3-13 優しい炎と重なる手

 ――炎は命を拒絶する。その熱で、その猛りで。


 獣も、そして人でさえも本能的に恐れる力。それはきっと誰よりも孤独な紅。

 だけどそれは、僕をずっと護ってくれていた。何度も僕の窮地を救い、道を照らしてくれていた。

 だからあのとき思ったんだ。あの炎はあいつ自身なんだって。強く、恐ろしく、そして誰よりも優しい紅。


「お前の炎は綺麗だな」



 ◇■◇



 レイズは色々やっていた。

 具体的には、気絶したニルヴェアを連れ急いで山道を抜ける→近隣の街に着くやいなやニルヴェアをすぐに宿屋へと放り込む→宿屋に併設されていた馬小屋にハヤテを停める→自分の腕の手当をする→物資の補充とかなんやかんや。

 そうこうしているうちに、日はすっかり暮れてしまって。


「着いた頃にはまだ昼だったのに。あいつ、そろそろ起きたかな」


 なんてことをぼやきながら、レイズはニルヴェアを放り込んだ宿屋へと戻ってきた。

 そして宿屋の前でなんとなく空を見上げてみれば、ふと噂のニルヴェアと目が合った。宿屋の2階、部屋に備え付けられているバルコニーから寝間着姿の少女がレイズを見降ろして、左手をぱたぱたと振って、その帰りを歓迎している。

 しかしレイズの視線は、彼女の右手が持っている肉の串へと注がれていた。


「よく食えるな、あいつ……」



 ◇■◇



 程よい高度で空を一望できる、見晴らしのいいバルコニー。夜の空には数多の星が広がって、加えて少年と少女はたった今、2人きりでそこにいる。そんな絶好のロケーションの中で、やるべきことはただ1つ……


「レイズ、お前も食うか?」


 2人で一緒にご飯である。ニルヴェアが差しだしてきたのは、1本の焼き鳥串であった。

 こんがり焼かれたぷりっぷりの鶏肉に、見た目からして香ばしいタレがかかっている。


(旨そうだ。いや旨いんだろうけど)


 間違いなく旨いのだろう。絶対旨いに決まっている。だけど、しかし、だからこそ。


「なんだって、よりによって焼き鳥なんだ……」


 レイズはなんだか、とてもげんなりしてしまった。しかしニルヴェアの方はその意味が分からずきょとんと首を傾げていて。


「なんだ。いらないのか?」

「いや、夜飯は別で食ったし……」

「そっか。んじゃ遠慮なく」


 ニルヴェアは言うやいなや幸せそうに焼き鳥へとかぶりついて、ついでにすぐそばのテーブルへと手を伸ばした。そのテーブルに乗っているのは、まだ手を付けていない焼き鳥串の皿1枚と、炭酸ジュース入りのコップが2杯。


「これ、1杯はお前の分だからな」


 ニルヴェアはそう言いつつコップを手に取って、そこに差してあるストローに口をつけて、ちゅーっとジュースを吸い上げていく……その味がよほどお気に召したのだろう。彼女はストローに口をつけたまま、すぐに頬をふにゃりと緩めた。そんな呑気な様子にレイズが呆れる。


「ったく、人の気も知らないで……」

「そういえば、お前に後処理を全部任せてしまったんだよな。ありがとう。それとあんなところで倒れてすまなかった」

「……あのなぁ。謝るならもっと別のことがあるだろ、馬鹿」


 その言葉にニルヴェアは目をぱちくりとさせた。言葉の意図が伝わらなかったことは明白で、だからレイズは重ねて言う。その口調に薄くだが確かな怒りをにじませて。


「なんで俺の指示に従わなかった。逃げろって言ったろ」

「あそこでお前を見捨てて先に行くのは違うって思った。それに勝算もちゃんとあったしな」


 即座に返ってきた返答。むしろ言葉を詰まらせてしまったのはレイズの方だった。


(こういうときのこいつはほんとに分かっててやってるっつうか、変なこと考えてるっつうか……とにかくろくな気がしねぇ)


