一章
第6話 距離
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真っ黒の世界に、形のない光がゆらゆら差し込む。
……まだこのままでいたいのに。
少し抵抗してみるが、直ぐにその鬱陶しさに耐えられなくなり、渋々瞼を開く。
すると、そこは見知らぬ天井だった。
優しく被せられていた白い布団を剥ぎ、七海はぎこちなく起き上がる。
「…………いっ……、てぇ……。……ここは?」
素材の焦げ茶色で揃えられた全面木製の部屋。
そこに七海がもたれているベッドと、横に椅子が一つだけ置かれている。
椅子の上には、水の入った桶とタオルがある。
そして何気なく、痛む胸の傷を押さえた手には、ざらりとした包帯の感触があった。
――そうだ。
殺人熊を倒して、僕とモモは何とか助かった。
でもモモが辛そうにしていたから、急いで声を掛けて――
『――はい。ハルカさんの、お陰です』
あの時の彼女の温容を思い出し、再び顔が熱くなる。
落ち着け……、落ち着くんだ。
このままでは回想気絶回想気絶回想気絶の無限地獄に陥ってしまう。
こんなド・序盤で読者が離れるのを防ぐ為にも、ここは何とか耐えなければッ……!
ガチャリ。
寝室の扉が開く。
気合で自分を保つ七海の元へ、トレイを持ったモモがやってきた。
「あ! ハルカさん! やっと気が付いたんですね――って、まだ顔赤いですよ?」
「お、おはようございます、モモ。ええ、ついさっき。これは……気にしないでください、自業自得ですから……」
「……そうなんですか? でもでも良かったですっ。丸一日ずーーっと起きないから、もしかしたら死んじゃってるのかと思いました!」
えっと……、そんな元気に死んじゃってるかもって言われても……。
あれか。これはド・序盤で、読者じゃなくて主人公を置き去りにしていく系のやつか。
そうですかそういう感じなんですか……。
「?? 今度はお顔が真っ青になってますよ? やっぱりまだ体調の方が……」
「大丈夫です……。今ちょっと心身のバランスが悪いだけですから……」
赤から青って……、僕は歩行者用の信号機かよ。
だとしたら危険なんだから赤信号の時に渡るなよ……。
心配と見せかけた右フックを食らい傷心中の七海の鼻孔を、中華の
思わず身を伸ばし、モモの手元を覗き見る。
それを察した彼女は、座っている七海の前にそのトレイを置いた。
「これはライプ村で代々伝わるスープで作った、お粥のようなものです。たくさん食べて、元気になってください!」
ああそうか。ここはモモの住む『ライプ村』なのか。
何も分からない状態である以上、早く情報を集めなければならない。ならないが……。
目の前で香ばしい湯気を上げるお椀が、
そしてスプーンを手に取ったが最期、スープの一滴がなくなるまでは一瞬だった。
「あらら…… もう無くなっちゃったんですか? 足らなければ、おかわり、ありますよ」
あっという間に空になったお椀を見て、モモはそう言った。
「いえ、大丈夫です。ご馳走様でした。とても美味しかったです」
「こちらこそ、お粗末様でした」
二人は互いに手を合わせ、軽くお辞儀をした。
胃に納まったお粥の温かさが、じんわりと全身に広がっていく。
七海は、それだけで元気になった気がした。
食器などを片付けたモモは、ベッドの傍の椅子に腰を下ろした。
そして先程よりは少し真剣な表情で切り出した。
「そういえばあの熊は、どうやって倒したのですか? 凄い勢いで燃えていましたけど……」
魔法の才能に乏しい七海は幸運にも、へなちょこな
弱い心臓で全力疾走したモモは、自分のことに精一杯でそれを目にすることは出来なかった。
――い、言えねえ……。
あんなに雄弁に自分が“天才”だと語っていたにも拘らず、蓋を開けてみたら貧弱な能力しか使えませんでした、なんて……。
でもある程度情報さえ集めてしまえば、この娘と付き合う時間もそう長くはないだろう。
そうでないにしても、戦いになんて出なければ“凡才”がバレることはない。
ここは僕の
七海はベッドの上で脚を組み、説明した。
「あれは僕の火属性の魔法によるものです。炎を弾丸に見立て、奴に向けて飛ばしたところ、あのような結果になりました。その炎の色が蒼だったり、不明な点はありますが……」
間違ったことは言ってない。
飛ばしたけど途中で墜落しちゃって、バケモンに当たらなかったってだけ。
「なるほど……、そうなんですね! やっぱりハルカさんは凄いです……! それで、もしケガが問題なければ、ですけど、村の集会所で聞き込みをするのはどうでしょう?」
曖昧な言葉に簡単に納得した上に、感心までしているモモは、そう薦めた。
一応七海はもう一度包帯の上から、怪我の具合を確かめる。
「胸の傷はもう痛みも大きくないので大丈夫です。集会所ですか……。そこなら色んな情報が手に入りそうですし、是非とも行かせて頂きたいです。」
「分かりました! それでは明日行くことにしましょう。今日は大事をとって、もう少し休んでいてください。……あ、あと、それと――」
何が言い辛いのか、彼女は膝の上で重なっていた手をもじもじさせている。
長めの沈黙を少しじれったく思った七海は、優しく先を促した。
「それと……、なんです?」
「です、とか、ます、とか……、そんなの私には使わないで……いいですよ。普通にお話、したいですから」
それは、モモが七海ともっと近づきたい、という想いの表れだった。
彼女に心を許しながらも、どこかビジネス的に接していた七海。
そんなもどかしい距離感を、モモは縮めたかった。
しかし彼もそれは理解していたので、拒むこともなく、短く応じた。
「そうだね」
と。
身体の芯に残る、彼女が作ってくれたお粥のように温かく、優しい微笑みで。
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