第3話 桃
「はい?」
再び訪れた草原の静寂を、状況を呑み込めていない
ことの成り行きを府に落とした七海は、改めて彼女に向き直る。
が、待っていたのはこの短時間にもう親の寝顔よりも見た、二の句が継げないといった顔だった。
このままでは埒が明かないので、諸々の説明の為にも話をしなければ――。
とは言ってもどう話題を作れば良いのだろうか。好きな食べ物聞くの? うーん、こどもっぽ過ぎるよな……。 高校生くらいの女の子って言ったら……、そうだ! インスタグラムか! って
イメージで言うなら頭をぐっしゃぐしゃに掻き回してる。ワックス付けてたら、それはもう何処かの戦闘民族かってくらいに。ああ、もうムリリン。
そんな
「あなた、お名前はなんて仰るのですか?」
「あはァん」
しまった。不意を突かれるあまりに
でも折角向こうがファインプレーをしてくれたのだから、僕もそれに応えてあげなければいけないな。よし。
「じ、自己紹介がまだでしたね。僕の名前はなな――――」
「『アハァン』、ですね! ちょっと珍しいけど、いいお名前ですねっ」
ぱぁっ、と彼女は初めて、可愛らしい笑顔を浮かべる。
ちっっっげぇよ! 異世界的にはナシじゃないような名前かもしれないけど、幾ら何でも喘ぎ声は名前に出来ねえ! 早く……、早く訂正しなけれ――
「じゃあラストネームh「アハァンっていうのは……、え?」、そっちも『アハァン』なのですか!? 『アハァン・アハァン』、ですね。私もここに長く住んでいますけど、初めて聞きました!!」
もう駄目だ。耳の穴があったら入りたい。
自分のこの災難もそうだけど、天真爛漫なこの娘にハレンチ風な言葉を連呼をさせているのが尚辛い。
武文、元気にしてるかなぁ。
優子ちゃんは無理だろうけど、せめて美……、美……、ああ美樹ちゃんと幸せに――、
――いかんいかん。今はこの目の前の課題を解決することに集中しなければ。
この
早速、ケモ耳をぴょこぴょこさせ、好奇心に満ちた目を向けている彼女に、七海は弁解を試みる。
「えーっと……、その『アハァン』、っていうのはその……、冗談! そう冗談なんですよ!」
「ジョーダン? 冗談……、そうなんですね……。 では、本当のお名前は何というのですか?」
少しだけ疑問に思ったようだが、彼女はすぐにまた先程と同じ眼差しで七海を見つめだした。相当気になるのか、腰の尻尾もゆらゆら揺れている。
「僕は、ナナミハルカ、といいます。混乱させてしまって申し訳ありませんでした」
「い、いえいえ!! ハルカさん、ですね! そう呼ばせて頂いても良いですか……?」
七海より十五センチくらい小さい背丈の彼女が、自然な上目遣いでそうお願いする。
白い頬が、桃のように薄紅色に染まっている。
瑞々しい瞳が、日の光を反射してサファイアのように輝いている。
これはマジのマジでヤバい。可愛い。
今まで言い寄ってきた女の子の中でも群を抜いてる。
大学どころか、世界中探してもこんな娘いないし。
僕、本当に異世界来ちゃったんだなぁ。
不覚にもドキッとしてしまった七海は、照れを押し隠してそそくさと答える。
「ええ、勿論です」
そんな淡白な言葉を気にも留めず、彼女は嬉しそうに、「はい!」と大きな返事をした。
満面に笑顔を咲かせているのを、思わず慈しむように眺めてしまう。
容姿としては大人っぽさを持っているが、十八という年齢のわりにあどけない表情を見せる。彼女は……、
――とここで、また、そこそこ重大なことに七海は気付いた。
そういえばまだこの娘の名前を聞いていなかった。
年齢だって、僕の先入観だったっけ。
自分の
僕のことだからほっといても起きたとは思うけど、この娘も善意でこうしてくれていることには間違いないし。
後でお礼をする気になった時にも困るから、名前くらいは聞いておこう。
「ええ……、今更なんですが、あなたのお名前も教えて頂けますか?」
七海の言葉を拾った彼女の短い耳が、二度三度小さく折れて反応する。
「そそそうですよね! ごほんっ。私の名前は、モモル・インバースです。モモ、とでもお呼びください。」
座を正した
モモ、か。
彼女によく似合う、良い名前だと思った。
雰囲気もそうなのだが、すぐに腐ってしまう旬が短い桃と同じように、どこか儚さを感じさせる。