 それは、ここまで曲がりなりにも二人三脚でやってきたゆえの経験則。


(馬鹿じゃないくせに馬鹿みたいに突っ込んでくのが、こいつのたち悪いとこだよな)


 レイズはあからさまに苦い顔をして頭をがりがりと掻いて、それでもなんとかニルヴェアを言い聞かせようとする。


「勝算ってな……それが外れる可能性も十分にあったろ」

「そんなのいつだって、誰だってそうだろ。『100%勝てる勝負などこの世には存在しない』と、兄上だって常々仰っていたしな」

「また兄上かよ……まぁそれは分かるけどさ、でもいくらなんでも限度があるだろ限度が。そりゃほんの一瞬かもしんないけど、だからって自分から炎の中に飛び込んでくなんて、度が過ぎてる……」

「お前の炎なら、大丈夫かなって思ったんだ」

「は……?」


 いきなり放り投げられたのは、謎の一言であった。

 レイズがその意図を全く読み取れずにぽかんとした一方で、ニルヴェアは少しだけ照れくさそうに頬を掻いてから言う。


「まぁとにかくさ、結果オーライってことで良いじゃないか!」


 その瞬間、レイズがぎりっと奥歯を噛んだ。……ことに、ニルヴェアはまだ気づかない。気づかないまま、彼女は言葉を続ける。


「でもこれで分かったろ。僕だって、やろうと思えば」

「――ぶっ倒れたくせに調子乗ってんじゃねぇよっ、この馬鹿!!」


 突然、暴言、爆発。ニルヴェアはびっくりして、でもすぐに口を開こうとしたが、それよりも先に。


「勝手に炎の中に飛び込んで、勝手にぶっ倒れて! 俺がどんだけ心配したと思ってんだ! 毎度毎度毎度毎度お前は何度突っ込めば反省すんだこの猪女!!」

「なっ、ぼ……僕は男だぞ!」

「ツッコむとこはそこじゃねえだろバーーーーカ! 脳味噌筋肉! 兄上馬鹿!」

「な、そ、そんな馬鹿馬鹿言うことないだろ。そりゃ僕だって、悪かったとは思ってるけど、でも」

「なんでもっと、自分を大事にしないんだよ」

「――――」


 いつの間にか、レイズは項垂れていた。そこにあった表情は、ニルヴェアでも読み取れることができた。苦しい。悲しい。怖い。辛い……ニルヴェアの口もまた、きゅっと引き結ばれた。しかし彼女は、それでもその口を解いて言う。


「お前だってそうだろ、レイズ」

「っ!?」


 レイズは弾かれたように顔を上げた。するとそこには蒼が広がっていた。すでに陽のない夜空の下で、しかし果てしなく広い空のような瞳がただ真っ直ぐにレイズを見つめている。


「きっとお前のことだから、いきなり倒れた僕を本当に心の底から心配してくれたんだよな」

「んなっ、べつに俺は、そこまで」

「だけど、それでも僕はまた同じことをすると思う」

「なんだよ、それ……」

「もちろん、そうすべきときが来ればの話なんだけどさ……そもそも先に僕を庇って怪我したのはお前の方じゃないか」


 ニルヴェアはそう言ってレイズの腕を指差した。昼間首狩鳥にやられたそこには、今はレイズが自分で巻いた包帯が巻かれていた。しかしレイズはその腕を慌てて背中に隠して。


「お、俺はいいんだよ。べつに、慣れてるし……」

「慣れてるからって、怪我していい理由にはならないだろ。むしろ慣れてるからこそ、そういうのに鈍感になっちゃいけないと僕は思う。お前はたぶん、もっと怖がった方がいいんだ」

