2-8 痛みと恐怖と闘う者たち

 ニルヴェアが駆けつけた先、通りの一角ではひとつの出店が文字通り派手に潰されていた。

 テントにはいくつもの穴が開き、支柱もへし折られ、破壊された陳列棚や商品が無造作に床を転がっている。そして店主らしき男もまた、地面に這いつくばり呻いていた。


「う、うう。どうして……返済期日は、まだ……ぐっ!」


 男の頭を、ずたぼろな革靴が踏みつけた。革靴はそのままぐりぐりと動いて男を地面にこすりつける。「ぐぅ……!」男の呻きを、しかし気にも留めず踏みにじり痛めつけるそいつは、薄汚れた皮鎧と錆びかけた琥珀銃を装備した物騒な荒くれ者であった。


「どうしてだとう? そんなんボスの気が変わったからに決まってんだろ! この世に金貸しより偉いもんはねぇんだよ。黙って今すぐ金返すか、さもなくば店の権利書を売っぱらってくれてもいいんだぜひゃーっはっは!」


 荒くれ者は男の頭を踏みにじったまま、天に向かって景気良く琥珀銃を乱射した。いわゆる『マシンガン』と呼ばれる部類のその銃から、幾重ものエネルギー弾が空高く打ち上げられる。

 ズガガガガガッ! 連射音が空気を震わせ、それに合わせて銃身もがたがたと震えていた。

 ……もしもそこに琥珀銃に詳しい人間がいれば、銃身のぶれも連射音の喧しさも、所詮は安物かつ整備不足のせいだと一蹴できていただろう。

 だが彼らの周囲、騒ぎを見に来た野次馬たちにそんな人間はいなかった。野次馬たちはみな一様に派手な銃声に怯えて、遠巻きに様子を見つつも誰一人として近寄れなかった……ただ1人の少女を除いては。


「!」


 荒くれ者はすぐに気づいた。通りの向こうから少女が1人、一目散に向かって来るのを。荒くれ者はその容姿を認めた途端、驚愕に目を見開いた。


「金髪蒼眼の、なんでこっちに……!?」


 だが荒くれ者はすぐに気を取り直した。琥珀銃を少女へと迷いなく向けて、


「いや、だが殺さなきゃいいんだろ!」


 トリガーを引く。

 だがしかし少女――ニルヴェアの動きにも、迷いはなかった。彼女は蒼い瞳を研ぎ澄まし、荒くれ者の力量を見積もる。

 瞬間、脳裏を掠めたのは紅き炎弾と光の槍。


(なんとなくだけど、レイズの銃より怖くなさそう。なら!)


 ニルヴェアは覚悟を決めて、一気に身を屈めた。さらに足を前に伸ばして、駆け抜けた加速を維持したまま一気に滑る!


「んなっ!」


 荒くれ者は動揺したが、すでにその指はトリガーを引いていた。琥珀銃が錆びた銃身を震わせ、小粒の弾丸を雨あられと吐き出した。

 だがそのことごとくは地面を滑っていったニルヴェアを捉えきれず、石畳の地面を虚しく叩くばかりであった。ダダダダダダッ。音を背後に置き去って、ニルヴェアは荒くれ者の懐へと潜り込んだ。

 間髪入れず、彼女は足をすぐに引き戻して屈み直した。さらに右手の拳を強く握り、屈んだ姿勢を利用して全身をバネのように跳ね上がらせる。思いっきり上へ、前へ、荒くれ者のどてっ腹めがけて!


「ぐぉ!?」


 ニルヴェアの拳が、皮鎧で守られた腹に突き刺さった。見るからに安物の皮鎧はそれでも幾ばくかの衝撃を抑えたが、


(落とせなくてもいい。勢いさえ乗れば!)


 ニルヴェアは全身の勢いを前へと集中。いっそぶん投げるように拳を振りぬけば、その勢いが荒くれ者の体を浮かせ、吹き飛ばした。

 荒くれ者はたまらず琥珀銃を手放し、受け身すら取れずに地面を転がった。だがニルヴェアは荒くれ者をすかさず追いかけて捕縛。その瞬間、いつかの月下が脳裏を過ぎる。


 ――本気で殺したいんなら、もっとしっかり捕まえとけよ


 ニルヴェアは荒くれ者の両腕を一気にわし掴むと、さらに足を使って荒くれ者の背を踏みつけて、そのまま両腕もぎちっと引っ張った。そこに重ねて手首を強引に捩じり上げてやれば。


「いだだだだだ!? 降参、降参!」


 荒くれ者はあっという間に白旗を上げた。

 決着がつき、野次馬から歓声が上がった。颯爽と現れた謎の少女が、街を脅かす荒くれ者をあっという間に捕まえた!

