2-7 インタビューとアクセサリ(後編)
レイズに見送られて、出店の裏側へと引きずりこまれたニルヴェア。
彼女は自身を引きずりこんだ店員によって有無も言わさず適当な椅子に座らされて、そのまま髪をほどかれて、そして櫛で梳かれ始めた。
ニルヴェアは、すっかり困惑の最中にいた。
(なにがどうしてこうなった……)
髪を大事にしているニルヴェアにとって、髪に櫛が通る感触は心地良いものではあったが……しかしそれをろくに見知らぬ他人にされるのは、微妙に心地よろしくない。
「あの、これは一体……」
「サービスですよ~」
しかし店員は楽しげにそう言って右手に持った櫛で髪を梳きつつ、左手に持った霧吹きでたまに水のようなものを髪に吹きかけていく。
「この水には少しだけ植物性のオイルが混ざってて、髪に色艶を出してくれるんですよ。ちなみにアクセサリーではありませんが、これもウチの商品なので良ければあとでおひとつどうです?」
「は、はぁ……」
ニルヴェアの困惑は、しかし櫛の通りが良くなるにつれて髪と一緒に徐々にほぐれていった。
(そういえば、アイーナもたまにこうして梳いてくれたな……)
気づけば少しだけ痛く、少しだけ懐かしい気持ちにぼんやり浸っていた……が、不意に。
「外面を気遣うのは人のため……でしたっけ?」
「!」
店員の言葉で目が覚めた。
「それは……」
「お嬢様が店の前で話してたこと。店主としてお客様の会話を盗み聞きするまいとは思ってたんですが、職業柄と言いますか、そこだけはどうしても気になってしまって」
「す、すみません! 素人なのに店の前で偉そうに……」
「いえいえ素敵な話ですよ! ただ、だからこそもったいないなぁって思っちゃったんですよね」
「もったいない? それって……わっ」
ニルヴェアは驚きの声を上げた。急に髪を持ち上げられたのを感じたからだ。
それからくい、くいと何度か引っ張られた。後頭部から伝わる感覚で、自分の髪になにが起こっているのかなんとなく察する。
(結われている。普段とは違うところで)
やがて髪を引っ張られる感触が収まった。代わりに店員の元気な声が聞こえてくる。
「はい、出来上がり! ちょっとの工夫でもっと可愛くなれるのなら、同じ女として見過ごせないってものですよ」
(って言われても……)
ニルヴェアはつい数日前まで男だったわけだが、店員はそんなことを知るよしもないわけで。
「職人として『誰にでも似合う』をモットーにしてるとはいえ、可愛い子が付けてくれるのはやっぱり嬉しい。そして商売人としてはせっかくのセールスチャンスなので逃せない! というわけで、鏡ちゃんの登場で~す」
がらすこがらすこ。
しかしニルヴェアはそれを視界に捉えた瞬間、反射的に目をつぶった。自分の姿を認知してしまうその前に。
(い~~~、見たくない! なにせ中途半端に僕の顔なんだから!)
――実のところ今までも、女になった己の姿を見る機会そのものは度々あった。
しかしその最初の1回目。レイズたちと出会った夜の水浴びの際に、水面にぼんやり映った自分の顔を見て「うわ女の顔っぽいのに自分だ」と、なにやら心の脆い部分にざっくり刺さって一瞬で目を背けてしまったのだ。それからはもう、水面も鏡もろくに見れていない。
(兄上のような武人に、男の中の男になりたいと夢見ていたのに、中途半端に女の顔で、女物の服を着ていて、つまり女装した自分なるものを見せつけられる。こう、男のプライドにざくざくと……)
「……お嬢様?」
「わひゃっ」
店員に呼ばれて、思わずびっくりして、目を開けてしまって。
「あ」
目の前には鏡が。とうとう見えてしまった――金髪蒼眼の、少女の姿が。
「……あ?」
ぱちくりと瞬きをした。鏡の向こうから、蒼の瞳が不思議そうにこちらを見つめてきていた。ニルヴェアもまた、不思議な気分になっていた。
(……僕に妹がいたら、こんな感じなんだろうか)
初めて真っ向から直視したその顔は、卵のように丸くて愛嬌に富んでいた。そしてそこにちょこんと付いている小ぶりな唇は、ちょっと微笑んでみればどことなくおませな可愛げを感じさせた。
(ていうか、なにもかもが小さいっ! 視線も低くなったし縮んでいるとは思っていたけど、それどころじゃないな……)
全長が縮み、体格が細くなり、きゅきゅっとコンパクトになった全身を、初めてじっくり眺めてみる。鏡の中にいる、エプロンスカートが目立つ小柄な少女は、
(どこかのお店の看板娘って感じだ……服が違う。体が違う。顔が違う。そんでもって髪型が違う)
店主によって結われたのは、いわゆるポニーテールだった。今まで首元で括っていたのとは似て非なる、後頭部の真ん中あたりという高い位置で結ばれた髪型は、少女の顔が持つ活発な印象をより一層引き立てていた。
そしてそのポニーテールの結び目からぴょんと出ている羽根飾りは、この出店で最初に目をつけた物であった。それを形作るのは二枚の小ぶりな白羽根だが、よく見れば羽根の表面にぽつぽつと水晶の粒が埋め込まれていた。
首を軽く揺すってみれば、ポニーテールと羽根飾りがゆらりと揺れた。
艶のある金の髪が、白羽根に埋め込まれた水晶粒が、太陽の光を跳ね返してきらきらと輝いている。
(賑やかで、綺麗で……別人、だよな。なんか、1周回ってよく分かんない……でも、他人の体を僕が動かすなんて珍しい体験ではあるよな)
