4-10 剣と未来(後編)

「俺は過去あの日の誓いを絶対に忘れない、消させない! 未来を掴むのは……最後に勝つのは、俺だ!!」

「そうです。それでこそ……僕らの憧れた剣帝です!」


 信念を、命を、魂を、そして未来を賭けた死闘の幕は、ニルヴェアがヴァルフレアへと”斬りかかる”ことで切って落とされた。

 すでに冷めた境界線を踏み越えて、ガキンと音鳴り撃ち合ったのは、鋼の刃と光の刃。ヴァルフレアは双剣を重ねて受け止め、ニルヴェアは……その右の手のひらから、蒼い光を剣のように薄く鋭く伸ばしていた。


「盾が有りなら、こういうのも有りですよね……!」


 絶対防御というならば、絶対の攻撃力にもなり得るか。剣帝の二刀を押しこんで踏ん張るニルヴェアにヴァルフレアが瞠目する。


「この土壇場にきて使い方を拡げてきたか。お前もまた、大きな可能性を秘めているのだろうな」

「兄上っ……!」


 鍔競り合う剣と剣。ニルヴェアも、そしてヴァルフレアも1歩も引かない。


「お前は正しい。剣帝として、武人として、なにより俺自身として! なにを裏切ろうとも裏切ってはいけなかったものを、俺は貫徹できなかった! だからこそ!!」


 ヴァルフレアの双剣に力がこもり、「ぐっ……!」ニルヴェアの体をぐぐぐと押し込む。その最中、ニルヴェアの目は確かに捉えていた。心を殺した無表情でも、信念を見失った苦悶の表情でもなく、もはや一片の曇りさえない気高き武人の表情を。


「今ここで宣言する! 俺よりも俺を知り、未知なる可能性を宿し、いつか真の脅威に成りうるお前を……ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを! 俺は今っ!! ここで殺す!!!」


 ガキィンッ! 双剣が凄まじい力で振るわれ、真っ向から絶対防御光の剣ごとニルヴェアの体を宙に浮かす。


「うわっ!」


 ニルヴェアは思わず絶対防御を解除してしまったが、なんとか両足で地面に着地できた――ときには、すでに二対の凶刃が迫ってきていた。だがしかし、その刃を止めるための絶対防御だ。


「させない!」


 両腕を突き出し咄嗟に盾を展開すれば、やはりというべきか再び双剣が阻まれた。その光景は、本日何度目かの焼き直し……いや、違う。

 ヴァルフレアの表情が、今までとは違っている。


「その力、精々あと1、2回といったところか」

「!?」


 ニルヴェアの表情が驚愕へと変わり、逆にヴァルフレアはふっと笑みを浮かべた。


「まだまだ甘いな」

「まさか、カマかけ!?」


 それに対するヴァルフレアの返答は、足であった。

 彼は両足で跳ぶと絶対防御へと足裏をかけて、そのまま一気に踏みこんだのだ。するとニルヴェアは勢いに押されてたたらを踏み、一方ヴァルフレアは空中でくるりと身を翻す。

 そして1秒前まで2人がいた空白を、紅の光弾が通り過ぎた。


「無駄にかっけー避け方しやがって!」


 射撃を放ったレイズは悪態を突きながらも、しかし重ねてトリガーを二度三度。


「鞘を失ったアンタにもう熱線レーザーはねぇ! だったら射撃で削り取るぞ!」

「分かった!」


 レイズの言葉にニルヴェアも動く。腰のベルトからハンドガンを引き抜き両手で構え、即座にトリガーを連射した。

 果たしてヴァルフレアへと襲いかかるのは、それぞれ別方向から放たれた2種の光弾。彼は先に飛んでくるレイズの光弾を迷わず双剣で斬り落としたが、しかし続く小粒の弾丸は斬り落とすこともかわすこともできなかった。

 使い手も銃も未熟な弾丸はその多くが外れながらも、しかしいくつかはヴァルフレアの四肢へと無作為に当たった。ほんの小さな火傷にヴァルフレアを止める力はなかったが「ぐぅ……!」しかし彼に確かな苦痛を。

 そしてニルヴェアに、確かな確信をもたらした。


(こんな攻撃にも対応しきれていない。いくら兄上でも限界が近いんだ。だったら……!)