 野次馬が勝手に沸き立っている中、ニルヴェアは拘束を維持しつつもほっと一息つく。


「ふう。このぐらいならイケるもんだな……」


 と、気を緩めたその瞬間。

 ざりっ。地面をこする足音がひとつ。ニルヴェアがそれに気づいて振り向くと、すぐ近くの路地裏から人影が飛び出してきたところだった。


(新手!?)


 はっきりと視認すればナイフを構えた男が1人、ニルヴェアへと襲いかかってきていた。直前で気づいた不意打ちに、しかし思考が追い付かない。

 今抑えている荒くれ者を手放してでも逃げるべきか?

 そんな問いが一瞬脳裏を過ぎり、そしてその一瞬が命取りとなる。迷って動けないニルヴェアへと、男が迷いなくナイフを突き出す――その直前で、男の体が回転した。


「え?」


 ニルヴェアの目の前で文字通り、ぐるんと一回転。そのまま石畳に頭と背中を同時にぶつけて「ぎゃんっ」悲鳴を一度上げたきり、ぐったりして動かなくなった。

 そんな一連の流れに呆然としたニルヴェア。と、不意に聞こえる苦言ひとつ。


「ったく、お前はどーしてそうすぐに飛び出すんだか」


 ニルヴェアがハッとして面を上げると、そこには少年の不満顔ひとつ。それを見た途端、ニルヴェアの口から「あはは……」と罰の悪そうな苦笑が漏れた。


「あはは、じゃねーだろ。猪かお前は」

「いや、その、神威や獣ならともかくそこら辺の人間相手ならイケるかなって……でもほら、実際どうにかなったし!」


 ニルヴェアはその証拠を見せつけるように、拘束中の荒くれ者の腕をぐいぐいと引っ張った。荒くれ者は引っ張られるたびに「いだだだだ!」と悲鳴を上げて身を捩っている。

 レイズは荒くれ者へと視線を向けつつも、先ほど己の手で投げ飛ばした男を親指でくいっと指して。


「だったら、俺の助けはいらなかったか?」

「ぐ。それは、その……すまなかった。それとありがとう」

「分かれば良し。まーお前、こういうの見過ごせないっぽい感じするもんな。今度からはちゃんと言ってくれりゃ、時と場合によっちゃ付き合ってやらんこともなくはない……」


 レイズはそんな軽口を叩きながらも、彼の目はニルヴェアが抑えている荒くれ者をじっと捉えていた。

 だからレイズはすぐに気づけた。痛みに何度も身を捩っている荒くれ者。その、どことなく不自然な雰囲気に。


「っ! ニア、離れろ!」

「え?」


 次の瞬間、荒くれ者の懐でぷちっとなにかが潰れた。直後、その腹の下から白い煙が一気に噴き上がって辺りを覆う。


 ――『玉』と総称される道具類がある。

 それはいずれも親指サイズの球体で、潰したり地面に叩きつけたりすれば破裂して種類に応じた効果を発揮するという代物だ。

 そして今、荒くれ者が身を捩ることで潰したのもその一種。それはレイズもよく使っている、


「ちっ、『煙玉』か!」


 レイズは白煙に巻かれながらも、即座に判断を決めていた。その証に――彼の右手には、すでに”炎”が纏わりついている。そこに火種なんてないはずなのに、それでも煌々と、紅く激しく燃えている。


「しゃらくせぇ!」


 レイズが右手を大きく振った。そこに渦巻く炎の勢いを持って、前方の煙をごっそり掻き消す。

 するとぽっかり視界が開けて――見えた。ニルヴェアが2人の荒くれ者に連れ去られていく光景が。

 1人がニルヴェアを担いで走り、もう1人が追加で煙玉を撒いてきた。再び煙が立ち昇り、荒くれ者とニルヴェアの姿を隠した。もくもくと吹き出す白色を眼前に、レイズは思考を巡らせる。


(やぶれかぶれな人さらい、にしちゃあいくらなんでも連携が周到過ぎる……いや、違う? まさかあいつら、最初からニアが狙いで!? この騒ぎは、ただ人を集めるためだけに)


