第5話 夕食

 風呂から上がって、コンビニで買って来た弁当を電子レンジに放り込む。その間に冷蔵庫からビール—―というか安い発泡酒を出してくる。

 プルタブを引き起こすとプシュッと音がしていい香りが漂ってくる。貧乏人の俺にはこれで十分だ。


 コンビニの袋から割り箸を出したとき、幽霊の声がした。


『想ちゃん、箸、買ったじゃん。割り箸は緊急時の為にとっといたほうが良くない?』

「あ、そうか。箸ね。買ったね」

『洗っといたよ。水切り籠に入ってる』

「え、そうなの。ありがとう」


 って、それもポルターガイスト的にやったのか。マメな幽霊だな。

 幽霊が綺麗に洗っておいてくれた箸を持ってきて「いただきます」と手を合わせる。……のはいいんだが。

 なんで俺の正面に正座して俺の食事風景を注視してる?


「何? 幽霊も欲しいの?」

『ううん、あたしビール好きじゃないし』

「いやこれ、ビールじゃなくて安い発泡酒」

『そういう事じゃなくて。苦いの嫌いなの』


 いや、そういう事でもねえよ。俺が聞いてるのはそういう話じゃねえって。


「ご飯。食べたいのかって聞いてんの」

『うーん、幽霊だからね。お腹は減らないんだけどさ。ほら、ご飯食べるのって幸せじゃん? その喜びが無くなっちゃったんだよね。お墓参りもお花はお供えしてくれるけどさ。なんて言うのかな、普通の夕ご飯とか? そういうの食べたいじゃん』


 わからなくはない。帰省したときに土産で持って帰ったちょっと値の張るお菓子より、普段通りの夕ご飯が食べたいってのは想像に難くない。


「ちょっと待ってろ」


 俺は幽霊が洗ってくれたお皿に、少しずつおかずとご飯を分けて、彼女の前に置いてみた。箸も彼女に譲って、俺はフォークだ。部屋をこれだけ片付けておいてくれたんだから、それくらいしたって罰は当たらない。


「これで一緒に食える。お供えと一緒だよね。幽霊が食べた後で俺が食えばいいんだから、残すことにはならないよ」

『えー、分けてくれんの? 想ちゃん、今までの住人の中で一番優しい! ありがとう、一緒に食べる~!』


 なんだよなんだよ、えらい嬉しそうだな。つーか、なんか優しいとか言われると照れるな。何照れてんだよ、相手幽霊じゃん。今一瞬、俺マジで喜んだよな。

 大喜びで『いただきまーす』とか言って、幽霊が焼肉弁当つついてる。見た感じ、しっかり食べてる。けど、取り分けた分が減るわけじゃない。本人はお皿を持ち上げて食べてるんだけど、お皿自体はそこに置いてあるままで。何とも奇妙な光景だ。


『想ちゃんさ、一昨日は牛丼特盛だったし、昨日はカツとじ弁当だったでしょ。今日は焼肉弁当。肉ばっかり食べてるけど、野菜も食べないとダメだよ?』

「ああ、うん、わかってる」

『コンビニ弁当は栄養が偏るから良くないって言われてるけどさ、あれはコンビニ弁当が悪いんじゃないの。コンビニ弁当を食べる人が、ちゃんと栄養価を考えてお弁当を選んでないからなんだよ』


 何の話が始まったんだ?


『牛丼食べたらサラダも食べる、カツとじ食べたらサンドイッチも食べる、焼肉食べたら野菜の煮物も食べる、って感じでね。肉と野菜をバランスよく食べないとね』

「ああ、うん、そうだね」

『ほんとに聞いてる?』

「聞いてるよ」


 なんだか母さんに説教されてる気分になって来た。


『だから自炊は大切だよ。あたしが頑張ってお部屋綺麗に片づけておいたんだから、明日からは自分でご飯作れるよね』

「え? ああ、まあ、そうだね。多分」


 なんか雲行き怪しいな。俺が自炊サボったらめっちゃチェック入れられそうだな。


『せっかく炊飯器にタイマーついてるんだから、今夜のうちにお米研いで、朝炊き上がるようにセットしとけばいいんだよ』

「ああ、そうだね、そうするわ」

『最初はおかず作るのもめんどくさいだろうから、ふりかけ買っておいて正解だったでしょ? 少しずつお料理教えてあげるよ』


 え……そこまでして貰わなくていいんだけど。って言うか、俺、一人暮らしを満喫したいんだけど。


「あのさ、慣れるまではしばらく出来合いのものにしようと思ってるから。慣れてからご飯作ろうかなって」

『えー、せっかく家賃五千円のところに住んだのに? そのお弁当いくらだった?』


 唐突だな、おい。


「弁当が六百八十円。ビールが百五十円。プリンが百三十円」

『九百六十円! 五回食事したら一カ月分の家賃だよ!』


 幽霊がとんでもないって顔で迫って来る。確かにそうやって言われてみればその通りだ。安いところを借りた意味がない。


「でも俺、実はコメの研ぎ方とか知らんし」

『マジでー? ありえな過ぎて死ねる』


 いやいやいや、死んでるよ。もう死んでるから。


『ご飯食べ終わったら教える。お米のとぎ方知らないって、考えられないし。小学校で習うし。まさか包丁持てないとか言わないよね?』

「持つくらいは持てるよ。時間かかるけど、ジャガイモの皮くらい剥けるし。いちょう切りと短冊切りは覚えてるし」

『むしろそれが偉いよ』


 褒めんのかけなすのか、どっちかにしろよ……。


『とにかくさ、今日は米の研ぎ方教えてあげるから。それ以外は徐々にね』

「いや、だから俺は一人暮らしを満喫したいんだけど」

『え……あたし邪魔なの?』


 また!

 またその子猫イン・ザ段ボールみたいな眼をする!


「邪魔じゃない邪魔じゃない。ただ、俺の好きなようにさせて欲しいんだよ。俺は仕事してるわけだし、家に帰って来たらくつろぎたいわけ。誰かの都合に合わせるのは仕事の時だけにしたいんだよ」


 って言ったら、幽霊はちょっと寂し気な目をしながらも『うん、ごめん』って笑った。


『そうだよね。あたしもそうだった。家に帰ったら自分のしたいようにしないとストレス溜まっちゃうもんね』


 なんだよ、あんまり素直に謝られると、俺がすげえ悪いやつみたいな気分になるじゃん。確かに悪い奴だけどね。せっかく教えてくれるって言ってんのに、好きにさせろとか言ってるわけだし。よく考えたら、俺、性格悪いかも。


 いやいやいや、なんでそうなる? 自分の家でくつろぐ権利を主張してるだけだろ? フツーだって、フツー。


『ねえ、箸止まってるよ。あたし食べ終わったし。あたしの分も食べるんでしょ? 冷めちゃうよ』


 顔を上げると、俺の顔を覗き込んでる幽霊と目が合った。


「なあ。飯食い終わったらさ、とりあえず米の研ぎ方だけ教えて貰っていい?」


 真ん丸に目を見開いた幽霊が、一瞬遅れて笑顔になった。


『うん。もちろん!』


 なんだかちょっと不動産屋のオヤジの言いたかったことが少しだけわかったような気がした。

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