4-9 剣と未来(前編)
レイズの右手から、激しい炎が迸る。
「好きだーーーーーーーー!!!」
瞬間、ヴァルフレアの眼前で紅き炎が燃え上がり、舞い踊るその向こうで――レイズの姿がかき消えた。
「なにっ!?」
それが発火で目を眩ませてからの高速移動だとヴァルフレアが理解したときには、すでに背後に熱と殺気が。
「!」
ヴァルフレアは振り向きざまに一刀を振るったが、しかし断ち斬れたのは炎のみ。そしてその向こうの空中で、靴から煙をなびかせて、レイズが鋭く笑っていた。視線と視線が交わって、
(なんだ、この違和感)
ヴァルフレアの直感になにかが引っかかった。
(あの発火能力自体に変化はない。足に着火しての大跳躍もすでに見ている。だったらなんだ。俺はなにを警戒している)
戦場に置ける直感とは、戦いの中で研ぎ澄まされた感覚と蓄積された経験とが濃縮された警報である。それを肌身で理解しているがゆえに、ヴァルフレアは直感を信じてその正体を探り続ける。
対して、空中跳躍でヴァルフレアから距離を取ったレイズはそのまま地面に着地して――その足下に転がっていたベルトから、琥珀銃だけを引き抜いて拾い上げた。
「それが本命か……!」
睨みつけるヴァルフレアに対して、レイズは返事を返す代わりに右手で琥珀銃を構えた。間髪入れずにそのまま連射。いくつもの光弾がヴァルフレアへと襲いかかるが、彼もまた間髪入れずに二刀を振るい、全ての光弾を両断した――そのときにはすでに、やつは。
「速いっ……!」
見上げたヴァルフレアの視界に映ったのは、文字通り宙を跳んでいる少年の姿であった。跳び蹴りでもするかのように両足を揃え、その靴裏をヴァルフレアへと向けている。遺産の力を素通りさせる特殊金属製の靴底には、すでに光が収束していて。
「喰らえっ!」
ごばぁっ!!! 津波のような爆発が、ヴァルフレアの姿を飲み込んだ。
いや、違う。飲み込めてはいない。ヴァルフレアは爆発するより先に退避を選んでいたのだ。ゆえに紙一重でわずかに焼かれ、しかし紙一重で逃れられた。彼は爆風に乗る形で後退って、その残り香たる熱風に体を晒しながら「はぁ、はぁ……」と息を荒げた。
その衣服や髪のところどころからはぷすぷすと煙が上がり、肌も少し火傷を負っていたが、もはやそんなことに構う猶予などない。
なぜなら先ほど感じた直感が、すでに確信へと変わっていたからだ。
(やつは今はっきりと、空中で両足を使ってみせた。やはり……やはりそうなのか、レイズ……!)
思考を続けるヴァルフレアの視線の先、徐々に淡くなっていく炎の向こうから「おい剣帝!」不意にレイズの声が聞こえてきた。
「アンタ、『
突然の問いに、ヴァルフレアの思考が一度途切れた。
「いきなりなにを……だがその名は聞いたことがある。広範囲の土地に雪と氷を降らせる遺産だろう。正確には、旧文明の天候操作装置が今もなお暴走しているということだが……」
ヴァルフレアは記憶を引っ張り出して答えながらも、頭の中で再び警戒と思考を巡らせる。彼我を遮る残り火を見つめながら。
(なにを企んでいるかは知らんが、これ以上時間を与えさせるわけにはいかない……そうだ。やつは今まで”地面から跳ぶ”ことに炎を使っても、”空中からの再跳躍”には一切使っていなかったのに)
――好きだーーーーーーーー!!!
(あの一瞬からなにかが変わった。再跳躍もそうだが、絶対防御もなしに果敢に接近戦を挑む戦いぶりも。そして炎の出力までもが、さらに高まっているように思える……)
残り火が消えていき、ヴァルフレアの視界が晴れていくその一方で。
「そーだよ。雪でバイクは動かねーし、景色は一面真っ白でマジつまんねーし。だからさ、あそこを旅してるときすげー思ったんだ。『なんで俺、こんなとこにいるんだろう』ってさ」
少年の思い出が空間に響き渡っていく。
(やつがなにを狙っているのかは分からんが、いずれにせよこれ以上時間を与えても、おそらくは……!)
