3-8 侵入者と逃走者

 薄暗い部屋に、いくつもの琥珀機械の光が明滅している。あちこちの機械からはチューブが伸びており、そのチューブは全てが首に刺さっていた――漆黒の大鎧を身に纏った、1人の男の首に。

 そして男の周囲では、数人の研究者がそれぞれなにかの作業を行っていた。ある者は機械を見張り、ある者は資料を整理し、そしてある者は黒鎧の男の様子を注意深く観察している……と、

 ズゥン……! 天井から、地鳴りのような音が響いてきた。

 研究者たちはそれに一体何事かと慌てふためいた……が、しかし黒鎧の男だけは慌てることなく口を開く。


「侵入者か」

「は……?」


 いきなりの一言に、研究者は目を白黒させた。だが男は構わずに自らの手で、自身の首に刺さっているチューブを乱暴に引っこ抜いた。ゆえに研究者は再び慌てる羽目になった。


「エ、エグニダ様!? いきなりどうなされたのですか! 貴方の体はまだ調整が……」

「おそらくは例の女侍と偽記者だろう。そろそろ俺の正体に勘づいているとは思っていたが、ついに直接乗り込んできたか」

「し、侵入者のことですか? しかし屋敷内には警備用の合成獣キメラや罠が……」

「その程度では止まらんよ。少なくとも女侍の方はな」


 黒鎧の男――エグニダはそう吐き捨ててから、すぐ近くの壁に立て掛けてあった片刃の大剣へと歩き出した。その光景に研究者の焦りが深まる。


「ま、まさか今の状態で戦うおつもりですか!?」

疑似遺産レプリカとの最終同期は元より実戦で行うつもりだった。貴様らのやり方では時間の浪費にしかならん」

「し、しかし今の状態では肉体への負担が大き過ぎます! 今だって、本来ならば痛みで動けないはず……」

「現に動けているだろう。なら何も問題はない」

「そ、それは……まさか、もう馴染んで……?」

「いや? そうだな……例えるなら、全身を流れる血液に針が混じっているようなものか? 部位を問わず内側からじくじくと抉られるような痛みを感じる。中々に貴重な経験だが……なに、掌を焼き貫かれるよりはマシというものだ」


 そう言いながら、エグニダは鎧に包まれた右手を握って開く。かつてレイズに焼き貫かれたはずのその手はすでに完治しているようであった。その右手で壁に立て掛けられていた大剣を握って、研究者たちへと言い放つ。


「じきにここは戦場と化す。貴様たちが本当に欲しいのは俺の身柄ではなく、疑似遺産の研究データなのだろう? ならば今すぐ資料をまとめてさっさと出ていけ」


 言われた研究者たちは全員で顔を見合わせて、しかし程なくして行動を始めた。それぞれが手早く資料をまとめて、部屋の一角にある通路からそそくさと出ていく。

 しかしエグニダは彼らには一切目もくれず、体の調子を確かめるように大剣を何回か振り回していた。その動きに一切の澱みはない。


「普通に戦う分には問題ない、か。あとは……」


 エグニダは大剣を両手で構えると、しばらくそのまま佇んでいた。すると……片刃の大剣、その背にゆっくりと”火”が灯った。大剣の背には噴出孔が並べられており、そこから小さな火が噴き出ているのだ。エグニダはそれをしばらく見つめて、そしてほくそ笑む。


「疑似遺産も予定通り機能している。あとは実戦で馴染ませるだけ……」


 ――ドガガガガッ!! くぐもった轟音。いくつもの振動。強烈ななにかが天井に叩きつけられ、


「む」


 エグニダが見上げた次の瞬間――部屋の天井が突然崩れ落ちてきた。がらがらと激しく音を立てながら、無数の瓦礫が落ちていく。

 しかし幸いというべきか部屋の天井はその全てが崩れたわけではなく、エグニダが立っていたその頭上も崩落を免れていた。だから彼はその場から1歩も動かなかった。当然、目の前ではいくつもの琥珀機械が瓦礫に潰され、火花を上げ、なにもかもがぐちゃぐちゃになる大惨事が繰り広げられたわけだが……それでもエグニダは動じることなく、ただ呆れたように呟くのだった。