「なんだよ、それ……」


 レイズの視線がニルヴェアからそれた。それでもニルヴェアの視線はレイズからそれない。


「だから僕が大事にするよ。お前がお前自身をないがしろにするっていうなら、その分僕がお前を大事にする」


 蒼の瞳が少年をまっすぐ映す。


「っ……!」


 蒼の中で、少年の頬に朱が差した。レイズはとうとう視線だけでなく顔までそらして、それからごにょごにょと呟く。


「べつに俺は、自分をないがしろになんて……てか俺とお前じゃ立場とか、色々違うだろ……」

「今は僕も同じナガレだ」

「っ……”かっこかり”のくせに……!」


 レイズはもにょもにょしている。ごにょごにょしている。煮え切らない様子であーだこーだと、挙動不審にきょろきょろと……


「あーーーーーーー、もう!!」


 なんかいきなりキレた。それから、いきなり焼き鳥をひとつふんだくって食い千切った。そんで、一言。


「……うめぇ」

「だよな!」


 ニルヴェアが屈託なく笑った。レイズもそれを見て、表情を緩めた。


「無茶をやめろ、っつってもお前はどーせ聞かねーんだろうな」

「お前が無茶をするならな」

「…………」


 レイズはほんの少しの間、黙ってニルヴェアの目を見つめていた。

 だが不意に視線を外して、それを自分の手のひらへと向けた。炎の壁を生み出した、その小さな手のひらへ……やがて、ぽつりと呟く。


「それでも無茶のやり方ぐらいは選べよ。俺が無茶すんのは生きるためだ。誰かの代わりに死ぬのも、死なれるのも、俺はごめんだからな」


 ニルヴェアもまた、レイズの手のひらへと目を向けた。


「それは、ナガレの流儀?」

「……おう」

「なら分かった。それと……ごめんなさい。本当に心配と世話をかけたな」

「……ん」


 それから2人はしばらく喋らなかった。

 ただ静かに焼き鳥を食べて、ジュースを飲み、そしてなんとなく夜空を見上げていた。香ばしい焼き鳥の香りとジュースの甘い香りが混ざり合い、そして夜風に吹かれて空の彼方へ溶けていく。真っ白なお月様といくつもの星が照らす夜空へ……ふと、ニルヴェアが言葉を空へと投げかける。


「最近さ、夜が待ち遠しいんだ」


 レイズはきょとんとした。ただただ意味が分からなくて。しかしニルヴェアは夜空を見上げたまま、ゆっくりと語り始める。


「こうして旅をしていると思うんだ。新しい場所で夜が来て、空を見上げるたび、そこにはまた同じようでどこか違う。そんな星空が広がっている……たったそれだけのことだけどさ、それだけで僕は不思議とわくわくしちゃうんだ」

「それ、は……」


 レイズの胸中で、なにかがじんわりと芽生えてきた。そしてそれを育てるように、ニルヴェアの話は続く。


「新しい星空を眺めながら、美味しい物を食べながら、お前とこうして語り合える。僕はこの時間が本当に楽しいし、それはあのとき炎の中に飛びこんで、この手で首狩鳥を仕留めたからこそ得られた物だと思っている。だから反省はしてるけど後悔はできない……かな。って言うと、なんか開き直ってるみたいだな?」

「つか開き直ってるよな完璧に」

「あ、あはは……やっぱ……だめ?」

「さてな。反省してるだけマシというべきか、反省してるなら開き直るなと怒るべきか……」


 そこでレイズも空を見上げて……ふっと、表情を緩めた。


「スリルを楽しむ、ってわけじゃないけどさ……命からがらやりきって、旨い飯を食いながら、こういう時間をのんびり過ごす。いいよな、そういうの」


 その表情に宿っているのは、共感という感情であった。

 レイズもまた1人の旅人として、その体に刻み込まれているのだ――旅の醍醐味や快楽が。そして……危険や苦難もまた。


「ニア。お前はなんであのとき首狩鳥を殺したんだ? お前はずっと、”命のやり取り”を怖がってたはずだろ?」


 その言葉にニルヴェアは腕を組んで考えた。しばらく思案に耽って……それからこう切り出す。


「これは『兄上語録』からの引用なんだけど、人も獣も究極的には変わらないんだってさ」

「なんて???」


 言葉にそして頭にクエスチョンマークが山盛りで乗っかった。が、ニルヴェアはごく当たり前のように言う。


「ん? ああまだ説明してなかったか。実は各所から集めた兄上の名言を僕が手ずからまとめたファイルがウチにあってだな。それを僕は兄上語録と読んでいるんだが、まぁ要するに兄上の名言からの引用だ」

「そう……うん……好きにして……」


 レイズの投げやりっぷりとは対称的に、ニルヴェアの声音はなんか元気3割増しであった。


「生きることは闘い続けること。獣はその先達であり教師なんだって」


 ニルヴェアはそこでこほんと咳払い。それから声のトーンを低くして語り始める。まるで誰かの真似でもするように。


「人もまた命を喰らって生きている。それは食事という生存のための行為だけに留まらず、なにかのために武力を振るうときも同じだ。”正義””守護”そんなお題目で着飾ろうとも、武力を振るうというのはとどのつまり他者を侵略するということであり、侵略というのはつまりなにかしらの形で命を喰らうということだ。ゆえに武力の権化たる我々は、ある意味では獣に最も近い人なのだ……」


 ふざけた口調はともかくとして、中身はそれなりに真面目らしい。レイズもまた腕を組んで少し考えこむ。


「まーそういうことも言えるわな。誰かを傷つけるために振るうのが力だし、そこに人も獣もない……か」


 ニルヴェアもそれに頷いて話を続ける。今度は真似っ子じゃなくて普通の口調で。


「だからこそ、獣を食す際には正しく敬意を払わなければいけないし、『いただきます』と日々祈ることも忘れちゃいけない。これはそういう教えなんだ」

「あ、これ飯の話!?」

「せっかくご飯食べてるんだしな」

「そ、そうか……」


 レイズはまだ皿に残ってる焼き鳥へと目を向けた。そういえばまだ、言ってない気がする。


「いただいてます」


 己が血肉となった鳥さんに祈りを捧げ、それから改めてニルヴェアへと向き直った。


「で、結局なにが言いたいんだよ。まさか本当に飯の話をしたかったわけじゃないだろ?」

「あはは。どっちかっていうと兄上の話がしたかったんだ」

「うっそだろお前」

「うん、半分冗談」

「おいおい、半分はマジかよ……」


 しかしニルヴェアはそれに答えなかった。彼女はその代わりに今着ているラフな寝間着、そのズボンのポケットからあるものを取り出した。

 ニルヴェアが手のひらに乗せて見せたそれは、クリアブルーの鉱石が嵌ったペンダントであった。


「それは、アイーナの……」


 ニルヴェアは頷いた。ペンダントは月光を反射して、きらりと光っていた。


「人も獣も変わらない。なら、獣を殺すことに慣れてしまえば人を殺すことにも慣れてしまうんじゃないか。いつかアイーナが死んだあの夜の痛みも消えて、彼女を殺したやつと同じになってしまうんじゃないか。僕が本当に怖かったのはそれなんだ」

「…………」


 ――旅をする限り、お前は戦い続ける。獣を殺し続ける。きっと必要となれば……人でさえも


 レイズにはなにも言えなかった。励ましも、否定も、かけられる言葉なんてなにひとつ……


「でもレイズ、お前は違うだろ」

「!」

「アカツキさんだってそうだ。ナガレが生きるためには獣を狩り続けなきゃいけない。時には人を傷つけてでも護らなきゃいけないものだってある……そんな厳しい世界の中で、それでも2人は僕のことを何度も助けてくれたじゃないか。僕はもう知っているんだ。たとえ戦いの中で命のやり取りに慣れることはあっても、それが必ずしも人の本質を変えるわけじゃない……本当は知っていた。知っていたのに、それでもあの夜を思い出すと、どうしても足が竦んで……」

「それでも今日、お前は首狩鳥を仕留めたんだな」

「ああ……」


 ニルヴェアはペンダントからレイズへと顔を向けた。蒼い視線が少年を静かに射抜いた。少女の金髪が夜風になびいて、少年の心臓が熱を帯びた。それを合図にするかように、ニルヴェアの口が開く。


「足が竦んで、どうしても怖くて、それでも踏み出さなきゃいけない。ってあのとき思った。だって僕はナガレになりたかった……お前と一緒に戦える、そんな自分になりたかったんだ」


 レイズはその言葉の意味を、うまく飲み込めなかった。


「ナガレに……? それに、俺と一緒にって……もう戦ってるだろ……」

「違うよ、一緒じゃない。だってお前にとって、僕は護らなきゃいけない足手まといだったはずだ。だからお前は僕の甘えを許して、殺し合いから遠ざけて、今日も僕だけを逃がそうとした。違うか?」

「あ、足手まといなんて! 思っちゃ、いない、けど……」


 声が尻すぼみになっていく。否定できない部分があるのも事実だった。しかしニルヴェアもまた「それはしょうがないことだ」とすでに受け入れていた。


「だってお前は強くて、僕は弱いんだから。だけど、それでも僕はお前と一緒に闘える自分になりたい。実力はまだ追いつかないとしても、せめて志ぐらいは並び立てるようになりたい。だから僕は僕自身の手で首狩鳥を仕留めたんだ。僕も1人のナガレなんだぞって、その証を立てるために」

「証って……べつにナガレなんて、そんないいもんじゃ……」

「孤独の中でも自分を見失わず、強い信念をもって旅を続けられる。そして自分が闘うべきときを自分で決めて、そこに命を懸けられる。そういうかっこいい人たちが、僕にとってのナガレなんだよ」

「!」


 レイズは一瞬目を見開いて、しかしすぐに目を伏せた。その瞳に宿るのは、黒く濁った――劣等感。


(俺は、そんなかっこいいやつじゃない)


 ずしんと重くのしかかったそれに、きゅっと唇を噛み締めて、瞼を閉じて……しかし、すぐに開く。


(それでも憧れてくれるなら、俺は……)


 レイズは選んだ。吐きだすのではなく、問いかけることを。


「戦うべきときを自分で決めて、そこに命を懸けられるのがナガレ……だったら、お前はなにに命を懸けるんだ?」

「兄上だ」


 ニルヴェアの返答に迷いはなかった。


「もしもこの先にいる敵が本当に兄上だったらってずっと考えていた……それで思ったんだ。きっとあの人なら、誰が相手だろうと絶対に命を懸けて目的を果たそうとするはずだって。だから、えっと……獣との戦いだってそうだけど、相手が命懸けで挑んでくるのにこっちがためらってちゃ話にならない。だろ?」

「だろって……言うのは簡単だけどさ、本当にそのときが来てもためらわないって言えるのか? たとえ……尊敬する兄貴を殺さなきゃいけない、そのときが来たとしてもだ」

「う~~~~~ん……どうだろう?」

「うんうん、そりゃ悩むよな……ってここで悩むのかよ! ほんっといちいち締まらないやつだな!」

「いやでもさ、兄上が本当に黒幕だったら絶対ショック受けると思うぞ? だって僕の兄上は世界で一番かっこいいって10年ぐらい思い続けてきたわけだし、なんなら今でも思ってるし。うん、結局はそのときが来ないと分からないよ。やっぱりさ」

「あのなぁ……」

「――でも、一度決めたら最後まで貫きたい」

「っ!」

「もしそのときが来て、なにかを決めなければいけなくなったら……僕はちゃんと決めるよ。そしてこの命を懸けてでも、最後の最後まで貫き通してみせる。なんていうかさ……殺す殺さないよりも結局はそういうことなのかな、って思ってる。なんとなくだけどな」


 ニルヴェアはそこまで言いきると……いきなり自らの手を差しのべた。その手の先に立っているのは。


「だからレイズ。僕に力を貸してくれ」

「……!」


 レイズは息を飲んだ。差しのべられたその手に、かけられた言葉に、レイズの脳裏でかつての決意が重なる。


 ――お願いします! 僕に力を貸してください!


「なんだよ、今更……」


 レイズは思わずそう呟いたが、しかしニルヴェアはすぐにそれを否定する。


「僕はかつて、無力な僕を護ってもらうためにお前の力を欲した。だけどもう護ってもらわなくてもいい。その代わり……僕の隣で、一緒に戦ってくれ。今度は僕が僕の決断を貫き通すそのために、お前の力を貸してくれ」

「ニア……」


 レイズの手がゆっくりと持ち上がって……そこで止まった。レイズはただじっとその手を見つめて。


「俺は……」


 そのためらいに、ニルヴェアは笑顔を見せた。どこか自慢げな、いわゆるドヤ顔。ダメ押しとばかりに明るい声で押しこんでいく。


「それにほら、『無茶は選べ』っていうのがナガレの流儀なんだろ? だったら1人より2人の方が、選べる無茶だって広がるじゃないか!」


 どうだこの名案! ニルヴェアの表情が語っていた。しかしレイズはそれを見て……ただただ、唖然とした。

 唖然。呆然。そして……乾いた笑い。


「は、はは……ははは……」 


 だがその乾きに、湿り気がじわじわと混じっていく。


「はははっ、ははっ……あはははは!」


 気づけば大きな笑い声が、遥か遠くの夜空へと放り投げられていた。今度はニルヴェアの方が目を丸くする番だった。


「なんだ!? まさか変な物でも食べたのか!?」

「いやお前じゃあるまいし、んなわけねーだろ!」

「そっかならよかっ……いやちょっと待てそれって僕が変な物を食べそうってことか!?」

「だってお前、俺を呆れさせる天才じゃん!」

「なんだそれ! こっちは真面目だっていうのに!」

「あー笑った笑った。あれで真面目だってんだからお前はほんっと……」


 レイズはいつの間にか目尻に溜まっていた涙を拭って、ようやくニルヴェアへと向き直った。そしてすっかり宙ぶらりんになっていたニルヴェアの手へと目を向けて。


「あのなぁ、無茶を選べってそういうことじゃねーよ。てか決意がどうであれ、やっぱり俺より弱いやつを俺の前に出すわけにはいかねーし」

「うぐっ。で、でも……」


 瞬間、小さな手と手が繋がった。


「!」


 驚いたのはニルヴェアだった。繋いだのは、レイズだった。


「だから俺の隣で闘えよ。後ろからいきなり飛び出されるより、隣にいた方がまだよっぽどマシだからな」

「……!」


 蒼い瞳が大きく開いた。しかしそれを見たレイズは、慌ててぱっと手を離した。そしてすぐに顔を背けてまくしたてる。


「つっても、実力を認めたわけじゃねー! むしろこいつは心配だからこそ……つーわけで調子に乗んな! そんで無茶するなら相談必須! ここまで妥協してやったんだからお前もちゃんと守れよそこら辺!」


 しかしニルヴェアの方はといえば、にへらと表情を緩めてすっかり浮かれた様子であった。


「へへっ。一緒に闘ってくれるなら、この際心配でも信頼でもなんでもいいよ」

「ったく、ほんと図太いやつだな……」


 と、レイズの視線が一点で止まった。そこにあったのは焼き鳥串……から焼き鳥を引いたただの串。少年の瞳が、そこに懐かしい記憶を映しだす。


「俺が初めて獣を仕留めた夜はさ、喉をなんにも通らなかったんだ。胃の中の物だって全部吐いてさ」

「えっ。お前が……?」

「そういう時代もあったってこった。だからさ、そこら辺だけで言えば……お前って本当にナガレに向いてるのかもな」


 それはレイズなりの冗談&誉め言葉であった。『ナガレになりたい』そう語ったニルヴェアを認めたがゆえに、彼はその言葉をかけたのだ。目の前の少女を喜ばせたい、なんてちょっとした打算もあった。

 しかし……ニルヴェアは、なぜかぐっと息を飲んて表情を強張らせる。


「っ……!」

「ど、どうしたんだ? なんか俺、変なこと……」

「レイズ」

「え?」

「僕をナガレとして認めてくれるなら、そして力を貸してくれるというなら……ひとつだけ、教えて欲しいことがあるんだ」

「なんだよ、改まって……」


 そのとき、レイズの背筋になにか嫌な予感が走った。寒気のようなそれに体をぶるりと震わせて、しかし彼の心臓は徐々にその”熱”を増していた。そしてそれに呼応するかのように、ニルヴェアがその問いを口にする。


「――お前の炎って、なんなんだ?」

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