 そのとき、足首がなにかに掴まれた。


「!」


 レイズが足下を見れば、地を這う煙に紛れて荒くれ者の1人がレイズの足を掴んでいる。そいつはニルヴェアが拘束していたやつで、


「どけっ!」


 途端、レイズの足下が――爆発した。

 紅い爆炎が、荒くれ者の手首を飲み込む程度の大きさまで膨れ上がって破裂したのだ。爆風がその場に残っていた煙を吹き散らし、全てを白日の下に晒した。

 だがそこに、もうレイズはいなかった。


「ぎゃあああああ!」


 代わりに荒くれ者が1人、悶え苦しんでいた。そいつの両手は焼け爛れ、半ば原型を失っている。

 野次馬の数名がその光景に悲鳴を上げ、それからしばらくして自警団が駆けつけてきたのであった。



◇■◇



 一方、ニルヴェアはしばらく担がれたあと、適当な路地裏へと放り込まれていた。

 小さな体が乱暴に投げ飛ばされて、建物に挟まれた薄暗い石畳を転がる。


「あうっ」


 全身に痛みが走り、アカツキから貰った服が泥に汚れた。それでもニルヴェアは負けじと面を上げて……目が合った。2人の荒くれ者の、下卑た目と。


「ははっ。金目当てだったが、随分な上玉じゃねぇか」


 その汚らしい視線は、ニルヴェアがおよそ15年の人生を生きた中で初めて受けたものであった。しかし、それがどういう意味を持つかはすぐに分かった。その途端、全身にぞわりと怖気が走る……が。


(身代金目当てか、どこかに売る気なのか……あの騒ぎは最初から、手頃な相手をおびき出すための?)


 ニルヴェアは未だに冷静さを保ち、思考を続けていた。

 なぜならこの世には暗殺者、黒騎士、獣……もっと怖いものがいくつもあるのだから。ゆえに彼女は目をそらすことなく、ゆっくりと立ち上がっていく。

 だがはたから見れば、それはか弱き少女の悪足掻き。むしろ荒くれ者たちにとっては刺激スパイスのひとつに過ぎなかった。


「おーおーそそる目をしてんねぇ! でもボスが言うには……命さえありゃあなにしてもいいって話だったよなぁ?」

「!」


 荒くれ者の言葉がニルヴェアに思い出させる。黒騎士がかつて放った一言を。


 ――無論、彼女の命には敬意を払っている。我々にとって大事な”鍵”なのだから


(狙っているのは僕の命だけ? まさか、こいつらも神威の……!)


 ニルヴェアの中で、警戒のレベルが引き上げられた。彼女はすぐにスカートのポケットに右手を入れた。そしてそこからある物を取り出し、構えた。

 すると荒くれ者の1人がひゅうっと口笛を吹いた。


「勇ましいお嬢様だなぁ、おい!」


 露骨に馬鹿にされて、それでもニルヴェアはただ前だけを見据えている。


(刃の潰れた、ただのお守り。それでも)


 彼女が右手に構えたのは、兄から託された短剣だった。お守りとして常に持ち歩いていたそれは、護身用と呼ぶことすらできない鈍らであったが。


(鞘から引き抜かない限りは刃の有無なんて分からない。ハッタリぐらいにはなるはずだ)


 短剣の鞘に左手を添えながら、覚悟を決める。2人の荒くれ者、そしてその向こう側の大通りへと狙いを定めて。


(やつらが僕を侮っているうちが勝負。さっさと1人を行動不能にして大通り側に抜ける。1対1に持ち込むか、たぶん追いかけてきているレイズと合流するか……)


 そして、駆け出す。


(いずれにせよ、まずは一撃当ててからだ!)


 荒くれ者たちとは、すでに10歩踏み込まずとも届く距離にある。

 しかし荒くれ者たちはニルヴェアが動いてもなお、その余裕を全く崩さなかった――ニルヴェアの予想通りに。


「いいねぇ、活きのいい女は好きだぜ?」


 2人のうち1人だけが、腰からナイフを1本引き抜きながら前に出てきた。”お守り”とは違い人を殺せる鋭利な刃物を前にして、しかしニルヴェアは止まらない。


(的が1人に絞れたのなら、都合がいい!)


 左手で鞘を握り、右手で短剣を一気に引き抜き――そのまま投擲!


「うおっ!?」


 荒くれ者から見れば、短剣がいきなり眼前に迫ってきた形になる。だが手練れならともかくとして、そこら辺のゴロツキに刃の有無など見切れるはずもなく。

 ゆえに彼は反射的に、そして大振りに短剣を避けた。それから再び前を見たが、そこには誰の姿もなく――ゴキュッ!

