4-8 夢の終わりと、(後編)
たまにふと考える。拙者はなぜ、レイズを弟子と呼んだのだろうか。
正直、あやつに剣術の才能がないことは早々に気づいていた。よしんばそれが隠れていたのだとしても、稽古を悠長につけていられるほどの時間がないことも分かっていた。
それよりもあやつに埋め込まれている遺産のことを考えれば、一刻も早くその制御法やナガレとして生きる術を身に付けさせなければいけなかったのだ。
それになにより拙者は気づいていた。遺産の暴走に拙者を巻き込まないため拙者から離れたがっていた、そんなあやつの優しさに。
だから結局剣術は教えなかった。
だけど剣術以外の色んなことは教えた。
レイズはああ見えて勤勉だ。だから飲み込みが早い……かはさておき、辛くても涙を拭ける意地と、地道に積み上げることを是とできる根気があった。それが翻って日を追うごとに小生意気になっていったのは惜しい……いや、それもまた楽しかったのだろうな。
そうだ、楽しかったのだ。
元々あやつを助けたのは神威の情報を探すついでだった。あやつを鍛え上げたのは、姫様の望む侍ならきっとそうするだろうという義務感だった。だけど、それでもあやつと共に旅をした半年間は……。
『なんだレイズ、そんな急がなくても良いだろう。本当に忘れ物はないか? 次の街まで送っていっても良いぞ?』
『うっせーな! 俺はもう子供じゃねーんだよアカツキ。旅に必要なことは全部覚えたし、”炎”だってコントロールできるし!』
そのときのレイズは相変わらず意地っ張りで、別れのときだというのに拙者に背を向けてばかりであった。
『こないだ13になったばかりの子供がなにを言う。大体、呼び捨てでなく師匠と呼べと何度言えば――』
『あーもうなんでこういうときばっか過保護なんだよ、普段はクソみてーな修行ばっか押し付けてくるくせに! ナイフ1本でジャングルに放り込んでサバイバルさせたり、河原の石を延々と積ませたり!』
『片や実戦力、方や集中力を鍛える立派な修行ではないか。どれもこれも愛ゆえだというのに、どうしてこんな生意気に育ってしまったのか……』
『アンタの性格がわりーからだろ! まっ、そんなアンタともこれでようやくお別れなんだ。清々するぜまったく!』
『レイズ』
『……んだよ』
あまり真面目過ぎると姫様に怒られてしまうわけだが、それでも……これだけはちゃんと伝えたいと思った。剣こそ教えられなかったが、それでも拙者の教えを、心を、初めてちゃんと受けとってくれたその背中に。
『拙者にとって初めての弟子がおぬしで良かった。この半年間は想像以上に楽しかったぞ』
『なんだよいきなり……ったく……』
そのときの光景を、拙者は今でも覚えている。
それまでずっと背を向けていた少年が、顔だけぎこちなくこちらへと向けたところも。その頬をほんのりと紅くして、照れくさそうに口を尖らせたところも。
『い、1回しか言わないからな! その、俺も、アンタに拾われたから生きてられるっつうか……結局剣は教えて貰えなかったし、なのにこんなんかっこわりーって思ってたけど……でも、その……』
結局は恥ずかしさに耐え切れなかったのか、あらぬ方へとそっぽを向いたその瞬間だって、ちゃんと覚えている。
『あ、ありがとな……師匠』
◇■◇
宵断流、黄昏ノ型・火車流シ。
流水のように柔らかな一振りが、燃え盛る火車も黒騎士の剣もただ静かに受け流す。
「……!?」
エグニダがはっと気づいたとき、目の前には己が振り下ろした大剣のみがあった。先ほどまでそこに座りこんでいたはずの女侍の姿は、もうどこにも存在しなかった。
(なにが起こった!?)
エグニダは反射的にさきほどの一瞬を脳裏で反芻してしまう。
(俺は確かに、確かにあいつを斬ったはずだ)
しかしそのときに感じたのは、まるで水でも斬ったかのような本当に微かな感触だった。そしてその直後、気づけば眼前からはアカツキの姿が消え失せていたのだ。
目の前で起こった魔法のような現象に唖然として、しかしエグニダはすぐにその”技”を思い出す。
(火車流シ、と言ったか?)
かつてアカツキは儀礼用の
だが今のはどうだ? それすらも感じなかったのではないか?
(馬鹿な……そもそもやつは守護剣術を使えないはずだろう!?)
エグニダはそう頭で否定して、しかし表情には焦りを浮かべながら、急いで背後を振り返る――
(なにが起こった?)
アカツキもまた、困惑していた。
彼女は自分が今なにをしたのか理解できていなかった。それでも確かに感じている。今もなお両手に固く握られている、それの重みを。
(なぜだ。なぜ私は……刀を手放していない?)
