名無しの救世主
吉備糖一郎
名無しの救世主
「ああ、テンシ様。断りもなくお呼び立てして申し訳ありません」
いかにも偉そうな服装の、オウサマらしき人間が、そう言ってぼくにひれ伏す。周りには鎧姿のヘイシが大勢いて、彼らもオウサマと同じく腰を低くしていた。
どうやらぼくは、ここではテンシらしい。
ぼくにはいくつも呼び名がある。マジュツシと呼ばれたこともある。エイレイと呼ばれたこともある。ツカイマと呼ばれたこともある。ヨウセイと呼ばれたこともある。カミサマと呼ばれたこともある。
アクマと呼ばれたことも――ある。
けれど、肝心の名前が思い出せない。自分の名前が。
ぼくの中に残った一番古い記憶では、確かユウシャと呼ばれていた。
ユウシャというのが何だったか、よく覚えていないけれど、最初にそう呼ばれた時はとても嬉しかったような気がする。だから、それだけは覚えているのかもしれない。
オウサマは、おっかなびっくりと、それでいてつらつらと、ぼくに状況を説明してくれる。
「この世界を脅かすマオウをどうか、どうか打ち滅ぼしてください。あやつは、手近な村から次々と火を放ち、大勢の人々を殺して回っているのです」
マオウ。
マオウと呼ばれたことも、あったかもしれない。
ぼくの呼び名は多いから、どんな風に呼ばれていたか、呼ばれていなかったか、分からなくなることがある。
この世界ではマオウが暴れているらしい。どこかには優しいマオウがいたけれど、ここは違うらしい。
「マオウはどこにいる?」
聞くと、城のベランダに案内された。
目を凝らして見れば、深い緑に包まれた山々の向こうに黒いものが見える。
「あれがマオウの城にございます」
「うん」
ぼくは城に向けて手を翳す。
と、少しの間を置いて、マオウの城に、城よりも大きな隕石がいくつも降り注ぐ。やがてそれが地面に達すると、こちらの城にも揺れが届き、立っていられなくなったオウサマやヘイシたちが地べたに両手を付ける。
かつてマオウの城があった辺りの山が全部消し飛び、緑は炎に包まれた。
終わった。
オウサマが驚いた顔のまま命令を下して、しばらくするとヘイシたちが、コインの山を運んできた。
ぼくには、その一枚一枚にどれほどの価値があるかは分からないけれど、とりあえずものすごい大金なのは分かった。
「数日後、魔王討伐記念のセレモニーを開きたいのですが、テンシ様も出席していただけませんか? 勿論、国民総出で、盛大にテンシ様を称えるためです」
そんなオウサマの申し出をぼくは断って、山の中から一握りのコインだけを取ると、そのまま町に繰り出した。
当てもなく、歩く。
町の人々はみんな、隕石が落ちた方角を気にしているようだった。ぼくになんて誰も構いやしない。とりあえず宿を取ろうと思っていたけれど、これだと宿屋に人がいるかどうかも分からない。そもそもこの世界に宿屋なんて概念があるのか、ぼくは知らない。
こんなことなら城の厄介にでもなればよかったのかもしれない。
しかし、ぼくはあまり誰かに構って欲しくはなかった。一人になりたかった。ただ茫然と、寝転がっていたかった。
別に隕石の一つや二つ、二つや三つ、落としたところで疲れる訳でもないのだけれど、なんとなく、何もしたくないと、最近はよく思うのだ。
それらしい建物を探して十何分か、何十分か歩き続けて、ようやく宿屋に入ることができた。そして受付を手早く済ませてベッドに寝転がる。
目を閉じる。
目を開く。
するとそこは、もう別の場所だった。
今度は薄暗い部屋だった。いくつか蝋燭に火が点いているだけで、殆ど何も見えない。
ぼくはずっとずっと、こんなことを繰り返しながら生きている。自分が何者なのか分からないまま、必要とされ、必要とされるがままに誰かを助けて、また誰かに必要とされる。
昔はもっと苛立っていた気がする。助けを求めてきた相手を、助けるどころか逆に焼き尽くしたこともあった。
役目を果たす前に別の世界へ招かれた時もあった。その時ぼくがいなくなった世界は、もう滅びてしまったんだろう。
でも、きっと誰も彼もに悪気があった訳ではない。むしろそんな人の方が少ないだろう。
ぼくの呼び方は様々でも、大抵の世界はぼくを手厚くもてなしてくれた。世界を救った後なんて、それこそたくさんの人がぼくに好意を示してくれた。
