2-11 姫様の侍と夜空の向こう
黒色の空にぽっかりと大きな月が輝いている。そしてその真っ白な輝きを取り囲むように、小さな星がいくつも散らばっていた。
無限の夜天を、無数に彩る光の粒。その並びは……ニルヴェアにとって、間違いなく見覚えのあるものだった。狭いバルコニーから、何度も見上げた広い空。
「ブレイゼル領の夜空は見慣れている……はずなんだけどな」
ニルヴェアはキャンプ場の草原に座り込んで、ぼんやりと空を見上げている最中だった。
汗と泥と草とスライムはすでに洗い落としていて、今は2着目のTシャツとズボンに着替えてさっぱりしていた。試験の途中で落ちた羽根飾りもすでに付け直しており、今は風に吹かれて優しく揺れている。
穏やかな時間がゆっくりと、静かに流れていく……ふと、ニルヴェアは呟く。
「不思議だな。屋敷で見ていたよりもずっと綺麗な気がする」
「くく、懐かしい。姫様も同じようなことを仰っておったな」
「!」
いきなり背後から聞こえた声。すぐにそちらへと顔を向けてみれば、目の前にはアカツキが立っていた……のだが。
「あ、ぼろ布脱いでる」
「洗えるときに洗ってやらねばな。拙者はこう見えて綺麗好きなのだ」
今のアカツキは(普段はぼろ布の下に着ている)古びた着物姿であった。
足首まで覆うスカート状の下衣が目を惹くその着物はブレイゼルではほとんど見ない、リョウラン領独特の代物である。しかしニルヴェアはそれに見覚えがあった。
「その服ってたしか侍が鍛錬に使う……剣道着って言うんでしたっけ?」
「お、よく知っておるな。ふむ……やはりニア殿はリョウラン文化に造詣が深いと見える」
「あはは、そこまでじゃないですよ。兄上のまねっこというか影響というか……って、そういえばレイズとはもういいんですか?」
ニルヴェアはそこで思い出した――たしかアカツキとレイズは少し離れたところで、今日1日の情報交換をしていたはずなのだと。
そのとき、ニルヴェアは試験の疲労が溜まりに溜まって頭がぼんやり状態だったので、話には参加せずこうして離れた場所で休憩を貰っていた。
という経緯だったが……しかしアカツキはあっさりと返事を返す。ニルヴェアの隣に腰を下ろしながら。
「あやつには晩飯の支度を任せてある。あとはニア殿も交えて、晩飯ついでに話すつもりだ。だから今は、単に拙者がニア殿と喋りたくて来たわけだな。隣いいでござるか?」
「座ってから言うんですか。べつにいいですけど」
(わがままなんだか気遣い屋なんだか、相変わらず分からない人だなぁ)
ニルヴェアは苦笑しつつも、「そういえば」とひとつ気づいた。
「アカツキさんとこうして1対1で話すのは初めてですね」
「うむ。レイズとは1対1でなにやらお楽しみだったようでござるが……」
「なんですかその言い方……」
「くくっ。実際のところ、楽しかったでござるか? この2日間は」
ニルヴェアはそう問われた途端、まるで呆れたような表情をみせた。
「そのあたりはレイズから聞いたんでしょう? もうほんっとーに大変で……」
実際、ニルヴェアは呆れていた。しかしその対象は他でもない、
「――楽しかった、って言えちゃうんですよね。自分でもちょっとどうかと思うんですけど」
などと苦笑交じりに言ってみせたニルヴェア。しかしその答えを聞いて……アカツキはけらけらと、とても愉快そうに笑った。
「良いではないか! こんな世の中だ、気骨が太いに越したことはない……しかしそうだな。おぬしはやはり、どこか姫様に似ておるのかもな」