 ニルヴェアは左手にハンドガンを持ち替えると、腰のベルトへと手をかけた。

一方でレイズは射撃と炎の弾幕をもって、ヴァルフレアの足を縫い留めにかかった。

 左手には祈石の欠片を握り、右手で琥珀銃のトリガーを絶えず引き、そして足からは炎を生み出し地を走らせて、ヴァルフレアの行く手を遮る。

 もはや何度目から分からない光弾を断ち斬って、その直後に迫ってきた炎を躱しながら、ヴァルフレアは「ちっ」と舌を打った。


「足1本で炎を走らせるとは、また厄介な技を……!」

「即席の思いつきだけど、剣帝のお墨付きを貰えるたぁ嬉しいな! せっかくなんだ。もうちょいこいつの調整に付き合ってもらうぜ……!」

「――レイズ!」


 レイズの耳に届いたのは、相棒の声だった。だから横目でそちらを見れば、その相棒がレイズの下へと駆け寄ってきているところであった。

 もちろんヴァルフレアもまたその光景を見ていたのだが、しかしニルヴェアが走りながらハンドガンで、さらにレイズも射撃と炎を重ねて牽制してきたために近寄ることができない。

 そのうちにニルヴェアはレイズの下へと到着して、彼にある物を突き付けた。それは……ニルヴェアが自分の腰から外したベルトであった。


「全部、お前に託す!」


 力強い言葉と眼差し。レイズはその意を即座に汲んで、迷わず応える。


「任せろ!」


 レイズは左手に握っていた祈石をポケットへとしまってからベルトを受け取り、失った自分のベルトの代わりに急いで腰へと巻きつけ始めた。

 だが、光弾と炎が途切れたことで動き始めた者がいた。ヴァルフレアが、少年少女を睨みつけて踏み込む。

 だかヴァルフレアの視界はすぐに捉えた。己が顔面を狙うように、くるくると飛んできた1丁のハンドガンを。

 そう、銃弾ではなく銃本体。ニルヴェアがその左手に持っていたハンドガンを、ヴァルフレアへと投げつけてきたのだ。それは苦し紛れの時間稼ぎか、はたまた別の目的があるのか。

 いずれにせよ剣帝として、やるべきことはただひとつ。


(障害は斬るのみ!)


 ヴァルフレアは迷わず、そして立ち止まらずに一刀を振るった。ハンドガンをあっさりと斬り捨てて――その向こうから1本の刃が飛んできていることに気がついた。

 ヴァルフレアはすぐに思い出した。ニルヴェアのベルトにはハンドガンの他に、サバイバルナイフも差さっていたことを。

 どうやらニルヴェアは『全部託す』と言いながら、こっそりサバイバルナイフを抜き取っていたらしい。


(いけしゃあしゃあと、言ってくれるな)


 ヴァルフレアの口角が自然と上がった。視界の中ではゆっくりと、サバイバルナイフが迫ってきている。死闘の中で引き延ばされた一瞬が、ヴァルフレアに思考の時間を与える。


(このままでは腹に刺さるか。斬れないわけではないが、しかし距離が近すぎる。立ち止まらなければ斬れないが、立ち止まっている暇などない。ならば――己が躊躇を、断ち斬る)


 果たしてヴァルフレアは選んだ。彼は走りながら両腕を広げて――庇った。腕を庇い、腹でナイフを受け止めた。


「ぐぉ……!」


 ぼろぼろの軍服からじわりと血がにじみ、肉体が痛みという形で警告をやかましく鳴らしたが、しかしそれを振り払って駆け抜ける。


(剣士の命はここにはない。腕が使えれば、剣は振るえる!)


 ヴァルフレアの真正面には少年少女が映っている。2人ともがヴァルフレアに対して驚愕の表情を浮かべていたが、しかしニルヴェアの方がレイズを庇うように立ち塞がってきた。

 そしてやはり即座に展開された、絶対防御。かつての剣帝ですら破れなかったという蒼き盾を前にして……ヴァルフレアは、ほほ笑んだ。

 次の瞬間、絶対防御に奔る二重の閃光――そして、なにかが砕ける音がした。


「ニアーーーー!!」


 それはベルトを付け終えた直後。レイズの視界に映ったのは四方に飛び散る光の破片と、なにかに弾かれたかのように吹き飛んだニルヴェアであった。

 レイズはすぐにニルヴェアの下へと走り出したが、ニルヴェアの方は受け身も取れず地面を無造作に転がっていった。


(なんだ、なにが起こった!?)