 脇腹にねじこまれた一撃に、荒くれ者がうめく。


「おぐっ……!?」


 脇腹に突き刺さっていたのは、短剣の鞘であった。武器として見ればおよそ鉄の棒であるそれは、脇腹の柔らかい部分へと吸い込まれるようにねじこまれていく。

 ねじこんだのはもちろんニルヴェアであった。彼女は確かな手応えに、そっと口角を上げた。


(入った! やっぱ僕でもやれる。まずは一人)


 鈍い音が、鳴った。


(え?)


 ぐわん、と。こめかみの奥が大きく揺れた。

 すると全身の力が抜けて、手から鞘が滑り落ちた。そのまま全身も崩れ落ちて、それから稲妻のような痛みが頭に走った。


「あぐっ……!?」


 両手を床につきながらも、なんとか目を開いて少しだけ顔を上げると……そいつはまだ、立っていた。


「ふざっ、けんなよっ、クソガキが……!」


 荒くれ者が突かれた脇腹を押さえながらも、憎々しげにニルヴェアを睨みつけていたのだ。


(殴られ、返された? 思い切り、突き刺したのに、しまった、早く体を)


 鋭い衝撃に、腹を抉られた。


「がはっ……!」


 ニルヴェアは蹴り飛ばされていた。後ろに控えていたはずの、もう1人の荒くれ者によって。

 少女の体が薄汚れた地面をごろごろと転がっていった。しかし荒くれ者はそれに目もくれず、未だ痛みにうめいている相方をせせら笑う。


「おいおい、めっちゃやられてんじゃん。だっせー!」

「うるっ……せぇんだよクソが!」


 彼は挑発に激昂したが、しかしその怒りの矛先は倒れ伏している少女に向いていた。

 だらりと力の抜けた小さな四肢。少女の下へと、荒くれ者が腹を押さえながら近づいてきた。だが少女は動けない。息の1つでさえも満足に吸えない。どこもかしこも鈍く、痛い。箱庭育ちでは決して味わえない類の痛みが全身を駆け巡っている。


(苦しい、痛い、でも、立たなきゃ)

「おらっ!」


 自慢の長髪が、急に引っ張られた。


「うぐ……!」


 荒くれ者に面を上げさせられて、さらに頬を鷲掴みにされた。その衝撃に頭が揺れて、走った頭痛が涙腺を刺激した。じわりと滲んでいく視界。だが荒くれ者はお構いなしに、


「いいもん見せてやるよ」


 むりやり、反対側へと顔を向けさせられた。その勢いがニルヴェアの目から涙を散らし、すると涙で滲んでいた視界が晴れて――


(なんだ)


 薄暗い路地裏。その隙間からわずかに届く日光にうっすらと照らされて、1頭の獣が立っていた。


(なんだ、あれ)


 だが獣は大人しく立っているだけであった。なぜならその長いマズルには金属製の枷が嵌っていて、その枷から伸びる鎖の手綱をもう1人……3人目の荒くれ者が握っているのだから。

 だが、それでも。


(なんなんだ、あれは!?)


 四足歩行と長いマズルの獣顔。それに全身を覆う灰色の体毛。

 一見するとまるで狼の類を彷彿とさせるそれは……しかし狼とは、いくつかの点に置いて決定的に異なっていた。

 まずその四肢は、狼の素早くしなやかなそれから遠くかけ離れたものであった。丸太のように太く逞しい筋肉が、今もなおびくりびくりと脈動している。

 さらにその全身を覆うのは、ただの体毛だけではない。全身のいたるところから、体毛の代わりに緑色の鱗が生えてきていた。毛と鱗のまだら模様とでも言うべき、奇妙な体表であった。


 強靭な四肢に強固な鱗。それはグラド大陸において獣の頂点と謳われる『竜種』の特徴であるのだが、ニルヴェアはそれに気づかない。

 だが、だとしても。今目の前にいるアレが、生物として歪な存在であること。それだけは半ば直感的に理解できていた。


(化物)


 びくりと。本能が少女の体を震わせた。それを合図とするように、獣を連れていた3人目がその口枷を外した。ごとん、ごとんと重い枷が地面に落ちた。そして、

 

『ゴアアアアァァァァァ!』

 

 獣が吠えた。その顎を露わにして。


「っ!?!?」


 ぶわり! 全身の毛が逆立つような恐ろしさであった。

 異様に発達した歯は、その全てが通常の狼の犬歯並みに鋭い。ならば犬歯は? もはや口内をはみ出すほどに伸びて、自分の口元すら切り裂いていた。そこからじくじくと流れる血が粘っこい唾液と混ざり合い赤黒い粘液となって、獣の歯から滴り落ちている。


 ――獣の血と己の血があそこで混じり合う。そんな光景が脳裏を、


(殺される。殺される。殺される!)


