃんに甘えちゃうかもだけど』
「待て、それ一体何の罰ゲーム? 俺が何をそんなに罪深いことした? なんか怒るようなこと無意識にしたなら謝るから!」
『別に何もしてないけど、なんか楽しそうだから』
いや、楽しくねーよ。フツーに地獄だよ!
『ごめん、ちょっと言ってみただけ。あたしずっとスーツのままだし、こんなのと一緒に寝ても眠れないことくらいわかってるから。ちょっとね、ちょっと言ってみたかっただけ』
その言い方がなんだかとても寂しげに見えて、なんだか俺の心の中に何かがチクリと刺さったような気がした。
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