 決して砕けないがゆえの絶対防御、それが砕かれた。その現実に動揺しながらも、レイズはすぐにニルヴェアへと追いついて、その体を見下ろし……息を飲む。


「っ……!」


 ニルヴェアの両腕は、なぜか細かい切り傷のようなものでずたずたに引き裂かれており、そこからの出血で真っ赤に染まっている。ひどい有様であった。


(なんだこれ。一体なにが)

過負荷オーバーロード……」

「!?」


 レイズがすぐに振り返れば、視線の先ではヴァルフレアが腹からナイフを引き抜いていた。


「ぐっ……!」


 血に染まったナイフを無造作に投げ捨てて、それからレイズたちを見据えて語る。


「絶対防御といえど、完全な無敵ではない……一筋でも亀裂が入れば、超高密度のエネルギーは即座にバランスを崩し、暴走を起こし、使用者への反動となってその肉体を傷つける……ぐっ。はぁ、はっ……」


 ヴァルフレアは息を荒げ、満身創痍な姿を見せながらも、しかし彼の言葉はあるひとつの現実を示していた。


「こうも何度も撃ち込めば、脆く揺らいだ部分のひとつも見えてくる。言っただろう、断ち斬れぬものを断ち斬れぬままで、剣帝は名乗れんと……!」


 ここにきて、ヴァルフレアの剣はさらに研ぎ澄まされている。

 立ちはだかる現実が、レイズの身をぞくりと震わせる。


「なにが見えてんだよ、アンタ……」


 そのときレイズの脳裏に過ぎったのは、全てを断ち斬る一閃を振るう女侍の姿であった。


「これだから、剣士ってやつはろくでもねーんだ」

「それでも、勝つのは、僕たちだっ……!」

「「!」」


 レイズが驚き振り返り、そしてヴァルフレアもまた目を見開いた。

 2人の視線の先で、ニルヴェアがゆっくりと起き上がった。血まみれの両拳を硬く握り、蒼の瞳でヴァルフレアをぎろりと睨んだ。


「まだ立ち上がるか。まったく、ここまで頑固だったとはな……」

「貴方が頑固だから、僕はもっと頑固になれるんですよ」

「ふっ、言ってくれる……だがニルヴェア。今やお前に手持ちの武器はなく、そして絶対防御もおそらくは残りわずか……そうでなくとも、俺とて今のでコツを掴んだ。お前が何度でも立ち上がるというのなら、何度でも断ち斬るまでだ。お前の力が、可能性が、全てが尽きるそのときまで……!」


 剣の王が、気迫を威と化し解き放った。

 空間に充満する威圧感プレッシャーがニルヴェアの肩をわずかに押しこんだ。しかしそれ以上はない。両足でしかと踏ん張り、口からは血の混じった唾をぺっと吐き捨て、ついでにおまけの一言も吐き捨てる。


「やれるもんならやってみろ」


 威圧を弾いて喧嘩を売りつける。少女の言葉が呼び覚ましたのは、その傍らに立つ少年の確信であった。


(ここが限界。ここが、賭け時だな)


 レイズは分析した。自身と相棒の体力と気力。手持ちの道具。それになにより絶対防御の残数……。

 全てが訴えている。ここしかない、と。だから!


「ニア、さっきのもう1発やるぞ!」


 レイズはそう呼びかけながら、琥珀銃を二ルヴェアへと託す。するとニルヴェアも迷うことなく琥珀銃へと手を伸ばした。


「任せろ!」


 ニルヴェアが琥珀銃を預かると、レイズは再び祈石を取り出して左手に乗せた。すぐにニルヴェアの手も重なった。想いと想いが重なり合って、祈石が光を放つ。

 2人の想いを炎に変えて、レイズが右腕を振りかざした。再び紡がれる炎の剣。それをヴァルフレアは……その場を動くことなく、ただじっと見つめていた。


「断ち斬れぬものを断ち斬れねば、剣帝は名乗れん……」


 己が肉体を限界寸前まで焼いた炎。煌々と燃え盛る力を前に、今度は真っ向から双剣を構えて挑む。


「……来い!」


 その闘志にレイズもまた、炎をさらに激しく燃え上がらせながら応える。


「なぁ剣帝。文句は色々あるけどさ……それでも、アンタと全力で闘えて良かったよ。だからちゃんと、こういうことは言わなきゃな!」


 言葉に、炎に、ありったけの想いを乗せて、必殺の一撃を振り下ろす。


「アンタの大事な弟は、俺が一生を懸けて攫わせてもらうぜ! お義兄にいさん!!」


 ごうっ! 風を斬り、空気を喰らい、炎の剣がヴァルフレアへと迫りくる。しかし――斬!! 交差する二閃が剣を切り裂き、炎は火の粉へとあっという間に散らばっていく。

 だがその最中にヴァルフレアは感じていた。遺産の力を断ち斬ろうとも決して断ち斬られない闘志を。全身全霊、正真正銘の必殺の予感を。気配は、正面から来る。


「レイズ。お前ならば来るはずだ」


 ヴァルフレアは知っている。あるときは視覚外から、またあるときは炎の中から幾度となく強襲してきた光の槍を。その直撃すれば必殺の一撃を容赦なく急所へと突き立ててきた、レイズの殺意を。


(あの炎は2人がかりの必殺。だがレイズ、お前1人の必殺はまだ終わっていないはずだ!)