アカツキの一刀はエグニダの刃を受け流し、そのまま前方へと突きだされていた。
果てしない快晴の下、侍の魂たる一振りが太陽の光を浴びてきらりと輝く。まるでなにかを訴えかけてくるように。
――いつか僕がいなくなっても、僕が遺したなにかが誰かの人生を変えるかもしれない。そう思うと……ちょっとワクワクしない?
――僕は僕の剣から逃げたくないんだ
ブロードが、ニルヴェアが脳裏に過ぎって、別の誰かと重なっていく。
(私は、拙者は、なにがしたいのだ?)
心の内に問いかけると同時に、背後から感じた気配へと反射的に振り返った。すると迫りくるのは幾本もの触手で――
宵断流、黄昏ノ型・悪鬼散ラシ。
しなやかに舞い踊る白刃は、悪鬼だろうと触手だろうと一網打尽に斬り散らす。
ぼとぼとと落ちていく触手の向こうに見えたのは、エグニダの驚愕であった。
(なぜ拙者の体は動く。なぜ黄昏ノ型を振るう。もう、護るべきものなんてないはずなのに)
正面。エグニダが歯を噛みしめて、折れた大剣を構え直した。
「なぜだ……貴様は一体なんなんだっ、女侍――!」
エグニダが叫びながら突撃してきた。迫りくるは最速最短の一点突き。しかしアカツキの瞳は、すでに折れた刃のど真ん中を捉えていて、
――私も貴方の刀に誓うわ、ユウヒ
宵断流、黄昏ノ型・牛頭砕き。
あらゆる物体の脆き一点を見極め穿ち、牛頭であろうと大剣であろうと一切合切を割り砕く。
「ぐあぁっ!!」
大剣の破片が飛び散って、エグニダの体も吹き飛んだ。彼の右手は剣を巻き込む形で潰されて、もはや原型を留めていなかった。
「なんだ今のっ、俺の手ごと、砕いただとっ……!」
――私はもっと色んなことを学んで、貴方をもっと広い世界に連れて行ってあげる! だからアカツキ、貴方はもっと強くなって……ううん、一緒に強くなりましょう!
(そうか。拙者は……やっと思い出せたのか)
「そうか。貴様……捨てたな! 忠義を、復讐を!」
エグニダが閃きと共に立ち上がった。それと同時に潰された右手が再び蠢き、出血を止めた。
「自分を護るためだけに、執着を捨てて守護剣術を使うというのか!」
――こんな狭い街も領もすぐに飛びだして、そしていつかこの大陸に……ううん、もっと遠くまで私たちの名前を轟かせるの! 最高の姫と、そして最強の侍として!
エグニダは鎧のブースターを全展開。火を灯して、潰された右腕を。そして断ち斬られた左腕をも広げた。
「ならば……己の芯を失った貴様にもう二度と暁ノ一閃は使えん! 残った剣術が専守防衛と言うなら……この再生能力をもって、力づくで捻じこむ!」
エグニダの尽きぬ闘志に応えるように、火が炎と化してその巨体をぐぐぐと押し込み。
「貫けるものなら貫いてみるがいい! 俺は望むところだぞ女侍――!!」
炎が爆発。漆黒の人外が女侍へと迫る。
――だからこれだけは忘れないで、アカツキ。私たちはいつだって、どんなときだって
彼我の距離が零となるその瞬間、騎士の瞳はそれを捉える。
「!? 刀を、納め」
宵断流・暁ノ一閃。
夜明けを象るその煌めきは人も獣も人外も、全て平等にぶった斬る。
「がっ……ああああああああ!?!?」
エグニダの上半身と下半身が、腰から別れて甲板の上を飛ぶ。ブースターを展開したまま2つの体が勢いよく地面を転がり、その軌跡に夥しい量の黒血を撒き散らした。すぐにブースターの炎は消えたが、下半身は未だに意志を持つかのように、その場でびくびくとのたうち回っていた。
しかし実際のところ、エグニダの意思はまだ上半身に残っている。
「あぐっ、ごぼっ、ぐ……」
目から耳からそして口から血を吐いて、それでも必死に両腕でもがいて、地面を這いずり、アカツキを探して見上げる。
「なぜだ……なぜ、暁ノ一閃を……」
アカツキはかちんと音を鳴らして刀を納め、そしてエグニダへと振り返って答える。
「姫様との誓いを、やっと思い出せたからな」
「は……?」
――2人で一緒に闘ってるの。それをぜーったい、忘れないでね!