 ニルヴェアの思考が一色に染まった。なにも考えられず、しかし全身だけががたがたと震えて、


「アレを見れば、どんなやつでもそういう顔をするんだよ」

「!」


 わずかに正気を取り戻した――胸をぎゅっと、鷲掴みにされたせいで。


「ひゅ、ぁ」


 きっと、正気になんて戻れない方がマシだった。


「誰だって命は惜しいよな、あんなのに喰われたくないよなぁ」


 むりやり獣の方を向けられていた顔が、再び荒くれ者の方へと引き戻された。

 突きつけられる。にちゃりと粘っこい笑みが、薄汚い口内から漂う吐息が。

 ひゅ。ひゅ。

 喉から息が漏れた。叫びたい。助けてほしい。なのに声が出てこなかった。


「でも安心しろよ。命は奪わねぇ。手足をアレの餌にしようと、女として使い物にならなくなろうと、命だけは奪わねぇからよぉ!」


(たすけて)


 祈りが、炎と化して煌めく。


 ニルヴェアの目の前で、突如、荒くれ者の頭が――紅く燃えた。


「ぎあああああ!?」


 荒くれ者がニルヴェアを手放し、しゃがれた悲鳴を上げて悶え苦しんだ。だが次の瞬間には、”爆破の勢い”を乗せた裏拳1発がその頭に直撃していた。


「お˝」


 鈍い音と共に、荒くれ者の頭から炎が消えた。そいつは頭から煙をたなびかせて、ろくな悲鳴さえ上げずに沈んだ。


「な、なんなんだこのガキ!?」


 動揺の声を上げたのは、今の今まで後方で見守ってた2人目の荒くれ者であった。荒くれ者は”ガキ”に向かって迷わずナイフを振りかざしたが、ガキはさらに迷いなくそして速い。荒くれ者のナイフが振り下ろされるその前にどてっ腹へと蹴りを入れて――そのまま爆破。


「ぶぇっ」


 荒くれ者は綺麗に弾かれ、壁へとまっすぐ叩きこまれた。一瞬だけへばりつき、それからべちゃりと床に落ちて、それきり動かなくなった。

 終わった。

 ニルヴェアを連れ去った2人は、物の数秒で倒された。その間、ニルヴェア当人はただ呆然とへたり込んでいた。

 ニルヴェアは全てが終わったあと、たった一言だけぽつりと呟く。


「れい、ず」


 レイズが、ニルヴェアの方をちらりと見た。そして少しだけ微笑んだ。しかしすぐに視線を外して3人目の荒くれ者へと、正確には彼が従える異形の獣へと向き直った。すると、


『ガアァァァァ!』


 獣が吠え猛った。今の戦闘によって闘争本能を煽られたのだ。荒くれ者は「お、おい落ち着け!」と慌てて獣を制御しようとしたが、しかし。


「待て、まだ合図は、うわぁ!」

『ゴァァ!』


 獣はいきなり走り出した。一直線にレイズへと、そしてへたり込んだままのニルヴェアへと。


「ひっ!?」


 ニルヴェアは思わず悲鳴を上げたが、しかしそんな彼女の前にいきなりなにかが飛び出してきた。

 それはレイズ、ではない。先ほど頭を燃やされた荒くれ者が、ニルヴェアの前に転がってきたのだ。

 もちろんそいつに意識はない。その体を蹴り飛ばして転がしたのはレイズであった。彼は振り上げていた脚をゆるりと戻しながら口を開く。


「『合成獣』は神威定番の人造兵器、あーんど主力商品だ」


 レイズは語りながら歩いていく。その足取りは悠々としたものだった。すぐ目の前には異形――合成獣がいるはずなのに。だがしかし。


「売り物だっていうんなら、誰でも制御できるように”調整”されてなきゃな。例えば枷を外して合図を見せない限り暴れないとか、あるいは特定の匂いがついたやつだけを襲わないとか」


 合成獣は立ち止まっていた。

 レイズが転がした荒くれ者のすぐそばで『グルルル……』と唸りを上げながらも大人しく、ただそこに佇んでいた。

 だからレイズは悠々と、1歩ずつ進んでいく。逆に合成獣の主人は、1歩ずつ後ずさっていく。


「な……なんなんだよぉ、お前!」


 レイズはその質問に答えないまま、果たして合成獣のすぐ隣で足を止めた。それでも合成獣は動かない。ただ躾けられたルーチンに従って行動するだけの商品に向けて、レイズはそっと呟く。


「今、楽にしてやる」


 レイズが右腕を振る。それはまっすぐに、合成獣の首をなで降ろすような軌道を描き――直後、描いた線から鮮血が噴き出た。

 レイズの右手にはいつの間にか、紅い血に濡れたナイフが握られていた。


 ――!?!?!?


