7

「盲点だったわ!ったく…夫人捜索の時間を返して欲しいくらい!」


悔しそうに、彼女は馬を走らせる。

ナターシャ・ウィンザー、それが俺の上司の名だった。焦げ茶色の三つ編みを跳ねさせ、馬を急かし、彼女は満月に照らされたルピシエ市を駆けて行く。


「……捜索って貴女、何もしなかったでしょう」

「専門外の事はしないの、それだけよ!」



この街での移動手段と馬は密接に関係している。人は歩くか馬車に乗るか、馬に乗るかの三択だ。

だが乗馬は危険性が問題視されている今では、そうそう出番のない手段である。

だから経験の差なのか、乗馬操縦免許を取ってしばらくとはいえ、どんなに手網を引いても彼女のスピードには追いつけそうもなかった。どんどん彼女の背中は遠ざかる。


だが皮肉な事にここの所停滞していた雨雲が晴れていたことも、満月だった事も幸運だった、少しでも視界が暗ければ、早々に彼女を見失っていただろう。

まあその時は、温度を視ればいいだけだが。



ハワードの家の前に馬を繋いだ彼女は、滑るように地に降りた。遅れて俺もそれに続き、ハワードの屋敷を見上げ、ピントを合わせるのと同じ感覚で視線を集中させる。すると次第に暗がりの世界が温度を元にした色を帯びて浮かび上がってきた。


屋敷に居るべき、3人の人影は健在である。


「…満月とはいえ、まだ問題は無いようです」

「あら、ツイてるわね」


だが、運とはなんなのだろう。

玄関のベルを鳴らしても、人1人出てくる気配はない。試しに温度を視てみれば、誰も動く素振りすらみせなかった。これに1つ察したことがある。

今日(日付が変わって最早昨日だが)この屋敷を尋ねた時、メイドのソフィーはベルにすら気づかなかったのだ。元々20人以上の使用人が居た屋敷である、それが今やたったの2人、対応出来ることがかなり狭まっているようだ。

人手不足、そう言っていたか。


「はあ……」


ため息をついた彼女は踵を返し、玄関を離れていく。諦め帰るのかと思い少し驚いたがそんなことは無かった。来た道を辿り後に逸れ、中庭の方へと誘われていく。

そして、


「開けてよ、レディ」


彼女は顎で中庭に面した大きな出窓を指すのだった。


「…まさか不法侵入する気で?」

「警察に居留守使ったんだから、強行突入よ」

「横暴な…マリウスさんは許しませんよ」

「親切なパトロールよ、そうでしょ?使用人の護衛に来たんだから、屋敷に入れてもらえなきゃ話になんないじゃない」


それとも私に開けて欲しい?とナターシャさんは片足を上げるのだからギョッとする。

窓を蹴破られては別の問題まで発生する……。


「分かりました、では離れていてください」


苦渋の決ではあったが、彼女の仰せの通りに。いわれたままに、胸ポケットに手を突っ込んみ取り出したバーナーで、窓を燃やす。

わずか数秒で、燃やされガラス部はパキッと小さな音をたてて割れ落ちた。あとは簡単、空いた穴に腕を突っ込み鍵を開ければいいだけ。


ガチャンと、錠が開いて大きな出窓が開く。


「アンタが空き巣じゃない事に全市民が感謝してるわね」


この皮肉は聞き流し、屋敷に不法侵入すると。

視界を遮るカーテンを開ければ、この窓とは何度も通された応接間のものだったらしい。見覚えのある空間が広がっていた。


暗がりの部屋は夜更けに相応しく、屋敷の内部はシンと静まり返っている。



「やはり異常はありませんね」

「そう。ならこうしましょ。私がソフィー、アンタがあの執事の護衛」

「別々ですか」


問えば、文句あるのかと言わんばかりに睨めつけられるものだから首を振る。


「異性の部屋に侵入、なんて記事が出たらそれこそマリウスの大目玉よ。善意あるパトロールだってのに、だから、別」


それを言うなら不法侵入の時点で問題だが。

だが俺の答えなんて選ぶ余地すらない。


「……では貴女の采配に従います」

「ええ。そうして頂戴」


ニヤリと彼女は、それはそれは満足気に笑った。

いい顔で笑うものだと思う。

そんな彼女には、温度を浮き彫りにする視界から割り出した、メイドの部屋の位置を手短に伝える。

執事の部屋とは離れているとはいえ、1階の屋敷奥部に位置するのは同じ。

最悪何かあれば駆けつけられる。


「ご武運を」


頭を下げると、ふわりと風が吹いて顔にかかる前髪をさらう。

顔を上げた時にはもう、彼女の姿は消えていた。



彼女が去った後屋敷の廊下を歩く。夜中だからか照明は何一つついていなかったが、満月の明るさはそれすら必要とさせなかった。そこそこに明るく、廊下の先を見通せる程である。

だがその分、月光が作り出す影とはそこら中にあった。廊下に落ちる窓の影、シャンデリアの影、キリがない。

これらを操れるというサリエルが現れば、苦戦するのは目に見えていた。



使用人部屋は想像がついていたが、古びていた。元々貴族との生活スペースを分ける為に奥まった所にある為、正確には屋敷と一線を引いているのだ。

だから屋敷と使用人部屋とを隔てるドアを1つ開けただけで、絨毯の敷かれていた床はギシギシと踏み込む度になる剥き出しの床板に早変わり。

音を殺して歩く労力を無駄に強いられる羽目になった。

執事の寝室が近くなるにつれ、ふと疑問に思う。


……何をやっているんだ?


壁の先に見える執事の温度はベッドを離れ、立ち尽くしているのだ。

怪訝に思いながらも、彼の部屋の前に来た時、


「誰です」


音を殺していたにも関わらず、部屋の内側で執事が声を上げる。

気配に聡いのか?よくも気づいたものだ。


「警察です。行方不明事件の件で参りました」

「ああ、昨日もいらっしゃってた…」


記憶と顔を一致させたらしく、執事の温度がこちらに近づいてくるので、


「ドアを開けずとも結構です。気にせず寝てください。護衛が目的なので」


と言ったものの、結果として招き入れられる羽目となった。ベッド1つでほぼ埋まっているこじんまりとした部屋。そして、先程まで彼が立ち尽くしていたのはどうやら窓の前だったようだ。満月でも眺めていたのかもしれない。

俺が窓を見つめていたせいか、彼もまた空に視線を投げかけ口を開く。


「月、綺麗ですよね。最近雨続きだったものですから、珍しい」

「そうですね」


使用人を攫い続けた犯人は、こんな絶好の日は逃せないだろうに。だがまだなにも起こらない。


「たかが使用人の護衛だなんて、お疲れ様です」執事は言う。


「ですが心配はご無用です。私は夫人の元へ参るつもりはありませんから」

「その様な心配はしていません」

「そうなんですか?」

「ええ。我々は夫人ではなく、影による誘拐だと判断していますので」


ぴくりと、月光を背に浴び顔に影が差していようと、執事の眉が潜まったのを俺は見逃さなかった。


「…まさか、その様な話を信じているんですか?警察でいらっしゃるのに」

「ええ。我々はマトリなので」


非現実的な事象が専門の部署なのだから。

マトリ…、と彼は口の中で繰り返す。僅かに顔を歪ませたのは、目の前に対峙しているこの俺が服用者だからだろう。


人と異なる存在。人を辞めた存在。


「…だから旦那様は貴方方を悪魔と」

「慣れた事です」

「ですが影による誘拐だなんて証拠は………」

「魔薬であれば可能です。ここでは、元夫人に虐げられ自害した死者の呪いとして通っているそうですが」

「っ、それは彼女への冒涜です!!」


急に上がった怒声は、耳が捉え損ない通り抜け、静かな夜の屋敷に溶けていった。

一歩遅れて我に返る。

死んだライラに対する冒涜……。


なにをムキになるのか。

だが執事の怒りが消えていない事は視界に映る温度で容易に分かった。激情しているのだ。


「ライラはその様な事を致しません!死ぬまで他人のを心配する程に優しく清い子でした!!

なのに、誰も彼もがその優しさにつけ込んで、反抗しないと分かれば罵って、憂さを晴らし、終いには怨霊だとすら言い始める。殺してもなお彼女を傷つけるなんて」


許せない!!


執事の叫びに呼応するかの様に暗い影がゆらりと波打つ。


「まさかっ!」





*



「あの、どうかされましたか……?」


ベッドから不安げな視線を投げかけるソフィーに気づき、ナターシャは首を振る。


「いいえ。安心して頂戴、私がアンタを守るから」

「ありがとうございます」


古びたボロの使用人部屋はナターシャの好みと真逆であるが、それでもぐっと堪えて壁に凭れた。


窓から見える丸い満月は、ナターシャをしっかりと見下ろしていた。


……胸騒ぎがするのだ。

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