訓練視察
それは、小雨の降り注ぐある平日の昼過ぎ。
ヒヅキは地下二階にある、修練場を訪れていた。修練場は、ギルドに雇われた教官が、教練を希望する前衛志望の者の稽古をつけるための部屋となっている。地下にあるのは、防音の為と部屋の強度を確保するためだ。同階には、他に魔術師用の教練場や、弓や銃を得物とする者のための訓練場などがある。
用途ごとに部屋の名を微妙に変えてあるのは、言葉遊び以上の意味はない。第一訓練室などと言うよりは、華があるだろうと思ったのだが、却って面倒を増やしたかもしれない。
今の時間は、剣士志望の者が訓練を受けている。
その様子を、変装した上でこっそりと覗きに来たというわけだ。言っておくが、決して暇なわけではない。執務から逃げ出したわけでもない。これも、視察の一環だ。過剰な訓練が行われていないか、教官の態度は適切かを確認に来たのだ。決済を必要とする書類が机の上に積もっていた?いやぁ、気づかなかったなぁ。
誰にか何にか、心中で言い訳をしながら、俺はこっそりと修練場の扉を開く。
『せやっ!せやっ!』
中から漏れてくるのは、元気の良い掛け声。隙間から見えるのは、剣士の卵たちと、こちらを見て困った顔をする教官の男。・・・あれ?ばれてたか。
教官のビスキーユさんがこっそりと手招きしてくれるのに甘えて、なるべく音をたてないように部屋へと入る。
一部の訓練生たちは、俺の方に視線を向けたものの、すぐに正面を向いて素振りを続けた。
「ヒヅキ殿。気配を消して中を覗くのは止めて頂きたい。不審者かと思いましたぞ」
教官のクレームを軽く受け流して、雛鳥達の訓練風景を眺める。
「・・・また、才ある者の引き抜きですか?」
「・・・ソンナコトカンガエテナイデスヨ?」
「私としては構わないのですが、最近噂になってますよ?訓練の中で才能を認められたものは、直々にギルド長にスカウトされて、精鋭の冒険者への最短距離を行くことになると」
「ふむ。多少なりと自重することにしよう」
「心にも無いことを言わなくても構いませんよ」
「そうか。それじゃ、ちょっと将来有望な金の卵を探させてもらおう」
「・・・やはり、少しは自重された方が良いのでは?」
呆れ顔でこちらを見てくる教官から視線を逸らし、金の卵たちを観察する。
前列から徐々に後列へと視線を移していく中で、一人の女性が目に留まった。
そもそも、筋力がモノを言う剣士に、女性がなる例はそう多くない。差別ではなく、向き不向きの問題だ。
今も、この場にいるのは多くが男性で、女性は二割程だ。
それだけでも注目するに値するのだが、そのうちの一人は別格だった。
手足の筋肉こそ男性には劣るものの、しなやかさについては一級品だ。特に脚については、いいバネをしているに違いない。瞬発力はピカイチだろう。後は、攻撃の捌き方と躱し方・・・それらを含めた体術を学ばせ、双剣かレイピア辺りを得物として持たせて・・・。
頭の中を、彼女のトレーニングメニューが勝手に駆け巡る。
「・・・口元がニヤついておりますよ?」
「・・・!いかん、つい」
何を考えていたかもバレているらしい。恥ずかしかったので、上を向いて気持ちを落ち着ける。
「それで、どの生徒ですか?」
教官が、興味津々とばかりに訊ねてくる。
「ん、いや、中列にいる、黒髪ショートカットの女性だ」
「ほぅ?私はてっきり、最後列の赤髪の男子かと」
そう言われて、その生徒を見る。なるほど、確かに剣士向きのガッチリとした肉体だ。筋肉の量も、他と比べて優れている。が・・・。
「いや、彼は不足だな。確かにあの肉体は見事だが、無暗に鍛えて筋肉をつければいいというものではない。必要ない箇所にまで筋肉をつければ、身体が重くなる分、速さが落ちる。もちろん、瞬発力の面でもだ。それに、つけた筋肉は使ってやらないと固いまま。そして、あの生徒の筋肉はまだこなれていない」
