3-12 三流騎士と暁ノ一閃
ブロードがしぶとく生きていたその一方で、エグニダは。
「……断ち切れなかったか。我ながら未熟だな」
大剣を振りぬいたときの手応えで、ブロードの生存を察知していた。彼は大剣の炎を念じることで収めると、今しがたブロードを吹き飛ばした方向へと目を向けた。
しかし視線の先には白煙が漂うばかりだった。敵の姿もすっかり煙の向こう側、ということらしい……と、その白煙に穴を空けていきなり飛んできた物がひとつ。
それは鋼鉄の大ハサミ、もといワイヤーアームであった。先方はどうやら煙に紛れて奇襲を図ったようだが、
「苦し紛れだな!」
エグニダは飛んでくるアームの軌道をすぐに見切って左腕を振った。黒の手甲による裏拳一発。鈍い打音を響かせて、ワイヤーアームはいとも簡単に跳ね飛んだ。それからすぐワイヤーに引っ張られて、白煙の中へと引っ込んでいく。
「そこか」
エグニダはすぐさま剣を構え直した。なぜなら他ならぬワイヤーアームが敵の居場所を教えてくれたからだ。
「愚の骨頂とは正にこのことだな!」
エグニダは大剣を携えて走り出そうとした。が、すぐにまた白煙に穴が空く。飛んできたのは、謎の白い箱だった。エグニダはそれをまた手で払いのけようとして、
「むっ?」
引っ付いた。
白い箱がエグニダの手に……正確にはそれを覆う手甲に引っ付いたのだ。その奇妙な現象の正体に、エグニダはすぐさま勘づく。
「これは、磁石――」
爆発!
白い箱を破り、膨れ上がった炎がエグニダの腕を喰らった。が、
「……無線爆弾か」
エグニダの鎧はろくなダメージを受けていなかった。彼は爆発を受けた手甲から立ち上る煙に対して、ふんと鼻で笑った。
「本当に姑息なやつだ……なにっ!?」
不意に煙の中から2個3個、白箱があちこちから飛んできた。それらはさも当然のようにエグニダの鎧へと吸い付くと、次々に爆発していく。
――もちろんエグニダは知らないのだが、ブロードは今回、様々な状況に対応するため複数種類の無線爆弾を準備していた。そしてその中には、起動と共に磁力を発生させて金属に吸い付くタイプもあったのだ。準備した当人いわく『全身鎧が相手ならなにかしら使えるでしょ多分』ということであったが、それは正に今が使いどころなのであった。
というわけでさらに続けて4個5個6個……四方八方からいくつも飛んでくる無線爆弾in磁石に、さしものエグニダも苛立ちを見せ始める。
「ええい、性根の腐った武器を使う!」
とはいえ爆発それ自体に鎧を貫通する威力はない。ないのだが……
(爆弾の軌道から察するに、やつは移動しながら投げているらしい。そもそもその軌道自体、磁石が勝手に補正を掛ける。それを辿って追いかけるは不毛というものか……とことん姑息な。時間稼ぎのつもりか?)
