第4話 この部屋は

 家電屋にホームセンター、ドラッグストア、近所のスーパー、米屋とあちこち回って疲れ果ててしまった俺は、昨夜はビールとコンビニ弁当を腹に納めたらそのまま寝てしまった。

 飯食う前にシャワーを浴びておいたのは正解だった。今朝はかなりヤバい時刻に目覚めたからだ。


 起きて視界に入った光景は、なんと言うか……人の住む部屋と言うよりは戦場に近かった気がする。なにしろ昨夜買って来たものを全部そのままにして寝てしまったのだ、足の踏み場もないとはこのことだ。

 がらんとした部屋の床だけにモノが広がっている感じだ。しかもそのほとんどがお店の袋に入ったままで、開けた形跡があるのはシャンプーとボディーソープの入っていたドラッグストアの袋だけ。テーブルの上にはビールの空き缶とコンビニ弁当の空き容器が乗ったままだ。


 ものが増えるという事はこういうことなのか。片付けるのも大変になるってことなんだよな。

 ああ、だから一人暮らしは散らかるのか。今まではモノがなくて散らかりようがなかっただけなんだ。これからが大変だぞ。


 などと考えながら家を出る。幽霊が呑気に『行ってらっしゃーい』なんて言ってたけど、こっちはもう遅刻ギリギリ、かなりヤバい。起きてたなら起こしてくれてもいいじゃねーか。……って、そんなことしてくれる義理は幽霊にはないよな。


 帰ったらあの部屋を何とかしなきゃならんのかと思うと、結構気が滅入る。まあ、あの脳天気な幽霊と喋りながらやってりゃ、気分も違うか。


 昼休み、引っ越しを手伝ってくれた先輩が「片付け終わったか?」って声をかけてくれた。終わるどころか買い物してモノが増えたら収拾がつかなくなったと言ったら「そうだろうな」と笑っていた。先輩はずっとワンルーム一人住まいだからその苦労を知ってるんだろう。

 帰り際に「週末片付け手伝おうか?」って言ってくれたけど、「あの部屋幽霊がいるっぽいです」って言ったら、さすがに「ごめん、今の発言撤回するわ」って言われてしまった。やっぱり幽霊のいる部屋って、普通は引くよね……。


***


 仕事帰りに例の不動産屋に立ち寄ってみた。オヤジは興味津々といった様子で「まあ、そこ座って。今お客さんから貰ったんだよ、お兄ちゃん食べるかい?」なんてどら焼き出してくるし。おばちゃんはこの前みたいにお茶出してくれるし。


「どうだい、幽霊、出たかい?」

「ああ、出ましたよ。女の子の幽霊でした。すげー元気な幽霊」

「大丈夫そうかね?」


 オヤジは半分禿げた頭を撫でながら、身を乗り出して聞いてくる。おばちゃんの方もオヤジの体積の倍くらいありそうな体をソファに沈ませて、オヤジと同じように目を輝かせてる。


「俺、マジで幽霊とか平気なんで。なんともないです。全く問題ないです」

「今までのお客さん、みんなそう言うわけよ。幽霊が苦手な人は最初から入居しないしね。大丈夫って言う人しか入居しないからね。だけど、みんな一週間ともたないわけ。みんな出て行くのね。ここには住めないってね」


 俺が一年分の家賃を前払いにして安心したのか、逆に俺の心配をしてくれてんのか、この夫婦、やたらと情報提供して来るな。


「へえ、そうなんですか。多分、俺は大丈夫だと思います」

「うん、みんなそう言うんだよね、最初の三日くらいはね」


 今日で三日目か。これから何かあるのかな?


「みんななんと言って出て行くんですか?」


 オヤジはおばちゃんと顔を見合わせて、困ったように笑った。


「それがねぇ、もう無理ってそれだけ」

「何が無理なんですか?」

「さあねぇ。まあとにかく羽鷺ちゃんは一年分前払いしちゃったからねぇ、一年住み続けないともったいないよ」

「もちろん住みますよ」

「うん、まあ、頑張って」


 何をどう頑張るのかよくわからんけど、オヤジは帰り際にもう一度「頑張って」と言ってきた。おばちゃんはどら焼きを三つも袋に入れて持たせてくれた。「あの子、いい子なんだけどね。相談には乗るからね」と言ってくれたその目は、なんだか俺を憐れんでいるようだった。

 「あの子」っていうとこ見ると、おばちゃんは幽霊のことを知ってるのかもしれない。


 帰りにコンビニに立ち寄った。あの部屋でご飯を炊くのは現在の状況から考えて不可能だ。とりあえず今日の晩飯と、明日の朝飯、それとペットボトルのお茶。

 ゴールデンウィークは今日みたいな出勤日がはさまるとはいえ基本的に休みが多いから、部屋の片づけにはちょうどいいかもしれない。明日からまた部屋を片付けて、ちゃんと自炊しよう。


 部屋に着いて鍵を開けると、真っ暗な部屋が待っていた。当然だ。誰もいないんだから。

 今までは玄関も明るく、寮母さんと鉢合わせになると「おかえり」なんて言って貰えたし、同じ宿舎に住んでる人と誰かしら遭遇したもんだ。夕ご飯のいい匂いが漂っていて、寒い日はご飯より先に風呂にだって入ることができた。

 一人を満喫するという事は、メリットもたくさんあるけど、案外デメリットもあるもんだ。


 靴を脱いで、一応恰好だけでも「ただいま」なんて言ってみる。まあ、返事はないわけだけど……。


『おかえり』


 ……って、返事あったし。

 そうだった、幽霊がいたんだ。手探りで電気をつけると、見た事も無いような部屋が目の前に現れた。

 あれ? 俺、部屋間違った? いや、今フツーに幽霊が返事したよな? 俺の部屋だよな?


『想ちゃん、あんまり部屋が酷かったから、あたしが片付けといた。テキトーだけどいいでしょ』

「え? 幽霊が? てか、どうやって片付けんの。すり抜けるんじゃないの?」

『ポルターガイストってやつ? いろいろできんのよ。どう? こんな感じでいい? 気に入らないとこあったら収納し直してね』


 いや、むしろ完璧だろ。俺にはここまでできる気がしない。


「すげー助かったよ。ありがとう。俺、マジで明日一日部屋片づけんのに潰れると思ってたわ」

『どういたしまして。あたしが住んでた時と同じように収納したの。生活導線が停滞しないようにするにはこの収納が一番だからね』


 なるほど。住んでた幽霊ひとの意見は参考になるな。


『お風呂入れといたよ。入っておいでよ』

「ちょっと待ってよ、なんなのそれ。どういうサービス?」

『なんか久しぶりの入居者だから嬉しくなっちゃってさ。思わずサービスしちゃったけど、毎日するわけじゃないからね』


 いや、今日だけでも十分嬉しいし。マジ部屋片付いてるだけでも嬉しいのに、何この人、仏様かよ。てか成仏してないから仏じゃねえな。

 とにかく風呂入って疲れを取ろう、そうしよう。


「幽霊、えらいしっかりしてるけど、いくつなの?」

『享年二十九歳』

「俺と同い年じゃん」

『そうなんだ。ってゆーか、ここで脱ぐかな。お風呂場で脱ぎなよ。一応あたし見てるし』


 あ、そうだった。なんかいろいろ規格外すぎてこっちもどこまで通常運転かわかんなくなってくる。


「まあ、入って来るわ。お風呂サンキュ」

『どういたしまして~』


 楽し気な彼女を一人残して、俺は風呂に入った。一人暮らし感は、全く無かった。

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