「他人の自宅をこうも遠慮なく爆破するなんて、人間の風上にも置けないやつらだ」



◇■◇



 天井崩落から、少し時間は巻き戻って。

 ブロードとアカツキは準備を終えると、早速エグニダ邸へと乗り込んだ。それも堂々と正門から入り、屋敷の庭を通る形で。

 しかし……玄関の大扉。その目の前に辿り着いた今でさえ、見張りの一人すら姿を見せていないわけで。


「ふむ。本当に誰もいないでござるな。どうする? 今更だがこのまま正面突破で良いのか?」

「気配は屋敷中に散ってるんだろ? だったらどこから入っても変わらないよ」

「大雑把だが、それもそうだな。ならば――暁ノ一閃」


 一瞬の閃光、一瞬で両断。実にスマートに大扉を”開錠”すると、そのまま扉を開いておじゃまします。

 そして2人が最初に目にしたのは、だだっ広いエントランスホール……だったが。


「誰もいない……?」


 ブロードは両手で銃を構えて周囲を見渡した。しかし人の気配は愚か、獣の気配すらなく……ふと、背後から声が聞こえる。


「上か」


 それはアカツキの呟き。ブロードも釣られて上を見て、そしてすぐに驚く。


「双頭の、大蛇!?」


 天井を渡る一本の柱に、蛇が絡みついていたのだ。しかも蛇といってもそれは自然界には存在しないような異質な姿をしている。

 具体的には、首が2つに分かれていたのだ――ならば当然、顔だって2つある。

 片や毒々しい赤色の蛇顔。片やこれまた毒々しい黄と黒の斑色な蛇顔――それらが今、2人の頭上から落ちてこようとしていた。


「っ!」


 ブロードはその蛇の落下地点からすぐに飛び退いて銃を構えた……が、その眼前に女侍が躍りでる。


「宵断流の本懐は、魑魅魍魎から人々を護ることにある。あれもその一種と言って差し支えなかろうて」

「アカツキ!?」


 ブロードは思わず声を上げた。なにせアカツキが立ったのは、ちょうど大蛇が落ちてくるその真下だったのだ。しかしアカツキはブロードの声に答えることなく、ただゆるりと”剣”を掲げた。


「宵断流、黄昏ノ型」


 しかしその剣は、たまたま玄関のすぐそばで飾られていた観賞用の剣だった。

 アカツキはなぜかその剣を拝借して今掲げているわけだが、剣はあくまでもお飾りであり武器としてはあまりにも鈍らだ。だがそんな剣の上に、果たして大蛇は落ちてきて。


「――轆轤ろくろ絡め」


 アカツキが軽く剣を振るうと、次の瞬間には大蛇が剣に巻き付いていた……否。大蛇は剣に絡めとられていたのだ。

 アカツキはそのまま剣を振るい、絡まった大蛇を軽々とぶん投げて、それから脚を踏み込む。


「かーらーのー?」


 軽い口調に反してその踏み込みは強かった。一瞬で速度を上げて駆け出し、宙舞う大蛇を追いかける。そして大蛇が落下してくると共に、タイミングを合わせて剣を振り上げ、そして振り下ろした――


牛頭ごず砕き!」


 ズズンッ! 地面をぶち抜く一音……双頭の大蛇は、すでに絶命していた。2つの頭を地面にめり込ませて。

 ……文字通りの瞬殺。一連の光景を目の前にして、ブロードは軽く顔を引きつらせていた。


「あー……なんかもう、戦闘は全部君に任せていいかなぁ」


 ブロードはそう言いつつ、すでに琥珀銃を手放していた。

 その銃には手放しても肩に掛けられるようベルトが通されており、ゆえに実際手放された今はぶらぶらと、どこかやる気なさげにぶら下がっている。まるで持ち主の心情を現したようなその姿へとアカツキは目を向けて、それからからかうような口調で言う。