エグニダの脳内を、一撃必殺の居合が掠める。
(まだ機械兵は試作段階。その安い自動制御で、刀を弾いたとはいえあの女侍を抑えきれるとはさすがに思えん。ゆえに偽記者に構っている時間はない……だが)
それでも、エグニダはその場に留まることを選んだ。一方で爆弾は飽きもせず飛んできていたが、
「急がば回れ、というやつか」
エグニダは構えていた大剣をあえて床に突き刺してから堂々と仁王立ち。鎧に爆弾が引っ付き爆発しようとも、もう動じることはない。
(”剣”よりも”口”の方が射程はずっと広い――せっかくだ。2人同時にかき乱してみるか)
爆発の硝煙とスモークグレネードの白煙が混じり合う、その向こう側へとエグニダは声を張り上げる。
「おい、偽記者!」
返答は来ない……しかし、爆弾は止んだ。
(やはり時間稼ぎが目的か。ならばお望み通り付き合ってやろうじゃないか)
エグニダはそこで1度、耳を澄ませた――どこか遠くで、ガキッガキッと硬い音が断続的に響いている。それはおそらくアカツキと機械兵との戦闘音だ。
(こちらが聞こえるなら、向こうにも聞こえるだろうさ)
エグニダはその思考を頭の片隅に置きながら、高らかに声を上げる。
「あの女侍は、嘘偽りでできている!」
……返答はない。だが構わない。
「俺は女侍に敗北を喫したあと、その素性を調べ、次に流派を調べ、そしてその歴史を調べ……やがて一つの矛盾を見つけた。ああそうだ。結論から言えば、宵断流には存在しないはずなのだよ。”居合の構え”という概念そのものが、な」
やはり霧の向こうから返答はない。断続的な戦闘音も変わらない。それでもエグニダは語り続ける。
「そもそもユウヒ・ヨイダチの家に代々受け継がれてきた『宵断流』とは、魑魅魍魎から人々を護るために産まれたいわば守護剣術というやつだ。それは四方八方から群れ成し襲い掛かる化物どもを効率良く受け流し、」
「――時には三昼夜もの間、ただの1度も刀を納めることなく戦い続けた。なんて伝説もあるほどの、由緒正しき”抜刀剣術”でもある……だろ?」
霧の向こうから、青年の声が響いてきた。ゆえにエグニダはほくそ笑む。
(釣れた。一体なんの琴線に触れたのかは知らんが……)
エグニダは静かに、地面に突き刺していた大剣の柄へと手を掛ける。その一方で、霧の向こうから再び声が届いてくる。
「人には前振りがどうとか言っておいて、そっちも大概長いじゃないか」
「ふん、三流記者でもこの程度は知っていたか。ならば問おう――あの居合斬りは、一体なんだ?」
エグニダは、大剣の柄を握りしめながら。
「俺は公に流れている宵断流の情報を洗えるだけ洗った。だがそこに居合の技などひとつたりともなかった……だというのに、あの居合斬りは間違いなくその道を極めた者の一撃に他ならない。ならばあれは何者だ? お前にはあれがユウヒ・ヨイダチだと、本当に断言できるのか?」
「さぁね。結局のところ、僕は彼女の自己申告を聞いただけだ」
青年の声に迷いはなかった。しかしエグニダは、その迷いのなさを愚かさだと断じて嗤う。
「はっ。記者としても越警としても三流……いやそれ以下だな!」
黒鎧の手が地面から大剣を引き抜いた。黒鎧の足がゆっくりと歩き始めた。そしてその足音を掻き消すように、素顔の口が高らかに声を発する。
「矛盾を知りながらただの自己申告ひとつで信じ込むなど!」
「いや……たぶん究極的にはなんでもいいんだよ。彼女の正体がなんだってさ」
「ほう。と、いうと?」
エグニダは歩いていく。青年の声を響かせるその音源へと。一方、声は語り続ける。その場から決して動くことなく。
「僕は大した人間じゃない。自分だけの高い理想だって、なにを捨てても護りたいものだってない。僕はいつだってありきたりなことしか志せない。だからこそ僕は、僕を助けてくれた恩人を信じてる。それが、人として当たり前のことだからね」
「……はっ!」
エグニダは嘲笑を放ち、踏み込む。