決してモモの“旬”が短そうとか、そういう意味じゃなくてね。布を被せてても判る控えめな主張のバストとか、それこそ小ぶりの桃のような……―――、
「―――…さん? ハルカさん? 大丈夫ですか? お顔がお風呂上りみたいに真っ赤ですよ……?」
ぺちぺちと頬を叩かれる感触に、飛びかけた七海の意識が引き戻される。
ふぃー危ない危ない。転生モノ史上最速のシーン再放送になるところだった。若しくは、死ぬ度に
ギリギリで帰ってきた脳みそで、現状の把握と今後の方針を決めるのを始めていく。
今分かっているのは、ここは『ガウス国』の『ライプ村』の外れにある狩場である、ということ。
それでもって、モモは日本のことを知らないどころか、この世界には国が一つしかないと言っていた。
このことから、僕は今現世とは違う、異世界、とやらに来てしまったと考えられる。
七海は顎に手をやり、無限に広がる草村の一端に合わせていた視線を、眼前のモモに移す。
すると、同じ格好をとって、ぅぅぅ、と小さく唸っていたモモは、二人の会話の中に抱えていた疑問をぶつけてきた。
「あのぅ……、二ホン、とか、シマグニ、とか、一体何のことだったのですか……?」
何かを必死に考え込んでいる七海に気を遣ったのか、モモは消え入るように小さな声で、申し訳なさそうに聞く。
今、七海にとって、モモに自分の身分を偽ることは、これから話を進めていくという段階においても良策ではない。
モモの疑問に答えるついでに、彼はここに至るまでの過程を包み隠さず話すことにした。
「そうですね、話を聞く限り、僕は元々この世界の者ではないようです。日本、というのは以前僕が暮らしていた世界の―――」
小首を傾げている彼女に、七海は真剣な表情を作って切り出す。
日本が、広大な海の上に浮かぶ島の集まる国であること。
その日本に住んでいたこと。
ある日、誰とも知らない人間に殺されたこと。
そして―――――
七海が“天才”だったこと。
「僕は向こうでは才能溢れる高スペックな人間だったのです。勉学起業恋愛だとか努力なんてせずとも大抵のことは上手くいきました」
「?? は、はあ……」
つらつらと七海の自分語りが始まっていく。オタク特有の早口で。
突如始まった
そんな彼女には目もくれず、七海は加速していく。
「一応大学四年だった僕は自分で立ち上げた会社のCEOであるにも関わらず海外の企業からも引っ張りダコ、だけど未来への自己投資の為に大学院への進学しかも推薦で決まっていたのでそれら全てお断り、残り少ない学部生としての生活を謳歌しようとしていたその最中でしt―――――」
「ちょちょちょちょちょちょちょっと待ってくださいっ!!! 速いですっ!!! 速すぎて全然頭に入ってこないですーーーっっ!!!」
限界を迎えた。
毛で覆われた耳まで真っ赤にしたモモが、まるでお湯を沸かしているヤカンのように、蒸気をピーピー発している。目の奥はぐるぐると渦巻き、細い腕をぶんぶん振り回している。
流石にやりすぎたかな。
余りに僕のトークが瞬足だったせいでコーナーで差がつき過ぎた。
やっぱ天才だからかなー。
さっきモモに絡まれた時も気が付いたら(僕が)意識なくて周りが(僕の鼻)血だらけだったしな。
ちなみに彼女も――……、はぁ。
血の件は盛ったけど、他はホントのことだから自分で言ってて虚しい。セルフ虐め。
七海の長い一人茶番の間に平静になったモモは、ふぅー、と一つ深呼吸をして、
「とりあえず、ライプ村に行って、落ち着いてお話でもしませんか?」
と提案してきた。
いやいや。ちょっとモモちゃんがついてこれなくて勝手に取り乱してただけで、僕は至って普通だったと思うんですけど。
そう思いつつも、断る理由は何も無かったので、七海はこくり、と頷く。
同意を受け取ったモモは折って座っていた脚を崩し、スカートについた土や草木を払って立ち上がる。
それに七海も続こうとするが――、まだ腰を下ろしたままの彼の低い目線の先にある、モモの膝が小刻みに震えていることに気づいた。
その
が、
彼の背後をじっと、どこか怯えるような目で見つめている。
え、何があんのよ。恐過ぎて振り向けないんだけど。
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