3-10 拒絶の炎と小さな手(後編)
「やばいのが来る。少し下がってろ」
レイズは警戒を露わに、下り坂の向こうを見つめている。
そしてニルヴェアもまた、レイズの警戒している理由までは分からないものの指示自体にはすぐ従って後ろへと控えた。こういうときはレイズの指示をちゃんと守る。それもまた、二人で取り決めた約束だった。
「ニア、『インパクト・ボム』を使うぞ」
レイズはニルヴェアの後退を確認してからそう言った。腰のベルトへと左手を添えながら。
以前、レイズのベルトには琥珀銃とナイフだけが収められていた。だが……今はそれに加えてもう2つ、とある秘密兵器が付けられている。
秘密兵器、と言っても見た目は兵器らしくない。むしろその見た目はおよそ『金属質の卵』としか言いようがなく、一目見ただけでは使用方法が全く分からないような代物だ。
しかしレイズはそれを迷うことなく腰から外してその手に握った。その光景が、ニルヴェアにいつかの出来事を思い出させる。
(『インパクト・ボム』。たしか、あれを使うときは……)
◇■◇
それはまだ街で修行していたあくる日のこと。そのときニルヴェアは、レイズにとある物を見せてもらっていた。
「インパクト・ボム?」
「おう。琥珀工房でな、銃を直すついでに2つだけ作ってもらったんだ。ちょっとした秘密兵器ってやつさ、ほれ」
と、レイズは軽い調子でその『インパクト・ボム』のひとつをニルヴェアへと手渡してきた。それはぱっと見では金属質の卵型の物体、としか言いようのないよく分からない代物だったが……しかしニルヴェアとしては警戒せざるをえなかった。なにせ名前が
「……これ、急に爆発とかしないよな」
そう訝しげに呟きながらインパクト・ボムを受け取ったニルヴェアに対して、レイズはあっけらかんと笑ってみせる。
「ははっ、大丈夫だよ。そいつは正確には爆弾じゃないし、それ単体じゃなんの機能もないんだから」
「機能がない……?」
ニルヴェアは疑問を覚えつつ、手渡された爆弾(爆弾ではないらしい)を観察してみた。
金属質の卵型、その表面には意味の分からない幾何学模様が複雑に刻まれていた。それを眺めながら卵をくるくる回してると……見つけた。表面の一か所に小さな押しボタンのようなでっぱりが付いているのを。
「……なんだこの、妙に押したくなるけどなんとなく危険な香りもするボタンは……」
「べつに押していいぞ?」
「えっ」
口では驚きつつも、ポチッ。指は勝手に動いていた。
「あっ」
ニルヴェアが我に返ったその途端、ピィィィィン……とインパクト・ボムが小さな唸りを上げだして、ついでに表面の幾何学模様もなにやらぽわっと光りだした。
「レイズ、レイズ、なんか光ってるんだが!?」
「大丈夫って言ってんだろ。ほら見てみ」
「え……あ、なんか収まってきた……」
ニルヴェアが呆然とする中、インパクト・ボムの光と唸りはゆっくりと収まっていき、やがて再び大人しくなった。
「えっと……結局なんなんだ、これ?」
ニルヴェアが困った顔で首を傾げれば、レイズは待ってましたと言わんばかりに解説を始めた。
「『インパクト・ボム』ってのは正確に言えば一種の現象なんだよ」
「現象?」
「そ。まず琥珀機械っていうのは中に『回路』が仕込んであって、それを通すことで琥珀エネルギーを別の力に変換するんだ。例えば灯りを点けたり、車を動かす動力にしたり。あるいは、エネルギーをそのままに形状だけ変えて使うこともある。要は銃の弾丸として打ち出すとかな……と、ここで問題だ。今挙げた前者と後者、その違いはなんだと思う?」