思考を研ぎ澄ましながら、ヴァルフレアは待っていた。炎に隠された視界が完全に晴れてレイズの姿が、その企みが露わになる瞬間を。
(視界を攪乱してからの不意打ちは
狙いは不意打ちへのカウンター。ゆえに剣帝は脱力する。肉体の力を抜き、精神だけを鋭く研ぎ澄ます。周囲の気配を色濃く感じ、あらゆる状況に瞬時に対応する。そんな構えと共に、その一瞬を待ち望む……と、不意に。
「でもあいつはきっと、そんなんでも楽しいんだろうな。初めて見る雪にはしゃいで、クソ寒い街の特産品に目を輝かせてさ」
聞こえてくる思い出が、未来への想像に変わった。
そのとき……ヴァルフレアの脳裏に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、蒼い瞳がちらついた。
(こいつはなにを考えている。なぜ今、そんなことを語る……)
半ば無自覚のうちに意識が惹かれる。それに応えるようにレイズの語りが続く。
「知らない場所も知ってる場所も、あいつと一緒ならどこへ行ったって楽しいんだ」
炎が消えて、その対岸にようやくレイズの姿が露わになる。
「あいつと同じ物を見て、同じ物を食べて、一緒に語って、辛いことだって一緒に越えて! そしたら絶対! もっともっと楽しい景色が待ってるんだ!!」
その姿を認めた瞬間――ヴァルフレアは、完全に確信した。
「やはり……今この瞬間も、お前は成長を続けているというのか!?」
ヴァルフレアの視界には映っている。
例えば、未だ地面に倒れたままのニルヴェアが。例えば、再び地面に置かれていたレイズの琥珀銃が。
しかし今、ヴァルフレアの瞳が真に捉えているものはただひとつ。
「俺はそれが見てみたい! 俺はあいつと旅がしたいんだ!!」
レイズは今、その場の誰よりも激しく輝いていた。
齢15の幼き瞳は、しかし決して揺るがない眼光に満ちている。
小さな左手は強く硬く握られており、その拳の隙間からは白い光が放たれている。
だがしかし、なによりも、その右手……いや、それどころか右腕自体に激しい炎が宿っていた。蛇のように腕に巻きつき、さらにその先へと長く伸びて、煌々と輝く炎の渦。それを大きく振りかざし、そして一気に振り下ろす!
「だからっ! 絶対に!! 負けてたまるかぁぁぁぁ!!!」
解き放たれた炎が大地を迸り、大気を喰らい、そして一気に膨れ上がる。その姿は正しく竜! 炎の咢をごうと拡げて、ヴァルフレアへと喰らいつく!
「う……うぉぉぉぉ!!」
ヴァルフレアは裂帛の気合を叫び、十字二閃。縦斬りと横斬りを同時に放ち、真っ向から炎の竜を切り裂いた。しかしそれを退けてもなお、ヴァルフレアの表情に安堵や歓喜は浮かばない。むしろそれらとは真逆の感情と共にレイズへと問いかける。
「なんだ……その力は!?」
「決まってんだろ」
答えは、消えゆく竜の向こうから。
「恋の力だっ!!」
光の槍が、ヴァルフレアの眼前へと突き出された。レイズの右手に握られた琥珀銃が放った、容赦なき顔面狙いの一撃を。
「それでも……!」
ヴァルフレアは全身をひねって紙一重でかわす。ピッと頬に一筋の火傷が走ったが、しかし構うことなどない。
「俺とて、負けられんのだ!」
ヴァルフレアは狙いを定めた。光の槍を突き出した勢いで伸び切ったレイズの胴体へと、右の一刀をすかさず振り下ろし!
「だったら、もう一押しだ」
レイズが笑う。
その瞬間、光の盾が両者の間にねじ込まれ、激突の音が響き渡った。
――たぶんさ、光の盾がいくら無敵だって言っても兄上なら慣れればどうにかしちゃうと思うんだ。だからもしこの盾が破られたら、そのときはちょっと死んだふりしてみるから、レイズはなるべく喋って兄上を”引き出して”ほしいんだ
――だいぶ言ってる意味わかんねーんだけど……とりあえずあれか? 戦闘しながら話せってか? 大陸最強の剣士と?