「ろくな情報を持っていない。信念さえもあまりに薄い……もはや貴様と語らう必要など、ありはしない!」
剛脚が地面を砕き、黒の巨体が一気に加速した。その勢いをもって周囲に漂う白煙を吹き散らしながら、目指すべくはただ一点。
三流記者の声を鳴らす、その発生源へ……
「――無線っ!?」
霧の向こうにあったのは、黒い箱が1個だけ。
正確には黒い箱状の機械が1個、ひしゃけた琥珀銃を支えに立て掛けられていた。
『無線爆弾があるなら、こういうのがあってもおかしくないだろ?』
突如、青年の声が黒い箱から聞こえてきた。
「!?」
だがエグニダは反射的に、声とは真逆の方へと振り返った。そして鎧を纏った腕を盾にする――ぼんっ! 破裂音と共に、いきなり爆風が襲い掛かってきた。
「ちぃっ、三流風情が……!」
爆風は小さく、エグニダにダメージは通らない。だが彼の表情は確かに歪んでいた。そしてそこに追い打ちをかけるように、背後から声が響く。
『その言葉、そっくりそのままお返しするよ』
しかし”やつ”は消えゆく爆風の向こう、エグニダの正面に立っていた。
鈍色のオールバックに穏やかな垂れ目の優男。彼はその顔に似合うほほ笑みを浮かべながら、己が手に持ったもう1個の黒い箱――『無線通信機』へ、そっと囁く。
『信念の薄い三流記者にしてやられた気分はどうだい? 三流騎士さん』
無線通信機。それは無線爆弾の元となった、声を離れた場所へと届ける琥珀機械である。
その通信機を伝って、エグニダの背後から挑発が響いた。それは、エグニダの表情に。
「は、はは、ふはは……」
笑みを作った。裂けるように吊り上がった口端。沼のように開いた真っ黒な瞳。深く色濃い殺意の笑みを。
「っはぁ! 意趣返し程度で勝ったつもりとはなぁ!」
エグニダは吠え猛り、そして大剣を高らかに振り上げた。するとその直後、今までで最も高く激しい火柱が大剣の背から噴き上がる。
「この鎧を貫く決定打のひとつすら持たないくせに、前に出て!」
銃はすでに潰した。ワイヤーアームも爆弾も効かない。そして……時間稼ぎの甲斐あってか、視界を隠す白煙も徐々に薄れてきている。もはや逃げ場も小細工も、無用。エグニダは確信する。
(力押しで、真っ向から断ち切る!)
エグニダが加速した。苛烈な踏み込みに加えて大剣のブーストで体を引っ張り、ただ一直線に突っ込む。愚かにもそこで棒立ちしている偽記者へと、今までで一番速く力強い、渾身の一撃を――
「僕に決定打なんて、必要ないだろ」
その瞬間、エグニダの脳裏に
「! まさか、」
――黄昏ノ型・火車流シ。
エグニダの巨体が、そして火を噴く大剣が、全てが瞬く間に”流される”。
その瞬間エグニダが己が剣から感じたのは、ぬめりと力が抜けるような手応え。そして実際に、エグニダの突撃はブロードのすぐ隣を綺麗に流れていった。彼が気づいたそのときには、自らの体はすでにブロードを後方へと置き去りにしていた。
「ちぃっ……!」
エグニダはすぐに大剣の火を消すと、一気に地面を踏み込んだ。強引な加速を止めるための強引な減速でがりがりと地面を砕きながらも、果たしてエグニダの体はすぐに止まった。そして彼はすぐに振り返る。
その視線上はすでに晴れていた。他ならぬ彼自身の突撃によって煙が掻き消されたのだ。ゆえに、そいつの姿はくっきりはっきり見えている。
「女、侍……!」
エグニダが見据える正面に建つのは1人の偽記者と、そしてぼろ布纏う1人の女侍だった。
女侍はエグニダから視線を向けられた直後、その手に持っていた1本の何かを放り投げてきた。それはエグニダの足下でからんっ、と虚しい音を立てた。
それは……熱と圧でぐにゃりとひん曲がった、儀礼用の剣だった。続いて、女侍の吐き捨てるような声音が。
「剣士が剣で語らぬから、こうも足下を掬われる」
エグニダがはっとして面を上げれば、アカツキはただつまらぬものを見つめ、つまらぬことを語っている。