「そりゃあ……琥珀エネルギーが原型を保っているか否かってだけの話じゃないのか? だけっていうのもあれなんだけど、とりあえず光とか動力とかに変えたらもう琥珀エネルギーではない、とは思うが……」
「8割方正解だな」
「……8割?」
「正確には、回路を通した時点でエネルギーはすでに変質してるんだ。確かに別の力に変換したらもう完全に別物だけど、たとえエネルギーの形を保っていてもその構成は通した回路によって微妙に違ってるんだよ。で、この”微妙な違い”ってやつこそがインパクト・ボムを引き起こすんだ」
「えっと……」
ニルヴェアは困り顔のままだった。なんとなく分かるような、分からないような。
「つまり、なにがどうなるんだ?」
「微妙に質が違う2種類の琥珀エネルギー。それもある特定の組み合わせ同士をぶつけると、その2つが激しく反応し合って強烈な爆発を引き起こす。それがインパクト・ボムって現象だ」
「ということは……」
ニルヴェアは改めて、その手に持たされた卵型を眺めた。いわく単体ではなんの機能もない機械、その真骨頂とは。
「こいつを起動して、別の琥珀エネルギーをぶつけると爆発する。ってことでいいのか?」
「そういうこと!」
レイズは解答ついでに親指をぐっと立てて、それからまた解説を追加する。
「ま、正しくは俺の琥珀銃だけに反応するよう作ってあるんだけどな。そういう回路を組み込んだ上で、こいつを起動すると中でエネルギーがしばらく循環するようになってるんだ。そんだけの仕組みだからこれ単体じゃ意味がないんだけど、それは言い換えれば火薬式の爆弾と違って誤爆の危険性が無いのと、敵に盗られても利用されない。そういう利点もあるんだ」
「ふーん。これはこれで結構便利なんだな。でも……それなのに、たった2つしか作ってないのか? 誤爆しないなら尚更たくさん作ってもよさそうだけど」
そんな疑問をニルヴェアが口にすれば、レイズは彼女の手からインパクト・ボムをひょいと取り上げながら答える。
「こいつはさ、単体で役立たないとはいえ琥珀機械を丸々ひとつ作るようなもんなんだ。ぶっちゃけ費用が馬鹿になんないし、2個しか作らなかったんじゃなくて作れなかったんだよ。だからこれは秘密兵器……使わざるをえないときだけ使う、そういうもんだって覚えといてくれよな」
◇■◇
レイズは腰のベルトに留め具で繋がれている2個のインパクト・ボム。その内の1個を留め具から外して掴み取り、ボタンを押して起動した。それからなんの迷いもなく正面に向けて放り投げた。
内部でエネルギーを循環し、発光しながら宙を舞う卵型。その投擲先をニルヴェアも目で追った。すると、すぐにそれは見えた。
「あれは……!?」
描かれた放物線のさらに向こう。坂の下から、漆黒の影が”飛んで”きているのだ。
ニルヴェアは目を細めて、その姿を視認しようとした……が、はっきりと見えるその前に影はインパクト・ボムへと突っ込んでくる――その瞬間、逆から飛んできた紅のエネルギー弾がインパクト・ボムに激突した。
紅の光が瞬く間に膨れ上がり、漆黒の影を飲み込む――ごうっ!
いくつもの炎が中空で爆ぜて、いくつもの熱風を周囲へと撒き散らしていく。もちろんニルヴェアたちに対してもそれは平等に降り注いだ。
「うわっ!」
ニルヴェアは思わず両腕で顔を庇って熱風を防ぐ……確かに熱いが、火傷や痛みを感じるほどではなかった。だからニルヴェアはすぐに腕をどかすことができた。彼女は急いで顔を上げて、眼前の様子を伺う。
するとその目に映ったのは、円を描くように焼け焦げた地面とその周囲に飛び散ったいくつもの”欠片”であった。
焼け焦げた黒い羽根。あるいは黒い毛に覆われた謎の塊。あるいは鳥類の千切れた足……。
