第4話 “凡才”


 それでも意を決した七海は、恐怖に固まる首をコマ送りのように、少しずつ左へ、左へと廻していく。


 三十度、六十度、九十度。

 

 そして百二十度を迎えたところで、今にでも二人を襲わんとする、その存在の一角が視界に入った。


 毛深く、ドラム缶のように太い腕。その先にそう長くはない、しかし空気すら裂きそうな程に鋭利な五つの爪がある。


 百五十度。

 その逞しい腕を凌駕する、丸太のようにどっしりとした足腰と胴体。その立派な 木 身体を見上げると――、赤黒く燃える殺意に満ちた眼。既に何かの事後なのか、剥き出しにした猛々しい歯は血に濡れている。


 「こ、これって……」

 

 緊張で乾ききった喉から、掠れた声が零れる。


 ――熊のようなやつだった。熊と言っても、大きさや凶器の剣呑さは七海の知るとは比べ物にならないが。

 

 突然やってきた修羅場に、モモと二人揃えて固唾を呑む。

 未だ座っていた七海は腰が抜け、立つことすら出来なくなっていた。


 あーこれあかんやつや。こいつる気満々やもん。

 目が覚めて一時間弱くらいにして、二度目の再放送の危機……。

 異世界半端ないって! 転生直後の主人公めっちゃ殺そうとするもん……。

 そんなん(シナリオ的に)出来ひんやん普通、そんなん(シナリオ的に)出来る? 言っといてや、出来るんやったら……。



 早過ぎるその展開に絶望していた時、ふと、七海はこの流れのを思い出した。


 ――異世界に転生した主人公には、右も左も分からぬままにピンチが訪れ、死をも覚悟したその瞬間、チート級の能力が目覚める。その力で窮地を凌いだ主人公に、ヒロインが続々と詰め寄ってくる――。


 僕が読んだ異世界転生・転移系のラノベやアニメはこの展開が基本だった。

 これと今の局面とを照らし合わせて、導き出される結論は――、


 ――そう、覚醒である。主人公の才能の開花である。


 特筆すべき個性のない奴らですらあんな魔法だの剣術が使いこなせたのだ。

 “天才”である僕がそんなのと同等、あるいはそれ以下であるはずがない。

 前例がないと思うので言いようがないが、とにかく想像を絶する才能が眠っていることに間違いはないだろう。


 

 竦んでいた身体に、力が漲ってくる。



 七海はゆっくりと立ち上がり、荒い息を繰り返している化け物クマと対峙する。



 自然と内から湧き上がる闘志に、胸が熱くなる。


 右の拳を強く握り、目を閉じてその掌に気の流れのような物を集めるイメージをする。



 只ならぬ気配を感じた熊は、慌てて太腕を目一杯に振り上げた。そして最高点に達したところで止めた手に、威力を蓄えて震えている。

 

 それを見た七海も、胸の前へと拳固を持ち上げる。



 両者の間には、音もなく、互いの殺気だけが流れていた。




 ――――――次にどちらかが動いたときが勝負だ。




 七海は、いや恐らく 熊 向こうも、そう感じていただろう。

 

 限界まで集中する為に視界を閉ざしたままの彼は、漂う粒子一つの動きですら捉える程に耳を澄ます。



 「―――――――――――」




 「―――――――――――」



 

 そんな刹那の沈黙は、グワァァァン、と化け物が腕を振りかざす乱暴な音を合図に溶けた。



 だがそれと寸時違わず、七海も動き出していた。


 胸の手を相手の方へ突き出すと同時に、固く握っていたその拳を勢い良く開く。



 「はぁぁァァァァァアアアア!!!!!」



 雄叫びは覇気となって周囲の空気を振動させると共に、彼はを化け物へとぶつけた。



 ――完璧だ。

 僕のこの一撃、その巨体を以てしても耐えられないだろう。

 “天才”をまた 覚 醒 めざめさせてくれたこと、感謝するよ。

 そして後悔するがいい。

 僕に喧嘩を売ってしまった自分の愚かさをね……!



 掌に、燃えるような熱い感触を覚える。


 正体は青白い炎だった。

 それは空気中の酸素を取り込むようにどんどん肥大し――――ないんだけど……?

 


 「えッ、ちょまっ…まt『ドゴンッッッッ』 い っ っ て ェ エ エ エ ! ! ! 」

 


 普通に殴られた。



 「ハ、ハハハハルカさんッ!!!」


 鈍い一撃をもろに食らった七海は蹴られた石ころのように、草原の緑の中を転がっていった。

 それを血の気の引いた真っ青な顔のモモが、バタバタと急いで追っていく。

 何これ、おむすびころりん?

 

 熊が大声にビビッて躊躇した分、多少はダメージも少なく済んだけど流っ石に痛い。

 首筋から鳩尾にかけて重く響くような打撃。爪は服をちぎり、軽く胸を抉った。出血も酷い。

 何が起きたか分からない一瞬のうちは良かったけど、改めてこう傷を見てみると……、あ痛ッ、痛スギィ! 自分、離脱いいっすか?

  

 

 ……ンンンッ。――そんなことよりだ。



 あのバケモンは何で生きてるんだ?

 奴は僕の必殺魔法を受けて今頃死んでいたはず――。



 混乱する七海は痛む箇所を庇いながら体勢を整えると、遠くなってしまった敵に目を向ける。



 やはりピンピンしている。まるで何事もなかったかのように。


 この状況から察するに、記念すべき僕の異世界転生一発目の魔法は失敗したらしい。

 

 マジかよ……。

 まだ余裕があるとはいえ、体力的にはそこそこ消費している。

 ということは単純に魔力の扱いが下手なのか?


 七海はもう一度意識を集中してみる。

 先より丁寧に、同じ手順を踏んで“炎”の魔法の行使を試みるが――、


 「くッ……、ッはァ、ダメだ……。これ以上は大きくならない……」


 幾らちからを籠めても、蒼炎は手に納まる程度にしか成長しなかった。

 おまけに、それに見合わぬ疲労がどっと押し寄せてくる。

 

 ――どうやら、僕は一応魔法が使えるようだ。属性としては『火』、といったところだろうか。

 だが一つ問題がある。

 どういう訳か、イメージしたようなパワーの攻撃が出来ない。

 それが一度ならまだしも、二度とも。


 主人公たるもの、前述の通り、物語序盤で“チート級”の異能を手に入れるはずである。

 以後色んな困難が主人公を待ち受けているものの、与えられた力で切り抜けていく。

 改めてまたと現状を比べてみると……、その“チート”とやらがこのアルコールランプみたいなショボい炎なのか?


 あくまでも推測ではあるが、万が一、いや億とか兆が一くらいでそれが本当だとするならば、もしかしちゃうと天才って……

 



 「これ、凡才モブじゃね?」


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