「人形で遊び、物を語り……もはや剣士というより演劇家だな。だがその人形は全て斬った。つまらぬ語りもネタ切れでござろう。もう余興はおしまいだ」
アカツキの隣で、ブロードもまた言葉を重ねてくる。
「これが最後通告だ、エグニダ……ここで投降するなら命の保証はしよう。だけどこれ以上やろうっていうなら、ここから先はなにひとつ保証できないよ」
すでに煙はほとんど晴れている。部屋のあちこちには瓦礫が、機械の残骸が、そして機械兵だったものが転がっている。もはや逃げ場も小細工も、無用。
「お2人からの御忠告、痛み入るよ」
それでもエグニダは嗤う。
「だがひとつだけ、大事なことを間違っている」
エグニダは右手で大剣を軽く振った。するとまたしても、その背から小さな火が灯される。
「「!」」
アカツキが刀の柄に手を掛けた。ブロードもまたワイヤーアームを握った。2人の視線が大剣に向いたそのとき……エグニダの左手は、すでに別の物に触れていた。
それは鎧の腰部分に密かに取り付けられていた、ごく小さなスイッチであった。
「俺は剣士ではない――騎士だ!」
地面が、突如沸き上がった。
ばこん! ばこんっ!! いくつもの破砕音が地面を鳴らしたかと思えば、そこを発生源に炎がごうっと噴き上がった。瓦礫が吹き飛び、わずかに残っていた白煙もその全てが散らされる。
その現象は部屋のあちこちで無作為に発生していた。しかし完全に部屋を埋め尽くすほどでもなかった。
だからブロードはなんとか炎をかわして、まだ被害のない壁際へと転がり込みながら叫ぶ。
「まさか、自爆スイッチ!? 屋敷を爆発させるつもりか!」
その一方でアカツキも、次々と地面を砕いて立ち上る炎を踊るようにかわしながら考察していく。
「ほう。これも一種の無線爆弾か? まぁ越警にある技術なら神威がパクってもおかしくはないが……」
「はー! はっはぁ!」
突如、炎の向こうから高笑いが飛んできた。ブロードとアカツキが視線を向けると、真っ赤な炎と炎の間で真っ黒な騎士が堂々と笑っていた。
「剣も口も王道も邪道も、全ては忠義を全うするためにあるのだよ! それが騎士というものだぁ!」
エグニダは言いたい放題言いきると、すぐに身を翻してその場から逃げ出した。炎と炎の隙間を迷いなく潜り抜けてその向こうへと消えていくエグニダに、しかしブロードも迷わず叫ぶ。
「追え、アカツキ!」
アカツキもまた、なにひとつ迷わなかった。ブロードの声を聞いた瞬間弾かれるように走りだし、エグニダのあとを追いかけて炎の隙間へと身をねじこんでいく。
その背中を見送りながら、ブロードは1人呟く。
「悪いねエグニダ。実はアカツキから前に少しだけ、教えて貰ったことがあるんだ」
彼はすぐに懐から取り出した……無線爆弾の起爆スイッチを。
「『暁ノ一閃』は黄昏を越え、夜を越え、夜明けの間際にほんの一瞬煌めく太陽を象ってるんだってさ。だから」
彼はそっと、スイッチを押した。
「ほんの一瞬で、十分なんだ」
一方、エグニダはその脳裏に爆発の配置を描き、安全地帯に入りこんでいた。
そう。ブロードたちの読み通り、エグニダが押したのは自爆スイッチであった。それはいくつかの段階を経て、最後には屋敷全体を崩壊させる仕掛けだった。
そしてこの自爆の意義はいざというときの秘密保持&逃走経路確保……要するに今のようなときのためにある。
ゆえにエグニダは自爆と同時に逃げられるよう、安全地帯ももちろん把握していた。だから彼はその一角に飛び込むと、しかしさらに逃げることはなくむしろその場で振り返って大剣を構える。
(追いかけてくるはずだ、やつが本当に復讐者なら……)
エグニダは、まだ勝利を諦めていなかった。
(一閃を見切れなくともルートさえ絞れれば!)
構えは上段、狙うは縦一閃。エグニダは大剣に火を灯して待ち構える。眼前に拡がる爆炎、そのただひとつの隙間から飛び込んでくるであろう女侍を、
(――来た!)
