2-×× 剣の帝王と百の声

 ――1か月前――


 剣帝。

 それはブレイゼル領の首都である『剣の都ブレイゼル』を治める主が代々受け継いできた二つ名である。ブレイゼル領がまだ国だった時代より、彼ら剣帝は誰1人の例外もなく剣を愛し、剣に愛され、各々の時代を象徴するに足る大陸最強の剣士で在り続けた。

 なれば当然、ブレイゼル家前当主にしてブレイゼル領前領主『ゼルネイア・ブレイゼル』もまた超一流の剣士であった。


 ――息子に当主の座を譲り一線を退いて6年。鎧を脱ぎ捨てて、ゆるりと隠遁生活を送り続けてきた、今この瞬間でさえも。


「なぜ……なぜだヴァルフレア! なぜお前ほどの男が神威と手を組み、かの”封印”を解こうとする!」


 ゼルネイアは護身用の大剣をしかと構え、正面に向かって叫んだ。

 その彼のスタンスは武骨にして不動。年季の入った大木が如き四肢を頼りに、これまた武骨な大剣をただ真正面に構えている。ある種愚直の極みとも言えるそのシンプルな構えは、しかしだからこそ彼自身の巨大な存在感をあるがままに知らしめていた。

 ”ここ”は本来、戦場などではない。ゆえに彼は鎧のひとつも纏っていないラフな格好である。だがそれでも、だからこそ、今日まで鍛え続けてきた自慢の肉体が純粋な威圧感を放ち続けていた。

 剣帝の威圧。単なる一兵士ならそれだけで全身が竦み上がることだろう。

 しかし今、彼の目の前にいる敵はその圧を受けてもなお、柳のようにゆるりと佇んでいる――抜き身の双剣を両手に握って。


「ブレイゼルの血脈が剣を振るう理由は、究極的にはただひとつ。そう教えてくれたのは父上。貴方だ……」


 彼らが今向かい合っているのは、ゼルネイアが隠居暮らしに使っている別荘。そのリビングであった。

 役割を終えた領主が穏やかな余生を過ごすために建てた木組みの空間に、しかし今は下手な戦場よりも苛烈な威圧感 プレッシャーが火花を散らしあっている。

 なにもかもが巨大な男ゼルネイア。それと相対するのは、なにもかもが細身の男……彼こそがブレイゼル領において数少ない双剣の担い手にして、次代の大陸最強と謳われし若き剣帝。


「眼前の全てを断ち切り、己が道を全うする。そのために俺は今、ここにいる」


 ヴァルフレア・ブレイゼルが、刃よりも鋭い視線で父を射抜いていた。


 ――2人の剣帝はすでに理解していた。この闘いが文字通りの死闘であることを。それでも決して譲らないであろうお互いの性根を。

 父と子と。2人の関係は本来決して不仲というわけではない。

 むしろ扱う剣種こそ違えど剣帝としての在り方を学び学ばれる師弟として、あるいは武骨な父と真面目な息子として、共に尊重し合える関係であった。

 少なくとも父はそう思っていた。今でもそう信じている。だからこそ、


「7年前の……鋼の都の悲劇を繰り返すわけにはいかんのだ」


 彼は息子へと刃を向けた。せめてこれ以上、罪を重ねさせないために。


「前領主として、父として、お前をここで終わらせてやる」


 ゼルネイアの記憶には刻まれている。かつての”きっかけ”である百の墓標が。


「貴様があの暴君と同じに成り果てる、その前に――」


 ゼルネイアはその逞しい足を、木組みの床から持ち上げて、


「このっ……馬鹿息子がぁっ!」


 全力で踏み込んだ。瞬間――ズガンッ! 木組みの床が異音を立ててひび割れた。

 だがゼルネイアはためらわずに駆け抜けて、その巨体に見合わぬ速度でヴァルフレアへと迫る。そして間合いに入った直後、


「はぁぁぁぁ!」


 かつて”城塞”とも例えられた自らの巨体――よりもさらに大きな剣を横薙ぎに振るった。

 風圧だけで百の兵をも吹き飛ばしそうな一撃は、しかしヴァルフレアが顔色ひとつ変えずに退いてかわせる程度の単純な一撃であった――が、剣帝ゼルネイアの脅威はこの一閃の先にこそ。

 不意にヴァルフレアを影が覆い、そして迫った。ゼルネイアの剛腕による、間髪入れない縦一閃だ。

 ヴァルフレアはそれも避けてみせたがその途端、床が爆発して木片を散らした。

 そして――宙を舞う木片の向こうから、追撃の切り上げが襲いかかってくる。

 ゼルネイアの連撃が、止まらない。

 横薙ぎ、切り下ろし、切り上げ、突き……まるで小剣でも扱うかのように、巨大な刃が縦横無尽に振るわれていく。ヴァルフレアもヴァルフレアでそれらを全て見切っていた……のだが、だからといって反撃には移れなかった。

