第8話 集会所にて
先の不気味な閑寂が嘘のように、集会所は村の人々でいっぱいだった。
老人達が世間話をしていたり、小さな子供が無邪気に室内を走っていたりする日常的な風景に、無意識に強張っていた七海の身体が解れる。
どうやらそれはモモも同じだったようで、幾らか表情が緩くなっていた。
部屋の端の方の空いていた席に、二人は隣り合って座った。
「それで、僕はこれからどうすれば良い? 情報屋でもいるの?」
「そんな方はいませんが……、中央奥にいらっしゃるあの方が――、あれ? いませんね……。もしかしたらお留守でしょうか……」
彼女が指差した先には、背もたれが長くてふかふかの、お偉いさんが座る
モモが目で辺りをきょろきょろと探すが、それらしい人は見当たらない。
「おかしいですね……。いつ何時来ても、あの席で大体舟を漕ぐ様に寝ていらっしゃるんですけど……」
おいおい。そんな奴と今から会って、この世界のいろはを聞こうってのか……?
しかも“いろは”の“い”だよ? 言わば最初だよ? 僕の“初めて”、そんなテキトーにしないでッ!
「まぁでも居ないなら仕方ない。今日は大人しく帰って別の――「フッ! 私に用かね?」ンべらッッッッ!!!」
突如、視界の上から逆さの顔が降ってきた。
そして、文字通りのフェイス・トゥ・フェイスの形で静止した。
その非常事態に七海の全身の
ねえ、この
シュッとした顔つきだが、そこには皺が幾つかハッキリと刻まれている。四十代だろうか。
毛は沈んだ銀色で、例えるなら、狼のような人である。というか半分狼なんだけど。
逆さ吊りのカラクリが分からない七海が視線を上げると、バッキバキに割れた腹筋が露わになっている。
体勢は、集会所の小屋を支える太い梁に足の鋭い爪を立てて保っていた。ナニモンだよこのキン〇マン。
「全く何してるんですか……、村長。見てください、ハルカさんが困ってますよ?」
確かに困っている。
クール系主人公としての道を脅かす、深刻な問題にね――って、
「ガハハ! そうだな……、よっ……と。驚かせて悪かったな。俺はこのライプ村で村長をしている、ゴードン・アキュートスだ。皆からはゴードンと呼ばれている」
逆さ吊り状態から脱し、華麗に着地を決めたゴードンは、見た目通りのハスキーボイスで自己紹介をした。
色々乱れていた七海も、身を正してそれに応じる。
「七海遥です。こちらこそ、みっともない姿をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした……」
何でこっちが謝っとんねん。
命懸けで熊倒して、保養だった尻尾に裏切られて……。
その上この僕に、しかもモモの前で醜態を晒させやがって……あれ、なんで涙が……止まらないんだ……。
「いや構わんが――って、どうしてそこで泣くのだ? ナナミ君?」
「ほらぁーっ。やり過ぎですよー」
心から溢れ出る七海の切ない涙を、モモが持参していたハンカチで拭き取ってくれる。
モモが女神に見えてきた。
村の農地の豊潤を願う女神というには、
「今なんかくだらない事でも考えましたか?」
「いえ何も……」
明るい笑顔に凄まじい迫力を纏わせたモモが七海を圧倒する。
なんで分かるんだよ……。年下と言っても女の子って怖いんだな……。
「ガッハッハ! 綺麗に着飾って、どんなイイ男を連れてきたのかと思ったらねぇ。モモ、これから苦労するぞ?」
二人のやり取りを眺めていたゴードンが、ニヤニヤしながらモモにそう忠告した。
「ちっ、ちがいますから!!! ハルカさんは
半ばしどろもどろのモモが、七海に強く同意を求めている。
“情けない男”か、“付き合っている彼氏”。
モモの否定を踏まえたら、どっちにしてもそんなに嬉しくはないしなぁ。
「そ、そうだね」
七海は苦笑いで曖昧に首を縦に振った。
それを聞いたモモは、目の前でガックリと項垂れた。
彼女的には“ハズレ”だった事は良く解った。
仮に横に振っても、それはそれでハズレだったような気もするけどな……。
「それで……、ナナミくんとモモは何か用があってここに来たのだろう? 話を聞こうじゃないか」
痴話喧嘩が終わったのを確認して、ゴードンは本題へ入るよう勧めた。
危うく忘れかけていた七海が、話を切り出す。
「そうでした。この世界の事や、魔法についての知識を教えて頂けませんか?」
「えっと……、その、ハルカさんはちょっとした事情で、記憶がないようなのです」
普通に考えれば不自然な七海の質問を、咄嗟にモモがフォローする。
「フムフム……、そういう事か……。それなら、あそこで話すとしよう」
フォローが効いたのか、納得したゴードンは定位置らしいあの高そうな椅子の方へと案内した。
二人もモモが近くから適当に引っ張ってきた椅子に座り、大きい机を挟んでゴードンと対する。
「ではまずこの国についてだが――」
長ーいゴードンの説明を要約すると、こうだ。
この世界にたった一つしかない国、『ガウス』は大きな円の形をしている。
その中心が大都市・『アイゼン』である。またそれを囲むように、『フィボナ』や『エヴァリス』などの町が存在する。以前はアイゼンと並ぶ大きな町がまだあったが、あまりの人口の多さに管理しきれなくなった町のお偉いさんが、新しく村を作って少しばかり人を移した。それがここ、ライプ村である。
「――なるほど。この村が出来たのはいつですか?」
「五年前だ。ゼロからのスタートで大変だったが、どうにか今の平和を手に入れることが出来た。それも全て、村の皆が協力して頑張ってくれたお陰だ」
そう話すゴードンの表情には、村長としての誇りが伺えた。
深く刻まれた皺も、数々の苦労を乗り越えた証なのだろうと、七海は心の中で彼を労った。
しかし――、
隣のモモは暗い顔をしていた。
集会所に来る前、住宅街で見せたあの時と同じ顔。
いつも明るい彼女が沈んでいると、余計に空気が重く感じる。
「……モモ? やっぱり何か話すべきことが――」
『おい……、見ろよ!
窓から外を眺めていた村人が、突然大きな声を張り上げた。
それに釣られて、近くにいた人が次から次へとそっちに流れていく。
『今月はもう
『そうよ!! これ以上何をしようっていうのよ!!』
初めは小さかったざわつきも次第に大きくなり、悲鳴も聞こえるようになってきた。
「――……何だ?」
七海も窓の外を確認しようとするが、人混みに遮られてしまう。
ガタンッ
そんな彼の後ろで、何かが倒れる音がした。
注意をそちらに向けると、そこには耳を塞いでうずくまっているモモがいた。その身体は、小刻みに震えている。
「どうした……? モモ、怖いのか?」
七海は慌てて駆け寄るが、あまり刺激しないように、モモには優しく声を掛けた。
だが、それは彼女には聞こえていないようだった。
「いや……、やだ……、こないでェェェェェエエエエエエ!!!!!」
初めて見る彼女のその剣幕に、七海は思わず飛びのいた。
「……モモ…………?」
七海の弱い呟きと同時に、集会所の扉がバチィン、と荒々しく開かれた。
「控えろ愚民共ォ!! 国衛騎士団ラグラン支部のお通りだァ!! ゴードンの野郎に話がある!!」
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