 ゆえに受けて立つ。ゆえに待ち構える。火の粉渦巻く世界の中で。


(炎や光弾ならば斬って打ち消す。だがもしも光槍ならば……突き立てられるよりも速く、お前を斬る!)


 その読みがどこまで正しいのか。それはこの死闘の果てにしか分からないのだろう。

 ただひとつ、火の粉渦巻く向こう側にある事実として――レイズは今、左手には祈石を。そして右手には琥珀銃を握っていた。


(なぁヴァルフレア。俺さ、正直アンタのことが嫌いだったんだ)


 ニルヴェアを置いて、レイズはひとりで走り出していた。


(ニアにあーだこーだ尊敬されてんのが腹立つし、そんなニアを裏切ったのも腹立つし、あと二刀流ってのも無駄にかっこよくてやっぱり腹立つ)


 目指すは眼前、断ち斬られて散りゆく炎の中。槍を突き出すように琥珀銃を構えて、一直線に飛び込んでいく。


(だけどアンタと闘って分かったんだ。アンタはすげー強くて、すげー真面目で、そんで……すげー潔いやつなんだって)


 紅蓮の中に、銀の髪と二対の刃。ヴァルフレアの姿が見えた。


(だから俺も頑張りたいんだ。アンタみたいに、ニアに憧れて貰える男になりたいから――)


 レイズは祈石を握りしめて、琥珀銃へとありったけの力を注ぎ込んだ。銃口から、紅い光が迸る。


「――来るか!」


 炎の向こうに殺気を感じて、ヴァルフレアも動いた。

 すでにその視界は捉えている。赤銅色の髪の少年を。そして琥珀銃から伸びる光の槍を。


(やはり光の槍か、ならば!)


 ヴァルフレアは即座に右の一刀で狙いを定めた。脳裏に描くは光槍をかわし、琥珀銃を斬り、そのままレイズの首を落とす一筋の軌道。果たして刃を振るい、それを辿る――その瞬間。


「俺も、潔くなるぜ」


 琥珀銃がぼこりと奇妙に膨れ上がり、歪んだボディの隙間から、眩く紅い光を放ち。

 ヴァルフレアはようやく悟る。レイズが本当に狙っていた一撃は、必殺などではなく。


「まさか、自爆――」


 光が爆破に昇華して、2人の姿を飲み込んだ。

 徐々に散りゆくはずの火の粉が一瞬で吹き飛ばされ、その代わりに灰色の煙があたり一面を塗り替えた――と、煙の中から2つのなにかが吹き飛んだ。

 片やくるくると縦回転して、ざくりと地面に突き刺さった。天井の明かりできらりと輝いた1本のそれは、ヴァルフレアの剣であった。

 そしてもうひとつは、地面にどさりと落ちるとそのままごろごろ転がって、最後にはうつ伏せでぶっ倒れた。それは1人の小柄な少年……レイズであった。


 ――あの銃はさ、一定量以上の過剰なエネルギーを注ぐと、ボディが耐え切れずに爆発するような設計になってんだよ


 レイズの全身には壊れた銃の部品がいくつも突き刺さっている。全身から血がにじみ、あるいは流れている。爆発の直撃に加え、多量の出血。レイズにはもう、立ち上がる力など残されてはいなかった。

 だけど、それでも……その顔に、後悔の色は一欠片もなかった。


(俺は、俺のやるべきことを果たしたぜ……)


 ――この十年間、兄上が双剣を手放したことは一度たりともない。それは逆に言えば双剣のうち1本でも奪えれば、十年間使い続けてきた二刀流を打ち砕けば、そこには絶対隙ができるってことだ


 ――理屈は分かるけどよ、それでもまずは奪うための一撃。それをぶちこむための隙を作らなきゃ始まんねーだろ?


 ――うん。だから……僕らはぎりぎりまで、兄上を”殺すつもり”で戦おう。そしたらさ、きっとそこには意識の差が、付け入る隙が生まれるはずだ。僕じゃ無理だと思うけど、お前なら突けるだろ?


 ――突けるだろ? って無茶言ってくれるなぁ。そもそも、本気で殺しにいったら本当に殺しちまうかもしれないぜ?


 ――ぜーったいに無理だから安心してぶっ殺しにいけよ! なんせ僕の兄上は、最強で最高なんだからな!


