第2章 魔法陣修業編

第10話 大雨:余計なこと考えるな!

 三人は川沿いの平坦な場所を選び、豊かな自然に満ちた景色を眺めながら歩いている。アキはその道中、講義をすることに決めた。

 

「さて、魔法陣という物の仕組みを簡単におさらいしましょう」

 しばらく黙々と考え事をしているかのように歩いていたアキが、急に真剣な顔をしてハンナに話し始める。

 

「わーい! お願いしますー!」

 ハンナは期待に満ちて顔を輝かせた。ヨシミーはめんどくさそうな顔をしつつも、アキの話には少し興味があるようで、チラリと彼を見る。

 

「まず魔法というものは、前提として術者の思考を読み取る世界の機構があり、それが魔法陣を思い描いた人の脳内の思考パターンを読み取って、光の形として現実化する仕組みがベースとなっています。そして術者の曖昧な思考をパターン・リコグニションによるノーマライゼーションの結果を蓄積した膨大なデータベースを元に、発現する魔法が異なってくるという風に……」

 

「アキさん! アキさーん! 分かりませんー!」とハンナが手を上げて泣きそうな顔をした。

「え?」アキがキョトンとした表情を浮かべる。

「おい、アキ! それじゃハンナが理解できるわけないだろ」

「え? そうなんですか? 我ながら簡潔にまとめたと……」

「どこがだ」

 ヨシミーがあきれた表情を浮かべ、アキをじと目で見た。

 

「アキさん、もっと簡単にお願いします!」

「うーん、そうですね。パターン・リコグニションというアルゴリズムというのは、ニューラルネットという大昔に開発された……」


 そこでヨシミーがため息をつきながら割り込んだ。

「頭で思ったことが、いろんな光の形になるだけだ」

「あ! それなら分かります!」

 ハンナはパッと顔を明るくすると、ヨシミーの方を向いて返事した。その顔は、救助隊が到着したかのような喜びに溢れている。

 

「え? そんな、それじゃ理論的な部分が……」

「いらないから。……アキ、自分が教えるから、サポート」

「……分かりました」

 アキはおもちゃを取り上げられた子供のようにしょぼんとした。ヨシミーはそんなアキを見て思わず内心笑い出しそうになったが、努めてすました顔をする。

 

「ハンナ、つまりは必要なイメージを頭の中で明確にすること。そして集中することだ。余計なことを考えるな」

 少しきつめな口調とは裏腹に、優しそうな表情で話すヨシミー。人差し指を上に突き出し「いいか具体的なイメージが大事なんだぞ」とお姉さんぶって説明する表情にアキはおっと思うと共に、少しドキリとする。

 

「分かりましたー!」

「じゃあ、基本的な魔法陣発動を試すぞ。水を出してみろ。コップ一杯分の水だ。真似してみろ」

 ヨシミーはそう言うと片手を伸ばし、ハンナに見せるための魔法陣を空中に表示した。

 

「はい!」

 ハンナは元気よく返事すると、同じ魔法陣を表示させ、水魔法を発現させた。

「どうでしょう?」

「ああ、魔法陣自体は合ってるみたいだな。だが、なぜ水が発生しないんだ?」

 ヨシミーは眉間にしわを寄せて目を凝らし、ハンナの魔法陣をよく見る。


「なぜでしょう? うーん、えい! えい!」

 ハンナはどんどん魔力を込めるが、何も起こらない。魔法自体が発現している証拠に、魔法陣はますます光り輝く。

 

「おかしいですね。魔法陣は確かに合っています。その光り方だと魔力もたっぷり流れているようですが……」

 アキはそう言いつつ、ふとハンナの顔を見る。彼女がほんの少しニヤニヤしていることに気付いた。

「ハンナさん、何を考えているんですか?」

「え? いやー、その……」

 えへへといたずらを指摘された子供のような顔で、目をそらすハンナ。

 

 ふと影が差す。

 

 三人が同時に上を見上げた。

 

 上空に巨大な水球がぷよぷよと浮かんでいた。それはまさに空中要塞のごとく堂々と、だがゆらゆら浮遊していて、ちょうど太陽の光を遮ったところだった。

 

「おい! 何考えながら発動してたんだ?」ヨシミーは驚愕の表情を浮かべ、ハンナに詰め寄った。

「え? えっとー、雨を降らせたりはできるのかなー、なんて?」

 ハンナが可愛く首を傾げながらそう言った瞬間、上空の水球がどーんというごうおんと共にさくれつする。

 

「え!?」

 三人には、それがスローモーションのように見えた。

 

 まるで打ち上げ花火のように、いや、超新星爆発のように、衝撃波を発生して広がっていく水。かなりの上空だったのか、爆発が横方向だったのか、水滴が落ちてくるまでが永遠のように感じられる。

 

