第36話 皆の決意

(ここは?)

 ふと目を覚ましたアキは、左手の温かな感触に視線を移した。

(ヨシミー……ずっと手を握っていてくれたのか)

 ベッドサイドで眠ってしまったらしい彼女の髪をそっと撫でる。さらさらとした手触りに、胸の奥をぎゅっと掴まれるような不思議に切ない感覚に陥った。

 

 突如、ぴょんと髪の陰からセレが出て来た。それに敏感に反応したのか、彼女がガバッと顔を上げた。

「アキ!? アキ、大丈夫か!」

 身を乗り出してくる彼女を押し戻すように、アキは上体を起こす。

「すみません、起こしちゃいましたね」

「アキのバカ! 無茶しないって約束しただろ!」

 ヨシミーは潤んだ目で眉をひそめ、再びアキに迫った。

 

「すみません……あの時、咄嗟にあの方法しか思いつかなくて」

 アキはすまなさそうにぽつりと呟き、ヨシミーを見つめた。

「あの方法……? じゃあ、やっぱり?」

 ヨシミーはハッとしてアキを見つめ返す。彼は黙って頷いた。

 

「いやぁ、でも、あの雷ボールは予想してませんでしたよ」

「アキ……詰めが甘い」

 アキが大丈夫な様子を見てほっとしたヨシミーは、少しだけほほ笑みを浮かべて軽口を叩く。

 

「それで、ダリアはどうなったのですか?」

「あぁ、ダリアは逃げた。で、我々はなんとか助かった。取りあえず皆で話をしよう。コトミさんたちがリビングで待ってる。歩けるか?」

 思ったより元気なアキは、大丈夫ですと言い、二人はジェイとコトミがいるリビングに移動した。




 アキとヨシミーがリビングに現れると、ジェイはガタンと椅子から立ち上がったかと思うと、いきなりアキに殴りかかった。

 彼の拳を頬に受け、アキは壁に向かって吹っ飛んだ。

「アキ!」

 ヨシミーは慌ててアキの元に駆け寄るが、アキは「大丈夫です」と一言言うと、よろよろと立ち上がった。

「アキさん、ハンナさんを返せ!」

 真っ赤に目を腫らしたジェイが悲愴な顔で彼を睨む。肩で息をしながら、さらに殴りかかりかねない勢いだ。

 

「ジェイ、気持ちは分かる。だが、今はまず落ち着いてアキの話を聞こう。殴るのはその後でいい。ことと次第によっては自分も殴る」

 ヨシミーが静かに言った。

 

 コトミも、ジェイとアキの間に割り込み、ジェイを諫める。

「ジェイ様、落ち着いてくださいませ。短剣にかける誇りはどこへいったのですか?」

 ジェイはわなわなと震えて、何とか冷静になろうとして息を吐いた。

「ああ、そうだな……」

「まずは、席に着きましょう」

 コトミが冷静に言い、四人は席に着いた。

 

「ダリアは逃げたそうですね」

「ああ、そうだ。アキさんが気を失った後、すぐだな。ダリアは俺のホワイト・キューブに恐れをなして逃げたんだ」

 アキは黙ったまま何度も頷いた。

 

「そうですか。ひとまず良かったというべきでしょうか」

 ジェイは再び勢い良く立ち上がり、机を両手でドカンと叩いた。

「何がよかったんだよ、アキさん! ハンナさんを殺しておいてよくもそんな事が言えるな!」

「いえ、ジェイ、ちが……」

「何が違うんだよ、今更どう言い訳したってハンナさんは帰ってこない! 仲間の命を奪っておいて、よく俺たちの前に顔が出せたよな! ハンナさんはアキさんを信頼してたんだ。俺だってアキさんを信頼してた。それをこんな形で裏切るなんて!」

 

「ジェイ様!」

 怒りに我を忘れるジェイに、コトミが強い口調で被せた。

「いいかげん落ち着いてください。それではアキさんが何も話せないじゃないですか」

 

「アキ」

 ヨシミーがアキに短く促すのを見て、ジェイは三人の雰囲気を察し、イライラしながらもアキの言葉を待った。

 