 うつ伏せのまま顔だけを上げた少年の瞳には、少女の姿が映っている。金のポニーテールをなびかせて、煙の中へと飛び込んでいく勇ましい姿が映っている。

 少年が、力なき声を力いっぱい張り上げる。


「行けよニア――ぶっ飛ばせ!」



 炎に代わって灰煙が渦を巻いているその中心で、ヴァルフレアは未だに踏み止まっていた。

 右手の剣は爆発に弾き飛ばされ、全身には銃の破片がいくつも刺さり、それでも剣帝は倒れない。退かない。なぜなら彼にはひとつの確信があったから。


(この状況こそがお前の真の狙いか、レイズ!)


 ヴァルフレアにそう判断させた理由は、ただの爆発の煙にしては異様に濃い灰色の煙にあった。


(自爆に紛れて煙玉を撒き、ダメージを与えながら視界を潰す二重の策……)


 手癖の悪さはナガレの流儀。ヴァルフレアの推察通り、レイズは自爆の瞬間、密かに用意していた煙玉を撒いていたのだ。


(己の身を犠牲にした1度きりの賭け。ならばここしかないはずだ。そうだろう、ニルヴェア――!)


 瞬間、ヴァルフレアの身を突き刺すような闘気が襲った。対して反射的に左の一刀を構えた直後、


「――兄上ぇぇぇぇぇ!!!」

 

 甲高い叫びが煙の向こうから迸ってきた――その瞬間、ヴァルフレアの脳裏には少年少女との死闘、その全てが過ぎっていた。

 光と炎の連携も。

 本気でこちらを殺しに来たレイズの殺意も。

 何度倒れても立ち上がってくるニルヴェアの闘志も。

 そしてニルヴェアが、すでに全ての武器と道具を手放していることも。


(この綱渡りのような死闘、秘密兵器があるならばとうの昔に出ているだろう。ニルヴェア……全ての武器を失ったお前が俺を殺すには、絶対防御――光の剣しか方法がないはずだ!)


 剣のような双眸を、さらに鋭く研ぎ澄ます。視界不良の煙の中で、たった一筋の光を探して。


(遺産だろうが、光だろうが、弟だろうが、何度だって断ち斬って!)


 そのとき、灰色の中で一筋、ちかりと光が瞬いて――神速の一閃が、一切合切を断ち斬った。

 全力で振りぬいた左の一刀が、煙も光も両断して視界をぶわっと斬り開いた。

 全てが白日の下に晒されて……ヴァルフレアは、絶句する。


(――ナイフ!?)


 そこにあったのは、天井の明かりで輝く小さな刃。そして刃を失った小さな柄だけであった。


(しまった! やつはどこに……っ!?)


 煙が消えて視界が晴れた今、ヴァルフレアはすぐにその姿を見つけることができた。

 なぜならばニルヴェアは、ヴァルフレアの懐で、全身全霊でぶん殴る体勢に入っていたのだから。

 地に脚を踏み込み、腰をしっかりと落として、全身を捻り、拳を硬く握りしめて。完全に殴る気しかない。防御をかなぐり捨てたその体勢に、ヴァルフレアは直感する。


(斬れる!)


 全力で振りぬいた左の一刀を引き戻す時間はない。だがしかし、まだもう1本がある。だからこその二刀流。

 ゆえにヴァルフレアは右の一刀を振りぬくべく、右手を硬く握りしめ――そして思い出した。

 レイズの自爆によって、右手の剣がすでに奪われていたことを。


「っ――――!!!」


 彼が二刀流を覚えてからおよそ十年。その双剣を手放させた者は、このグラド大陸に誰ひとりとして存在しなかった……ほんの少し前までは。

 一刀は弾き飛ばされ、一刀は空を斬り、がら空きになったその腹へと。


「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ――貴方を1発、ぶん殴る!!


 全身全霊の拳がまかり通った。

 ヴァルフレアは、悲鳴すら上げることなく吹き飛んだ。最後の一刀をも手放し、腹部の刺し傷から血を撒き散らして、自らが造った闘技場を跳ねて、転がって、そして止まった。最後に息をひとつ吐く。


「かはっ……!」


 もはやヴァルフレアには、指1本動かす力すら残っていなかった。


(俺は……負けたのか……?)


