閑話・マリス一話

 私はマリス・マデンジェ、七十歳独身、ロムダレン国宰相を賜っております。結婚する事はなく子もおりません。

 私の運命の出会いと言うべき日、その日はロムダレン国先代様方の鎮魂の儀を執り行う日に、私の残りの生を全て捧げるべき神に出会いました。私はこのお方に出会う為に生まれてきたのです! きっと私はこの神にこの身を捧げる為に独身を貫いてきたのですな!


 ヴォルブ・ロムダレン陛下と王墓にて儀を執り行っている最中、その時に神は降臨なされました。王墓の前に一点の光が現れ、それはだんだんと大きくなり眩しく目を開けていられないほど輝き、その光が収まるとそこには神がおわしました。

 お姿は二十代ほどで男性とも女性とも思える中性的なご尊顔は美しく整ってあられ、瞳は大きめで夜空のような煌めく黒、髪は肩くらいまで真っ直ぐ伸びていらっしゃるつややかな黒、着衣はなんと素晴らしいお仕立てなのでしょうか、聖衣だと思われる輝く白に金糸の刺繍の祭服、頭には祭服と同じ生地の先端が尖った五角形の宝冠をしておられます。

 その見事な着衣に負けておられない均整の取れたお身体、少し覗く御手は白くシミの一つも無い柔らかそうできっと私を優しくなでてくださるであろう細い指。なんて美しい立ち姿なのでしょうか! なぜか胸の昂ぶりがとまりませんぞ!


 神はオーリス様と名乗られました。なんと! これはまさに運命! ロムダレン国では親の名前の一部を子の名前に引き継がせる慣習があります。私のマリスとオーリス様、これは添い遂げよと言う神の御意志なのでしょう! 私の子でも、私が子でもいいですぞ! マデンジェ家の全てを捧げますぞ!


 オーリス様は私に教典をくださり、神を崇める喜びをお与えくださいました。信徒との繋がりがわかりますぞ! 神との繋がりを感じますぞ! 世界の理を感じますぞ! これが真理! これが私とオーリス様の愛!

 オーリス様が私に教戒してくださった時には至福の喜びを得ました。私とオーリス様と世界がひとつになり、その場に居ながら世界中の事が頭に入ってくるような、体は一つなのにたくさんあるような、全ての物に溶け込むような、そんな不思議な幸福に包まれ私が私で無くなっていきました。私をこんなに滅茶苦茶にしてどうしてくれるのです、神よ!


 オーリス様は身につけられていた祭服を預け、騎士服を着けられました。なんて凜々しいお姿! もう私はどうにかなってしまいそうですぞ!

 侍女から祭服を奪おうとしましたが黒騎士に阻まれ断念しました。匂いだけでも! せめてひと嗅ぎ!


 しぶしぶと自分の執務室へ戻り、目を瞑ったままオーリス様のお姿を思い浮かべながら座っていると部下が書類の決裁要請に来室しました。


「宰相閣下、ご機嫌がよろしいようですね。何かいい事ありましたか?」


 無視無視無視です。今はオーリス様のお姿を思い浮かべ焼き付けるので忙しいのですぞ!


「あの、宰相閣下? 決裁をお願いしたいのですが」


 ああ、オーリス様! 教戒された時の心の奥底へ届くような美しいお声、私の全てを見てくださる瞳、崇めたい! 拝みたい! 眺めていたい! 御側にありたい! ハァハァハァ。


「宰相閣下! 宰相閣下!? えー、こちらに置いておきますので後ほどご覧下さい」


 何人もの部下が訪れたのでしょう、机にはたくさんの決裁すべき書類がありました。もう! 私は忙しいのですぞ! 自分の判断で動けないのですか!


 仕方が無いので決裁書類にサインをしていくとふと一枚の書類が目に止まります。「茶葉の輸出における護衛の増員について」ふむ、嘆願者はミレガン侯爵ですな。ノバル両国の戦争が一層激しくなってきた為に、茶葉を輸出する際の護衛を増やしたいという事ですな。兵士を回す余裕が無いのはわかっているから、全て入れ替えて自分の兵士を使いたい、と。

 これは臭いますぞ! これまで馬車一台に兵士十人もつけておりましたが、さらに陛下が念の為にと兵士二十人に増やし、商隊前後に黒騎士隊を二名ずつ付けたのですぞ。諜報によればノバル戦争は膠着状態で、大きな戦闘は起こっていないとの事でもありますし、調査が必要ですな! 名探偵マリス出陣ですぞ!