果たして炎の中から垣間見えたのは、ざっくばらんにまとめられた黒い髪と、薄汚れたぼろ布。
女侍の姿を認めた瞬間、エグニダは勝利を確信しながら大剣を振り下ろ――がくっ、と。
ほんの少し。
ほんの少しだけ左足が、揺れた。
(まさか、あの、三流)
揺らしたのは、小さな爆発ひとつだけ。
(どこで、仕掛け、)
――それはエグニダが無線機に気づいて振り返り、無線爆弾を喰らったその直後、その爆発を目くらましにして密かに仕掛けられた最後の1発であった。
だがエグニダがその回答に至ることはない。なぜならば、彼の眼前ではアカツキがすでに”背中を見せていた”からだ。
「拙者の居合がなんなのか、おぬしは知りたがっていたな」
「き、さま……!」
「いくら妖を退け人を護ろうと、それだけでは明けぬ夜もある」
(急げ、急げ、今すぐ斬らなければ)
エグニダは目の前の背中へと大剣を、今度こそ振り下ろそうと、
「ゆえにこの一閃にて宵を断ち、明日を斬り拓く」
かちん。
アカツキの懐で、刀の収まる音が鳴った。
「――暁ノ一閃」
その瞬間エグニダの鎧に、胴体に、一筋の光が煌めいた。
「がふっ……!」
エグニダの口から、そして胴から黒い血が噴き出し舞い散る。その飛沫の中で、女侍はただ静かに謡う。
「たとえこの手を同胞の血に染めようとも、斬らねば明けぬ世があるならば……これぞ宵断流、唯一無二の居合剣にして裏の極技なり」
そして、切なげな視線を床に落とした。それは鎮魂の祈りがごとく。
「これは手向けだ。散った命に善悪など無いからな。せめて、安らかに眠れ……」
と、不意に。床を大きな影が覆った。
それを目撃したアカツキの眼が大きく開く。彼女がはっとして、頭上を見上げたその直後、
「にょわぁ!?」
珍妙な叫び声と共にアカツキは飛び退いて――ズドンッ!
床を鳴らす破砕音にアカツキがすぐ振り返れば、先ほどまで彼女が立っていた場所には片刃の大剣がめり込んでいたわけで。そのまま視線を上げれば……そこにあった光景に、「……ははっ」アカツキはつい乾いた笑いをこぼしてしまった。
「間違いなく、胴を断ったはずなのだがな」
エグニダが、立っている。彼は剣を振り下ろした姿勢で、そして明確に意識のある眼でアカツキをじっと見つめている。
もちろん、無傷であるはずはない。彼は確かに斬られた黒鎧から黒い血を滴らせ、口からもごぽりと黒い血を吐いていた。
黒い……そう、黒い血であった。比喩ではなく、彼の血は真っ黒だった。
「拙者は本当に妖怪でも斬ったのか?」
「騎士だと、ごふっ、言っただろう……しかし、斬られた甲斐は、あったな……」
エグニダのその声音はどこか奇妙だった。声自体は確かに吐血混じりでくぐもった、瀕死の人間の声である。だというのに、それでもどこか奇妙な活力に溢れていた。
なにはともあれ、それは今すぐ死を迎える人間の声音ではない。アカツキはそう判断して、エグニダへと歩み寄る。
「もう2、3回ぐらい斬っておくか。万にひとつ不死身であろうとも、とりあえず四肢を断てば動けなくなるでござろう?」
すぐにエグニダのそばへ、居合の射程圏内へと寄ると歩みを止めて、再び刀に手を
「本当はもう、どうだっていいんだろう?」
アカツキの手が止まった。同時に、エグニダの足が動いた。
彼の足はまるで紙でも破るように、石造りの床を踏み抜いた。するとその瞬間、ぼこんと音を立てて床が綺麗な円状に崩れた。丁度人ひとり分の体を落とせる程度の穴が、そこに開いた。
「なにっ!?」
アカツキが驚愕したときにはすでに遅く。エグニダの体はなんの抵抗もなく穴の中へと落ちていく。高らかな宣言だけを残して。
「また会える日を、楽しみにしている!!」