「まずい」

 アキがそう呟いた瞬間、とうの雨が落ちてきた。アキとヨシミーが急いで魔法陣を展開、防御壁ドームを張る。二人とも必死の形相だ。水というものがどれくらいの重さで、その衝撃がどれくらい危険か知っているのだ。

 

「おい! どんだけ水を生成してるんだよ!」ヨシミーは焦りの表情を浮かべ、半分パニックだ。

「まずいです、障壁が持ちません」

 アキがそう言った瞬間、アキが展開していた外側の障壁がパリーンと破壊された音が響く。

 

「まだ自分のがあるが、何とか……」

 永遠とも言える時間が過ぎ、水の降下が終わった。ヨシミーの障壁でかろうじて耐える事ができたのだ。



「おい、ハンナ!」

「えーん、ごめんなさいー!」

「だから、集中しろと……余計なことを考えるなと言っただろ!」

「えー、だって、沢山の雨粒の方が楽しいかなと思って」

「そういう余計な……」

 ヨシミーがそう言いかけた瞬間、突然地面がかんぼつした。


「え!?」

 三人が同時に叫んだ瞬間、全員が地面の下に現れたドロドロの泥水の中に落ちる。

 ドームの障壁は、実は地下に対して貼られておらず、あまりにも勢いある周りの水流が地面下をえぐったのだ。

 

 アキが、ひざうえくらいまであるだくりゅうに足を取られそうになる。小柄なヨシミーにはそれは深すぎて、耐えきれずに流されそうになり、思わずアキの服をつかんだ。そんな彼女をアキは反射的に片腕で抱き寄せたが、そのせいで彼はバランスを崩し倒れそうになる。

 

 アキはこの子を守らなければと必死の想いで踏ん張った。にもかかわらずだくりゅうに流されそうになったそのせつ、アキは反対側の腕をがしっとつかまれるのを感じた。


「アキさん! ヨシミーさんを離さないでくださいねー!」

 ハンナは、状況から想像できないほど楽しげな調子でそう声を張り上げると、しっかりした足取りで、少しずつ移動し始める。

 

 アキは、濁流をものともしない彼女の動きに目を見開き驚いた。

「ハンナさん、凄い力持ちですね。この濁流の勢いと私たち二人の体重を合わせると、それを支えられるだけの物理的力と制御能力はかなりのものかと……」

「全然平気ですー! あと少しですよ!」ハンナは涼しい顔をして答えた。

「ア、アキ、い、今は分析いいから!」

 濁流に恐怖したヨシミーは必死の形相でアキにしがみつき、それでもツッコむ。

 

 泥だらけになった三人は、ハンナのおかげでしっかりした地面のある場所まで何とかたどり着いた。

 


「すまない」

 ヨシミーはそう言いながら、少し顔を赤くしてアキから離れる。

「あ、い、いえ、こちらこそすみません」

 アキは今までしっかりと抱き寄せていたヨシミーの柔らかくて温かいぬくもりを改めて感じ、内心ドキドキだ。だが、名残惜しそうにしながらもすました顔でさりげなく手を離した。

 

「大丈夫ですか?」

 様子のおかしいヨシミーの顔をのぞき込むようにアキは聞いた。

「……」

 彼女はぷいっと横を向く。顔が火照っていることを知られたくなかったのだ。

 

 今まで人に頼ることの無かった自分が初めて取った行動。状況が状況とは言え、誰かにすがるなどしたことがない。しかも、アキは自然に自分のことを守ってくれた。そんな彼の男らしく細いがしっかりした身体を意識したヨシミーの胸の動悸は収まらない。

 

 するとハンナが突然割り込んだ。

「ヨシミーさん、そんな時は『ありがとう』と言うんですよ!」

「……そうだな。アキ、ハンナ、ありがとう」



「それにしてもハンナさん、助かりました。結構力持ちなんですね。それでいて私の腕を握りつぶさないでいられる制御能力。それを魔法陣にも応用しましょうね」

「えーと、よく分かりませんけど、はい! 分かりました!」

 ハンナは人差し指を口に付けながら、一瞬考えるも、ニコニコと答えた。

 

「さて、今回の教訓は、この現実とVR世界の違いですかね。地下部分には障壁が張られないと」

 アキは泥にまみれつつも真面目な顔をして、今起きたことを分析する。

 ヨシミーはそんなアキを見て、こいつもブレないやつだな、とあきれた。そして、そもそもはハンナが余計なこと考えたからだろ、とブツブツ呟いた。

 

 「あ、ほら、虹ですよー! 綺麗です!」

 ハンナは、自身が作りだした雨と水しぶきのせいで偶然現れた虹に、満面の笑みを浮かべて無邪気に喜ぶ。


 ある意味似たような二人の態度に、ヨシミーはこの先どうなるか心配するのであった。

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