「侍女エイよ、侍女室室長を呼びなさい」


 侍女エイは畏まりました、と執務室を出て行きます。侍女室とは王城内の侍女の教育、管理を徹底している世界一の厳格さと優雅さを自負している私直属の機関であります。侍女室では城内を美しく保つのはもちろんの事、王族、貴族の趣味嗜好から浮気調査、貴族監査までやり、各貴族、商人、はては酒場の給仕に至るまで全ての侍女との繋がりもあります。


 しばらく待つと執務室扉がノックされ、侍女が応対し室長が来室しました。相変わらず優雅な所作でお辞儀をし挨拶しますな。


「宰相閣下、お呼びにより罷り越しました」


 室長イソベル・グラント、今年で三十八歳でしたかな。穏やかな顔つきで、すっと人の心に入り和ます人心掌握の天才、仕事には厳しく、教育は苛烈ではあるが彼女の教育を終えた侍女は完璧な所作を身につけ、貴族や余所の国から侍女教育を依頼されるほどでありますな。依頼は受けておりませんが。


 イソベルに先程のミレガン侯爵の嘆願書を見せます。顔つきを変えず私に了承の旨を伝えてきます。


「畏まりました。すぐ調査に入ります。ですが、ミレガン侯爵邸の侍女達は未だ私の影響下にありません。お時間を下さいませ」


「まだ影響下におけないのですか、もう何年経つと思っているのですかな」


「申し訳ございません。侍女入れ替えの時期に入り込みますが、数日すると連絡が途絶えます。洗脳の類いを疑って、抵抗の強い者も送り込みましたが状況はよろしくありません」


 他家に入り込むのは陛下の抱える諜報より優れておるのですが、その調査員が入り込めないとは! ますます怪しいですぞ!


「それではまず領地調査からするのはどうですかな」


「畏まりました。現地の者に連絡を取ります」


 そう言っていつもなら早々に退室するのですが、今日は退室しませんな。何か他に用ですかな。


「何か用があるのですかな」


 イソベルの言葉を促すと、恥ずかしそうに俯きやがて意を決したように私に言います。


「宰相閣下、私をオーリス様専属侍女に任命くださいませ」


 なるほど、そういう事ですか。あなたもオーリス様の教戒を頂いた侍女の一人でしたな。オーリス様は国賓待遇ですから室長を付けましたが、イソベルもオーリス様の素晴らしさを思い知らされたようですな!


「オーリス様は!」


 私がそう言うとイソベルが即答します。


「神!」


「いいでしょう。専属侍女に任命しますぞ。私が御側に居ない時のオーリス様の御様子を克明に報告する事。よろしいですな?」


「もちろん心得ております。オーリス様を称え崇め奉り、一瞬も逃さず見つめ続けます!」


「よろしい! オーリス様最優先で動きなさい。オーリス様の望まれる事ならば全ての権限を使ってかまいませんぞ。行きなさい」


「失礼致します」


 そう言って滅多に見せない本気の笑顔を携えながら退室していきました。


 翌日早朝、陛下よりオーリス様に出来る限り協力せよと申しつかりました。陛下、もうこの国をお渡しした方がよろしいのではないですかな!


 イソベルからオーリス様がお呼びとの事に全速力で駆け貴賓室へ飛び込みました。何かお話があるとの事、わかっておりますとも! 私を子にしてくださるのですね! 重要なお話なのですね!


 子にしてくださるお話ではありませんでしたが、書庫へ案内し真剣に本を読まれる横顔を頭に刻み込みましたぞ! 宮廷画家に御姿を残して貰わねばなりませんな、そうですな! それがいいですぞ!

 オーリス様へ我が国の現状などをお話ししておりますと、陛下よりお呼びがかかりました。陛下! 空気読んでください! 陛下より大事な方とお話をしておるのですぞ!