 高密度の連撃は、もはやそれだけで攻防一体。見切ろうが避けようがそこに反撃する隙間などありはしない。そしてそれこそがゼルネイアの戦い方、その本領であった。

 かつてのゼルネイアは重鎧を着こんだ上で大剣1本を自在に振るい、その猛撃をもってあらゆる敵を蹂躙する豪胆な剣士であった。

 そして現在、彼は齢50を過ぎているがそれでもなお衰えぬ膂力。そして隠居後もいざというときのために続けていた鍛錬。

 それが彼の全盛期の”99%”を引き出していた。それは誰の目から見ても間違いなかった。そう。それはヴァルフレアの目から見ても、


 ――1%の間隙に、一閃が滑りこんだ。


「な……!?」


 突如、ゼルネイアの刀身が真ん中から両断されて宙を舞い、そして床に突き刺さった。断ち切ったのは、ヴァルフレアの左の剣だった。

 それは隠居後6年という歳月がゼルネイアの剣をほんのわずかに、しかし確かに鈍らせていた証でもあった。

 そしてヴァルフレアは、そのまま間髪入れずにゼルネイアの懐へと飛び込んだ。

 その細身がゆえに、目にも止まらぬ機動力。加えてヴァルフレアは双剣使いだ。たとえ左の一刀を振るった直後でも、右の二刀目が残っている。

 だがその一方で、


「まだだっ!」


 ゼルネイアもまた止まらない。刀身の半ばから断ち切られた大剣で、しかし問答無用にヴァルフレアへと突きを入れたのだ。狙うはその首1本のみ……それが、ゼルネイアという男であった。

 彼に恐れるものはない。かつて全てを堰き止める重鎧を纏い、全てを断ち切る大剣を軽々と振るい続けた彼に、恐れるものなどなにもない。

 それゆえに迷いなく放たれた突きは、確かに削いだ――首の皮、1枚だけを。

 その直後。

 ゼルネイアの生身に一筋の光が走り、紅い飛沫が弾け飛んだ。

 

「が、あっ……!」


 ゼルネイアの巨体が崩れ落ちていく。その胸から噴き出した血を、ヴァルフレアはただ黙って浴びる。

 そして父が床に倒れ伏した直後、彼は父の血に濡れたその口を開く。


「父上……貴方は恐れを知らなさ過ぎた。貴方の剣は、老いた人間に振るえるものではなかったというのに」


 ゼルネイアはその声に反応して、ゆっくりとヴァルフレアを見上げた。 

 親を斬り伏せ、その上でただ淡々と敗因を語ってみせた息子。しかしゼルネイアは、それでも僅かにほほ笑んで、擦れた声で。


「変わらんな、お前は」


 ヴァルフレアはそれに応えなかった。彼はただじっと、その瞳に刻み込んでいる……ゼルネイアの表情が、悲痛なそれに歪んでいく様を。父の今わの際の、後悔を。


「なのに、そうか……7年前のあの日から、もう、お前は、狂って、変わって」


 そこで、ゼルネイアの時間は止まった。永遠に。

 父の死を見届けて、ヴァルフレアはようやく応える。


「俺はどんなときでも俺ですよ、父上。たとえどれだけ狂おうと、俺以外には決してなれないし、なるつもりもない。だから……」


 ヴァルフレアは荒れ果てたリビング、その奥へと静かに歩き出した。それからほどなくして、壁に埋め込まれている金庫の前で立ち止まった。

 そして金庫の錠へと、迷いなく一閃。

 それだけで金庫は単なる鉄の箱と化し、勝手に開いていった。金庫の中には、小瓶がたったひとつだけ入っていた。

 ヴァルフレアは迷わずそれを手に取った。そうして明るみに出た小瓶の中には、蒼き液体が満ちている。

 それは同じ色だった。ひと月が巡る狭間に現れし蒼の月と。そして、


 ――兄上!


 脳裏に蒼き瞳が過ぎり……百の声が、その全てを掻き消す。


『貴方が』『貴方様だけでも』『ヴァルフレア様』『お前に全てを託す』『未来の剣帝よ』『ブレイゼルの未来を』


 剣帝ヴァルフレアは、迷わない。


「いくらでも狂ってみせよう。俺が望んだ未来のために」



【2章完。次回から3章です】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る