第18話 一夜明けて



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 「――もう朝か」



 ベッドの上で枕に顔を沈めていた七海は、そう呟いて仰向けに寝返った。

 窓を見ると、閉め切った紺のカーテンの奥から微かに明かりが感じられる。

 

 アリアと一戦を交えた疲れがあるにも関わらず、酒場でのケマンヌの暴論、帰り際のモモとのすれ違いと、考えを巡らせることが多かった七海は一睡も出来ずにいた。

 言葉では七海を許していたが、あれから彼女の表情が晴れることはなかった。気まずい雰囲気だった帰り道からそれぞれの部屋に戻るまで、二人は「おやすみ」の夜の挨拶を交わしただけである。


  外から僅かに聞こえる鳥のさえずりに、七海は身体を横にする。



 「モモも……起きてるかな」



 七海の部屋は二階で、位置的にその真下がモモの自室である。

 そんなことをしても何になる訳でもないが彼は一夜中、下の様子を気にかけていた。

 しかし物音といった物音もなく、終始彼の耳を通っていたのは自分の呼吸音だけだった。


 眠れない上に、疲弊した身体を長時間硬いベッドに預けていた七海は、全身を鈍痛に襲われていた。

 それに耐えきれなくなり、立ち上がった彼はカーテンを開く。広大な村の畑の遥か彼方に、朝日が少しだけ顔を出している。そこからグラデーションを作るように、薄暗い空が広がっていた。


 一つ大きく伸びをすると、関節がボキボキと悲鳴を上げる。

 昨夜のお酒から何も飲んでいなかった七海は喉の渇きを覚えた。ゆったりとした足取りで、一階へと通じる階段に向かう。

 彼が螺旋状の短い階段を下りていると、丁度部屋から出てきたモモと目が合った。



 「あ……」



 「あ……」



 順に間の抜けた声が漏れる。

 どうすれば良いのか分からなかった二人は、それぞれ動きが止まった。

 七海は片足だけを段違いに、モモは閉じた扉に片手をかけていた。

 前日そのままに、微妙な空気が間を支配する。



 「…………」



 「…………」



 七海の渇いた喉を固唾がなぞっていく。

 そして彼が声を掛ける決心がつくまで、たっぷり十秒程を要した。



 「「――おはよう」ございま……す?」



 意図せず重なった「おはよう」に、どこか神妙な面持ちだったはずのモモは目をまん丸にして驚いた。

 その変わりようを見た七海が、堪えきれずに吹き出す。



 「……ぶっ………」



 「な、何ですか! こんな朝から人の顔見て笑うなんて!」



 頬をぷっくり膨らませてモモが言う。



 「そりゃ……ぶくく……今の緩急は笑うだろ」



 「 は い ? 」


 「ヒィーーッ何でもありません! おはようございますモモさん!」



 ご立腹の様子の彼女をこれ以上逆撫でしないよう、七海は迅速に謝罪を入れた。

 現実世界では謝ることのなかった彼も、ここ数日の踏んだり蹴ったりですっかり下手に出るのが上手くなっていた。主にモモこの娘のせいだけど。やっぱり小動物みたいな可愛い見た目の割に、実は中身は猛獣だったタ――



 「何でもありそうですね。とりあえず朝ご飯にしましょうか。もありますし」



 「はい……」



 ――とりあえず返事したけどどっち?

 影と胸が薄いって言ったこと? それとも帰りの――


 七海はモモの後を追ってリビングへと出る。

 部屋より少しばかり広めのリビングは、彼がこちらに来て一番の、早朝の冷気に包まれていた。

 室内だが、二人の吐く息は白い。

 


 「うう……、さぶい……。だんろ、だんろ……」



 両手で自分を抱きしめながら、モモが暖炉に火をくべる。

 その間に、七海は彼女のご機嫌とりも兼ねて温かい飲み物を用意することにした。



 「モモ、何か飲む?」



 「じゃあ、カフェラテがいいです」



 「ん、了解」



 七海はテーブルの中央の小さな囲炉裏に火を灯すと、その上に水を入れたヤカンをぶら下げた。近くにいるだけで少しばかり暖かく感じる。


 ヤカンのお湯が沸く頃には、暖炉の熱が部屋全体に広がっていた。

 七海は自分の水色のカップにはコーヒーを、モモのピンク色のカップにはそのコーヒーと牛乳を注ぐ。

 相当な甘党だった彼女は、たった一杯に対して角砂糖を三つも入れるのを毎朝見ていた七海は知っていた。



 「えっと……、シュガーシュガー……」


 

 角砂糖が見当たらなかった彼は、台所に置いてあった“し”と書かれた容器の中の半透明な粉を大量に入れ、いつもモモが座る席の前に差し出す。



 「温かいの、出来たぞ」



 「あ、はーい」



 そう言って暖炉の前に屈んで暖をとっていたモモが、パタパタとスリッパを鳴らしてやって来る。

 席に着くと、湯気を立てている熱々のカップを両手で包んで、恥ずかしそうに七海に礼を言う。



 「あ、ありがとうございます。……あちち、ふー、ふー」



 彼の返事を待たずに、モモはカフェラテを冷まし始めた。

 ぶっきらぼうな彼女のお礼を受け取り、七海も自分のカップに口を付ける。

 その一口が終わると、入れ替わるようにモモが口に入れ――



 「――んぶッ!!! マっっっっっズい!!!」



 ――たはずの茶色い液体が、七海の顔に吹き返された。



 「ちょッ、あっつ!!! あっちいんだけど!!!」



 「あわわごめんなさ――じゃなくて、ハルカさん、これ何入れたんですか? コーヒーのようなバターのような……、とにかく気持ち悪いんですけど!」



 「バター!? そんなもの入れる訳ないだろ! “シュガー”だよ! 砂糖入れたに決まってるだろ!」



 しょっぱい顔のままで、七海は台所に回って“し”の粉を彼女に見せつける。

 それを見るなり、モモは反論も出来なくなったのか、がっくりと肩を落とした。得意げになった七海は、呆れたように腰に手を当てて追撃する。



 「ほらなー。昨日の今日で、モモもちょっと気が立ってたんじゃないか? ストレスで味覚障害が出るっていうのも聞くし、今日はゆっくり休んだ方g「ハルカさん、とりあえずそこで正座して貰えますか?」ハイッ!」



 またか……。何て日だ。

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