 実感が湧かない。

 思考がはっきりしない。

 それどころか視界に映る無機質な天井は、徐々にその光度を落としていく……明かりが消えるのではない。消えていくのは自らの意識だ。

 それを自覚して、ようやく納得する。


(俺は……負けたのか……)


 全身を蝕む虚脱感。すーっと暗くなっていく視界の中に……ひょっこりと、蒼い空が映りこむ。


「実はもう、絶対防御なんて残っていなかったんですよ。これっぽっちも」


 すると意識を失いかけていたはずなのに、気づけば口が動いていた。


「そうか……お前たちはずっと……本当に、1発殴るためだけに……」

「レイズと約束してたんです。『俺たちはどうせ細かい連携なんてできないんだから、一度決めたことはなにがなんでも貫き通せ』って」

「決めた……こと……」


 そこでヴァルフレアの言葉は途切れた。もう口を開く力でさえ、彼には残っていなかった。それでも兄を誰よりも知る弟は、その意思を確かに汲み取っていた。


「レイズが剣を1本弾き飛ばして、そしたら僕がもう1本をどうにかする。最初は絶対防御で止めてそのままぶん殴る……とか考えてたんですけど、そしたらあっさりと絶対防御ごとぶっ飛ばされてしまって。でも兄上なら絶対防御でもいつか破るだろうって思っていたから、サブプランもいくつか考えていたんです。それが死んだふりだったり、あえて絶対防御を見せつけて意識させたり……一応、そのあたりまでが予め考えていた作戦です」


 その解答にヴァルフレアは「ふっ」と小さくほほ笑んだ。戦闘後に自己分析を欠かさない男は、自らの敗因を理解して……いや、まだひとつ、疑問は残っている。だから最後の力を振り絞って問いかける。


「あの、ナイフは……最初から……?」

「あー、その……まぁ死んだふり以降はそれを狙って、あえてレイズに手持ちを全部渡したり、盾が破られても強がったり、小細工をいくつか仕込んでたわけですけど……でも実はお恥ずかしい話なんですが、正直、ただの思いつきだったんですよ。死んだふりしている間にちょっと閃いたんです。兄上はきっと”僕”じゃなくて、”僕の力”を見ているんだなって」


 薄暗い視界の中で、弟が照れくさそうにはにかんだ。


「だから……もしかしたら僕自身と同じもの。なにも斬れない、なんの力もないただのお守りなら、貴方の隙を作れるんじゃないかなって。本当に、それだけの思いつきなんです」

「……ああ……」


 ヴァルフレアはその瞬間、全てを悟った。最後に斬ったナイフの正体を。


「そうか……」


 そして、自分が本当はなにに敗北したのかを。


(俺の野望を止めたのは、俺が、託した――)


 意識が深く、沈んでいく。



◇■◇



 ――7年前――


 今日も空は蒼く、そして果てしない。


「すまないな、ニルヴェア。しばらくお前とは会えなくなる」


 当時18歳のヴァルフレアは、当時8歳のニルヴェアの頭を優しく撫でながらそんなことを言った。

 するとニルヴェアは撫でられる感触にくすぐったそうに身を揺らして、しかしすぐにその幼い顔に心配げな表情を浮かべる。


「屋敷の兵士たちが話してました……戦争、なんですよね?」


 ニルヴェアの言う通り。時はダマスティ領が条約を破り、ブレイゼル領へと戦争を仕掛けてきた直後であった。そしてヴァルフレアは剣帝の息子として、そして精鋭揃いの騎士団を預かる団長として出立する。今日はその1週間前であった。

 だがしかし、ヴァルフレアは気負いの欠片も感じさせない安らかな微笑みと共に問いかける。


「この俺が負けると思うか?」


 ニルヴェアは迷いなく答える。


「負けません! だって僕の兄上は最強で最高だから!」

「最強で最高は言い過ぎだ。父上や師匠に比べれば、俺はまだまだ未熟者だ」


 ヴァルフレアは楽しさ多めな苦笑を見せたあと、しかしすぐにその表情を真面目なものへと切り替えた。


「ニルヴェア。お前の夢はなんだ?」


 ニルヴェアは元気いっぱいに答える。


「兄上のような武人になることです!」


 するとヴァルフレアは、少しだけ視線を落として、ためらって……しかしやがて口を開く。


「レプリ・ブレイゼル」

「!」


 ニルヴェアは目を見開き、体をきゅっと縮めこませたが、それでもヴァルフレアははっきりと告げる。


「お前は妾の子であり、屋敷に軟禁されている不自由な立場だ。ゆえに決して俺たち本家と同等にはなれないだろう。お前がいくら俺に憧れていても、その夢は届かない運命なのかもしれない……」