「なぁエグニダ。死んだ主人は墓から蘇らないとお前は言ったが、本当にそうなのか?」
「なにを、言っている」
「いや、よしんばそれがこの世の摂理だとして、ならばなぜ人は己の死んだあとになにかを遺そうとする? なぜ母は命と引き換えに拙者の体を産み、父は命を燃やして拙者に技を教えたのだ?」
「知るかっ……がふっ……!」
「そうだな。拙者も知らぬ。だから知りたくなった」
アカツキは床に転がったエグニダをじっと見ていた。
だがエグニダは直感で分かっていた。その瞳が本当に見ているものは、決して己などではないことを。
「あの世があるかどうかなぞ、生者には決して分からぬ。だがもしもそれがあったとして、姫様や父上や母上がそこで見守っていたのだとしたら……無様な姿は見せられん」
そしてアカツキは歩き出す。上半身のみとなったエグニダの下へと。
あるいは、その屍を踏み越えようとしているのかもしれない。
「死んでみなければ分からないというのなら、今この場で諦める理由などない。本当に終わっているのか確かめるため、姫様の遺言を真の意味で果たすため……エグニダ。おぬしの命、我らが伝説の礎とさせてもらうぞ」
瞬間、エグニダの左目が大きく開く。
(なんなんだ、こいつは!?)
刻一刻と迫りくる女侍。その存在をエグニダはなにひとつ理解できなかった。あの一瞬でなにが起こった? なぜこいつは再起した? こいつはなにを言っている?
いや、正確にはひとつだけ理解したことがある……それは理解できない、ということ。言い換えてみれば。
(化物だ。こいつは本物の化物だ)
肉体を改造して、命を削り、人外の力を得て、いくつもの策をも立てて……それがどうした? なにもかもあの一閃に断ち斬られるだけじゃないか!
(本当は分かっていた。初めて剣を断たれたあの夜からずっと分かっていたんだ。俺はどうあがいても、こいつには決して勝てない……)
やがてアカツキが立ち止まった。彼女はもうエグニダのすぐそばで、彼のことを見下ろしていた。処刑人のようにエグニダの鼻面へと抜き身の刃を突きつけて、それから振り上げる。
「おぬしのおかげで大事なものを思い出せた。せめてもの礼だ、この一太刀で終わらせてやる」
慈悲と共に高く掲げられた刀。下半身を失い、それを見上げる自分。ここに在る全てが彼我の差を証明している。だから、エグニダは。
「ふ、ふははは……」
擦れた笑い。それを気にも留めずアカツキが刃を振り下ろす、瞬間。
「はぁーっはっはぁ!!!」
黒鎧が爆発! 怒涛の勢いでブースターから炎が噴き荒れ、エグニダの体を一気に持ち上げた!
「なにっ!?」
アカツキが驚愕し、刀が止まったその一瞬の隙を突いて、上半身だけのエグニダが両腕でアカツキの体をぐわしと挟む!
「これが命のやり取りとでも思ったかぁ女侍ぃ!!!」
止まらない。エグニダが止まらない。上半身の底から血と肉片をぼとぼとと落としながら、顔の穴という穴から黒血を流しながら、甲板の壁まで一直線!
「かはっ……! まさかここまで動けるとは……!」
黒鎧と壁に挟まれて、アカツキが赤い血を吐いた。それでも彼女はエグニダを引きはがそうと、あえて刀を手放して両手でその体を掴んだ。だがエグニダもフルブーストでアカツキを押し込んで、さらに千切れた胴の断面から触手を2本ひりだして!
「ハナから貴様の命になど興味はないぃ! お前に決して勝てない俺が、それでもお前を足止めできればそれだけで戦果になる! そしてぇ!」
触手を槍状に捩ると、押さえ込まれて無防備となっているアカツキの脚を一気に刺し貫いた!
「ぐあっ……!」
アカツキが苦悶にうめいたその直後、エグニダが堂々と勝鬨を上げる。
「俺の命ひとつで貴様を戦闘不能に追いこめるなら、それは最高の誉というものよぉ!」
「おぬし、まさかハナから勝てないことを見越して……!」
「戦力としての貴様を削げばそれでいい! そうすればもう、王に敵う者はこの艦からいなくなるのだからなぁ!」
下半身を失い、残った上半身さえもとうに再生能力の限界を超えて出血が止まらない。それでもエグニダはただ一点の曇りもない笑顔を浮かべている。
「こんっ、のぉぉぉ!」
しかしやがてエグニダの体は、アカツキによって力づくで持ち上げられた。そして1度持ち上がってしまえば、ブーストの勢いも重なってもはやその体は止まらない。ゆえにアカツキはエグニダ自身の勢いをも利用して脚を貫く触手を引き抜きながら、エグニダの体を壁の向こうへと放り投げる!