なんとなく興が乗って、首をもっと動かしてみれば、首元。金の髪と白い肌の間には”うなじ”ができていた。傷ひとつない肌の上で、綺麗な弧を描いている金の生え際。それはこう、なんかこう。
(ちょっとドキドキするというか……あー、これ。目の前の女の子が僕じゃないとして、例えばこう、後ろ姿を見たりしたら――)
ふと、鏡に映る少女の向こうにそれを見つけた――炎を連想させるような赤銅色の髪を持つ、少年。
その幼さを残した顔が、少年自身の髪色に負けないぐらいに赤く染まっていたのを。
「あ」
思わず振り返った。すると後ろに立っていたレイズと目が合って。その瞬間、レイズがニヒルな笑みを”作った”のを、はっきりと見た。
そしてレイズは口を開く。
「ちょっと見にきてみれば楽しそうにやってんじゃん。わりと似合ってるぜ、ニアちゃん」
「ふはっ」
ニルヴェアはついつい笑ってしまった。
「なんだよ!」
だってレイズの強がりが、あんまりにもおかしくて。
「そこで似合ってるって言ってくれるのが、なんとなくお前らしいよな」
「は……はぁ!?」
さっきとは別の意味で、レイズの顔が赤くなった。しかしそれを置き去りにするように、ニルヴェアは椅子から立ち上がって宣言する。すぐそばで一部始終を微笑ましく見守っていた店員へと。
「これ、買います。あと艶出しのオイルも」
すると店員の顔は、あっという間に笑顔一色へと染まっていった。
「毎度あり~! 良い物見せて貰った分、お安くしちゃいますよ!」
◇■◇
あえて、レイズの前を行くために早歩きをした。そして前に出てしばらく……いきなりぐるっと振り返ってみれば、後ろのレイズは露骨に視線を逸らしていたりするわけで。
(なんか楽しい)
ニルヴェアはにまにましながらレイズにずずいと近づいて、それから質問をひとつ。
「なぁ、お前ってこういう女の子が好みなのか?」
「っ、ぁあ!?」
すっごい裏返った声が飛びでてきた。それがおかしくておかしくてたまらなくて。
「はははっ、お前ってやっぱりたまに分かりやすいよな。たぶん僕よりも!」
「なんっ、このっ……!」
レイズは悔しげな視線を向けてきたが、しかし真っ向から見返してやればあっという間に視線がそれた。
(あれだけ強くて遠いと思っていたのに、こういうところは普通に男子なんだな)
それがやっぱりおかしくて、なんだかとてもすっきりして。
「同じ男として気持ちは分かるよ。こんな子が歩いていたら、僕もきっと見てしまうから」
「う……うーわ。とうとう自分で言い始めたよこいつ。ナルシストかよ。それともとうとう心まで女になったのか?」
「……こうして聞くとお前の皮肉って、結構可愛いよな」
レイズがすごい顔をした。
だからニルヴェアはすごい気持ち良くなった。レイズの前で踊るようにステップを踏みながら、弾むような声音で語る。
「心まで変わったつもりはないけどさ、でも楽しめって最初に言ったのはお前だろ? いつかはちゃんと男に戻る気だけど、それはそれとしてこんな機会は滅多にないだろうし……だったらお前のそんな顔が見られるのだって、今だけかもしれない」
そこでくるりと回って振り返り、レイズに再び顔を向ける。蒼い瞳で三日月を作って、満面の笑みを向ける。
「僕は精一杯楽しむよ。だからお前ももっと楽しめ、レイズ!」
……ぽかーーーーん。
レイズは、完全に間が抜けていた。
きっとレイズ史上、もっとも間抜けな顔で立ち尽くしていた。
「あはははは!」
ニルヴェアがまた笑った。レイズは完全に固まっていた。ニルヴェアはぐるりと体を翻して、意気揚々と周りを見渡す。次なる目的地を求めて。
「さて、次はどこへ行こうか……」
「――強盗だー! 自警団はいないのかー!?」
突如、大声が空を切り裂いた。
「!?」
ニルヴェアが声のする方へと目を向けてみれば、大通りの向こうから1人の男が走ってくる姿が見えた。
ニルヴェアは反射的に飛びだして、その男へと話しかける。
「どうしたんですか!?」
「うわっ。お、お嬢ちゃん!? いや、今向こうの方で荒くれ者が店に押し入ってて、だから自警団の人を探してたんだが」
「あっちですね、分かりました!」
男が方角を指し示した途端、ニルヴェアは一目散に駆けだした。スカートを翻して走り去っていく少女を男はぽかんと見守っていたが……すぐ我に返って叫ぶ。
「えっ、ちょっとお嬢ちゃん!? 危ないから戻ってきなさーい!」
その声はもう、少女に届かなかった。が……しかしもう1人には届いていた。
「はっ……あれっ、ニア?」
ようやく我に返った少年が、ぽつんと1人。
「って、ニアー!?」
レイズが気づいたときにはもう、金髪ポニテはすっかり遠くに見えていて。しかもなんか周囲からは「なにがあったの?」「強盗?」「自警団はいないのか!」「さっきあっちの方で……」などと、分かりやすく不穏な話が聞こえてきているわけで。
「あんの野郎……」
レイズはすぐに大体の状況を察した。駆け出していったニルヴェアが、なにをしようとしているのかも。
「もう無茶はすんなって言ったろ」
呟いて、それから叩く。自分の両手で自分の頬を、一発。
パシン! と快音を火種にして、さっきまで間の抜けていた瞳に一瞬で熱が灯った。レイズはすぐに駆け出した。
少女の姿はずいぶん遠く、しかし彼我の距離をぐんぐんと縮めながら、その背に向かって思いっきり叫ぶ。
「お前はろくでもねぇやつだなぁ、ほんっとうにさ!」
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