 ヴァルフレアは顔を上げて、しっかりとニルヴェアを見つめて言う。


「それでもお前は、その夢を目指すのか?」


 鈍色の瞳が見つめるその先で、ニルヴェアは視線を落としてしゅんとした。お互いに沈黙が続く。5秒、6秒、7秒……ヴァルフレアもまた、しゅんと視線を落としてしまった。


「その、すまなかった。お前の夢を愚弄するつもりとかはないのだが……」


 少し慌てて弁護をしつつ、ヴァルフレアは面を上げた――その先に、蒼く果てしない空が広がっていた。

 大きくて、まんまるで、幼い瞳で、少年はまっすぐ前を向いていた。


「大丈夫です! だってもし兄上なら、家とか決まりとかそんなもので諦めないから! ですよね!」


 始まりと終わりを司る蒼き月。それと同じ色を背負った瞳は、ブレイゼルと血が繋がっていない確かな証。少年が本来は人造偽人レプリシア……人ではなく、古代の兵器である証。

 だけど、それでも、そんなことは関係なく。ヴァルフレアはその瞳を愛していた。


「ああ……その通りだ」


 狭き運命の中で、しかし誰よりも自由であろうとするその蒼が。ヴァルフレア以上にヴァルフレアを信じて同じ信念を貫こうとしてくれるその蒼が、ヴァルフレアは誇らしかった。


「お前の瞳は、本当に綺麗だな」

「?」


 ニルヴェアは1度きょとんとして、しかしすぐにぱぁっと花咲くような笑顔を見せる。


「それ、この前アイーナにも言われました!」

「……アイーナ?」

「はい! この前ウチに来た使用人メイドの子なんですけど、ぼくと同い歳なんですって!」

「ああ、こないだブレイゼル家ウチで引き取った孤児のひとりか……と、あまり長話している暇もないな。そろそろ用件を済ませなければ」

「用件?」

「ああ。お前に渡したい物があるんだ」


 ヴァルフレアは懐から、1本の短剣を取り出した。


「ニルヴェア。お前にこの短剣と、そして『剣の儀式』を捧げよう」


 瞬間、ニルヴェアの瞳がわっ! と輝きを放った。元々丸い目をさらに丸くして、短剣を見つめている。

 そしてその期待に背を押されるように、ヴァルフレアはその場に屈んで短剣を鞘からそっと引き抜く。

 緻密な装飾が施された鞘から、刀身がゆっくりと姿を現す……瞬間、刀身がちかりと太陽の光を反射して瞬いた。

 良く磨かれた美しい刀身を見て、ニルヴェアは真っ先にこう思った。


(まるで太陽をぎゅっと押し固めたみたいだ)


 ニルヴェアは、短剣の輝きにただひたすら見惚れていた。その視線に苦笑しながらヴァルフレアが言う。


「さすがに刃は潰してあるぞ。ゆえに実戦では使えないが……それでも剣は剣だ。だからニルヴェア、まずはこの鞘を受け取れ」

「鞘を……?」

「ああ。そして鞘の口を俺に向けるんだ」


 ニルヴェアはおずおずと鞘を受け取ると、ぽっかり開いた鞘の口をヴァルフレアへと向けた。これが『剣の儀式』の始まりの合図であることを、ニルヴェアはなんとなく理解した。

 一方でヴァルフレアはどこか厳かな雰囲気を漂わせ、しかし優しく微笑みながら短剣で空を切り始める。

 まずは、上から下へ。


「剣の儀式は王から騎士へ、師から弟子へ、あるいは親から子へ……剣を託し、託されるときによく行われる儀式でな」


 続いて、左から右へ。


「細かい作法は数あれど、基本的には剣を託す者がそれを鞘へと納め、両者が剣に誓いを立てて、そして託される者が剣を引き抜き掲げることで成立する……」


 十字を切り終えたヴァルフレアは、ニルヴェアが口を向けている鞘へと短剣をそっと差し込んで、そして問いかける。


「ニルヴェア。お前はこの剣になにを誓う?」

「ぼくは……」


 問われたニルヴェアは、その小さな両手に握りしめた鞘を、その中に納まっている短剣を見つめて……やがて小さな口を大きく開く。誓いはもうとっくに決まっていた。


「ぼくは、兄上のような武人を目指します!」


 蒼の瞳をめいっぱいに輝かせて、ありったけの願いを剣に込める。


「どんなやつより強くて、なによりもまっすぐで、誰よりもかっこいい。そんな男にいつかぼくもなってみせます!」


 その宣言を聞き届けて……ヴァルフレアは鈍色の目をそっと伏せた。そして静かに言葉を紡ぐ。


「戦場は、騙し合いが支配する」

「兄上……?」

「もしかしたら、そこには真実なんて存在しないのかもしれない。そして俺たちは常在戦場。人生という名の戦場からは決して抜け出すことができない。ならば俺たちは、いつだって嘘の中を生きているのだろう」