――たぶん結構応じてくれるよ。その上で真っ向から打ち倒す……って感じの逸話もいくつかあるんだ。とはいえ1対1で兄上と戦うのはしんどいと思うけど……
――はっ……
光の盾――絶対防御に剣帝の刃が弾かれて、蒼色と鈍色の視線が交差した。立ち塞がる者にヴァルフレアが歯噛みする。
「ニルヴェア……!」
眼前の少女は声に応えるその代わりに、大胆不敵な笑みを返した。
その瞬間、ヴァルフレアはその場から引くことを選んだ。即座にバックステップで下がったその直後、ほんの一拍遅れて光の槍が空白を穿つ。
「まだ追いつかねぇか!」
「退くぞレイズ!」
直後、すでに絶対防御を解除していた二ルヴェアが煙玉をポーチから取り出して床へと叩きつけた。着弾の衝撃で玉が破裂し灰色の煙となって、その場をすぐに覆いつくした。
「やってくれる……!」
ヴァルフレアは即座に双剣で煙を斬り裂いて、視界を確保。するとある程度の距離を置いてレイズが、そしてニルヴェアが。2人並んでヴァルフレアを睨みつけていた。
(ニルヴェアの意識があるのは気配で察していた。だが、まさかあの際どいタイミングで割り込んでくるとは……)
今の連携はヴァルフレアの目から見ても噛み合っていた。それどころか、噛み合い過ぎていた。
――だったら、もう一押しだ
そこでヴァルフレアは思い出した。先ほどレイズが”炎の竜”を放つ直前、その後ろにはニルヴェアが倒れていたことを。その位置取りの本当の意味を。
「仕込んだか、レイズ」
ヴァルフレアの推察に対して、レイズは「はっ」と鼻で笑ってから堂々と言い返す。
「見誤んなよ剣帝。俺たちはいつだって2人で闘ってるん」
「兄上ぇ!!」
「なんで台詞被せた?」
呆れたレイズの隣から、ニルヴェアが堂々過ぎるほどに堂々と大きく一歩踏み込んできた。羽根飾り付きのポニーテールをなびかせて、しゃきっと背筋を伸ばして、ぐっと顔を上げて!
「貴方にひとつ、物申したいことがあります!」
それは誰がどう見ても、死闘に水を差す無粋な申し出であった。ゆえにヴァルフレアはただ無関心な視線を、そして声をニルヴェアへと放り投げる。
「お前との問答に意味などない……言ったはずだ。お前を殺す、と」
「言ってないだろ!!!」
「っ!?」
「ヴァルフレア・ブレイゼルなら、あそこは殺すと言ってからぶっ殺しに来る場面だっ!」
ヴァルフレアは率直に思った。
(こいつはなにを言っているんだ)
実はレイズもこっそり思っていた。
(こいつはなに言ってんだ?)
しかしニルヴェアは止まらない。止まるわけがない。
「名前にしたってそうだ。兵器とか人造偽人とか、結局1度たりとも僕と向き合って本名を呼んじゃいない!」
「なにをわけ分からぬことを……」
「貴方は『カタログスペックが全てだと思ったか』って言ったな。ああその通りだよ、だって貴方の一貫性はカタログからでも十二分に伝わってくるんだ! そこらの三流記者にさえ律義に答えてしまうクソ真面目な人柄も!」
ヴァルフレアは理解できなかった。その目に映るちっぽけな少女の意味不明な演説を。そして、それに耳を傾けてしまっている自分自身も。
(なぜ俺は動かない? なぜ俺はこんな話を聞いている?)
「ずっと貴方に憧れて、何度も何度も幼い日の邂逅を思い返して、来る日も来る日も貴方の情報を集め続けて、今日やっと貴方の本心を知って……僕はようやく、結論を導けた!」
ニルヴェアはそこでいきなり右手の人差し指をピンと立て、天を指し、一気に降ろしてヴァルフレアへとまっすぐに向けて!
「剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル! 貴方は嘘つきなんかじゃない! ここぞというときにしか嘘をつけない、超不器用な正直者だ!!」
(なにを……なにを言っているんだ)
分からない。ヴァルフレアには分からない。
「ずっと二刀流にこだわって! ずっと剣帝にこだわって! なんでも自分で背負うことにこだわって!」
目の前の少女の理論が、結論が、なにもかもが分からない。だがしかし、分かったことがひとつある。
(殺さなければいけない)
なぜ? 分からない。しかし理由を問うより先に体が動いた。双剣を握りしめ、一直線にニルヴェアへと突っ込む。それでもニルヴェアは再び絶対防御を展開して、叫び続ける。
「『戦艦ヴァルフレア』なんて名前をつけたのも、その中にこんな罠ひとつないコロシアムを造ったのも、全部自分で背負うためだ! 罪を背負い、世界を背負い、民を背負う者として、先頭に立ち続けるためだ!」
ヴァルフレアは足に力を込め、一気に跳躍した。それは絶対防御を飛び越えて、ニルヴェアの背後に回るためだったが。
「空中なら、こっちの方が有利だぜ!」
同じく宙へと躍りでたのはレイズだった。彼はすかさずヴァルフレアへと右の蹴りを放つ。
「ちぃっ!」
ヴァルフレアが二刀を交差させて盾にしたその直後、レイズの蹴りがその中心にぶち当たり、ドカンッ! 強烈な爆破がヴァルフレアの全身を弾き飛ばした。
しかしヴァルフレアは即座に体を反らせ、弾かれた勢いで宙返り。すんでのところで足から着地して地面を滑る――その間も彼の耳には絶え間なく聞こえてくる。なにか得体の知れないものが迸っている少女の叫びが。
「そこまでこだわりのある人が今を捨てる? 自分を殺す? 馬鹿言うなよ!! できもしないことやろうとして、死んだ人間の声なんてわけ分かんないものにまで縋って!!」
ニルヴェアの前に立ちはだかるように、レイズが着地した。ヴァルフレアはそれを見て反射的に叫ぶ。
「そこをどけぇ!」
「どうしたご機嫌じゃねーかぁ!」
レイズは脚を大きく上げて、それからずどんと踏み込んだ。するとその脚の下から一気に炎が噴き出して、それはすぐに壁となって少年少女の身を護る。
「剣帝ヴァルフレアってのは、全てをその身ひとつで背負い、全てを真っ向から斬り拓く最強で最高の武人の名だろ!!」
『僕らの分まで』『君ならば』『お前しか』『貴方様なら』『貴方だけが』『君だけが』『お前だけが』『貴方だけが』『未来を』
虚空に響く百の声が、ヴァルフレアの背を押し続ける。
(殺せ、殺せ、早く、殺せ!)
ヴァルフレアは焦り、ゆえに躊躇なく炎の壁へと突っ込んだ。そのまま左の一刀を右へと振って、炎の壁を斬り拓く。すると壁の向こうではレイズが待ち構えていた、が、その顔はすぐに驚きへと変わる。
「なっ!?」
レイズの目の前に、すでにヴァルフレアの姿はなかった。
ヴァルフレアは炎の壁を斬りつけながら、一気に右方向へと走っていたのだ。レイズの意表を突くことで時間を稼ぎ、その間に部屋の壁へと接近すると、そこから一気に跳躍して、壁面を蹴りこみながら、ニルヴェアへと狙いを定める。
ニルヴェアはまだ真正面を向いたまま精一杯叫んでいた。その手からは絶対防御も消えている。
「最高の武人が自分に嘘ついて、嘘ついていることからも目をそらして!!」
「もう……黙れっ!」
ヴァルフレアはぐっと壁を蹴り、ニルヴェアへと飛び込む。だが――蒼の瞳は、すでにヴァルフレアを捉えていた。
ガキンッ! 盾と剣がぶつかり合う音が再び鳴り響いた。
「絶対、防御……! 貴様、まさか誘って……!」
がちがちと刃を防ぐ蒼き盾の向こうで、盾よりもなお蒼き瞳がさらに鋭く研ぎ澄まされる。
「みんなを裏切り続ける痛みも、苦しみも、ここにいない死人に全部押しつけて……!」
「やめろ」
「そこまでしても、弟ひとり殺すことさえままならない!」
「それ以上言うなっ!!」
「そんな悲しい人なんて」
「僕らの憧れた、ヴァルフレア・ブレイゼルじゃないですよ」
「!?!?!?!?」
ヴァルフレアの視界はすでに塗り替わっていた。
そこにいたはずのニルヴェアが、もうどこにもいなかった。
その代わりに、
(炎が)
違う。それは炎のように激しくなびく、赤銅色の髪であった。
それに気づいたその瞬間、ヴァルフレアは反射的に退いて、しかしその直後、腹から胸にかけて強烈な痛みが走った。火傷の痛みであった。
「やあっと捉えられたな」
ヴァルフレアの目に映ったのは、下から上へと光の槍を振り上げたレイズの姿であった。
遅れてヴァルフレアは気づいた。自らの体が浅くではあるが光の槍で斬りつけられていたことに。もしもあと、コンマ一秒でも退くのが遅れていたら。
(死んだのか、俺は!?)