 ニルヴェアも、荒くれ者も、ただ絶句していた。

 路地裏を静寂が、そして撒き散らされた鉄さびの匂いが満たしていく。その中で合成獣が――狼と竜の混ぜ物が、ゆっくりと倒れ伏した。

 レイズはそれを見届けてから、ナイフの真っ赤な血を拭き取った。真っ白な布を使って、淡々と。

 やがて布が血の色に染まるとレイズはそれを捨てて、荒くれ者へと向き直る。少年らしい幼さを残した双眸が、荒くれ者を映し出した。


「ひ……!」


 瞳に映る荒くれ者は、どっと冷や汗をかいていた。

 そう。彼は恐ろしかったのだ。

 同僚の荒くれ者たちなんかよりも、犯罪組織から買いつけた合成獣なんかよりも、それら全てを無傷で倒してみせた目の前の少年が。得体の知れない炎を操り、この状況になにひとつ動揺を見せないなにかが。


「う……うわぁぁぁぁ!」


 荒くれ者は逃げ出した。路地裏のさらに奥へと。

 だがレイズはそれを追うことなく、むしろ興味なさげに背を向けた。彼が振り返った先、ニルヴェアは未だにへたり込んでいた。

 レイズはナイフをしまってから、優しく呼びかける。


「ニア、大丈夫か?」


 それから手を伸ばした。ごく当たり前のように、転んだ人に手を貸すように……ニルヴェアには、なにも分からなかった。


(なにが、起こったんだ)


 なにも分からないまま、なにもかもが終わっていた。

 薄暗い路地裏。動かない荒くれ者たち。鮮血に沈んだ異形の獣。なにもかもが異常な世界でただ1人、目の前の少年だけはごく普通に手を差しのべてきていた。

 ニルヴェアはよろよろと右手を伸ばした。なにも分からないまま、なにかに縋ろうとして。

 やがて、少年の手に触れて――視界が明滅する。

 全てが蘇った。

 自分を連れ去ろうとした黒騎士。アイーナを殺した暗殺者。己に殺気を向けてきた獣。己を犯そうとした荒くれ者。常識の埒外にあった合成獣。なにもかもが恐ろしかった。

 だけどそのなにもかもよりも、この少年は。

 

 パンッ! 大きな音で、目が覚めた。


 気がついたら、自らの手がレイズの手を叩いていた。


「え」


 ニルヴェアはなにも分からなかった。分からないままふらりと顔を上げて。


「――――」


 それを見た。

 だから、思わず、言い訳を、


「あの、違うんだ。レイズ、今のは」

「腹、痛むのか?」

「……え?」


 そのときにはもう、レイズはただ困ったような笑みを浮かべているばかりであった。


(え。さっき見たものは、いつっ!?)


 ずきんっ、と腹に痛みが走った。そこに視線を向ければ、左手が傷を庇うように腹を抑えていた。どうやら無意識のうちにそうしていたらしい。


「そういえば1発蹴られていたんだっけ……」

「だったらこれが効くかもな、ほれ」

「わっ」


 ニルヴェアの懐へと、急に一つの小瓶が投げられた。落ちる前に慌ててキャッチしてから観察してみれば、手のひらサイズの小瓶の中で緑色の液体が揺れていた。


「これは……?」

「『ポーション』っていうんだ。魔の大陸から輸入された飲み薬らしくてさ、それは内臓の傷に良く効くんだと。お前、そういう珍しい物好きだろ?」

「……今日は変な飲み物と縁があるな」


 ニルヴェアは苦笑しつつも、そのポーションとやらを素直に飲んだ。するとさすが薬というだけあってか、体に良さそうなキツイ苦みが舌の上を走っていく。だが我慢して飲み終えて、しばらくすると。


