3-7 秘密と秘密を探る人たち

 ――レイズはあまり過去を語らない。

 僕が知ってることといえば、アカツキさんにナガレのノウハウを教えて貰ったこと。ずっと1人で大陸中を旅してきたこと。そして僕と同い年なのに越境警護隊に認められるほどの実力を持つこと……それぐらいだ。

 だけどたぶん、それだけじゃない。あいつの過去にはどうも大きな秘密があるらしい。

 ……って言っても、べつにそれ自体はいいんだ。だってレイズは旅客民ナガレなんだから。

 そこかしこに獣が跋扈し、街がすべからく壁で囲まれ、街から街への移動でさえも管理されているこのグラド大陸において、定住を許されない義務を背負ってでも旅を続ける権利をあいつは選んでいるんだ。

 むしろそこにはなにか事情が有る方が自然で、例えばアカツキさんだって『姫様』との思い出をあんなに楽しそうに語りながらも、今ナガレをやっている理由をあまり語らないのだって、つまりはそういうことなのだろう。

 そういう事情を無暗に暴き立てるのは良くないことだ。特にレイズには返しきれないほどの恩があるのだから、なおさらだ。

 だけど、それでも僕は……



◇■◇



 ――約束の日まで残り6日――


 そこはもう街の外だった。

 街を取り囲む外壁のすぐ近くで、レイズは相方を待っていた。その傍らには旅の荷物を乗せたバイクが静かに寄り添っている。


「天気は快晴、風もなし。絶好の旅日和だな……って、やっと来たか」


 見上げていた青空から視線を降ろして前を見る。すると外壁に設けられた関所の向こうから、旅の荷物を括りつけた1頭の馬とそれに跨った少女が近づいてきていた。

 馬はその立派な脚で悠々と歩いてくるが、その上に乗っている少女はおそるおそるといった調子であり、彼女が乗馬初心者であることは誰の目から見ても明らかだった。


「ははっ。まだまだ乗らされてるって感じだな」


 なんて言っているうちに、馬は少女ニルヴェアを連れてレイズのそばへとやってきた。するとレイズは真っ先に馬へと手を伸ばした。


「流石だな、ハヤテ」


 そうねぎらいながら馬の首を撫でてあげた。

 アカツキの愛馬、ハヤテ。二人旅のためにアカツキが貸し与えた彼は主人と違い寡黙で聞きわけもよい優秀な馬であった。そんな彼にニルヴェアも馬上から声をかける。


「短い間だけどこれからよろしくな、ハヤテ」


 するとハヤテはかけられた声に応えるように『ぶるるっ』と一鳴きしてみせた。


「わっ。お前、言葉が分かるのか?」

「まぁアカツキよりも賢いからなそいつ」

「あはは。それはちょっと言い過ぎだろ」

「いやいや、これは結構マジな話なんだけど……っと、この話は旅の気晴らしにとっておくか。つーわけで改めて確認するけど、忘れ物はないよな?」


 レイズの問いに、ニルヴェアは馬上で胸を張って答える。


「もちろん! 昨日は中々寝れなくて3回ぐらい確認したしな」

「おいおい、寝不足は旅の天敵だってこないだ教えたろ? ま、でも確かに準備は万端そうだな」


 レイズの視線の先。ニルヴェアの装いは、上から下までほとんど2人で選んだ物だった。

 まず足回りたるブーツとズボンは動きやすさと丈夫さ、あとついでに蹴りやすさを重視していた。なのでブーツの踵には鉄片がこっそり仕込まれていたりする。

 続いて腰に付けたベルトは、おおよそレイズが決めていた通り玉用のポケットが3つと、あとは2つのホルスターが付いている。ホルスターのひとつにはハンドガン。もうひとつにはお守り……ではなく、本物のサバイバルナイフが収まっていた。

 さらに続いて上衣には、これまた動きやすく丈夫な生地のシャツと、その上に防護用のベストを羽織っている。実はベストを決める過程で機能性がどうとかデザインがどうとか若干もめたのだが、最終的に折衷案として、胸にポケットがひとつとあとはワンポイント、ブランドのロゴが隅っこに入ったシンプルな物で落ち着いた。