「なんだ、堂々とサボり宣言か? おぬしも男ならもうちょっと恰好付けようぐらい思わんのか」

「いやいや。かっこいいとこを見せたいのが男なら、かっこいいとこを見たいのもまた男の心理ってやつさ。例えば侍の剣捌きとかね?」


 ちなみにそんな雑談の最中、アカツキは蛇をぶっ叩いて見るも無残にひん曲がった剣を投げ捨てて、適当な壁から適当に飾られていた適当な剣を適当に拝借しているのであった。


「ていうかアカツキ、さっき刀1本で十分とか言ってなかったっけ? なんか普通に剣パクって使ってるけど、それってどうなのさ?」

「かーっ、男のくせに細かいことをぐちぐちと! 遊び心というやつを知らんのかおぬしは。そういうものも覚えねば、人生はどんどんつまらなくなっていくぞ?」

「いやー、むしろ人生楽しく生きるために真面目にやってるんだけどなぁ……あ、それはそうとさ。黒騎士っぽい気配って今どうなってる?」


 ブロードの問いに、アカツキは気配を探る素振りすら見せずに答えた。


「先ほど一気に膨らんだ。今の一撃で向こうもこちらの侵入を察したのでござろう。こうなれば最早探らずとも分かる……」


 アカツキは借り物の剣で地面を突いて、こつこつと鳴らした。


「この真下から、馬鹿でかい殺気がひとつだけ。おそらく黒騎士の物だが、以前とは何かが違う……ような気もするな」

「了解。なんにせよ地下にいるのは間違いないってことか……」


 ブロードは腕を組んで考えこむ。その一方でアカツキはすぐに提案を挙げる。


「部屋をひとつずつ調べて、地下への入り口でも探してみるか?」

「うーん……」

「気配の在り方から察するに、各部屋に合成獣が配置されている可能性は高いな。だが幸い、やつらは共食い防止のため、基本的には1部屋に1匹ずつしか配置されぬはずだ。確かに1部屋ごとに合成獣を相手どるのは面倒ではあるが、しかし各個撃破なら大した強さでも……」


 と、そこでブロードがいきなり口を開く。


「地道に探すのも悪くはないし、時間短縮のために別れて探索するってなればそのための備えだって準備してある。だけどさ、生物ならともかくどんな罠を並行して置いてるかまでは、君でも分からないだろ?」

「む……だがいずれにせよ突っ込むのだろう? ならば結局は出たとこ勝負だ。もし罠が怖いというなら、2人一緒に行動すれば最悪の事態にはなるまい?」

「まーね。君の言う通り、最後はいつも出たとこ勝負。今有る物でどうにかしなきゃいけないんだ、いつだって……」


 そう言いながら、ブロードは持ってきていた鞄からなにかを取り出した。

 それは白く四角い、傍目では豆腐にも見える箱状のなにかであった。


「だから有る物でどうにかしてみようか。ちょっと壁の方で待っててくれるかい?」


 それからブロードは早速行動に移った。

 彼はエントランスの中央の方へ歩いていくと、その豆腐っぽいなにかを床に置いた。そしてそれに向かって屈むとなにやら作業を行った。

 それが済むと、彼は鞄から同じ豆腐をもうひとつ取り出した。そしてまた床に置き、また屈んでなにやら行い……。

 その一方でアカツキもまた、ブロードの指示通り壁際へと移動した。それから彼女はブロードに尋ねる。


「それもまた、越警技術部の謎道具とやらか?」

「まーね」


 ブロードは豆腐を床に置く作業を繰り返しつつ、今度は彼の方からアカツキへと尋ねる。


「そうだアカツキ。『無線』って知ってる?」

「無線? どこかで聞いたことあるな……」


 アカツキは少しだけ考え、すぐに思い出した。


「たしか距離が離れていても声が届く……そういう技術が試験的に、旅客組合の連絡網ネットワークに導入されているそうだな?」

「よく知ってるね。でもその旅客組合も、そして越境警護隊も共に九都市条約の下にある組織なんだ。だから組合のノウハウを越警に輸入することもあれば、越警の技術を組合で試験運用することだってある」

「つまり越警が無線技術の本元で、今お主が並べてるのがその無線技術を利用したなにかだと?」

「そう。この箱も飛空艇と同じくウチの試作品なんだ」

「なるほどな。しかし、遠くに声を届ける技術で一体なにをするのやら……」


 アカツキがそんな疑問を口にした辺りで、ブロードの方は作業がひと段落着いていた。

 最終的に床に置かれた”試作品”は8個。それらは丁度八角形を描くように、そして八角形の中に数人入れそうな程度の空間を確保する形で置かれていた。ブロードはそれを見渡して確認したあと、アカツキの下へと戻ってきた。