「えっと……」


 まだ今年で8歳。幼きニルヴェアに、ヴァルフレアの言葉の意味はあまり理解できなかった。ただそれでも、なんとなく。


「全部嘘って、それはなんだか寂しいですね……」


 ニルヴェアの表情を不安が曇らせた。しかしヴァルフレアはすぐに面を上げると、ふっと優しく笑いかける。


「だからこそ、俺はこの剣に誓おう。剣と共に在り続ける、ブレイゼルの名に懸けて」


 ヴァルフレアは、ニルヴェアが持つ短剣の柄に手を重ねて誓う。


「お前がお前で在り続ける限り、お前は俺の弟だ……この先にどんな宿命が待っていようともこの剣に懸けて、俺の命に懸けて、この誓いだけは決して裏切らない」

「兄上……」


 このときのニルヴェアはなにも知らなかった。

 自分の正体も、これから待ち受ける運命も。だけど、それでも、誰よりも尊敬する兄がすごい約束をしてくれた。それだけでもう十分だった。


「……はい! ぼくも絶対にずっと、兄上の弟です!」


 元気いっぱいな約束を貰って、ヴァルフレアも笑顔を深めた。


「これで俺もお前も誓いを立てた。あとは剣を引き抜き掲げれば、それで誓いは成される……やってみろ」

「はい!」


 ニルヴェアは小さな左手で鞘を持ち、小さな右手で柄を握り、そっと剣を引き抜いた。

 なにも斬れやしないが、なによりも美しく光る。誇り高き鈍らの剣を、ニルヴェアは高らかと掲げた。

 太陽が短剣を輝かしく照らす。

 蒼き瞳にその輝きが焼きつく。

 興奮で頬を紅潮させたニルヴェアを……ヴァルフレアは、なぜか悲しげな目をして見つめていた。


「……正直言うと、怖いんだ」


 不意に呟かれたその言葉の意味が、ニルヴェアには分からなかった。あの兄上が……怖がっている?


「敵はダマスティ領ひとつ。こちらは条約連合軍。元より有利な戦いで、その上でなにもかもを万全に整えて……それでもずっと、嫌な予感が消えないんだ。なにひとつ根拠がない。誰に話すこともできない。そんな漠然とした不安に、こんなにも怯えている……」


そのときのヴァルフレアの表情は、幼きニルヴェアにとって初めて見たものであった。


「俺は、臆病者だな」


 ヴァルフレアが言いきった。しかしその目の前には、ぽかんと目を丸くした少年が1人。


「……あ、いや、すまない。せっかくの誓いに水を差すつもりはなかったんだが……今のは忘れ」

「恐れこそが武器なんですよね!」

「!」


 ニルヴェアがずずいと迫ってきた。8歳の顔と18歳の顔がぐっと近づく。


「正直、ぼくには兄上が負ける姿なんて考えられません。兄上が仰ることもよく分かりません。でも、でもでも! 兄上はかっこいいんです! 怖がったって、負けたって、逃げたって、かっこいいんです! えっと、えっと、その……そう!」


 ニルヴェアは託された短剣を右手でぎゅっと握りしめて、断言する。


「それでも最後に勝つのがヴァルフレア・ブレイゼルなんです! だから絶対、大丈夫です!!」


 ヴァルフレアは呆然として……それから気が抜けたように、柔らかい笑みを浮かべた。


「……そうだった。確かにお前の言う通りだ」


 ニルヴェアがふんすと胸を張ってドヤ顔を見せた。その幼い顔と、そして陽の光に輝く短剣とを見比べてヴァルフレアは言う。


「みんなが、父上が、お前が信じてくれるから、俺は俺でいられる。俺はみんなが信じてくれるヴァルフレア・ブレイゼルで在りたいんだ」


 ヴァルフレアはニルヴェアの手を、短剣を握っている小さな手を、自らの節くれだった手で上から包み込むように握り、祈る。


「だから兄としての誓いではなく、俺自身の願いとして……お前に頼む。どうか忘れないでくれ、今日の誓いを。この剣の輝きを」

「……!」


 ニルヴェアは、兄の願いを叶えている。


「いつだって、どんなときだって。迷ったときは剣に従うんだ。たとえ誰になにを言われようとも、お前を取り巻く全てが嘘であったとしても……」


 ニルヴェアは今日というこのときを、これから一瞬たりとも忘れない。


「お前はお前だけの剣を信じろ。真実はいつだってそこにある」


 その願いはいつまでも、いつまでも……ニルヴェアの中心に、刻みこまれている。

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