アカツキはその声に答えることなく急いで穴を覗き込んだ。しかし穴の中には、果ての見えない暗闇が広がるばかりであった。
「に、忍者もびっくりの逃げ方でござるな……」
「――アカツキ!」
声に気づいて振り返れば、ブロードが後方から駆け寄ってきていた。一直線にやって来た彼を見て、アカツキはふと気づく。
「む、もう爆発は収まったのか」
「ここはね。でも……」
ブロードが天井を見上げた。そこには彼が爆弾で開けた大穴があって、そしてその向こうからズゥン、ズゥン……と規則的に妙な音が聞こえてきている。
「どーやら時間差で屋敷全体が爆発してるっぽいね。早く逃げないと生き埋めになる……」
と、ブロードはあることに気づいて大声を上げる。
「あ! ていうかエグニダどこだよ!」
するとアカツキは「あー、なんだ……」ちょっと気まずそうな顔をした。
「すまん。仕留め損なった&逃げられた」
「えー!? 1番最悪なやつじゃんそれ! くそっ、だったらせめて屋敷内の資料だけでも……!」
「そんな時間もなさそうだ。ほれ、どうにもならなかったら大人しく逃げるのだろう?」
「ああもう! こんなの働き損の罵倒され損じゃないか! 覚えてろよあの三流騎、」
ズゥン!
一際大きな音が響いて天井の大穴、その向こうから大きな瓦礫がごうと降ってきた。
ブロードはそれに気づくとすぐにその場から退避する、が。
アカツキはというと、あえてその真下に立つことを選んでいた。そして彼女は愛刀の柄に手を添えて、
――本当はもう、どうだっていいんだろう?
「眼前の敵は全て斬り伏せる。それだけだ」
暁を掴む一閃が、崩れ落ちてきた瓦礫へと迸る。
そのおおよそ5分後。剣の都の郊外で、ひとつの屋敷が盛大にしかしひっそりと崩れ落ちたのであった。
◇■◇
紅い血と、紅い炎と。
「ん、んぅ……」
ニルヴェアは、目を覚ました。
「あれ、ここは……」
視界には知らない天井が見えている。木製造りの茶色の天井は、どこか心を落ち着かせる雰囲気を発していた。
「……どこ?」
ニルヴェアはきょとんとして、それから気づいた。自分は今、ふかふかのベッドで寝かされているのだということに。なんだかよく分からないけど、
「やわらか……気持ちいい……」
気づけば頭の下には枕まで敷かれていた。だからニルヴェアは遠慮なく、その枕へと顔を埋めてふかふかを堪能し始めた。
そうしてぼんやりゆるゆる過ごすことしばらく。
「――おや、目が覚めたのかい!」
「うひゃあ!?」
突然耳に響いた声が、ニルヴェアの脳をくっきりはっきりと醒ました。
彼女は慌てて飛び起きると、すぐに背後を振り返った。するとそこには……妙齢の女性が1人、開かれた扉のそばに立っていた。
「えっと、貴方は……?」
「いきなりで悪いねぇ。わたしゃこの宿屋の店主だよ」
「宿屋……そっか。ここ、宿屋なんだ……」
「そうさね。あんたのツレの男の子があんまりにも必死な顔して飛び込んできたもんだからこっちまで心配になっちゃったけど、その様子だと大丈夫そうだねぇ。ところであんた、腹は減ってないかい?」
「そうか。あのあとレイズが……って、お腹?」
尋ねられた途端、ぐぅ。と腹の虫が自己主張を始めた。
「うっ。すいてる……みたい、です……」
ニルヴェアは羞恥から思わず頬を染めてしまったが、しかし店主は「アハハ!」と豪快に笑い飛ばした。
「夜までずっと寝てたんだ、腹が減る方が健全だってもんさ! ほら、これでも食ってあの男の子に元気な姿でも見せてやりな!」
店主はそう言いながら、その手に乗せていたお盆を差し出してきた。
盆の上には飲み物が2杯。
それと、熱々の焼き鳥串がたくさん乗っていた。
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