「これは……」
「首狩鳥、って獣がいるんだ。まぁその名前の通り鳥類なんだけどさ、そいつが灰牙狼にとってのいわゆる天敵に当たるんだよな」
「だから、狼たちは必死に逃げていたのか……?」
「そ。でもその首狩鳥は基本的に単独行動しかしないはずなんだ。だからこうして仕留めちまえばとりあえずは大丈夫だろうけど……でも俺たちはすでに森の中で死骸を撒き過ぎてる。こうなると、匂いに釣られて他の獣が……それこそ別の首狩鳥がやってくる可能性まであるんだ。真面目に戦うと結構厄介だからなあいつ……」
「だからインパクト・ボムを使ってまで倒したのか。本当に危険なのは戦いの匂いに釣られる新手。そいつらから逃げる時間を確保するための秘密兵器ってことだな」
「分かってるじゃん。つーわけで、とっととずらかる――」
がさがさっ。草木を掻き分ける音がいきなり響いた。
「「!?」」
レイズもそしてニルヴェアも、思わずそちらへ視線を向ける。するとそこにあった草むらを描き分けて、一頭の灰牙狼が姿を現した。
「ちいっ!」「なにっ!?」
突然の乱入者に2人は驚きながらも、しかしレイズはすぐに琥珀銃を構えてニルヴェアもまた拳を握った――その直後、狼は捕らえられた。狼を追いかけて草むらから飛び出してきた”漆黒”に。
瞬間、狼の姿がその場からかき消えて、ほんの一拍。すぐ近くの樹がどすっ、と音を立てて揺れた。
レイズたちがそちらを見ると、消えたはずの狼はその体を樹に叩きつけられていた。1羽の怪鳥によって。
ただひたすらに黒く、毛深い鳥だった。
狼よりも一回り大きいその怪鳥は、狼を樹へと叩きつけたあとその体を今度は地面へと投げ捨てた。すると狼はただ力なく倒れ込んだ。
だが怪鳥もまたそれを追うように地面に降り立つと、すぐに脚を振り上げた。その脚の先には鎌のように鋭く、歪曲した鳥爪がついている。怪鳥はそれを容赦なく狼へと振り下ろして――狼の首。その肉と血管が、いとも簡単に抉り取られた。狼は絶命した。
目の前で突然行われた殺戮。文字通りの弱肉強食を目の当たりにしてニルヴェアは慄き、そして気づく。
「あれが、まさか、首狩鳥」
と、視界の隅で紅い光が瞬いた。
「!」
それはレイズが発砲した光であった。ニルヴェアの隣で放たれたエネルギー弾は漆黒の怪鳥、その頭部へと寸分違わずぶち当たり……しかし、それだけだった。
「効いてない……!?」
「ちっ。やっぱこーなるか」
ニルヴェアが驚き、レイズが舌打ちをした。その2人の視線の先、怪鳥は全く動じていなかった。なぜならば、怪鳥の頭部にびっしりと生えている黒い”毛”が爆発のダメージを堰き止めていたからだ。
首狩鳥。
首から下は鳥類らしい羽毛に、そして首から上はなぜか人毛のような細い毛に覆われているその不気味な鳥は、広い地域において凶事の証として忌み嫌われていた。
実際、その見た目の不気味さもさることながら巨大な体躯と強靭な膂力を併せ持ち、一度狙った獲物は執念深く追いかけ回す性質まで備えているこの鳥は、これそのものがもはやひとつの凶事とも言えた。今、この瞬間のように。
「あの毛深さが厄介なんだよな。さて、どう切り崩すか……」
「――閃光玉を使う!」
「っ!?」
レイズが驚き隣を見ると、すでにニルヴェアは閃光玉をその手に掴んでいた。彼女の表情は焦燥に満ちており、『とにかく動きを止めなければいけない』と判断した末の行動であったことは明確だった。
が、しかしレイズもまたそれに対して焦りを見せる。
「ちょ、待て! あいつには――」
だがレイズが制止する間もなく、ニルヴェアは閃光玉を投げた。それは首狩鳥の足下で炸裂し、ほんの一瞬眩い閃光を放った。