「姫様……?」
アカツキが誰を指してそう呼んだのか、ニルヴェアには分からなかった。しかし侍を名乗る人間が、どういう立場の人間を指してそう呼ぶのかは知っていた。
「えっと、もしやアカツキさんにも仕えている主≪あるじ≫が……?」
その言葉を待っていた。そう言わんばかりに侍はニッと笑い、そして高らかに声を張り上げる。
「ならば語って進ぜよう、拙者と姫様との馴れ初めを! 潰れかけた道場に取り残された一人娘が、かのリョウラン領主の三女に見初められて共に歩んだそのドラマをな!」
「おお……!」
ニルヴェアはなんだかワクワクして、小さくぱちぱちと拍手を送った。アカツキはそれを受けて満足したような表情を見せて、それから改めて口を開く。
「九都市条約の加盟都市のひとつで、リョウラン領の中心でもある『桜の都』。拙者はその郊外にあった貧乏道場の産まれでな……」
そうしてアカツキは語っていく。
彼女の母は元々病弱な体であるにもかかわらず、跡継ぎを遺すためにアカツキを産み、それが原因で体を壊して亡くなってしまったこと。
さらに父は父で、時代と共に廃れていく道場を子供1人抱えながらむりやり支えていく生活に、その体を少しずつ蝕まれていったこと……。
「しかし拙者が父の病魔を知ったのは、拙者が『宵断流』……我らが道場の流派。その全てを受け継いだあとだった。父は宵断流の伝授にその命の全てを賭けておったようでな。厳しい修行の果て、拙者はついに宵断流の極意である『暁ノ一閃』を会得したのだが……それを機に父は堰を切ったように衰弱していき、そしてあっという間に逝ってしまったのだ」
「…………」
ニルヴェアは、ただただ唖然としていた。
(こ、これ、気楽に聞いていい話なのか……!?)
しかし当のアカツキはあっけらかんとしていた。むしろその語り口調はどこか楽しそうでさえあって。
「母は笑って逝ったと聞いた。父も拙者が見守る中、満足した顔で眠りについた。きっと2人は自らの信じるなにかに殉じられたのだ。それがなんなのか当人以外には分からないのだろうが……しかし、殉じられたのならそれで良い。拙者はそう信じている……とはいえ、誰が何人死のうと世界は続いていくわけだし拙者も生きねばならぬわけだ。せっかく母と父が命を賭けてこの体を産み落とし、技まで授けてくれたのだ。なのにすぐ後を追うなどと、さすがに勿体ないでござろう?」
「は、はぁ……」
ニルヴェアは正直、ちょっとした気まずさを感じていた。一方でアカツキは軽々と語っていく。
「しかし生きるとは厳しいものでな……両親を失い、道場の門下生だってもう途絶えて久しい。その上当時16歳だった拙者は、修行に明け暮れた日々のせいで剣を振るうことしか知らなかったのだ。数少ない遺産を食いつぶしながら途方に暮れて、それでもがらんどうの道場で剣を振るい続けることしかできず……しかしそんな拙者を見初めてくれたのが、姫様――リョウラン領主の三女であらせられた」
「お、ついに姫様が出てくるんですね!」
「うむ。姫様は三女というその生まれゆえに、将来的には政略結婚のため嫁に出される運命が待っておったのだ。しかし!」
アカツキはそこでいきなり声を荒げた。まるで舞台役者がごとく身振り手振りまでぶわっと加えて!
「当時12歳だった姫様はその小さな体に、しかしとても大きな野望を抱えていたのだ!」
「なんだか話が大きくなってきましたね! その野望とは!?」
「ふふふ、その野望とは!」
アカツキは溜めて、溜めて、溜めに溜めて――!
「ま、それは置いといて少し歴史の授業でもするとしようか」
「もう! 貴方ってそういう人ですよね本当に!」
そのツッコミは肩透かしが綺麗に決まった証。アカツキはそれに満足したように頷いて、それから宣言通りに話題を変える。
「まぁまぁ。なにを語るにせよ前提というのはしっかり共有すべきであろう? 特に姫様の野望というのは、リョウランがまだ国であった時代。九都市条約の前身である十都市条約が結ばれる、さらにその前まで遡るのだ」
「それはまた随分と……えっと、ダマスティの離反から九都市条約になったのがおよそ7年前。で、十都市条約そのものが結ばれたのが確か……30年前でしたっけ?」
「そうそう。その30年よりもっと前、リョウラン”国”内では王を目指すいくつもの軍勢が日々争いを繰り広げていた。そこに加えて国内には古くから『魑魅魍魎』なる化物が跳梁跋扈していた……らしい。とにもかくにも当時は戦の絶えぬ時代だったようだが、やがて今の領主に連なる血筋が国を平定。その勢いで魑魅魍魎も絶滅寸前まで追い込み、ほどなくして結ばれた十都市条約にリョウランも乗っかった……というのがいわゆる『戦国時代』。その一連の経緯となるな」
「なるほど。それで当時の戦や伝説が、『戦国絵巻』や『歌舞伎』として今でも受け継がれているんですね!」
「うむ。そんなわけでリョウランはようやく平和への道を歩み始めた。よその領やその文化などと交わりながらな。無論、それ自体は喜ばしいことだったのだが……しかしそこには弊害もあった。戦がなくなり外の文化が流入してくる中で……戦国の時代が、技が、そして魂ですらも過去の遺物として廃れていったのだ。ゆえに姫様は常々仰られていた。『この世に楔を打ちたい』とな」
「く、楔?」
再び話に現れた姫様は、なんだかずいぶんと物騒な単語を引っ提げてきていた。
ニルヴェアがそれに目を丸くしたのを見てアカツキはニヤリと笑い、そして声高にこう言った。
「『あなたこそ、真の侍に相応しい器だわ!』 ……姫様は開口一番にそう仰られたのだ。もう拙者しかいない道場にいきなり飛び込んできて、な」
「な……なんか、その時点で只者じゃないことだけは分かっちゃいますね!」
「だろう? しかも姫様は続けて語ったのだ。『今の侍の剣術は誰もが見栄えばかり追いかけて、中身が空っぽ』なのだとな」
「とても12歳とは思えない発言ですね……」
「とんでもない大言だろう? だが実際、そう的外れでもないのだ。条約をきっかけに流入した数多の異文化や技術……その中でもとりわけ戦闘に関するそれはリョウラン独自の戦法を大きく塗り潰してきた。例えば弓や刀……リョウランの主戦力は基本的に”それを扱う高度かつ専用的な技術”によって支えられている。だがそれらはもっと便利かつ手軽、汎用性も高い”銃”などにシェアを奪われた。そうでなくとも条約によって大陸全土が昔よりだいぶ平和になり、武器を取る必要性自体も大幅に減ったのだ。ゆえにそういった過去の遺物の価値は、歌舞伎などの娯楽物に集約されていく……これがどういうことか、ニア殿には分かるかな?」
突然そう問われたニルヴェアは少し驚いて、しかしすぐにピンと来て答えた。
「歌舞伎って要は戦国絵巻の演劇版ですよね? 兄上が以前に語っていました。『演劇における”魅せる剣術”というのもあれはあれで卓越した技術だが、しかしやはり”戦う剣術”とは趣が異なる』って。その戦う剣術が必要のない世の中なら、魅せる剣術だけが流行ってくるのも必然……あ。もしかして、アカツキさんの道場が廃れてしまったのもそういう……」
ニルヴェアの頭の中でぱちぱちと、発想が繋がり嵌っていく。
「そうなると……姫様が求めた『真の侍』というのはその戦う剣術を、過去の遺物を未だに受け継いでいる侍のことだった……?」
「うむ。見事な推理だ!」
アカツキは大げさに頷いて、それから夜空を指差した。あるいは星よりも遠き、遥か彼方を。
「すなわち姫様の野望とは、この平和に甘んじた温い剣術を駆逐し、真なる剣術の素晴らしさをリョウラン中……いや大陸中に見せつけることで、『真の侍』なる概念を再び蘇らせることにあったのだー!」
ドンドンパフパフー! ……なんてファンファーレが鳴ってもおかしくない、それぐらいに勢いのある宣言を夜空に向かって打ち上げたアカツキだった、が。
しかしニルヴェアの頭の中には、素直な疑問がひとつ浮かんでいた。
「あの、そのわりにはアカツキさんってすごい演技がかっていますよね、なんか色々。いや僕は良いと思うんですけど。でも戦う剣術とか、質実剛健みたいなのとはちょっとイメージが……」
「えー、拙者そんなふざけているように見えるでござるか?」
「はい」
「いやいやこれでも真面目なりに日々頑張ってふざけようとしているんでござるよマジで。てかそもそも姫様は、歌舞伎も戦国絵巻も大好きでござったしな」
「えっ。でもそれこそ姫様的に『温い剣術』というやつなのでは……」
「本人いわくそれはそれ、これはこれなのだと」
「え~……?」
「むしろな? 今の拙者の立ち振る舞いは全部姫様に叩きこまれたものなのだぞ? 『真の侍は見た目から』なんて方針で、いつでもどこでも『姫様が考えた侍らしい立ち振る舞い』なるものを強制されたのだ。あれはともすれば父上の修行よりも厳しい修行でござったな、色んな意味で!」
「あはは……まぁでも兄上だって見栄えは気にするし、真の侍っていうのを世界に見せつけるのが目的ならそういうのも分かる……のかも?」
ニルヴェアは半分納得、半分疑問の心地で首をかしげた。そしてそんな彼女を見て、アカツキはふふっと笑った。
「やはり似ておるな……ニア殿、実は姫様もおぬしに負けず劣らず腕白だったのだぞ?」
「えっ……僕、そんな腕白に見えます?」
「将来のため過保護に育てられていたのに、城を勝手に抜け出すなんて日常茶飯事でな。拙者という護衛がいるからって危ない場所にも平気で足を踏み入れてしまうのだ」
「あの、僕そんなに腕白……腕白なのかなぁ……」
「しかも拙者だってわりと世間知らずだったから、結局は2人一緒にあの手この手で苦労してな……その度に一緒に新しいことを覚えて、一緒に世界を拡げていったのだ」
「アカツキ、さん……?」
ニルヴェアの眼前。アカツキの表情は、いつの間にか静かな微笑みに変わっていた。
「剣を振ることしか知らなかった”私”に、姫様はたくさんのことを教えてくれた。姫様に振り回される日々は私にとってあまりに目まぐるしくて、恥ずかしくて、怖いこともたくさんあって……それでも、楽しかったのだ。新しい日々の中で私は変わっていく。そうすれば物の見方も変わる。もっと新しい景色が見えるようになる。そうして感じた想いや気づいた世界を私が語れば、姫様は本当に楽しそうに聞いてくれたのだ」
「……素敵な、姫様だったんですね」
アカツキは静かに頷いた。
「あの人の笑顔をもっと見たい。あの人の理想に誰よりも近づきたい。だから私は”拙者”になった。今の拙者を創ってくださったのは、姫様なのだ」
アカツキは夜空を見上げた。星より遠き、遥か彼方をじっと見つめて。
「拙者はあの日々を絶対に忘れない。命より大事な、かけがえのない思い出だ」
ニルヴェアは、なにも言えなかった。
(アカツキさん、あなたは……)
痛みがぎゅうっと、その胸を締めつけていたから。
――ざっくり言えば”仇討ち”というやつだ
(旅客民は旅を続けることで大陸全体に奉仕している。だから”誰か1人に仕える”ということは決してできない。それでもアカツキさんが旅客民という道を選んだのは、きっと……)
そこでふと脳裏に過ぎったのは、自分と似て非なる少年の背中であった。
(きっとレイズにも)
――譲れない物があるならなにがなんでもまかり通す。それがナガレの流儀ってもんだ
(あるんだろうな。旅をする理由が……)
ニルヴェアの思考が、ゆっくりと沈んでいって。
「さて、次はニア殿の番でござるよ!」
「うひぃ!?」
いきなりアカツキに話しかけられたことで、肩をびっくり震わせてしまった。
「ニア殿?」
「いえ、いえいえなんでもないんです」
「ふむ。そんなつもりもなかったが、考え込ませてしまったか?」
「あ、あはは……」
(レイズのことを考えていた、とはちょっと言えないかな……)
「まぁとにかく拙者は腹を割って己のことを話したのだ。ならばニア殿も包み隠さず話すべきではないか? 具体的にはレイズのことを」
「うぇ!?」
ニルヴェアの心臓がドクンと飛び跳ねた。なにせついさっき、そのレイズのことを考えてたのだから。
「おや。その反応、確実になにかあるな! 当ててやろうか?」
「な、なんですかいきなり」
アカツキの眼光が鋭く光った。彼女はニルヴェアの動揺を瞳に捉えて、畳みかけるように突きつける。
「ずばり! その髪飾り、レイズに買ってもらったのではないか?」
…………。
「へ?」
「む、違うのか? レイズにこの話を振ったらえらく動揺しておったのでな。てっきりそういうことかと」
「あ……あー、そういうこと……」
ニルヴェアはおおよそ悟った。
(要するにこの人は”勘違い”しているわけか。まぁでも……)
ニルヴェアはくすりと笑った。この髪飾りを初めて着けたときの、レイズの表情を思い出しながら。
「完全に的外れってわけでもないのかも。これを着けたらあいつが照れた。だから買ったんですよ、これ」
途端、アカツキの目がまん丸になった。このときの彼女は今までにないくらい分かりやすく驚いていたのだが、しかしニルヴェアはそれに気づかず楽しそうに語っていく。
「あいつ、意外と女子への免疫がないんですよね。中身が僕だっていうのにあんなに照れちゃって……変なやつですよね。普段は見た目より大人びているのに、たまに年相応になる……うわっなんですかその顔」
びっくりしていたアカツキに、ニルヴェアもようやく気づいてびっくりした。その直後、アカツキは静かに右腕を上げた。手を胸の辺りへすぅっと持っていき、ぐっと拳を握って一言。
「類稀なる才がある」
「あの、変な勘違いされる前に言っておきますけど……僕は男ですよ? 照れるあいつをからかうのは確かに楽しかったです。でもそれは……そう。言うなれば対抗心というやつですよ」
「たいこうしん」
「そりゃ対抗しちゃいますよ。だってあいつは僕と同い年のくせしてあんなに強いし、自分の生き方に信念だって持っているんだ……」
ニルヴェアはそこで言葉を一旦切ると、アカツキの方へとちょっと体を寄せた。それから小声でそっと言う。
「あいつに認められた。それだけで僕は泣いてしまったんです」
その瞬間、アカツキの表情が変わった。その顔から”おふざけ”がすっと消えた。
アカツキはただ静かに、ニルヴェアの話へと耳を傾ける。
「兄上のように、誰よりも強くてかっこいい武人になりたい。それが僕の夢で、だけど僕なんかよりもその夢にず~~~っと近いやつが僕のことを認めてくれたんですよ!」
――かっこ悪く足掻いてでもかっこ良く生きるのがナガレの流儀。お前、案外ナガレ向きかもな
「初めてだったんです。ただ無我夢中で勝ちを欲したのも、その想いを認めてもらえたのも……その初めてが、レイズで良かった」
そうして語り終えたニルヴェアは、最後に一言付け加える。少し恥ずかしそうに頬を赤く染めながら。
「これ、本当は秘密なんですよ? 貴方の昔話の分、特別に教えてあげただけで……いいですか、だから絶対に漏らさないでくださいよ。特にレイズにはぜっっったいに!」
「ふっ、もちろんだ。しかしこれは予想以上というか……」
「はぇ?」
ニルヴェアは首をかしげたが、しかしアカツキはしばらく考えこんで……やがてその真面目な雰囲気のまま、ニルヴェアへと向き直る。
「ニア殿。我が弟子の行った試験についてはあやつ自身からある程度聞き及んでおる。最終的に、本当に1発だけ当てたこともな」
「は、はい。まぁ当てたと胸を張って言えるかは怪しいですけど……」
「全くもってその通りだ」
「んなっ!」
「満身創痍の末、やっと1発。それも実戦においては1発とすら言えないようなもの……おぬしはそれで満足なのか? 所詮は試験という名のスタートラインを踏んだだけに過ぎない。だというのになにかやりきった気になってはおらぬか?」
アカツキの眼光が鋭い一閃のように煌めき、ニルヴェアを斬りつけた。図星を突かれた彼女は思わず「うぐっ」と目をそらしてしまう。
「い、いいじゃないですか今ぐらい、少しは浮かれたって……」
そんな甘えを、アカツキはすぱっと切り捨てる。
「浮かれたときほど足下を掬われる。未熟者ならばなおさらだ。決して目の前の勝利で慢心せず、ただひたすらに高みに上り続けることこそ武を極める唯一の近道……おぬしが尊敬している兄上もまた『大陸最強の剣帝』と呼ばれる身。なればきっと同じようなことを述べるであろう」
「う。兄上を出すのはずるい……」
「厳しいことを言うようだが、もっと強くならねばこの先の戦いにはついてこれぬぞ。そして拙者の見立てでは、ニア殿がまず鍛えるべきは”技”でござるな」
「技!? というと、アカツキさんの居合切り……『暁ノ一閃』でしたっけ。もしや、ああいう感じの……!」
ニルヴェアが食いついたその瞬間、アカツキはニヤリと笑った――なぜなら侍の一閃は、決して好機を逃さないのだから。
「そう。いわゆる必殺技を、拙者はおぬしに伝授しようと考えておる」
「必殺技!?」
「それもレイズに勝てる……否、必勝できるほどの超絶な破壊力を誇るものだ!」
「レイズに必勝!?」
ニルヴェアは興奮のあまり思わず立ち上がってしまった。それをアカツキはにんまりと眺めて、それからさらに声高く。
「うむ。曲がりなりにもレイズの試験に打ち勝った今のおぬしならばこの技も使いこなせよう。というかこの必殺技はおそらく、おぬしにしか扱えぬ!」
「ぼ、僕だけにしか……!」
「まぁとりあえず座ってくれ。この必殺技自体は今すぐにでも口伝で伝えられるものであるゆえ……もちろん、使いこなせるかはニア殿次第だがな」
「は、はい!」
ニルヴェアは慌ててアカツキの隣にしゃがみこんだ。
するとアカツキはニルヴェアの耳にそっと口を近づけて囁く。いかにも内緒話っぽい雰囲気を醸しだして。
「おぬしもぼちぼち分かっているとは思うが、レイズの良きところはああ見えて”擦れていない”ところだ」
「はぁ……」
必殺技の伝授というには妙な出だし。ニルヴェアがそれを訝しむその一方で。
「しかもあやつはおよそ2、3年ほど前からずっと1人旅を続けてきたのだ。仕事としての付き合いならともかく、プライベートにおいて女子への免疫はおそらく皆無と言っても良い。あやつ自身が自覚しているであろう以上にな」
「は……はぁ……?」
「要するに強烈な一撃をかましてやれば、それだけで
「あの、なんか話が」
「思春期の男子をぶち殺す必殺技はただ1つ!」
アカツキは有無を言わさず、それを
「――可愛い女の子の、
……………………
ニルヴェアの脳裏に、なんか過ぎった。
「ふ、ふ、ふ」
瞬間、心と顔が真っ赤に染まった。
「ふざけんなー!!!!」
その場でぐわっと立ち上がりながら叫んだ。だがしかし、アカツキの表情はすっかりおふざけ全開で。
「いやいやマジも大マジでござるよぉ。これぞ正しく殺し文句!」
「そんなので! 得た勝利に! なんの価値があるんですか! むりむり絶対むり男となんてましてやレイズとなんて」
「俺がどうかしたか?」
その声は背後から聞こえた。ニルヴェアがついそちらへと振り向けば、そこには噂の少年が1人。
「オアーーーーーー!!」
「ウワーーーーーーー!?」
反射的に全力で突き飛ばしてしまった。レイズはものの見事にひっくり返った。
「あ、ごめん!」
「なんだいきなり!? こちとらさっきまで夜飯作ってたんだぞお前の分の飯抜くぞこの野郎!」
レイズは立ち上がりながら当然文句を吹っかけてきたわけだが……しかしニルヴェアとしては、キスがどうとかなんて絶対言えないわけで。よって彼女が最終的に絞りだした一言は。
「全部、アカツキさんが悪い……」
「なるほどな」
「おっと我が弟子?」
「弟子じゃねぇ」
レイズの元気が秒で消えた。露骨に呆れて、投げやりに告げる。
「ったくアホなことしてないで早く戻って来いよ。せっかくの飯が冷めたらどうすんだ」
レイズはそれだけ言い残すと、アカツキたちに背を向けて歩いていってしまった。しかしアカツキはその場を動かず、レイズの背を見送りながら言う。
「やるなニア殿。数年来の付き合いである拙者を差し置いて信頼を得るとは」
「いや貴方と数年付き合っていたからこその対応でしょあれ。僕ですら分かりますよ」
ニルヴェアもまたアカツキに呆れながら、レイズに続いてその場を去ろうと歩き出した。が、
「レイズを頼んだぞ、ニア殿」
ニルヴェアの足がぴたっと止まった。
「頼んだっていきなりなにを……」
(まーた、からかってきている……わけじゃない?)
ニルヴェアにはアカツキの意図が読めなかった。なにせ、からかっていると決めつけるには、あまりにも静かな声音だったから。
「アカツキさん」
ニルヴェアがアカツキへと振り返れば、彼女もすでに立ち上がり、そしてまっすぐにニルヴェアを見返していていた。
「あやつの”道”は、たった15の少年が背負うにはとても酷な物だ。しかしそのくせしてあやつは妙なまでに擦れていない……いや、擦れることができないのだろう」
「どういう、ことですか?」
「人の根幹というのは中々に度し難いものだ。たったひとつの出会い、たった一言で全てがひっくり返りうるほどに脆く移ろいやすい。そのくせして、環境に押し流されれば楽になれるのにどうしたって変われないこともある……いつまで経っても優し過ぎるのだ、我が弟子は」
「……!」
(そうだ、あいつはずっと……)
ニルヴェアはまだ、なにも知らない。
アカツキが危惧しているなにかも、レイズの旅路も、彼が抱えている想いも。だけど、それでも。
「……あるんですか。僕なんかでも、できることが」
アカツキはその問いに応えた。頷く代わりに瞳を閉じて、そして再び開けてから。
「前から思っていたのだ。あやつには友が必要なのだと……それも、あやつに負けないくらいに意固地なやつがな」
「!」
「飄々としているようで実は純粋。そのくせして微妙に秘密主義。それがレイズという男だ。ガツンと強烈にかまさねば、ガードのひとつも破れんぞ?」
「なんですかそのしょうもない挑発。何度も言いますけど、キスとかそういうのは期待するだけ無駄ですからね! ま、でも……」
瞬間、ニルヴェアは笑顔を見せた。それは鋭く逞しい、挑戦的な笑みであった。
「あいつのガードをぶち破る。それはとっても楽しそうですね!」
そして、ニルヴェアは今度こそ歩き始めた。夜飯を作って待っているレイズの下へ、意気揚々と。
……しかしアカツキはまだその場を動かない。去っていくニルヴェアを見送って、
「ひとつの出会いが全てを変えることもある」
楽しげに揺れている少女の背へと、優しく言葉を投げかける。
「ニア殿。おぬしは確かにまだ未熟だが、そこから産まれる強さもあるはずだ……それこそ、姫様のようにな。だからその高潔な性根を貫け。己の信じる刃を研ぎ澄ませ。おぬしの剣はきっと、鈍らなどではないのだ……」
――だからいつか、その一振りで断ち切ってくれ。我が弟子を縛るしがらみを。
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