「お待たせ。危ないからもうちょっと離れて……はい、アカツキ」


 と、ブロードがアカツキに手渡してきたのは、これまた謎の箱だった。

 先ほどのは白色だったがこちらのは黒色だ。そして箱の1か所から鉄の棒がピンと1本伸びている。アカツキはそれを受け取って観察し、ふむと顎に手を当てて。


「よく見ればボタンのような物が付いておるが……もしや、これが噂の無線機か?」

「まぁ無線機っちゃ無線機だ。機械の中央に赤いボタンが付いてるでしょ? それを押してみて」

「ふむ。ならば素直に、ポチッとな」


 次の瞬間、地面に置かれていた白い箱。その全てがカッと光って――ドガガガガガガ!!

 アカツキの目の前で派手な轟音と火と煙が、つまり爆発が巻き起こった。


「…………」


 アカツキは、ボタンを押したまま呆然と立ち尽くしている。

 すでに爆発は止んでいた。煙も少しずつ晴れていった……その向こうには大穴が空いていた。

 ふと、瓦礫が大穴の中へと転がっていき、しばらくしてからごつんと小さな落下音を立てた。

 アカツキが、ぼんやりと呟く。


「地下への道、見つかったな……」

「君のそんな顔が見れただけでも、準備してきた甲斐があったな」


 アカツキが隣を見ると、ブロードがにこにこと笑っていた。アカツキはようやく察した。


「届けるのは声だけではない、ということか」

「そういうこと」


 ブロードは鞄から白い豆腐……もとい爆弾をまたひとつ取り出してみせた。


「遠隔で起動命令を送れる爆弾さ。今のところは『無線爆弾』って僕らは呼んでる」

「なるほど。確かに便利ではあるが……起爆スイッチはこれひとつだけか? それだと誤爆……それこそおぬしが今持っているそれに誤って火がついたりとかは……」

「確かに起爆スイッチはそれひとつだけど、起動した爆弾だけに信号が行くような仕組みになってるから大丈夫。とはいえやっぱり完全に安全とは言い難いけどね」

「…………」


 アカツキは、手に持った起爆スイッチをジト目で見つめて。


「つまりポチッと押した瞬間、おぬしがいきなり弾けてた可能性もあったわけか……」

「あはは。まぁ爆弾が入ってるこの鞄は耐爆性の素材でできてるし、万が一誤爆しても腰が砕けるぐらいで済むんじゃないかなぁ」


 ブロードはその物騒な言葉とは裏腹に、穏やかな顔でのほほんと笑っている。ゆるい垂れ目の優男にアカツキは溜息をこぼして、それから問いかける。


「あの飛空艇もそうだが、おぬし……案外博打とか好きだろう?」

「えー。賭け事なんて胃に悪いこと、好きなやつの気が知れないよ」

「ならばこれは?」


 アカツキが目の前の大穴を指差せば、ブロードは事もなげに言ってみせる。


「単に気をつけて調査するってだけが安全策じゃないだろ? そもそも地下への正規ルートなんてどーせ罠だらけに決まってるんだ。だったらこっちで道を創ってやった方が安全だと思わない? あとエグニダが地下にいるんなら、もののついでにダメージ入ればいいかなって」

「たまにはちゃめちゃなことを素面で言うなおぬしは……まぁ合理的といえば合理的だが」


 アカツキの視線は、未だに地下へと注がれている。


「しかし気配は薄くなるどころか濃くなった。どうやら藪を突いたかもしれぬ……」


 刹那、大穴の向こうからなにかが飛来してきた。


「むっ」


 アカツキは軽く首をひねって飛来物をかわす。するとそれはアカツキの顔のすぐ横を通過して、そのまま壁に当たって砕け散った。ばらばらになったそれは、なんの変哲もない瓦礫であった。地面に落ちたそれを見て、ブロードが露骨に嫌そうな顔をする。