……だが、それだけだった。
首狩鳥は顔の体毛を盾にすることで、閃光からその眼を守っていたのだ。そしてそいつはゆっくりと首を振って、ニルヴェアへと視線を向けた。
顔中を覆う深い黒毛の向こうから、血のように真っ赤な瞳がニルヴェアを覗き込む。
「!?!?!?」
ぞくりと、ニルヴェアの全身に寒気という形で予感が走った。
標的にされている。それを彼女が理解したそのときには、すでに首狩鳥は翼を広げて羽ばたいていた。巨大な翼の勢いと鳥類らしからぬ太い脚を持って、一気に加速。瞬く間にニルヴェアへと飛び込んでくる。
「しまっ……!」
ニルヴェアは動けない。肉体も思考も、追いつかない――
「下がれっ!!」
ニルヴェアは声に弾かれ、反射的に後ろへ飛び退いた。
そしてその隙間に割り込むように、小さな体躯が立ちはだかった。レイズが銃を盾にする形で、首狩鳥の前へと躍り出たのだ。
しかし首狩鳥はレイズの姿を認めると、接触の直前でその脚を下から上へと大きく振り上げる。円弧を描き、レイズの銃を掬い上げて弾き飛ばそうとするその一撃を、レイズは躱すことができない。
「がっ!」
ガキンッと耳障りな音と共に、銃が高く舞い上がる。だがレイズにそれを追うことは許されない。なぜなら振り上がったはずの首狩鳥の脚が、次の瞬間にはレイズに向けて振り下ろされていたからだ。間髪入れずに襲い掛かってきた鳥爪を前に、しかしレイズは目を逸らさず咄嗟に左腕を盾に使った。
鎌のような鳥爪が、決して少なくない肉を刈り取り血飛沫を散らせて「ぐうっ!」それでもレイズの瞳は死なない。
「こな、くそぉ!」
まだ、右手が残っている。レイズは迷わずその手を伸ばし、黒鳥の肉体を覆う羽毛群を掻き分けて――爆破! 紅い炎が黒鳥の体から噴き出した。
『グァッ!?』
首狩鳥は悲鳴を上げると、すぐに大きく羽ばたいた。その反動でレイズとの距離を取ってから地面へと着地。体の一部からぷすぷすと煙を上げながらも、その太い脚でしっかりとそこに立っている。
そしてその一方で、
「っ、はぁ。はぁ……!」
レイズは抉られた左腕から血を流し、右手からは炎の残滓たる煙をたなびかせ、しかし彼もまた揺るがぬ姿勢で首狩鳥と相対している。
どちらからともなく睨み合う両者。張り詰めた雰囲気が空間を覆う……
レイズの後ろに控えていたニルヴェアただ1人を、蚊帳の外に置いたまま。
「レイズ!」
ニルヴェアはレイズの負傷へと目を向けながら、慌てて駆け寄ろうとした。だが、
「来るなっ!」
レイズは振り返ることなく叫んできた。
「なに言ってるんだ!?」
ニルヴェアは驚いたが、しかしレイズは返事を返すことなくひとつの玉を真正面へと放り投げた。首狩鳥のすぐそばで炸裂したそれは煙玉。灰色の煙が首狩鳥の姿を隠したほんのひととき、レイズが振り返らずに言う。
「銃を拾ってすぐこっちに投げろ。そしたらそのままハヤテに乗って先に行け。次の街はもう近いはずだ」
「なっ……僕1人で逃げろって――」
『ガァァァァァァッ!』
突然。耳を貫くような鋭い鳴き声が、ニルヴェアの言葉を遮ってきた。
「っ!?」
発生源は灰煙の向こう。レイズの表情にも焦燥が深まる。
「急げ! あいつは目が悪いけど鳴き声で周囲を把握できるんだ!」
「そ、そういう問題じゃないだろ! なんで僕が逃げなきゃ」
「余裕がないんだよ」
その小さな呟きは、それでもいやにはっきりと聞こえた。
――今更だけど白状しとく。俺は一人旅ばかりしてたからさ、誰かを守りながら旅するなんて慣れてないんだ
思い出したいつかの弱音が、ニルヴェアに歯を噛ませる。ぎりりと軋む音がした。
(お前はっ、なんでいつも……!)