「あ……確かになんか楽になってきたかも。お腹の中が温まる感じが……」

「なら少し揺れてもイケそうだな」

「へ……うわっ!?」


 ニルヴェアが悲鳴を上げたそのとき、彼女はすでに持ち上げられていた。それもレイズに膝裏と背中を支えられた横抱き……いわゆる、お姫様だっこの態勢で。


「なっ、なにするんだ!?」

「ちょっとだけ我慢しろ。こんなとこじゃ落ち着かねーし……自警団に長々と事情話せる気持ちでもねーだろ」

「それってどういう……わぁ!」


 レイズが一気に駆けだした。



◇■◇



 そのあとは早かった。

 路地裏をさっさと出たレイズは、ようやく駆けつけてきた自警団にその場をむりやり押しつけて。


「そこの路地裏になんか色々転がってるからあとはよろしく警官さん!」

「なに!? 君たちはいったい、というか路地裏って……うわぁ! ば、化物!?」


 ニルヴェアを抱えたまま、街中を一気に駆け抜けていった。

 やがて辿り着いたのは、郊外にある草原地帯だった。そこはあくまでも壁の内側ではあるのだが。


「ここは『キャンプ場』って言ってな。泊まるには申請やら代金やらが要るんだけど、街住みのやつらが壁の外で野宿するにはなにかと面倒だからな……要は娯楽として野宿っぽいことがやれる場所ってことだ。宿より野宿が好きなナガレにも需要があったりするな」


 レイズはそう説明しながらニルヴェアを降ろした。一方、降ろされたニルヴェアは戸惑いながらもレイズに声をかける。


「えっと、その、世話をかけてしまったな。すまない……」

「あ、そういや忘れもんだ」


 レイズは急にある物を差しだしてきた。ニルヴェアが目を向けてみれば、それは紛れもなく彼女の”お守り”であった。短剣の方はぶん投げて、鞘の方は殴られた拍子に落としてしまったはずだが、そこには確かに短剣があり、きちんと収まるべき鞘に収まっていた。


「いつの間に……」

「手癖の悪さはナガレの流儀ってな。大事な物なんだろ?」

「ああ……」


 ニルヴェアは短剣を両手で受け取って、そっと胸に抱きしめた。


「……ありがとう。本当に」


 それからニルヴェアは面を上げて――視界に入ったのは、レイズの背中であった。なぜか向き合わず背中を見せた少年に、ニルヴェアが思い出す。先ほど自分が手を払ってしまったときの、レイズの表情を。


(あ……)


 レイズはあの一瞬だけ、ほんの一瞬だけ……あまりにもちっぽけで、あまりにも弱々しくて、きっと誰よりも孤独だった。


(あんなのレイズじゃない……違う。僕のせいなんだ)


 彼を突き放して、あんな顔をさせてしまったのが誰なのか、本当はもう知っている。


(弱いのに勝手に旅についていって、勝手に飛びだして、勝手に危険な目に遭って。全部僕のせいなのに。こいつはずっとずっと、僕を助けてくれていたのに、僕はまた)


 痛い。殴られた頭が、蹴られた腹が、どうしようもなくじくじくと痛い。

 しかしレイズの方はといえば、青空を見上げながら気さくに伸びをしつつ、今後の方針について考えていた。


「さーてどうすっかな。合成獣ってこたぁ、少なくとも神威と繋がりがあるのは確定だよなぁ。街よりもここに泊まる方が見晴らしいいし安全か? べーっつにただ神威の威を借るゴロツキだってんならまだいいけど、もしあいつらが本当に追手ならアカツキとも相談して……」


 と、レイズは不意に背中が引っ張られたのを感じた。

 だから振り返ろうとした、その直前。背中になにかがぐっと押し付けられた。すぐに、くぐもった声が響いてきた。


「ごめん」


 レイズは振り返れなかった――押し付けられたのが、ニルヴェアの顔だと分かってしまったから。

 しかしレイズは、あえて明るい声音で言う。


「ははっ、珍しくしおらしいじゃん。べつに気にすんなよ。むしろ俺が遅か」

「差し伸べてくれた手を払ってしまった。僕が弱いせいで」

「っ――」


 レイズの口が一瞬固まった。だが、彼はなんとか言葉を紡いで。


「しょうがないだろ。あんな状況なら誰だって」

「ごめん、アイーナ、兵士のみんな。ごめんなさい。僕が弱いせいで」


 レイズは今度こそ、なにも言えなくなった。


「強ければ怖がらなかった。怖くても立ち上がれた。なにも分からないまま、なにも護れないまま、通り過ぎていく。強ければちゃんと手を伸ばせていたはずなのに。っ、僕は間違ってたんだ! 想いだけならあるつもりでいたのに真っ先に折れて、なにもできないのになんでもするってうそぶいて!!」


 泣きじゃくる。くしゃくしゃな声音に乗って、支離滅裂な懺悔が続く。

 レイズの唇がきゅっと閉じられた。


(自分を恨むくらいなら俺を恨めよ。この旅は、俺のせいで始まったんだろ)


 今すぐそう口にしたい。怒りの矛先を向けて欲しい。文字通り、吐きたくなるほどの罪悪感。


(俺は黒騎士に騙された挙句、お前の大事な人たちをろくに護ってやれなかったんだ。今だって俺がもっとしっかりしてれば……分かってたはずなのに。こういうことも想定した上での護衛エスコートだって、分かってたはずなのに!)


