(8)

 その店は今時珍しい、地域の住民しか客として来ないような歴史を感じる古いタバコ屋で、中年の女性が一人で暇そうに店番をしていた。

 ご近所のことを聞くには、まさにうってつけだろう。


「あの、すみません」

 私は怪訝な顔をするリクト君とキノさんを連れ、店番の女性に声をかけた。


「はい、なにか? タバコですか?」


 女性がこちらをジロジロ見ながら不愛想に返事をする。

 見慣れない客に、多少警戒しているのかもしれない。


「ごめんなさい、違うんです。実は私たち、ずっと猫を探していて、もう六日間も行方不明になってるんですが――あ、キノさん、タブレットにリリィの画像だしてください」

 私はキノさんからタブレットを受け取り、その女性に見せた。

「この猫ちゃんなんですが、どこかで見かけませんでしたが?」


「さあー?」

 と、女性が首をひねる。

「悪いけど知らないわね」


 何ともそっけないが、その私はその答えを予期していた。

 日中はどこかに身を潜めているであろうリリィを目撃した人は、そうはいないはずだからだ。

 私が本当に尋ねたいたのは、次の質問なのだ。


「じゃあ、あのここら辺でノラ猫にエサをあげている人ご存じありませんか? たぶん毎日のようにエサやりしていると思うんですが」


「ああ、それなら鈴木さんだね。鈴木のお婆ちゃん。悪い人じゃないんだけど旦那さんが亡くなってからちょっとトラブルが増えてねえ……」

 その店番の女性がため息交じりに言った。

「ほら、ノラ猫にエサをやることに反対する人も多いじゃない。私はあんまり気にしないんだけど、そう言った人たちと言い争いになったりしてね」


「そうなんですか。あの、是非その方と会ってお話ししてみたいんですが――」


「確かに鈴木さんなら何か知っているかもねえ。ええと……」   

 と、店番の女性は振り向いて店の壁掛け時計を見た。

「いま五時だから、ちょうど鈴木さん猫のエサやってる時間だわ。そおねえ――たぶん今なら向こうの川沿いの道にいるんじゃないの? そこが鈴木さんのエサやりの定位置なのよ」


「ありがとうございます! 助かりました!」

 私はペコリと頭を下げ、それからリクト君とキノさんに言った。

「――お二人とも聞きましたか? この付近のノラ猫の多さと太り具合からして、必ず地域猫の世話をする人が必ずいると思ったんです。そしてその人ならきっとリリィについても何か知っているはずです」


「いやあ、葵ちゃんすげーな。俺、そんなこと思い付きもしなかったよ」

 と、リクト君がうなる。


「なんだか私たちよりよっぽど推理と探偵をしていますね、椎名さんは」

 キノさんも感心しきりだ。


「いえ、そんなことないですよ」

 私は照れくさくて、必死に首を振った。

「それにリリィが見つかったわけではないんですから、喜ぶのはまだ早いです。さあ、とにかく急ぎましょう」


 靴擦れの痛みも忘れ、私はさっき歩いた川沿いの遊歩道目指して駆け出した。

 その後に、リクト君とキノさんが続く。

 おそらくこれがリリィを見つけ出す最後のチャンス。

 その鈴木さんというお婆ちゃんに、どうしても会わなくてはならないのだ。


「あ、あそこ! あの人じゃないですか?」


 黄昏時とはいえ、この季節のこの時間の陽はまだ高く、辺りはまだ明るかった。

 そのおかげで遊歩道の見通しもよく、私は道の100メートルくらい先でゴソゴソ作業している小柄な白髪のお婆ちゃんをあっさり見つけることができた。


「間違いない、行こう!」


 リクト君が叫び、私たち三人はそのお婆ちゃん――鈴木さんに駆け寄った。  

 鈴木さんは地面にしゃがみ込み、三枚ほど用意したエサ皿の上にキャットフードを大袋からザラザラ入れているところだ。

 その周りには、すでにノラ猫が三匹、エサを求め待機している。


「あ、あの! た、たいへん失礼ですが――」

 走ってきたせいで、声がつっかえてしまう。

「鈴木さんでいらっしゃいますか?」


「なんだい、騒がしい」

 鈴木さんはしゃがんだまま気難しそうな顔をこちらに向け、私たちをにらみ付けた。

「あんたたちここらで見ない顔だけど、他の連中と同じように猫のエサやりに文句つけにきたのかい?」


「い、いえ――」


「アタシは、何をどう言われようとエサをやるのを止めるつもりはないからね」

 と、鈴木さんはそば寄ってきたキジトラ猫を撫でながら言った。

「この子たちも生まれてきた以上、人間と同じように生きる権利はあるんだ。アタシはその手助けをほんのちょっとしている――ただそれだけのことさ。だから文句言われる筋合いはないね」


「違うんです! そうじゃなくて、私たち昼間っからこの付近で行方不明になった子猫を探しているだけなんです」


「へえ――迷い猫ね」

 迷い猫、と聞いた途端、鈴木さんの表情が和らいだ。


「それで、どんな猫を探しているんだい?」


「この猫です。リリィって言います。ご存じありませんか?」

 私は立ち上がった鈴木さんにリリィの映し出されたタブレットの画面を見せた。

「ああ、この猫なら最近何度か見たねえ」


「え、本当ですか!!」


「そんなこと嘘ついてどうすんだい。ええと――確か昨日だったか、その猫、アタシの置いたエサのおこぼれをもらいにこっそりとここに来てたわね」


「じゃあ、今日もこれから――?」


「いや、残念だけどそれはないね。エサ場に他の猫がいる間は寄ってこないだろうから、いつ来るかはわからないよ」


 それではまずい。今日の午後八時という依頼主との契約期間が過ぎてしまう。

 ここまで来て結局ダメなのか、と、肩をがっくり落としていると……。


「その様子だとよほど困っているようだね。よし、いいだろう。とっておきの秘密の情報を教えてあげる」

 と、鈴木さんが空を見上げた。

「あんたたちは運がよかった。今日はちょうど半月だからね」


「――??」


「そうさねえ」

 鈴木さんは腕をまくって、腕時計を見た。

「今から一時間後、向こうにある第二公園にいってごらん。場所は分かるかい?」


「え? はい」

 それは私が昼間リクト君とキノさんと出会ったあの公園だった。


「いいかい? 時間は遅すぎても早すぎてもいけない。それまではもう猫を探すのは止めてどこかで静かに待ってなさい」


「でも……」


「心配しなくていい、私を信じな。――さあ、もう行きな。あんたたちがいると猫がゆっくり食事できないよ」


 鈴木さんはそれきり黙りこみ、猫にエサをあげる作業に戻ってしまった。

 邪魔するのもはばかれる雰囲気だったので、私たちは「ありがとうございました」とお礼を言い、その場から離れた。 

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