第3話 買い物
やめろ……降りてくれ……。
叫んでも叫んでも声が出ない。巨大な岩が俺の上に乗っている。
その岩はぎょろりとした目で俺を見つめ、大きく裂けた口でニヤニヤと笑っている。
俺はこいつの重さに内臓が口や尻の穴から飛び出してしまいそうになっている。
誰か助けてくれ……誰か!
『想ちゃん! 大丈夫? 想ちゃん!』
懐かしい声がする。母さんか。姉ちゃんか。誰だ?
『想ちゃん、起きて! 想ちゃん!』
え? 起きて?
俺はハッとして目を覚ました。目の前には幽霊。幽霊?
ああ、そうか。俺は引っ越ししたんだ。それでこの家に幽霊が住み着いていて、その幽霊が……。
「ってあんた、なんで俺の上に乗ってんだよ!」
『いや、想ちゃんがうなされてたから』
「あんたが乗ってるからだろうが!」
『あ、そっか、ごめんね』
なんだよそのテヘペロ感は。
「てか、想ちゃんってなんだよ、想ちゃんって! いつから俺想ちゃんになったんだよ」
『え? 生まれた時からでしょ? てかそれあたしに聞くの、おかしくない? あたしが聞くならともかく、想ちゃんの家の事情なんだから想ちゃんの方が知ってるんじゃないの?』
「あ、そうか。それもそうだな」
あれ? そういう話だったっけ? なんかどこかでずれたような気もするけど。まあいいか。
「良くねーよ。俺は想一郎!」
『だから想ちゃんでいいんじゃない?』
あれ? ああ、そうか。
『ソウイチロウって呼び捨ての方がいいってこと?』
「あーいや、なんでもいいわ」
『じゃ、想ちゃんね』
なんかどうでもよくなってきた。どうせ幽霊に想ちゃんって呼ばれても、ほかの人には見えないし聞こえないんだから、どうでもいいと言えばどうでもいい事だ。
釈然としないまま顔を洗っていると、また幽霊がついて来た。そんなに広い家でもないんだから、ついて来なくてもいいのに。
『ねえ、早くご飯食べてお買い物行こうよ』
「は? お買い物?」
思わず顔を上げると、目の前の鏡の中で幽霊が楽しそうに髪を結び直している。
「いや、いつの間にお買い物行くことになってんだよ」
『炊飯器とか掃除機とか必要なんじゃないの? あたし、選ぶの付き合うよ』
「あんた地縛霊じゃないの?」
『そういう難しいことよくわかんないのよね。でも普通に散歩にも行くから、ここから離れられないわけじゃないよ。ここに未練ないもん』
なんというか、あっけらかんとした幽霊だな。まあ、確かに俺が一人で買い物に行くよりは賢い買い物ができるかもしれないし、連れてって損はないか。
「じゃあ、支度するからちょっと待ってて」
『うん』
とは言ってみたものの。着替えてる時とか、フツーにガン見してるし。そこはちょっと遠慮しろよ。なんで見てんだよ。
「おい、風呂は覗くなよ? トイレもな」
『うん、そっちは用事無いから、でもリビングにいるのは仕方ないでしょ? ワンルームなんだし』
「いや、そうだけど」
まあ、暇なんだよな、彼女も。すること無いし。それくらいは許すか。
仕方ないんでパパッと着替え、彼女と連れ立って外に出た。
『いい天気だね~』
「なんか、無駄に明るい幽霊だな」
『幽霊がみんなうらめしや~って言うと思ってた? あれは恨めしいことがあるからそう言って出るんでしょ? あたし、特に恨めしいこと無いし』
そう言って笑う幽霊は、フツーに明るい女の子にしか見えない。幽霊は暗闇にしか出ないイメージだったんだが。こんな明るい日差しの下でニコニコされると、幽霊だってことを忘れてしまう。
こうしてみると、結構背の高い子だ。すらりと健康そうな体をしている。顔色もいい。なんで死んだんだろうな。
それに、なんで成仏できなかったんだろうな。思い残すことが何かあったのかな。
「なんでいつもスーツなんだ?」
『なんでって言われても、死んだときスーツ着てたからじゃないかな?』