「なるほど」
本人も筋骨隆々な体格をしている教官は、納得したように頷いた。
「で、あの娘に声をかけるんですか?」
「あー、まあね」
「・・・ユズちゃんといい、フィーちゃんといい・・・もしやヒヅキ殿はいたいけな少女が好みですかな?」
「きょーかん殿?事実無根で無責任な噂を流すようなら、減給は覚悟しておいてね」
「おお、怖い怖い」
あえて明るく言うと、教官もわざとらしく怯えて見せた。互いに気安い関係だからこその冗談だ。念の為、冗談ですよと付け加えるのも忘れない。無用な誤解の芽を育てることは、蛇足を付け加えてでも避けるべきだろう。
やがて訓練が終わった後、教官に頼んで例の黒髪の娘を呼んでもらう。
他の生徒が出ていき、しばらく経ったのを見計らってから、さらに念のために小声で言う。
「実は、俺はギルド長のヒヅキという者だ」
「ヒヅキ・・・ギルド長!?」
自分だけが残された事に、疑念を浮かべていた少女の顔が、見る見るうちに驚愕に変わる。
「ヒヅキというと、かの有名な”万能不屈”殿ですか!?」
「義勇軍時代は、そんな風に呼ばれていたっけな。なかなか面映ゆかったが」
”万能不屈”というのは、俺の義勇軍時代のあだ名だ。剣と魔術・・・当時の異界術を併用して、いくつもの激戦区を渡り歩いたからだろう。不屈はともかく、万能というのは俺にふさわしいとは思えない。むしろ、器用貧乏と言われるべきだろう。
剣も魔術も、専門家には敵わない・・・どころか、格が二つくらいは下だろう。そのあだ名を言われるたびに、自分の才の無さを揶揄されているように思えて、複雑な気分になる。将来有望な若者を育てたいと思うのは、才の無い自分と比べての羨望から来ているのかもしれない。コンプレックスというものだろうか。
「え、と、ですね。その、増長と傲慢の極みだと笑われるかもしれませんが、もしかして私を?」
どうやら彼女も、例の噂を耳にしているらしい。僅かな不安と大きな期待を孕んだ眼が、こちらを見上げてくる。
「まあ、そのまさかだ。その潜在能力を見込んで、声をかけさせてもらった。君は、ギルドが保有する戦力について知っているか?」
「ええ、少しだけですが。受け手のいなかった依頼や、火急の依頼を、ギルドから直接依頼を与えられて解決に当たる戦力がいる、と」
「完全とは言えないが、正しい認識だ。そして、君にはその候補生として、君の資質を生かす訓練を受けてみないかというわけだ」
「わ、私が・・・ですか?」
「そう、君が。もちろん、剣士としてな」
数秒、唖然としていた少女は、今度は光栄と感激を涙と共に瞳に湛えて返事をした。
「志願させていただきます!どうぞ、よろしくお願いいたします!!」
「うい、よろしく。名前を聞いておこうか」
「も、申し訳ありません。非礼をお詫びします!私は、セリヌ=レントレルセスと申します!」
どうやら、俺にだけ名乗らせていたのに気づいて、それを非礼だと考えたらしい。そこまで畏まることもないだろうに。俺は宮廷の人間ではなく、ただの庶民なわけだし。
「セリヌか、覚えておくよ。訓練は少し厳しいだろうが、頑張ってもらいたい。明日の昼前にでも、面会受付を訪ねてきてもらいたい」
「は、はい!」
「話はその時にでも。では、明日会えるのを楽しみにしている」
「私も、楽しみにしています!!」
そう言って深々と礼をするセリヌを背に、俺は機嫌良く軽やかに歩き出した。
「盟主殿。こんなところで油を売っていないで、溜まっている決済業務を片付けて頂きたいのですが?」
「・・・」
もっとも、こめかみに青筋を走らせたフィゼリナの登場により、その歩みはすぐに重りをつけられた囚人の如く重くなったが。
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