 レイズは腹の中で暴れまわる激情を、しかし歯を噛みしめてぐっと呑み込む。


(俺を恨め、なんて言っても絶対に否定するだろこいつは。そんでそう言わせた自分を責めて気にするんだ。たった数日の付き合いでも簡単に想像できる。そのくらいにこいつはいつもまっすぐで)


「強くなりたい」


 ふっ。と、レイズの思考が止まった。彼は思わず尋ねてしまう。


「今、なんて」

「すごく痛かった。すごく怖かった」


 背中からはすぐに答えが返ってきた。震える声で、それでもはっきりと。


「でもそんなの闘いならきっと当たり前なんだ。最強で最高の武人なら、そんなものには絶対負けないんだ」

(まさか、こいつは、まだなにも諦めて)

「憧れるなら、絶対に逃げちゃいけなかったのに!!!」


 ――僕は僕の剣から逃げたくないんだ


 レイズの目が大きく開いた。そのときにはもう、彼女の声は震えてすらいなかった。


「頼むレイズ。僕を鍛えてくれ。僕はもう足手まといになりたくない。逃げないための力が、心が欲しい。それにはきっと僕に一番近くて僕から一番遠いお前の助けが必要なんだ」


 ニルヴェアは言いきった。レイズの背中にしがみついたまま、それでもはっきりと言いきってみせた。

 だからレイズは。


「ったく、まじでろくでもねぇな。とりあえず服離せ。裾が伸びる」

「あ、ああ。すまない」


 ニルヴェアは慌てて手を、そして顔を背中から離した。しかしレイズは振り返らず、ただぽつりと一言。


「格上狩り≪ジャイアントキリング≫」

「え?」

「俺の信条みたいなもんだ」


 レイズは、応えた。


「俺はまだ15のガキだし、同年代の中でもむしろチビな方だし、だからってアカツキみたいにずば抜けた腕を持っているわけでもねー。ってなわけでさ、俺にとって俺よりでかいやつ、強いやつ……そういう格上を相手にするってのはわりと当たり前のことなんだ。それでもやりたいことをねじこんでまかり通す。そんな術ならそれなりに教えてやれるし、きっとお前が今一番望むものでもあるはずだ」

「それはつまり、弱者のための闘い方……?」


 ニルヴェアはゆっくりと面を上げた。真っ赤になるまで泣き腫らした彼女の目は、それでも希望に輝いていた。


「教えて……くれるのか?」

「その力があればな」

「それって……」


 ニルヴェアはその言葉の意味を飲み込んで、思わず苦笑いを浮かべてしまう。


「力が欲しいのに力が前提になるのか? 難儀だな……」

「見込みのないやつを1から教える。そんな時間もやる気もない。お前もさっき言ったろ、『僕は間違っていた』って。俺もそう思うよ。お前はやっぱりアカツキの協力者ってやつに保護されるべきなんだ」

「っ。それでも、僕は……!」

「闘いたいんだろ」

「……ああ。だからここにいる」

「お前の流儀がそれならそれで構わない。だとしても、自分の道は自分で拓くのがナガレの流儀だ。だから――」


 レイズが体を回して振り返り、右腕を軽く振った。何気ないその仕草と共に、


「認めさせてみろよ、お前の力を」

「!」


 ニルヴェアの眼前へと、銀色の刃が突きつけられた。合成獣の首を斬ったそれは、すでに血を拭き取られている。だがそれでも、匂いは確かに残っている。

 少女の鼻をつんと突いたのは、武器と血を形作る鉄の匂い。戦いを象徴する匂い。

 ナイフを構えているのは、1人の戦士であった。


「俺が認められるなにかを持ってりゃ、稽古の1つでもつけてやるよ。だけどな……」


 赤銅色の髪が、風に煽られ炎のように揺らめいている。

 少年らしい大きな目が、しかし今はただ冷たく前を見据えている。

 快活な笑みの似合う口が、しかし静かに宣告を告げる。


「それができないってんなら、お前とはここでお別れだ」

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