「ああ、そういうもんなのか」
『想ちゃん、幽霊の基礎知識、全く持ち合わせてない感じだね』
「あんただって地縛霊が何なのかよくわかって無かったじゃん」
『あはっ、それもそうだね』
なんだかなー、調子狂わされるな。あまりにも普通過ぎて。
『ねえ、想ちゃん。あたし、電車に乗るのに乗車券要らないよね?』
「むしろ持ってる方が不審だろ」
『っていうかさ、想ちゃんあたしと喋ってると、独り言言ってる変なお兄ちゃんに見えるよ』
「そう思うなら話しかけんなよ」
『でも寂しいじゃん、一緒にいるのにお喋りしないのって。だからさ、小声でいいから。あたしちゃんと聞こえてるし』
そういうところは気を使ってくれんのな。ビミョーによくわからん幽霊だ。
それから俺は、周りの人に変な目で見られながらも幽霊とお喋りしつつ、洗濯機と炊飯器と電子レンジを買った。洗濯機と電子レンジは今日配送センターを出て、明日サービスの人が設置してくれるらしい。炊飯器は自分で持ち帰った。
幽霊が『荷物運び、手伝ってあげらんなくてごめんね』って言ってたけど、最初から幽霊にそんなことは期待してない。それ以前に女の子に炊飯器なんか持たせられない。
いったん家に戻った俺たちは、再び買い物に出かけた。今度は食料を仕入れるためだ。
これは幽霊について来て貰って本当に助かった。俺一人だったら絶対に気付かないようなことをいろいろ教えてくれた。そこら辺は一人暮らしの経験があったからだろうけど。
茶碗や箸の他にも菜箸やお玉があった方がいいとか、フライパンはマーブルコートがいいとか、水切り籠があるといいとか。ぶっちゃけ水切り籠まで頭回ってなかったけど、確かに茶碗とか洗ったあとで困るよな。
こうしてみると、完全な独り暮らしって結構初期費用が掛かるもんだ。
その後で今度は消耗品を買いに行った。
洗濯機があっても洗剤が無いんじゃ話にならない。洗濯洗剤に、キッチンのスポンジ、食器の洗剤……そうそう、昨夜なんにもなかったから風呂に入ってお湯だけで頭も体も洗ったんだ。シャンプーとかも必要だよな。そういう意味では共同の風呂場やトイレって、ずいぶん楽させて貰ってたんだな。
なんて感慨に耽る間もなく、幽霊に呼ばれる。彼女曰く『炊飯器や鍋を買っても、米やラーメン買わなかったら意味ないでしょ』とのことだ。確かにご尤もだ。
俺がカートにカップラーメンを入れたところで幽霊のチェックが入った。
『ちょっと、カップ麺こんなに買ってどうすんのよ。五個もあれば十分でしょ?』
「いや、それじゃたったの五食分じゃん」
『何言ってんのよ、カップ麺ってのは非常食っていう位置づけでしょ。主食とか日常食とかにしちゃダメだよ。基本はコメ。困った時でもインスタントラーメン。それでもさらに困った時のためのカップ麺だよ』
「え、そうなの?」
『当たり前じゃん、そんな生活してたら体おかしくなる。死にたいの?』
「いや、死人に言われても説得力が……」
『死人だからこそ説得力があるんでしょうが』
なんだかよくわかんなくなってきた。けどまあ、カップ麺があまり体にいいとは言えないという事は、アホな俺でもわかる。ここは素直に従っておくか。
『どうせ買うならスパゲティとか蕎麦とか、そういう乾麺にしなよ。ちゃんと自分で茹でて食べる系の』
「だけど、汁とか作れないし」
『そんなのめんつゆのボトル買えばいいのよ。あれ薄めるだけでいいんだから。それと万能選手と言えば塩コショウね。立派な料理なんかしなくていいから、めんつゆと塩コショウさえあればどうにかなるから。醤油とケチャップとマヨネーズも必須! インスタントコーヒーも買っとく? 今日お買い得みたいだよ』
なかなかに調味料の初期費用と幽霊の生活能力はバカにできなかった……。
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