◇◇◇


「陛下、お呼びとか。私は今陛下より大事なオーリス様とお話をしていましたのですぞ」


「はっはっはっ! そうかそうか、まぁ座れ」


 陛下は対面のソファーへ私を座るよう促すと用件を話し始めました。


「おう、フレイザーの動きが良くない。帝王国と密になっている、調べろ」


「帝王国貴族と教会に出資しているのは調査済みですな。何を企んでおるかはわかりませんな」


「諜報はこれ以上裂けん、侍女室でなんとか出来んか?」


「駄目ですな。侍女室はミレガン侯爵調査に入りますゆえ」


「ミレガン? どうした、何かあったか?」


 陛下が怪訝な顔つきで私を見ます。ミレガン侯爵家には妹君のティア様が降嫁されておりますからな、ご心配でしょうな。ティア様の娘のエリノア様は、アルブ殿下の婚約者でもありますからな。


「茶葉の輸出護衛を自分の兵士で賄いたいと嘆願書が来ましたな」


「怪しいな」


「ですな、こんなあからさまに怪しげな嘆願書を出してくる辺り、何かから目を逸らさせたいのかもしれませんぞ」


「目を逸らさせたいなら、俺はこんな嘆願書出さずにこそっとやるけどな」


「嘆願書調査に人を裂かせ真意にまで手を回せなくするおつもりですかな」


「何にせよわかった。フレイザーは後回しだ、ミレガンの方が放っておけなそうだ」


 ミレガン侯爵の領地報告書を持ってこい、銀騎士に陛下はそう言うと侍女の淹れたお茶を飲みこちらに向き直りました。


「マリスよ、オーリスはどうだ、この国を良くしてくれそうか」


「陛下、何をおっしゃいますか! この国どころではありませんぞ! この世界を良い方向へ導いてくださいますぞ!」


「世界か、本当に統一出来るのならば俺は何を捧げても良い。魂を寄越せと言われればそれさえも惜しくは無い」


「今更ですな! 私は身も心も捧げましたぞ!」


 全く、陛下は今回に限って行動が遅いですぞ! もう私の全てはオーリス様の物ですからな!


 銀騎士が領地報告書を持って来て、それを陛下と読み込みます。戦争で一時ノバルへの茶葉輸出は落ちましたが、ノバル経由での帝王国、聖皇国との取引開始で持ち直しましたからな。輸出量は上がり気味です。特におかしな所はありませんな、まぁ報告書におかしな点があっては困りますからな。侍女室の報告待ちですな。


 陛下執務室がノックされ外控えの騎士がオーリス様がいらしたとの事。

 ようこそ! このむさ苦しい所へ! さぁさぁソファーは私が暖めておきましたぞ!

 陛下の横に立ちオーリス様のご尊顔を拝見させて頂いております。ハァ、なんという幸せ。皆にもこの幸せを分けてあげたいけど分けたくないですな!

 オーリス様から陛下に対する大変な告白が! 陛下が魔王だったとは!

 はて、魔王とは何でしょうかな。悪魔の王で魔王ですかな、ならばオーリス様は天使の王で天王ですな!


 しばらく話をしていますと、お披露目の時間との事で陛下と私は謁見の間に向かいます。この謁見の間、教会と懇意にしている貴族の強引な手段で改修されましたが、私が死ぬまでには絶対に元の謁見の間に戻して見せますぞ!

 謁見の間、玉座の手前でオーリス様を待ちますと、ご入場との挨拶と共に扉が開かれオーリス様が入場されました。なんと神々しいお姿! 赤い絨毯をゆっくりと御御足を進め、私の方へ向かって来て下さるお姿に私は花嫁の気分ですぞ!


「王命である!」


 陛下がそう言われると同時に皆跪きます。陛下が王命を告げるとオーリス様のお声が! するとなんという事でしょう!

 天井から光が差し、天使様が舞い降りて私をお迎えに……! いやいや! まだ! まだ早いですぞ!

 天使様は陛下と王妃陛下に祝福を下さりました。ああ、涙が止まりませんぞ! オーリス様! 神様! マイダーリン!

 参列している貴族やその子供ら、騎士達でさえ興奮がとまらずオーリス様が退場なされた後も称える声がやみませんな! イソベルもこそっと見ておりましたが、今では雄叫びを上げておりますな。あなたは早く戻り貴賓室でオーリス様をお迎えしなさい!

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