5
署に帰ったナターシャは、すぐに資料庫へと駆け込んだ。
"死者の呪い"
あのメイドの言う噂が仮に真実なのだとしたら、これはただの行方不明事件ではなくなる。
不幸な事に、人の先入観が変わらない間にも非現実的な話は起こりうる世の中になってしまっているのだから。
魔薬の存在によって……
「ライラ・ジョン・スミスの死亡届、ありましたよ」
「そう、ありがとう」
床から天井に届くほどの本棚に囲まれた資料庫で、アレンから書類を受け取ったナターシャは、小さくため息を落とした。
蘇るのはソフィーの言葉。
使用人の行方不明事件を、あのメイドこう表現した。
"影攫われたのだ"と。
その影は夜更けに現れ、ひとりでに地を這い動き、そして人を攫っていくのだという。
ソフィー自身は動く影を見た事がないらしいが、
その噂は使用人の皆が知っていたらしい。
その影とは、自ら命を絶ったメイド、ライラの亡霊だと。
"ライラは優しい子でした。明るくていつも笑顔で皆の人気者で……みんなライラが好きでした。私もよくライラには助けてもらって…"
そう、ソフィーは語った。
ライラは彼女と同年代の若いメイドで、使用人同士だけでなく主人達からの信用も厚かったという。
彼女の言葉通りに、人気者であったのだろう。
だがある日を境に周囲からの態度は変わった。
主人との愛人関係が疑われたのだ。
愛人と言っても主人と使用人の関係だ、愛がないのは想像がつく。大方、ただの肉体関係だろう。
使用人は主人の命令に逆らえないのだから。
だが、この関係は発覚した。
真っ先に気づいたのは妻であるハワード夫人であり、彼女は主人を責める以上にライラを目の敵にするようになった。
ライラは彼女から冷たく当たられ、次第に何かにつけて罵られるようになり、時には頬を打たれていた事もしばしば目撃されていたらしい。
それは誰からも好かれていたライラの転落劇だった。
そうしていつしか使用人達も、夫人を恐れ彼女から距離を置くようになったという。臭いものに蓋をする様に、ライラには主人すらも関わらない、そんな日々が半年も続いたという。
いじめに耐えきれず、自害したのだろうか。
だがソフィーが言うには、彼女は夫人が出て行った後に亡くなったらしい。
夫人が離婚届を残してハワード邸から出て行ったのは、この主人の体たらくが原因だろう。
だがライラはなぜか、自分を迫害する者が居なくなった後に姿を消した。
それは時期として1ヶ月前の事。
彼女が発見されたのは、姿を消した日の夜だった。
夜間の屋敷の見回りをしていた使用人の1人が、屋敷の物置部屋で見つけたのたという。
1人、首を吊っている彼女を。
なるほど、と死亡届を見ながらナターシャは思う。
最初の行方不明事件は、彼女が死んだ日の2日後に起きている。死者の呪いと噂されるのは仕方がないのかもしれない。
また、夫人が出て行ったのもその時期なら、彼女絡みの失踪を疑われるのも頷けた。
雲隠れした夫人か、死んだメイドか。
前者に結び付けたのがハワードで、後者に結び付けたのが使用人達なのだろう。
だがどちらにしても、その日を境に使用人は次々と姿を消しているのは事実である。
夫人が連れていったのならば、消えた彼らは夫人の元で同じように働き、生活の保護を受けているのだろう。
だが"亡霊"が連れ去ったのなら、
「…死者に続いて人が消えるなら、呪いなんて言われても仕方ないのかもしれないわねぇ」
パラパラと、ライラの死亡届を眺めながらナターシャは呟いた。自分で首を吊った時はどの様な気持ちだっただろう。この世を恨んだのだろうか、それとも、孤独だろうか。
「死者の呪いなんてありませんよ。死んだらそこで終わりなんですから」
アレンの声は淡々としている、が。
死んだらそこで終わり、と彼の口は時々言う。
だから無茶はしないでくれ、危険な事はしないでくれ、そう後に続くのだ。
そうよねと言いつつも、また責められた様な気さえして、ナターシャは目を伏せた。
「知ってるわ。だからこれは死者を語った、ただの人間による犯罪よ。それも服用者のね」
『紫煙と私怨とそれから死影』
壁掛けのウォールランプに天井から吊り下がるシャンデリア。人工蝋燭の灯火は消えることもなければ、夜でも昼間さながらの明るさを保ち続けてくれる。
便利になったものだが、同時に夜でも仕事が出来るようになってしまった。
ナターシャが机に並べたのは、ハワード家での行方不明事件の資料と、それから背の高い本棚から背を伸ばしてまで取ろうとして結局届かず、アレンに取らせた特殊指定薬物のリストである。
「急にやる気になりましたね」
「口を謹んで」
とは言ったものの、図星である。
雲隠れした夫人を地道に捜索する未来から解放されるのかもしれないのだ、嬉しくないわけがない。
「動く影が魔薬の効力だとして」ナターシャは口を開く。
「20人も使用人を攫っておいて、今屋敷に居る執事とメイドの2人を放置するかしら?」
「そうですね。確かに前の事件から日が空くことはありますが、俺達が訪問してから止んでいるというのは、今までの傾向からして違和感があります」
とアレンも唸る。
事件の起きた日にちをカレンダーに印してみたものの、そこに規則性はなかった。
まばらなリズムを作っているが、使用人が消えた日は今まで3日以上空いた事はない。だがここに来て、5日間パタッと止んでいる。
「連続的な犯行ならこれで終わるはずがないわ。なにか理由があるはずよ」
「効力の影響でしょうか」
ふむ、とナターシャは口を尖らせる。
魔薬も万能ではない、例えば炎を操れても、炎を生み出せはしない、など効力は限定的であり、1を10にしても0から1を作ることは出来ない。
つまりこの5日間とは、操る炎がないように、犯人にとって効力を発動する為の条件が満たせていない0の状態であったと考えられる。
この5日間の共通点……
思えば、1つ思い当たる節がある。
「ねえ…ここ最近、ずっと雨が降っていたわよね」
「っまさか、天候ですか?」
ナターシャが頷くよりも早く察したアレンは、なんでも出てくる胸ポケットから小型のモニター(タブレット)を取り出すと、慣れた手つきで操作し天気予報を遡る。
そして、
「確かに…一致しています。この5日間だけでなく、犯行のない日も同様です。深夜の天候は曇りか雨」
「チッ、なら犯人は"サリエル"よ」
"サリエル"とは通称であり、正式名称はNO.66。
効力は、月光の元に生まれる影を意のままに操る事を可能とする。
月を光源とする影を全て、操る事が出来るのだ。
だから、雲で月が隠されれば月の影は0の状態となる。
そもそも犯行時刻が夜に限られていたのはその為か……
「…でしたらまずいですね」
「なによ」
アレンの苦い声にナターシャは振り返る。
「今夜は、月の光が1番強い満月です」
弾かれたようにナターシャはカーテンを開けた。
真っ暗闇の夜空の上では、星々に囲まれた丸い月が余すことなくその身を現し、煌々とナターシャを見つめ返していた。
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