また、目の前には背中があった。
正面を向けば優しく手を差し伸べ、背を向ければ優しく突き放す。レイズはそういう少年だった。
(僕はどうすれば)
分かっている。本当はレイズの指示に従うべきなのだとニルヴェア自身も分かっている。それでも彼女は納得できない。レイズに、自分に、なにもかもに。
それでも、レイズは勝手に動き出すのだ。彼は傷ついた左腕も含めて両腕を伸ばし、両手を正面に開いた。するとその両手のすぐ先、なにもないはずの空間に紅い光がぽつぽつと生まれ、それはすぐ1か所に集まり渦を形作っていく。
(なんだ、あれ)
ニルヴェアが驚愕を覚える中、光は次から次へと産み出され、渦へ飲まれ……そして炎へと変わっていく。
そのときニルヴェアの脳裏に過ぎったのは、とあるひとつの仮定であった。
(そうだ。やっぱりあいつの力は、琥珀武器とは別の……)
ぶわっ! 突風がニルヴェアの肌へといきなり打ち付けられた。
ニルヴェアが驚き、思考を止めて突風の出所へ視線を向ければ、灰色の煙が風に煽られ散っていた。そしてその中心では、黒き怪鳥が翼を大きくはためかせている。
それが飛翔の直前だとニルヴェアが気づいたときには、首狩鳥はもう空を叩いて跳んでいた。鳥のくせして”飛ぶ”というよりも”跳ぶ”に近い低空飛行。その黒き弾丸はレイズに向かって一直線に――
「今だっ、ニア!」
レイズが叫び、炎が吠えた。
彼はその手に収束した炎を一気に燃焼、拡散させて燃え盛る壁を作ったのだ。炎の壁は地を焦がし、舞い散る木の葉を焼きながら、首狩鳥を堰き止める。
そしてニルヴェアの瞳もまた捉えていた。レイズが炎の壁を展開したその瞬間、首狩鳥が反射的に急停止していたのを。
(人も、獣も、炎を本能的に怖がるんだ)
炎は命を拒絶する。眼前に拡がった紅い拒絶を、それでもニルヴェアは蒼い瞳でしかと見据えて。
「お前の炎は綺麗だな」
ニルヴェアは、前に進むことを選んだ。炎を展開するレイズの隣にそっと立って、それからたった一言だけ告げる。
「任せろ」
そしてニルヴェアは迷わず炎の中へと飛び込んだ。だが炎に触れれば当然焼ける。白い肌がじりりと焦がされる。
「っ……!」
痛みという名の拒絶がほんの一瞬その身を強張らせる。しかしそれを押し殺して突っ切れば壁は思いのほか薄く、熱と炎はほんの一瞬で通り過ぎた。そして壁の向こう、開けたその眼前で。
(やっぱり、あいつは重いんだ)
空中で急停止した首狩鳥が今にも着地しようとしている。そんなところに出くわした。
(狼を樹に叩きつけたあとも、レイズが攻撃を受け止めたあともそうだった。たぶん1度突っ込んだら着地せざるをえないんだ)
巨大な体躯。強靭な筋肉。びっしり生え揃った毛と羽……確かにニルヴェアの推察通り、爆発的な跳躍力と堅牢な防御力の代償としてその体は非常に重かった。
(炎で急停止した直後なら尚更そうせざるをえない――そこに、隙がある!)
ニルヴェアは確信と共に両腕を伸ばした。宙から降りゆく首狩鳥、その太い脚を両手でしっかり掴んで、
「どっせぇぇぇぇい!」
前方へと思い切り叩きつける! が、首狩鳥の反射と膂力がそれを許さない。
首狩鳥は掴まれたその瞬間に強烈な力で暴れ出し、逆にニルヴェアの体を引きずり回す。しかしニルヴェアだって意地でも離さない。ゆえに必然、両者はもつれ合いながら共に地面へと叩きつけられた。その衝撃でニルヴェアの手が離れる。そして、先に立ち上がったのは首狩鳥の方で。
ニルヴェアが遅れて顔を上げたそのときにはもう、鋭い鳥爪を携えた脚が大きく振り上げられていた――
――いいかニア。隙ってのはただ作ればいいってもんじゃない。なにせ相手はこっちより強いんだ。予測なんて越えられて当たり前。隙と思って攻撃したら逆にそこを狙われて手痛い反撃を喰らう……そしたら俺たちのか弱い体じゃひとたまりもないだろ?
――でも、そんなこと言ったらなにも始まらなくないか? 格上を想定して戦うなら、絶対安全な隙なんて結局有り得ないと思うんだが
――確かにお前の言うことは正しい。結局はどこかでなにかを賭けなきゃいけない。だけど……
鳥爪が振り下ろされるその前に、ニルヴェアは動いていた。
立ち上がるのではなくその場を転がって、鳥爪の着地点から退避する。遅れて鳥爪が地面にずんっ!と突き刺さった。
目の前で地面を抉ってみせた鳥爪。しかしニルヴェアは恐れることなくベルトのポーチからひとつの玉を取り出すと、間髪入れずにその場で潰す。
――勝ちの可能性をギリギリまで拡げることはできる。そのための魔法の呪文を教えてやる
修行の中でレイズに教わったその呪文を、ニルヴェアは唱える。
「もう一押し、だ」
灰煙が膨れ上がり、ニルヴェアと首狩鳥を包み込んだ。その瞬間、ニルヴェアは立ち上がることを迷わず選んだ。ある確信と共に。
(いきなりの取っ組み合いからいきなりの煙玉。パニックになれば、習性に頼らざるをえないだろ!)