けれどそれは永遠ではない。いつかまた、誰かが助けを求めたら、全部なくなってしまう。
ぼくにはとてつもない力があるみたいだけれど、まるで何でも手に入れられるみたいだけれど、その実何も持っていない。
富も、名声も、居場所も、何もかもこの手をすり抜けて、落ちていく。
いや、ぼくがその気になれば一つの世界に留まることもできるのだろう。けれど、誰かが助けを求める声はそれでも聞こえ続けるだろうし、留まれるならどこでもいいという訳ではない。だって、彼らが求めているのはぼくの、このよく分からない力であって、ぼく自身ではない。
故郷に戻れるならそれが一番よかったのだけれど、大事だったはずのその記憶が、ぼくにはない。
何も覚えていない。
色々な世界を見て、知っているのに、故郷のことも自分のことも、何一つ。
ぼくは一体、いつ、どこの世界に生まれ落ちたんだろう。
母親は、父親は、兄弟は、どんな顔をしているんだろう。
気が付いたらぼくは数多の世界を転々としながら、曖昧な、都合の良い存在として人々に崇められていた。
出会う人たちは、みんなぼくをのことを知っていた。
ユウシャだと、テンシだと、マジュツシだと、エイレイだと、ツカイマだと、ヨウセイだと、カミサマだと、アクマだと、マオウだと、知っていた。
ぼくにはぼくが分からないのに。
手掛かりは、恐らくぼくが最初から持っていた、丸っこい、三角耳の動物を象った人形だけ。
せめて、自分のことが分からなくても、変わらない何かが欲しかった。
けれど、いつしかそんなことも考えなくなった。
濁り切った記憶の海から出て、現実に戻る。
もう何度目かもわからない召喚。次のぼくは何なんだろう。周りの風景からして、アクマやシニガミあたりが怪しい。
目を凝らすと、ぽつりと佇む小さな人影を見つけた。長い黒髪で両目の隠れた女の子。
どこかユウレイじみているけれど、それを言ったらぼくだって、アクマで、マオウで、カミサマだから、怖がる気にはならない。
「あなたはしにがみさま?」
予想した通り、シニガミだった。
隕石だって操れるのだから、今更未来予知を身に付けたところで何も意外ではない。
「きみの言うシニガミがどういうものなのかはよく分からないけれど、ぼくは、ぼくの知っているシニガミと同じことを、きっとできるよ」
ぼくは何者でもないし、何にでもなれる。シンジャが、アルジが、助けを求める人々が望むままに。
「しにがみさま、わたしと、いっしょにいて」
そのお願いは少し意外だった。
「きみにとって、シニガミはそういう存在なんだね。……でも、どうしてそれだけのためにぼくを呼んだの?」
それはぼくでなくてもいいのではないだろうか。そう思うことは今までもあったけれど、今は特に強く思った。
「ここにはもう、わたししかいないの。ほかにはだれも、ほんとうにだれも、いないの」
女の子は窓の方へ歩いていくと、しゃっと音を立ててカーテンを開ける。
部屋の外は闇に包まれていた。夜闇よりも遥かに深い、何か得体の知れないものに飲み込まれていた。
まるで、この世界はもう滅びてしまっているみたいだった。いや、滅びていた。
でも、ぼくの心は揺れ動くことさえしない。
こうして目にするのは初めてだったけれど、ぼくはもう、滅びた世界をいくつも知っていたから。
「いいよ。一緒にいよう」
いつまで一緒にいられるか分からないけれど、次の瞬間には、ぼくは別の世界にいるのかもしれないけれど、それまでは。
女の子はおずおずと続ける。
「けいやく、しよう」
「ケイヤク?」
その言葉は何度か聞いた。そういえば、それが続いている間、別の世界に呼ばれたことはなかった気がする。
「ずっといっしょにいるって、やくそくなの」
「ずっと一緒にいるって、約束……」
ふと、気が付いた。
ぼくがこれまで探し求めていたものは、今目の前にある。
「分かった、ずっと、ずっと一緒にいよう。約束だ」
「うん、やくそく」
二人、指切りをした。
視界の端に、見覚えのある人形が転がっていた。
丸っこい、三角耳の動物を象った人形。
けれど、今はもうどうだっていい。
記憶がなくても、変わらない何かをぼくは手に入れたのだから。
名無しの救世主 吉備糖一郎 @idenashishiragu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます