2-12 緑のご飯と蒼の決意

(やたらめったらに緑だ……)


 それが、目の前に並んだ料理に対するニルヴェアの感想であった。

 鳥の焼き物は緑色のタレと絡めてあるし、野菜炒めも全体的に緑多め。スープに至っては緑色の中により深い緑の草が細切れで入れられているようだ。

 ニルヴェアは鼻を近づけて料理全体の匂いを嗅いでみた。すると鼻の奥まですぅっと抜ける清涼感をいの一番に感じた。それはそこまで不快な感覚でもない……のだが。


「なんか、薬草っぽいな」

「ぽいんじゃなくて薬草だっつーの。正確には香草とかもあるけど」


 そう言ったのはレイズだった。彼は今机の上に3人分、お手製の料理を並べている真っ最中だ。

 草原の上にシートを敷いて、その上にテーブルを乗っけて、そんで料理をお出しして。そんな準備を慣れた手つきで進めながら、レイズは口を尖らせる。


「匂いきつくても我慢しろよ? 今日は散々体を痛めつけたんだ。今は楽になったように思えても筋肉痛は遅れてやってくる。がっつり栄養つけて早く回復しなきゃな」

「筋肉痛か。それはやだな……」


 ニルヴェアが苦い顔をしたその一方で、料理の匂いをすんすんと嗅いでいる者がもう1人。


「ふむ……この鳥の焼き物に使われてるのは滋養強壮の、こっちのスープは血行改善の薬草だな。野菜炒めにもいくつかの香草……だけではないな。この赤い根野菜は疲労改善に効果があるのだったか」


 アカツキが匂いを嗅いだだけで薬草の効能を見切っていた。その謎の特技に、レイズは若干引いた。


「うわっ。匂いだけで嗅ぎ分けられんのかよ」

「よく嗅いだ匂いだからな。なぁ我が弟子よ」

「弟子じゃねぇ。……ま、でもここら辺はあんたに教わったやつだしな。嗅ぎ慣れてんのも当然か」


 などと雑談している間にレイズが料理を並べ終えて、食事の準備は整った。

 全員で机を囲んで座り、『いただきます』と声を合わせて、それからみんなで食べ始めた……と、思いきや。


「ちょっとドキドキするな……」


 緑多めな料理を前にして、ニルヴェアが緊張の面持ちを見せていた。なにせ彼女にとってここまで緑な料理は初めてだったから。しかしそんな態度に、料理人が不満を示す。


「じっと見つめたって味は変わんねーぞ。不味かろうが旨かろうがきっちり平らげてもらうからな」

「そ、そうだよな。活力つけるのだって修行の一環だもんな……よし!」


 ニルヴェアは意を決して、野菜炒めにフォークを突き立てた。そのまま一気に口に運んで、そんでもって咀嚼して……


「……美味しい! 確かに薬っぽい苦さはあるが、それが逆に癖になるような味つけなんだな」

「ほれみろ俺を舐めんじゃねぇよ。流浪の生活だからこそ、衣食住は大事に扱う。それがナガレの流儀ってもんだ」

「などと偉そうに言っておるが、料理の腕も薬草の知識も拙者仕込みでござるからな。むしろ下手な物を作られては師匠の沽券にも関わるというもの」

「弟子じゃねぇし、旅で培ったものの方がもう多いっつーの」


 そんな師弟コントをニルヴェアは横目で眺めつつも、ひたすらに料理を食べ進めていた。

 だって一口食べれば、また一口食べたくなるのだ。それは料理の美味しさあってのことだが、しかしなによりも疲れた体が栄養を求めていたのだろう。

 口を汚さぬ上品さを保ちつつも、もぐもぐあぐあぐ……少女の止まらぬ食欲に、料理人からもいつの間にか笑みがこぼれていた。


「いー食べっぷりだな。あんだけ動いたあとにそんだけ元気があんなら、案外心配はいらなさそうだ」

「うむ。よく動いてよく食べてよく寝る。それもまた修行のひとつなり。しかしレイズよ、ふと思ったのだが試験のあと街に戻る時間はなかったのだろう? つまりこの薬草含む材料は予め買っておいたもの……くくっ。やはりおぬし、ニア殿がここまで喰らいついてくると信用しておったな?」

「けっ。そんなんじゃねーよ。この手の草は買いこんでも無駄にならないしそんな嵩張りもしないだろ。それより、もしこいつが試験を突破してきたら一日でも早く修行に取りかかるべきだって考えただけだ。……どうせ、時間はそんなにないんだろ」


 もぐっ。ニルヴェアの食事の手が止まった。もぐもぐごっくん。彼女は口の中の物を飲み込んでからレイズに問いかける。


「時間がないって……どのくらいなんだ?」

「いや、ただの予測……っつうか予感なんだけど、まぁそこら辺はアカツキからなんかあんだろ。つーわけであとはよろしく」

「うむ、我が弟子の予感は正しい。おぬしらに残された時間はおよそ半月だ。遅くともそこで決着をつけようと我々は――拙者と拙者の協力者は、そう考えておる」


 その宣告が、レイズとニアの表情に緊張を走らせた。


「半月後……なぁレイズ。たったそれだけで人は戦えるようになるのか?」

「そうだな……そもそもお前は、たぶんお前自身が思うほど非力じゃない。半月あればまぁ自衛に困らなくなるくらいには持っていける……つうか持っていかなきゃ話にならない。そうだろ、アカツキ」

「ニア殿が”決着”に参戦する意思があるのならそうなるな」

「やります」


 即答。

 ニルヴェアはアカツキをまっすぐ見据えていた。しかしアカツキもまたまっすぐ視線を返して。


「先に言っておくが、ここでいう決着とはおぬしの屋敷から始まった一連の事件。その首謀者と相対することを指しておる。そしてここからが特に重要なのだが……我々は、おそらくそれが剣帝ヴァルフレア――お主の兄上になるであろうと想定しておるのだ」

「!」


 その瞬間、ニルヴェアの視線が揺れ動き、明確な迷いを見せた。だがアカツキは迷わずに淡々と語っていく。


「詳細は今から話す。そしてそれを聞いた上で、おぬしには覚悟を決めて欲しいのだ。それも時間の猶予を考えると、今日ここで決めてもらわねばならない。もしそれができないというのなら、おぬしには戦わせられない。言うなれば、それが拙者からの試験となるのだが……構わないか?」

「っ……」


 ニルヴェアの視線が、しゅんと落ちてしまった。

 彼女は弱気な表情で地面を見つめて、固く拳を握って……それでも「分かりました」と言葉を絞りだした。


「僕は大丈夫ですから……話してください」

「ならば話そう。そうだな……拙者の協力者が越警の人間だというのは少し話したと思うのだが、やつはやつでブレイゼル領に潜む神威の影を探っておったようでな。その一環でやつは『ナガレの記者』という偽りの身分でヴァルフレアと接触し、そしてひとつの情報を手に入れたのだ」


 アカツキはそこで一拍だけ置いて、それから再び口を開く。


「今日より数えて15日後。剣の都の外れにあり、ブレイゼル家が所有権を持っている『旧文明時代の遺跡』へと、ヴァルフレアが直属の護衛騎士1人だけを連れて赴く予定が入っている……らしい」

「旧文明時代の遺跡……?」


 ニルヴェアはつい昨日、レイズとした話を思い出した。

 グラド大陸には強大な力を秘めた旧文明の遺産がわりとごろごろあって、レイズも旅の中で実際に目にしたことがあるとか。だがしかし……ニルヴェアにはひとつ、ある覚えがあった。


「その遺跡なら僕も一応知っていますが、たしかすでに調査は終わったって聞きましたよ? 単なる歴史的な遺産として一般公開もされているって……」

「その通りだ――1年ほど前までは、な」

「え……?」

「その遺跡は1年ほど前から再び閉鎖されており、再調査中という扱いになっておるのだ。さて、ヴァルフレアがその遺跡に赴くのは名目上その再調査の一環なのだが……」


 アカツキはそこで話を止めるとレイズへと視線を向けた。師匠と弟子の以心伝心。レイズはすぐに説明を引き継いで。


「簡単な話、『神威』に『旧文明』が絡んだら大体ろくなことになんねぇのさ。そうなると”調査”ってのも怪しくなってくる。適当に言い分立てて、工作員的なやつを送り込むにはうってつけ……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話が見えないんだが、それだけで繋げるというのは」

「神威ってのは、神の威を借ることを目的に創られた研究機関だ」

「か、神……?」

「っていうのが今のところ有力な説ってやつな。実際のとこはそれこそ神威のやつらにしか分かんないだろうけど……いずれにせよあいつらは旧文明の力――神にも等しい力を常に狙ってる。それは本当のことだし、胡散臭い陰謀に遺産が絡んでりゃその裏には神威がいる。それもお決まりのパターンだ。な、アカツキ」

「うむ。やつらは単純な犯罪組織ではなく、人体改造や合成獣の製造といった生命を弄る研究に長けておるわけだが、それもまた神なるものに近づく手段のひとつだと聞く。それが正しいのなら、やつらが遺産を狙うのも頷けよう……それこそ、ニア殿の身柄を狙うのも一種の遺産絡みである可能性が高い」

「それって……!」


 ――神威と前領主との繋がりも、前領主の儀式も、封印の霊薬も全ては本当のことだ。あれを止めなければ数人程度の犠牲では済まない。数千、いや数万を越える大陸最大の災厄と化す!


 かつて黒騎士が声高に騙ってみせた演説が、今になってニルヴェアの脳裏に響きわたった。


「数千、数万を越える災厄……僕には全く心当たりがないけど、遺産ならありえるのか……?」

「そーいやあの黒騎士野郎が自分で言ってたな。虚実を混ぜるのが嘘をつくコツ……だっけか。だからやっぱり真偽は分かんねーけど、もしその災厄とやらが本当なら……怪しいのは『封印の霊薬』ってやつかもな。たとえば実は『男を女に変えた上で災厄とやらに必要な鍵にするための薬』とか……」

「なんだよその回りくどすぎる薬は……」

「まぁ俺も半分冗談なんだけどさ。でも遺産が絡んでいる以上、どんな想定も有り得ないとは言えないだろ」

「なんだかまたややこしくなってきたな……」


 ニルヴェアは眉にしわを寄せて考える。頭の中では遺産だの霊薬だの神威だのがぐるぐると回っているが……しかし一旦、それらは横に置いておくことにした。


(結局のところ、僕が今向き合うべきはただひとつ)


 ニルヴェアは心を定めて、問いかける。


「結局、アカツキさんたちが『兄上が首謀者だ』と考えているのは、その”遺跡への視察”が決め手になった……ってことですか?」

「それもあるが、どちらかと言えば今までの情報諸々を照らし合わせた総合的な推察でござるな。まぁざっくりとまとめてみればだな……」


 アカツキは言葉と共に握り拳を掲げて、そこから指を1本2本と立てながら語っていく。


「『なんかいかにも怪しい黒騎士とつるんでおるらしい』『なんかいかにも怪しい予定が入っておるらしい』。それに『剣の都周辺や越警に怪しい動きがあるらしい』『前領主ゼルネイアが失踪して久しいらしい』……そういった諸々の情報を結んで囲んでみれば、その中心にはどうしてもヴァルフレアが浮かんできてしまうのだ」

「なるほど……って、えっ! 父上って失踪したんですか!?」

「協力者いわく1か月ほど前からな。黒騎士が言うには前領主こそが災厄の首謀者だという話だが……我々はむしろ彼が事件に巻き込まれた側ではないかと踏んでおる。ま、実際に調査してみなければ詳しいことは分からんがな」

「ちょい待ち」


 アカツキの語りに待ったをかけたのはレイズだった。


「調査っつーことは、もしかしてアカツキは俺たちと別行動になるってことか?」

「うむ。拙者は協力者と共に剣の都へと乗りこんで、できる限りの調査を行うつもりだ。なにをするにしても今は情報不足だからな……なんだなんだ、寂しいのか?」

「うっざ! そうじゃなくて、追手とかは大丈夫なのかよ。ニアが襲われたことは知ってんだろ」

「それなら問題ない。この街の”頭”はすでに潰したゆえ、しばらくは安全だろう。だからレイズ、お前は期限ギリギリまでこの街でニア殿の修行に専念しろ。その間、拙者たちは15日後に備えて剣の都を探り、できる限りの情報を集めておく。そして15日後に、この地図上に示したポイントで合流だ。できるか?」


 アカツキは懐から折りたたんだ地図を一枚取り出して、レイズに渡しながら問いかけた。レイズは地図を受け取りながら答える。


「やるしかないんだろ。追手の心配がないなら今はそれでいい。あとは……」


 レイズは地図を懐にしまうと、ニルヴェアへと視線を向けて。


「こいつの覚悟次第だ」


 話を振られたニルヴェアの顔は、すでに緊張で強張っていた。無言でじっと固まっている少女に、アカツキもまた向き合って。


「ニア殿、今一度問おう。今話した考察がもし正しかったとして、おぬしの兄上が神威と手を組み全てを仕組んでおったとして……おぬしは本当に、尊敬する兄上と戦うことができるのか? もちろん単なる実力差とは別のところで、な」

「……僕、は」


 ニルヴェアは反射的にうつむいてしまった。すると彼女の視界に、ぎゅっと握られた右の拳が映りこむ。

 その拳には、大事な思い出が宿っていた。


 ――ひっさつ、しんだふり


 たった1発。弱々しい1発。それでも確かに掴んだ初めてだから。


(己の剣を信じろ。たとえその言葉をくれた人が敵に回ったとしても、僕は……僕の信じたものは……)


 やがてニルヴェアは面を上げた。

 目の前ではアカツキが、そしてレイズがじっとニルヴェアを見つめている。

 二人のナガレに届くように、ニルヴェアははっきりと断言する。

 

「ぶん殴る。この事件の果てにいるやつが誰であっても構わない。とにかく1発ぶん殴って、それから捕まえて、ちゃんと真相を明らかにさせる」

「ぶん殴る、ね……」


 それは半ば呆れたような声音。投げかけてきたのはレイズだった。


「あんだけ兄貴マニアなお前がその兄貴をぶん殴る姿って、正直想像がつかねーんだけど」


 しかしニルヴェアはぐっと胸を張って、その上で堂々と笑ってみせた。


「もし兄上が相手ならこれは兄弟喧嘩ってことになる。実は少し憧れていたんだ、拳で語り合うってやつに。その相手が兄上なら、なおさらかっこいいシチュエーションだろ!」


 あまりにも図々しいその言葉にレイズは一度ぽかんとして、しかしすぐにくつくつと笑い返した。


「なんつうか、お前はほんとぶれねーな」

「なんだよ、馬鹿にしてるのか」

「おう。頭悪いなこいつって半分ぐらいは思ってる。けど――」


 レイズもまた、右の拳を握ってみせた。彼はその上で左の手を開いて、それを右の拳で殴りつけてみせた。パン! と気合の入る快音を鳴らして。


「もう半分は乗り気だぜ! そんで、どうせやるなら全力でぶん殴ってやれ。それがナガレの流儀ってもんだ」

「いやその流儀、絶対今作ったろ」

「大事なのはノリだノリ。ともかく、お前が黒幕をおもいっきりぶん殴ったら俺もスカッとするなってなんか思ったんだよ。俺もできる限り手伝ってやるからさ――いっちょ派手に殴りこんでやろうぜ!」


 レイズの高らかな宣言に、ニルヴェアも力強く応える。


「――ああ!」


 こうして決意を新たに盛り上がり始めた少年少女。


「うんうん。若さというのは眩しいものでござるな」


 しかし、そこに茶々を入れたがるのが大人というものであった。


「そういえばニア殿。知っておるでござるか?」

「え?」

「なんとなく気づいておるかもしれんが、『ナガレの流儀』なんてものはぶっちゃけ存在しないのでござるよ。要はレイズが勝手に言い張っているだけだからな」

「あ。ぶっちゃけそんなところかなって思っていました」

「なんだとお前らぜんっぜん分かってねぇな! 言い張りゃテンション上がるし心構えも身に付くんだよ! 1人旅だからって、いやむしろ1人旅だからこそそういうのは大事でな――」

「レイズ、レイズ」

「んだよ!?」

「僕は好きだよ、そういうの」

「っ!?」

「あれれ~レイズゥ~顔赤くないでござるかぁ~照れてるか~照れてるでござるかぁ~~~?」

「うっっっっざ単刀直入に死ね! つーか真面目な話終わったんならもう黙って飯食えよ冷めたら旨さ半減するだろばーか!」

「なんだなんだちょろ甘思春期風情が生意気な口をあっこら師匠の肉を奪うでない!」


 やいのやいのと騒ぎだした師弟をよそに、ニルヴェアもまた食事を再開しながら思う。


(あんな真面目な話のあとなのに、二人とも切り替えが早いよなぁ)


 そういうニルヴェアもまた、穏やかな表情を浮かべていた。

 賑やかなひと時に身を任せながら、美味しい料理に舌鼓を打つ――時折震える拳を、机の下にそっと隠しながら。


(兄上、本当に貴方が黒幕なんですか? だとしたらなんで僕に、あんな言葉を)


 ――己の剣を信じろ。いつだって真実はそこにある


(貴方に貰った言葉こそ、僕の信念。それはたとえ貴方が嘘をついていたとしても、どんな裏があろうとも覆らない……本当に?)


 思い出す。かつて己がアカツキに言った言葉を。

 今と同じように、兄と敵対する可能性を示唆されて、それでもちゃんと言えた。そのはずだったあの言葉を。


 ――この先になにが待っていようがあの日の誓いは変わらないし、変えるべきじゃないし……変えたくないって


 現実と言う名の足音は、否応なしに近づいてきている。


(貫きたい。貫かなきゃ。貫くって決めたんだから……兄上……)

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