「どっせぇい!」
エグニダがアカツキの手を離れ、壁を越え、上空へと放り出された。戦艦に戻ることはもう叶わない。それでも彼の笑顔に陰りは生まれない。
「王の勝利はもう揺るがない! これで俺の騎士道は完遂され」
そのまま壁の向こうに落ちて、姿も声も消え失せた。
甲板に残ったのは、アカツキひとりだけであった。
「はぁ、はぁ……」
息を荒げ、ずるずると壁にもたれかかってへたりこんだ。アカツキは傷だらけであった。両脚はエグニダに貫かれて、腹部は大きく切り裂かれて、それでも彼女はすぐに立ち上がろうとする。
「さて、レイズたちを助けに行かねば……」
が、脚をぴくりと揺らしただけで。
「あいだだだだだ!」
激痛に身を捩り、再びその場にへたりこんでしまった。各所の傷からは、今もじくじくと血が流れている。
「さすがに動けぬか。とりあえず適当に止血して、むしろ拙者が助けを待つ側でござるな……」
エグニダいわく、命の取り合いとでも思ったか。
アカツキの命ではなく戦う力を奪う、そんな彼の目論見はきっちりと達成されてしまったらしい。
「なにもかもを利用し尽くして、最高の形で自分の人生を完結させるためだけに生ききったか……敵ながら天晴であった。勝負に勝って試合に負けたというやつか……いや違うな。エグニダ……やはり、おぬしの負けでござるよ」
アカツキはほほ笑んで、ゆるりと空を見上げた。まるでどこかの少女を思い出す、澄んだ蒼へと祈りを捧げる。
「おぬしの敗因はヴァルフレアの強さに驕ったこと。そして、あの2人を舐めすぎたことだ……と、言ってやりたいからな。だから――絶対に勝つでござるよ、ニア殿。レイズ」
◇■◇
(かわせない)
レイズの体を狙うのは、最速最短の一点突き。
(だったら……!)
レイズはなんとか身をよじるがその直後、ヴァルフレアの凶刃がレイズの
ガキンッ! 甲高い金属音が鳴り響き、レイズの体が吹き飛んだ。受け身のひとつも取れず地面をごろごろと転がって、
「……見事だ」
ヴァルフレアの賞賛と共に、レイズはむくりと起き上がり、そして立ち上がった。
「ってぇな、神経通ってんだぞこれ……!」
本来、少年の心臓があるはずの位置。服こそ破けているものの、そこからは血ではなく光が顔を出していた。心臓の代わりに埋め込まれている遺産が、鼓動の代わりに紅い光で激しく脈を刻んでいる。
「まさかここで仕損じてしまうとはな。あえて心臓で受けるとは、酔狂な発想をする……」
「そりゃどーも。仮にも遺産だ、硬さには自信がある……ってよく見りゃちょっと抉れてんじゃねぇか! つかこれって傷つくもんなの!?」
レイズが”心臓”に直撃した刺突の威力に驚いている一方で、ヴァルフレアもまた内心で密かに驚いていた。
(威圧は十分以上に与えたはずだ。インパクト・ボムも、3発目の熱線も使った。あまつさえ一太刀浴びせたというのに、それでもまだあの少年は立っている……もっと前に会えていれば、その力に尊敬すら覚えたのかもしれないが)
「だからこそ、お前はここで排除せねばならない……!」
ヴァルフレアが抜き身の二刀を凛々しく振りかざして闘志を放った。するとレイズの体を再び重圧が襲い、その心をあっという間に絶望感が覆いつくす。
(もう駄目だ。戦うどころか逃げられる気さえしねぇ。なら……1周回って、開き直っちまえるな)
ヴァルフレアが再び踏みこんできた。しかしレイズはそこから動かず、ただ左手をズボンのポケットに突っ込んで、それから小さく呟く。
「借りるぜ、ニア」
レイズは空いている右の手のひらを、ぐっと握りしめた――自らの爪が、手のひらの肉を抉るほどに。
――ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを、舐めるなぁ!!!
暴走ですでに火傷を負っている手のひらを、それでも強く抉っていく。「っ……!」ぽたぽたと血が滴り、痛みが脳を洗い、プレッシャーで曇っていた視界が明瞭になった。すると間近に迫りくるヴァルフレアの、訝しむような表情がはっきりと見えた。
血に濡れた手で拳を作り、レイズは笑う。
「行くぜ必殺ぅ!」
その瞬間、ヴァルフレアの表情に警戒が宿る。
「これ以上はやらせん!」
さらに加速してきた剣帝から逃げることなく、全力で息を吸いこんで――魂を、解き放つ!
「好きだーーーーーーーー!!!」
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