『ロゴ入りってだけでこんな値段が上がるんだからボロい商売だよな……』


 とは、当時のレイズの言だ。

 そして最後に、自慢の金髪を後頭部で結んでポニーテールを形作れば完成である。髪を結ぶのに使ったのは、いつぞや買った羽根飾り付きの紐だった。


『え、それ使うの?』

『こっちの方が気合入るからな。それとも……似合ってないか?』

『いや。べつに。似合ってない、わけじゃねーけど……』


 なんて会話があったとかなかったとか。

 そんなこんなで出来上がったナガレっぽい装いに、


「わりと様になってんじゃん」


 とレイズが認めれば、ニルヴェアもまた瞳をきらきらと輝かせて答える。


「そうだろ! 早起きして、変じゃないか4回ぐらい確認したからな!」

「気合入ってんなぁ……ま、それなら地図も忘れず持ってきてるよな。一応、ルートをおさらいしておくぞ」

「分かった!」


 ニルヴェアはベストの胸ポケットから、折り畳まれた用紙を1枚取り出してすぐに広げた。

 それに載っているのはブレイゼル領全体の地図であり、2人が現在居る街と目的地である剣の都ブレイゼルを結ぶ形で1本の赤線が引かれていた。手書きで引かれたその線こそが、これから2人が辿るルートなのだが……しかしそのルートは明らかに非効率的で、なおかつ険しい道のりでもあった。


「アカツキとの待ち合わせまでは残り6日だ。ここから真っ直ぐ進めば剣の都まで2日3日で到着するけど、そこをあえてぎりぎりまで遠回りすることでお前にできる限りの実戦経験を積んでもらう。まーこれはお前を追って来るかもしれない追手を警戒する意味もあるんだが、いずれにせよこの旅にあまり余裕がないわけで……」

「だから僕が怪我とかで動けなくなっても、それを治療している時間はない。その時点で僕は戦力外になるわけだ。分かっているさ」

「あるいは、その逆でもな」

「逆って、僕が足を引っ張るならともかく……」

「ばーか。旅はなにが起こるか分からないって教えたろ? 常に最悪の状況を想定して、その上でいつでも前向きに立ち向かえ。それが」

「ナガレの流儀?」

「ま、そういうこと」


 レイズは気さくに笑って、しかしすぐに表情を変える。


「……正直さ、すげぇ怖いよ」

「!」


 ニルヴェアは驚きに目を見開いた。その瞳に映っていたのは、歴戦のナガレとしての強さでも怖さでも冷たさでもなく。


「たった1週間で教えられることなんて、片手で数えられる程度しかない。その片手で数えられる程度でも万全を期すなら1か月は欲しい。だけど今からは、それを実戦でむりやり覚えさせるんだ。否が応でも体に刻み込むんなら、命を張るのが1番早いからな」


 レイズは静かに目を伏せて、しかし言葉は濁さない。


「今更だけど白状しとく。俺は1人旅ばかりしてたからさ、誰かを守りながら旅するなんて慣れてないんだ……だからもしお前に危険が迫っても、助けられない可能性だって」

「――いざってときは、1人でどうにかするさ」


 レイズの弱音に、ニルヴェアの断言が覆い被さった。彼女はそのまま問答無用で語り続ける。


「というかこれは、僕が1人でも戦えるように鍛えるための旅なんだろ? 実は僕も白状すると、全部が全部『覚悟の上だ』なんてまだ言えないくらいには怖いよ。それでも……いざというときは覚悟を決める。そのくらいの覚悟はできているつもりだ」

「はは。なんだよそれ……でも、そうだな」


 レイズの表情が、少しだけ明るくなった。


「お前のそういうところを信じてる。だから……ちゃんとついてこいよ」


 その一言が、ニルヴェアの脳裏にアカツキとの約束を過ぎらせる。


 ――レイズを頼んだぞ、ニア殿


(僕は、お前に)


 ニルヴェアは、ゆっくりと口を開いて……


「……もちろん、意地でもついていくさ」


 それだけ伝えると口を閉じた。本当に伝えたいことは、まだ心の奥に秘めたまま。


(そうだ、絶対についていく。こんなところで置いていかれるくらいなら、きっと僕に”資格”はないんだ)


 ニルヴェアはそんな決意を隠し、そしてあえて大きな声で宣言する。  


「よし、早く行こう! むしろ僕がお前を置いてくぞ!」


 それからハヤテの手綱を引いてやれば、指示を受けたハヤテは体をひと揺らししてから歩き出す……と、「うわわっ」ニルヴェアは軽くバランスを崩しかけた。


「威勢がいい割にはへっぴり腰だな」

「う、うるさい!」


 レイズに笑われながらもニルヴェアは進み始めた。その小さな体に大きな決意を背負って。


(レイズ。僕は最後までこの旅から逃げないぞ。そしてこの旅が無事に終わったら……今度は僕がお前の道を助けたい。僕はお前に恩返しがしたいんだ)


 ――あやつの”道”は、たった15の少年が背負うにはとても酷な物だ。しかしそのくせしてあやつは妙に擦れてない……いや、擦れることができないのだろう


(だけど助けになるためには、お前の道を知らなきゃいけない。お前は優しいから、無理やり聞きだせばもしかしたら教えてくれるかもしれないけどさ……だからって首を突っ込んだのになにもできなかったりしたら、ただ傷つけるだけになってしまうだろう? だからまずは証明しなきゃいけないんだ、僕が1人でも戦えることを。お前の道を助けられる力があるってことを……)