 アキはジェイの目を真っ直ぐ見上げて、ゆっくりと静かに言う。

「ハンナさんは、生きていますよ」

 

「え?」

 ジェイは理解できないという驚愕の表情でアキを見、その場で立ち尽くした。



「まずは、皆さんに悲しい思いをさせてしまって申し訳ない」

 アキは頭を下げた。

「アキ……」

 ヨシミーは思わずアキの背中に手を当ててあげたいという衝動に駆られたが、グッと我慢した。


 ジェイは混乱した様子で席に着く。

「とにかく説明させてください」そう言うと、アキは静かに話し始めた。

 

 あの状況ではどうしようも無かった。

 ハンナの様子がおかしかったのは、おそらくダリアの何らかの魔法であろう。精神操作系か、洗脳系の魔法が考えられる。

 悲観的になっていたし、我々の事も攻撃し始めたし。

 

「あの場面で我々に残された手段は非常に限られていました。ダリアに全て吸収されてしまったら手遅れだったでしょうし」

 もはや攻撃手段もなかったですしね、とアキは自嘲気味に言う。

 

「なので、ジェイさんの魔法陣を応用しました。魔術書にあった式をも応用し『封印』の魔術を使ったのです」

「封印?」

「そうです」

 

 ハンナを刺したように見えたのは『アーカイブデータ凍結処理』の魔法。ダリアの言う事が本当なら、恐らくハンナはある意味特殊な存在。そういう特殊な存在を扱うあの術が有効なはずだとアキは考えた。

「一か八かの賭けでしたが、どうやら成功したようですね。もっとも、説明する時間もなくて、あの様子じゃハンナさんが吸収されて殺されてしまったと見えても仕方がない。ただ、私としても、どうなるか予測も付かなかったので……」


 

 三人は、アキの魔法陣に対する理解と実行力に驚く。

 あの状況でそれを考えついたこと。しかもそれを実行に移したこと。

 アキらしいと言えばそうなのだが、ヨシミーとジェイは、彼のその能力に改めて尊敬の念を覚えるのであった。



「さて、ハンナさんを取り戻すためには、もう一度ダリアに会わないといけません」

「……会うっていっても、どうやって?」

 ジェイは怪訝な顔をする。

 

「わかりません。とにかく見つけ出し、アーカイブデータ解凍取り出しの魔法陣をダリアに向けて発動しなければならないのです」

「……どういう魔法陣なんだ?」

 ヨシミーはアキを見て浮かない顔をする。アキのその声のトーンに嫌な予感を感じたのだ。

 

「今はまだ完全には分かりません。次に会うまでには考えます。基本的にはアーカイブの処理と逆なので、何とかなるでしょう。少なくとも今はハンナさんはダリアの中で眠っているという状態なのは確かです」


 それを聞いてほっと安心する三人。


 ジェイはおずおずと聞く。

「……アキさん、あの魔法陣は即興で? あのときに作ったのか?」

「はい。といっても、全神経を集中してなんとかできたという代物でしたが」

 アキのような専門家には当たり前のことなのかもしれないが、それはジェイにとって度肝を抜かれるような発言だった。

「……それはつまり、俺のホワイト・キューブの魔法陣を見ただけで理解したのか?」

 ジェイは信じられないという顔だ。

「ええ、以前にも見せてもらってますし、魔法陣言語は私の専門なので何とかなりました」

 

 そんな彼を見て、ジェイは意を決したように、

「アキさん、すまない。誤解していたというか、全く理解していなかった」

「いえ、私こそ説明もなく無茶をして申し訳なかったです。ジェイさんの気持ちを考えると、本当にすみませんでした。気絶さえしてなければすぐに説明できたのですが」

「いや、アキさんをもっと信頼すべきだった」




「しかし、ジェイさんにマジで攻撃されるなんて思っていませんでした」

「詰めが甘い」ヨシミーがじと目で見ながら言い、

「……ははは、そうですね」

 アキは乾いた声で笑う。

「坊ちゃまは、まだまだお子様ですからね。あの取り乱しようと言ったら、それはそれは……。ああ、報告し……」

「坊ちゃま言うな! 誰かに言ったら口きかないぞ!」

 コトミはふふふと笑顔を浮かべるのであった。

 

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