どっと冷や汗が流れでた。逃げなければならない。一度退いて、体勢を立て直さねば……
「投げるぞ!」
聞こえたのは少女の声だった。
(投げる? なにを、急いで、対処を)
思考がまとまらないまま、足下で光がちかっと瞬いて――白い閃光が、ヴァルフレアの双眸を貫いた。
「ぐぅぅぅぅぅ!?!?」
視界が壊れたように点滅を繰り返している。焼かれた胸の痛みがじくじくと訴えている。なんでもいい、なにかしなければ殺される!
「俺はっ……俺はぁ!!」
ヴァルフレアはがむしゃらに動く。視界を潰されながらも、体に染みついた十年来の動きをもって双剣を鞘に収めた。そのまま一刀のトリガーを握りしめ、鞘ごと引き抜いてとにかく振るう。
ズガガガガ! と床を抉る音が鳴り響き、しかしヴァルフレアにはなにも見えていなかった。
「なぜだ……!」
『貴方こそ――』『お前だ――』
今のヴァルフレアには、なにひとつ見えていない。
「なぜっ……!」
『王よ――きm――……僕らの憧れた、ヴァルフレア・ブレイゼルじゃないですよ』
「なぜなにも聞こえない!?!?」
「なんか知んねーけど、ぶっ刺さったみたいだな」
ヴァルフレアが振るった熱線。それは彼我の境界線となって、地面へと焼きつけられていた。
境界線の向こう側ではヴァルフレアが頭を抱えて苦しんでいるが、しかし彼の引いた一線は未だ高温に紅く溶けて、踏み込むのもままならない。
だが構わない。むしろちょうどいい。
「いくぜ、ニア」
レイズはそう言って、すぐそばに立っているニルヴェアへと左手を差し出した。ずっと硬く握りしめていた拳をようやく開いて、その中に収めていた”それ”をニルヴェアへと見せる。するとニルヴェアが目を丸くした。
「これ、まさかエグニダの……拾っていたのか!」
黒色の表面に白色の光。レイズの手の中にあったのは、ごく小さいがそれでも確かに『祈石』の欠片であった。
「手癖の悪さはナガレの流儀ってな。さっき”ぶっつけ本番”で試したんだけど、意思を乱せるならその逆も……意思を束ねて整えることだってできるんだ。だから……」
レイズはニルヴェアへと顔を向けて、優しくほほ笑む。
「お前の想いも俺にくれ」
その一言に1秒たりとも迷うことなく、ニルヴェアがレイズの手を握る。
「約束したろ? 今度は僕がお前を攫ってやるってさ」
少女の両手が祈石を包むように、少年の手と重なった。すると手の中の祈石が、2人分の想いを光に変えて輝きを放った。
ニルヴェアが、そっと呟く。
「本当に、お前の炎は綺麗だな」
レイズの掲げた右腕には、すでに巨大な炎が迸っていた。
2人の想いが形作ったのは――剣であった。長く、ぶ厚く、鋭い炎。部屋の天井にすら届くほどの莫大な熱量を想い2つで抑えこみ、そして一気に解き放つ!