 ニルヴェアはもう知っている。レイズのように、アカツキのように、どこにも属さず1人で闘い、旅を続ける者たちの名を。


(もしもこの旅で、僕が1人のナガレとしてお前に認めてもらえたら、その時は……)



◇■◇



 ――約束の日まで残り5日――


 剣の都の郊外、その一角には広い森林地帯が存在する。

 森林地帯、といっても壁の内側にあるため人に害を成す獣はほとんど間引かれており、その一帯は主に木材や動植物といった各種資源の自給のために使われているのだが……しかしそこにはひとつだけ、小さな屋敷が建っていた。

 剣帝ヴァルフレア直属にして唯一の護衛騎士、白騎士エグニダ。その屋敷であった。

 ……とはいえその肩書に反して庭は小さく殺風景で、屋敷自体もこじんまりとしている。ともすれば、ある程度の資金がある庶民の家の方がまだ大きいかもしれない……そんな屋敷を、現在とある青年が双眼鏡を使って覗きこんでいた。

 彼は屋敷からいくらか遠くにそびえ立っている大きな樹。そこから伸びた太い枝の1本に跨って、屋敷を偵察しているのだ。


「偵察3日目。相変わらず人通りはなし、と……人払いの話は本当だったってことかな」


 そう呟いて、ブロードは双眼鏡を目から離した。彼はそれから樹の下に向かって呼びかける。


「アカツキ。気配の方はどうだい?」


 樹の下では、アカツキが”禅”を組んでいた。

 独特な形で足を組んで座り、静かに目を閉じて、ただ黙して、一切微動だにせず……彼女は今までその姿勢で1時間ほど過ごしていたのだが、やがてブロードの呼びかけに応じて目を開き、それから告げる。


「……いるな。ここからでは曖昧だが獣らしき気配が複数、屋敷内にばらけて存在している。それに……どこか覚えのある気もな」

「それは……黒騎士の?」

「それっぽいが……少し違和感もあるな。距離が遠いこともあって上手くは言えぬが……」

「いるのは確かなんだろ? それが分かればとりあえずは十分だ」


 ブロードはそう言って、樹の上から飛び降りた。そのままアカツキの隣に着地して、再び彼女に話しかける。


「しかし気配が読めるって便利な能力だ。侍っていうのはほんとすごいね」

「そんな大層なものではない。所詮は直感、当たるも八卦当たらぬも八卦だ」

「了解。もちろんなにが起こってもいいように備えていくよ」


 ブロードはそう言いながら、樹の根元に置かれていた道具類を手早く装備していく。

 腰にはいくつかの道具とワイヤーアームがひとまとめに留められたベルトを巻いて、肩からは大きな鞄を掛けて、最後に可変式の琥珀銃を両手で抱えて準備完了……と。


「アカツキ、君は相変わらず手ぶらなんだね」


 ブロードにそう言われ、アカツキはようやく禅の体勢を解いて立ち上がった。そしてその身に纏ったぼろ布、その懐から愛刀の柄をちらりと見せて。


「研ぎ澄まされた刀と健康な肉体があれば、大抵のことはどうにかなる。とはいえ刀で肉を捌くわけにはいかんゆえ、サバイバルナイフの1本ぐらいは持っておるがな」

「じゃあ刀1本と健康な肉体と、ついでにナイフ1本でどうにもならなかったら?」

「死ぬしかないだろうな」

「……なら、絶対にどうにかしないとね。それでもどうにもならなかったら、素直に逃げよう。うん」

「潔いのかそうでないのか分からん宣言だな……」


 アカツキが呆れたように言った。しかしブロードはそれを気に留めることなく、改めて屋敷の方へと目を向けた。双眼鏡を外して樹の上からも降りた今では、屋敷自体は森に阻まれて見えないが……。


「エグニダが最近、屋敷の使用人のほぼ全員にお暇を出した……その噂はどうも本当だったらしいね。代わりに邸内には、獣の気配が複数と……今ならほぼ確実に、漁ればなにか出てくるはずだ」

「ふっ、鬼が出るか蛇が出るか……むしろ誘い込まれておるのかもしれんぞ?」

「かもね。少なくとも敵は、僕らが剣の都に入った事実を知ってるはずだ。なにせ関門に記録が残るし、領主や護衛騎士なら閲覧だって簡単だろ」

「確かにな。だとしても、向こうが歓迎してくれるなら逆に喜ばしいであろう? なにせ賭け金が大きいほど実入りも大きいのだから」

「そりゃ相手が準備万端ならそれ自体が証拠になる……んだけど、やだなぁ。なにしてくるんだろうなぁ」


 ブロードは心底嫌そうな顔をして、うつむいて、大きな溜息をついた。しかし次に顔を上げたとき、彼はもう開き直っていた。


「でもこれも仕事だ。いつも通り、やれるだけやってみようか」

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