「うわっ、豪速球じゃん。ダメージも全然ないかなこれじゃ」

「人んちの床を爆破しといてその言い草とは、つくづくいい根性しているでござるな」

「まーねー、そうじゃないとこんな仕事やってらんないよねー。まぁとにもかくにも……」


 ブロードもまた大穴へと視線を向けた。

 ここまで来れば侍でなくとも感じ取れる……ヒリつくような殺気というものを。それでもブロードは迷うことなく相方へと呼びかける。


「行くよ、アカツキ!」


 アカツキもまた、獰猛な笑みを見せてそれに応える。


「くくっ。リョウランには『藪を突いて蛇を出す』なんてことわざがあるが……はたして地面を爆破したら、一体なにが出てくるのでござろうな?」


 そして2人は、大穴へと飛び込んでいく。



◇■◇



 ――約束の日まであと3日――


 アカツキ&ブロードによるエグニダ邸潜入から、時間はいくらか進み、場所もいくらか変わって。

 そこはとある山の中であった。

 その山には申し訳程度の山道が1本通っていた。一応は車でも通れる道だが、本当に一応通れるだけ。そのくらいに荒れたでこぼこ道を、しかし1輪のバイクと1頭の馬が猛スピードで走り続けていた。

 やがてバイクの搭乗者である少年が、馬を駆る……というか馬にしがみついている少女へと声をかける。


「ニア! 後ろの様子はどうなってっとっ、ああもうくっそ揺れるなここ!」


 少年レイズの声に応えて、少女ニルヴェアは馬にしがみついたまま背後へと目を向けた。その視線の先は下り坂……つまり”追手”からすれば登り坂なのだが、しかし追手はそれをもろともしていない様子だった。


「まだっ、追ってきてる!」


 ニルヴェアの視線の先では5頭もの狼が、坂道を全力で駆け上がってきていた。

 灰色の毛と牙を持つ5頭の狼。その全てが一様に口をはしたなく開き、長い舌を揺らして、必死の形相でニルヴェアたちを追いかけてきている。


「レイズ! 本当にこのまま逃げ続けていいのか!?」

「『灰牙狼はいがろう』は集団での狩りを徹底してる! たぶん他にも隠れてるし足を止めたら一気に囲まれるけど、逆に1度引き離しちまえば深追いはしてこない。それくらいには賢いやつらなんだよ!」


 レイズはそう叫びつつ、バイクの操作に全力を注いでいた。

 一応、彼のバイクは世界を旅するために難所だろうと悪路だろうと構わず走れるような造りになっている……のだが、とはいえ荒れた山道を走るにはどうしても集中力を要する。

 その一方で、実のところニルヴェアにはまだ余裕があった。もちろんニルヴェア自体は乗馬初心者であり悪路慣れだってしていない……が、本来アカツキの愛馬であるハヤテは別だ。彼はニルヴェアの命令がなくとも冷静に自己判断を行い走り続けられるほどに賢く、また山道を走る術も心得ていた。

 だからニルヴェアはこうしてレイズの代わりに逐一背後を振り返り、狼の様子を報告しているのだが……その最中。


(……ん?)


 ニルヴェアはふと、違和感を覚えた。狼たちの必死の形相に。


(灰牙狼は集団で狩りをする、理性的な生き物……なんだよな?)


 狼たちは間違いなく必死だった。目を血走らせ、涎まで垂らして、今の今までニルヴェアたちを延々と追い回している。なりふり構わず、がむしゃらに……


(本当に追いかけている、のか?)


 その瞬間ぱちんと、閃きが脳裏を走った。


「レイズ!」


 ニルヴェアは閃きが導くままに、相方へと叫ぶ。


「あいつらもしかして、逃げてるのかも!」

「なにっ!?」


 レイズの目が大きく開き、そして細くなった。レイズは考える。運転の傍ら、思考をぶつぶつと口にしつつ。


「森の中、灰牙狼の天敵、確かいたはずだ。集団戦とは逆、単体で襲って来る……」

「レイズ……?」


 ニルヴェアが不安そうに見守る中、レイズはハッとして面を上げた。そして間髪入れず、ニルヴェアへと告げるのであった。


「予定変更だ。やっぱ迎え撃つぞ!」

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