ニルヴェアは右手でナイフを素早く抜いて握ると、煙る視界の中、それでも一直線に”そこ”へ向かう。
(視界が潰れて、鳴き声で位置を探るその瞬間が!)
『ガァァァァァァッ!』
2度目の鳴き声が鼓膜を揺らす。そのときにはもう、黒毛が目の前にあった。ナイフを握った右手だって大きく振っていた。
そして首狩鳥の方も一拍遅れてニルヴェアに気づいた、その直後。
「ああああああ!」
ニルヴェアが叫びとナイフを黒毛の中へとねじこんで、その奥にある首筋を貫いた。
――ぶちりと皮膚を切り裂き、ずぶりと肉に沈み込む感触。遅れてぷしゅっと溢れ出す鮮血。
蒼の月光。紅の鮮血。彼女を殺したのも、鈍く輝くナイフだっ
「っうああああああ!!!」
叫びでなにもかもを吹き飛ばして、ナイフを振り切った。
すぐに噴き出した血が顔にかかり、鉄さびの匂いが鼻を突き、やがて煙が晴れて……ニルヴェアの視界の中で、首狩鳥が転がっていた。
ニルヴェアは、呟く。
「相手が、こっちの予測を、越えてくる。それを前提に、もう一押し」
彼女はうわ言のような声を出しながら、歩きだした。地面にこぼれた染みを踏みしめて、跡を辿り、近づいていく。
「1つなら単なる隙でも、2つ、3つと重ねれば、それは、大きな、パニックに変わる……」
ニルヴェアは、ふと立ち止まった。
足元では、首を裂かれた首狩鳥がぴくぴくと痙攣していた。その傷がすでに致命傷なのは誰の目から見ても明らかであり、放っておいてもその命はじきに消える。
だが、それでもニルヴェアはゆっくりと屈んで、静かにナイフを振り上げた。
「ごめんな」
――レイズは、全てを見ていた。
己が生み出した炎の中に飛び込んでいったニルヴェアを。
首狩鳥ともつれ合い倒れこみ、踏み潰されそうになったニルヴェアを。
そして今、首狩鳥にトドメを刺したニルヴェアを。その背中を。
その全てを見届けて……レイズは倒れ込み、尻もちを着いた。
「はぁっ、はぁっ……」
レイズは息を荒げて、呆然として……やがて己の両手へと視線を向けた。
小刻みに震える手のひらからは、ほのかに煙が燻っている。
レイズは次に、ニルヴェアを見た。もう動かない首狩鳥の前で屈む彼女もまた、時が止まったかのように動かない。
レイズはよろよろと立ち上がった。
「ニア」
あだ名を呼ぶと、ニルヴェアはようやく反応してゆっくりと振り返った。
無邪気な笑顔の似合う顔に、今は真っ赤な返り血が張り付いていた。それでも少女は、ぎこちなく笑顔を作る。
「レイズ。できたよ、僕ひとり、でも」
と、少女の体がぐらりと揺れた。その手からナイフが滑り落ちた。からんっ、とナイフが落ちた音。それに続いて、どさりと少女が倒れた音。
ニルヴェアは気絶した。
それを理解した瞬間、レイズは歯噛みして、それから叫ぶ。
からからに乾いた喉をむりやり震わせてでも、彼はその一言を叫ばざるをえなかった。
「このっ……馬鹿野郎!!」
◇■◇
――約束の日まであと5日――
時はまた遡り、エグニダ邸にて。
無線爆弾によって空いた大穴へと飛び込んだアカツキとブロード。地下へと降り立った二人の眼前には、荒れ果てた景色が広がっていた。
エントランスの床&地下部屋の天井であった瓦礫がそこら中に転がり、崩落に巻き込まれて潰れた琥珀機械がばちばちと火花を上げている。しかし瓦礫の下に生物の姿はなく……その代わり瓦礫の向こうには堂々と、1人の”騎士”が待ち構えていた。
アカツキは1歩前に出て、その騎士へと呼びかける。
「久しいな、黒騎士。いや……白騎士エグニダと言った方が良いか?」
首から下を覆う、大岩のような黒鎧。そしてその背に担ぐは身の丈以上に巨大な片刃剣。いかにも豪快無比な剛剣使いといった風体の騎士は、しかしその風体にそぐわぬ知性的で端正な顔に、ただ静かな笑みを張り付けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます