(4)

「あのう……ちょっと」


 私が遠慮がちに話しかけると、キノさんが振り返って答えた。


「ああ、すみません、お食事中なのに少し騒がしかったですか?」


「い、いえ! とんでもない。あの、それよりお二人は猫をお探しなんですか?」


「ええ、まあそうなんですが、朝からこの付近一帯をくまなく探しているというのにまったく見つからなくて」

 と、キノさんが困ったような顔をする。


「そうだ!」

 そこでリクト君んだ。

「キノさん、一応この人にも聞いてみようよ。万が一ってこともあるし」


「ああ、それはいいですね」

 キノさんはそう言うと、小型のタブレットを取り出し私に差し出した。

「度々申し訳ありません。この猫、リリィというメスの子猫なんですが――ここら辺りで見かけませんでしたか?」


 そこには一匹の赤い首輪を付けた愛らしい猫、典型的な茶色の毛のアメリカンショートヘアが映っていた。

 子猫と言ってもたぶん一歳くらいで、ほとんど成猫せいびょう

 毛並みが美しく、いかにも血統書付きと言った感じで、ペットショップ買ったのなら相当値が張っただろう。


「残念ながら……。さっき逃げて行った太った猫ちゃんが私が今日初めて見た猫ですから」


「やっぱそうだよねえ」

 それを聞いて、リクト君が肩を落とす。

「そんなに都合よくいくわけないっか」


「ありがとうございました」

 と、キノさんは写真をしまい、丁寧に頭を下げた。

「では我々これで。――リクト、まだ時間はあります。さあ、今度は向こうの川沿いの遊歩道を手分けして探してみましょうか」


「あ、あの――」

 二人が行ってしまいそうになったので、私は思わず引き留めた。 

「差し出がましいようですが一つアドバイスさせてください。エサで釣るのはともかく、猫を捕まえるのにその網はちょっと……」


「ああ、これですか?」

 キノさんが手に持った網を掲げていた。

「一応動物用のものを急きょ購入したのですが……」


「あのですね、私は子供のころから猫を飼っていたから分かるんですけど、猫って気まぐれ屋さんに見えて実はとっても頭が良くて敏感な動物なんです。そんな網で捕まえるなんてあまりにかわいそうだし、下手すれば網を見ただけであなたを敵とみなしてさっさと逃げちゃいますよ、たぶん」


「なるほど、確かにそうかもしれません」

 と、キノさんが神妙な面持ちになる。

「分かりました、この網を使うのは止めにします。傍から見れば動物虐待とも受け取られかねないですしね」


「それがいいですよ。――あと蛇足ながら、さっきおっしゃっていた「ウサギは捕まえるときは耳を掴む」という知識も誤りです。むしろウサギは耳に神経が集中しているので、なるべく触らないようにしてあげた方がいいんですよ」


「へえーお姉さん、動物にくわしいんだねぇ」

 と、リクト君が感心したように言う。

「別にそういうわけではないんですけど、小学生の時どうぶつ係でウサギの面倒を見て結構たいへんだったことを思い出してしまって。そういえば最近はウサギを飼う学校もだいぶ減っているそうですね――」


 そこまで一気にしゃべって、私はふと我に返った。

 あれ? 知り合ったばかりのこの人たちに、私はいったい何を一方的に語っているのだろう?


「あ……す、すみません。動物のことになるとつい」

 私は少し恥ずかしくなって、言い訳をした。

「お仕事中なのにどうでもいい話をしてしまって……」


「いえいえ、なかなか参考になりましたよ」


 キノさんが穏やかに笑う。

 が、リクト君は真顔で現実的な指摘をした。


「でもさ、それが正論だってのは認めるけど、実際子猫リリィが見つかって逃げようとしたらどうすんの? 捕まえる手段がなくなっちゃうじゃん」


「あ、それはですね――」

 しかし、その点自信があった私はきっぱりと言い切った。

「猫って無理して捕まえようとしなくても、気持ちが通じ合えば案外逃げないで捕まってくれるものなんですよ。警戒心の強いノラ猫ならともかく、飼い猫なら見つかりさえすればまず大丈夫です」


「へえ、そうなの? うーん、でも俺もキノさんも猫のことに関してはさっぱりだからなあ」

 リクト君が一瞬思案顔をし、それから手を打って叫んだ。

「そうだ! あのさ、もしよかったらこれから俺たちと猫探しに付き合ってもらえない? バイト料は出すから!」


「え!? これから……ですか?」

 いきなりそんなお願いをされるとは、さすがに思わなかった。


「うん、キミと一緒ならきっとリリィを見つけられるような気がするんだよね」


 ごく自然な口調で話すリクト君。

 何だかナンパしているよう聞こえなくもないセリフだが、きっと彼は本気からそう思っているのだろう。

 けれど、今度はキノさんが眉をひそめて怒った。


「こらっ、リクト! いくらなんでも調子に乗りすぎです。この方は今大事な就職活動の途中なんじゃないですか。われわれの猫探しに引き込んでそれを邪魔するなんてとんでもないことですよ」


「えーでもさ、キノさん」

 と、リクト君が声高に言う。

「そうは言うけどさ、果たして俺たちだけでリリィを捕まえることができると思う? しかも今日中だよ」


「それは……」

 キノさんが言葉を濁す。

「ほら、キノさんも難しいと思ってんでしょ? だからさ、この人に頼んでみようよ。――あの、そういうわけで今日一日、俺たちの猫探しの助手をしてくれないかな? もちろん無理にとはいわないけど。それともこれから何か予定ある?」

「いえ、午後は空いてますけど……」


 どうしよう。 

 猫好きの身としては協力したいけれど、猫探しは簡単そうで案外難しい。

 その助手なんて、安易に引き受けてよいものだろうか?

 なにより、人見知りの激しいこの私が、短時間とはいえ見ず知らずの男の人二人と、気まずい思いをしないで上手くコミュニケーションを取ることができるのだろうか?


 でも……ここで断ってしまうと、なぜかこれから先、一生後悔し続ける気がする。

 それだけは、どうしても嫌だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る