「「いっけえぇぇぇぇぇぇ!!!!」」
振り下ろされた炎の剣が、地面に引かれた境界線を堂々と踏み越えて、そして――
「がっ……ああああああああ!!!!」
剣の王の悲鳴ごと、全てを紅蓮に呑み込んだ。
――全てが燃えていく。野望も、勝利も、そして未来も。
(俺は……負けるのか)
ヴァルフレアの肉体が、そして心までもが、炎に焼き尽くそうとしていた。
(なにもかもを捨てた、捨て去ったつもりでいたのに、それでも中途半端なまま、なにも成せないまま)
熱に霞んでいく意識の中で、暗くなっていく視界の中で。
――それでも今日ここで誓ったことは、絶対に忘れないから
魂の剣が煌めきを放つ。
◇■◇
――7年前、ダマスティ城跡地――
「どうしてみんな、俺なんかを助けたんだろうな」
ぽつりと呟いたヴァルフレアの目の前には、墓標が広がっていた。全てを灰にして、更地にして、その上に建てられた百の墓標が。
「すまない……俺はきっと、みんなが望んでいた俺にはなれないよ」
今日は晴天。虚しいほどに高く広いがらんどうな空の下で、ヴァルフレアはひとり語り続けている。
「ただの良い領主じゃ前と変わらないんだ。みんなの命を奪い、背負ったというなら、俺はさらに高く飛ばなければいけないんだ」
そしてヴァルフレアは1本の剣を掲げた。しかしちっぽけな剣では、青天井になんて未来永劫届かない。
「高く、もっと高く飛ばないと、この大陸を覆う悲劇と災禍には届かない。みんなの生きた証を正しく残すことすらできない……もしもそれが人に許されない領域だというのなら、俺は人間なんてやめてやる。正気じゃ死人に届かないというのなら、そんなものいくらでもくれてやる」
ヴァルフレアは一閃。天から墓標へと剣を振るった。それからその剣を鞘に納めて、未来の自分に剣を誓う。
「その結果、これからの俺がどんなに歪んても、志すら忘れたとしても……それでも今日ここで誓ったことだけは、絶対に忘れないから」
ブレイゼル領に古くから伝わる剣の誓い。それは託す者が剣を納め、託される者が剣を引き抜くことで誓いを成す。
ヴァルフレアは鞘に納めた剣を再び引き抜いて、掲げた。
「みんなのおかげでここまで来れた。みんなの願いは無駄じゃなかったんだって、いつか胸を張って言える未来を創ってみせるから。だからもう少しだけ、待っていてくれ」
◇■◇
「「!?」」
空間が、断ち斬られた。
そう少年少女に思わせるほどに鋭い気配が炎の中心で吹き荒れて、
――斬!!!
炎の剣が、×の字に斬り裂かれた。
境界線の向こう側。散りゆく炎をしかと見て、レイズが体を震わせる。
「マジですげぇな、お前の兄貴」
しかしニルヴェアは、目の前の光景が当然だとでも言うように、微塵も動じることなく前を見ている。
「今更なにを言ってるんだ……僕の兄上は、誰よりも最強で最高な兄上なんだぞ?」
少年少女が見つめるその先。儚く消えゆく紅蓮の中心で、彼は堂々と立っている。
しかし鞘型の琥珀武器は2丁とも吹き飛んでいた。常在戦場の改造軍服はぼろぼろに焼け焦げていた。かつてニルヴェアが『剣のようだ』と憧れ真似した銀髪も、その髪留めが焼かれたために無造作に広がっていた。
そして、過熱された双剣の柄が今もなお、その両手をじゅうじゅうと焼き焦がしていた。
彼はなにもかもがぼろぼろで、しかしそれでも双剣を落とすことなく、堂々と立っている。
「俺は正しく狂っている」
彼が二刀流を使い始めてからおよそ10年。その双剣を落とした者は、このグラド大陸に誰ひとりとして存在しない。
「
グラド大陸最強の剣帝。ヴァルフレア・ブレイゼルが、立っている。
「俺は
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