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「私はソフィーと申します。ソフィー・ジョン・ブラウン、このお屋敷でメイドをしております」


そう言って、ナターシャ達を屋敷に招き入れたメイドはペコリと頭を下げた。

使用人らしい名前だ。


ミドルネームの"ジョン"とは、彼女の主人であるジョン・ハワードの名からきている事が分かる。

この街では独りでは生活も出来ない貧困層が、裕福な貴族の家で生活的保護を受ける代わりに使用人として住み込みで働く事が多い。仕事、というより奉公に分類される。そんな場合に、自身の名に主人の名を刻むのが鉄則なのだ。


勿論、仕事として使用人をしている者もいるがこの奉公者はそれよりも立場が低い、言わば労働者より下、主人の所有物である。

ちなみに居なくなった使用人達のほとんどのミドルネームがジョンであった。



そんな彼らが姿を消して、今ではこんな大きな屋敷の留守を1人で任されているソフィー。

ナターシャ達を応接間へ通した後も、あっちでランプを灯して、こっちでお茶を用意して、とかなり忙しそうであった。だが唯一の救いは、5日間で新たな行方不明は出ていないということ。

彼女の話では今は不在の執事も主人の用の付き添いであり、彼らはもうすぐで帰ってくるはずだと言う。


「ですので少しここでお待ちを…」


ウェルカムティーを差し出したソフィーは、持ち場に戻るのかと思えば不安そうな視線をちらちらと、こちらに向かって投げかけている。


「なに?」

「あの…行方不明の皆さんは無事なのでしょうか?」

「さあ。分からないわ。そもそも足取りが掴めないの。ここの元夫人との関係性を調べたけど、夫人は雲隠れしちゃってるし」


仮に宛もなく失踪し新たな職場を求めたのなら、今のミドルネームを外す必要があるが、その改名届はルピシエ署には届いていない。


「ま、執事も見逃してやって欲しいって言っていたし、今回は今後の相談も兼ねて訪問したのよ。元はと言えば夫婦間の問題のようだしね」

「そう、ですか。アダムさんまで皆さんの意志だと思っているんですね…」


アダム、とはあの執事の名の様だ。何故か肩を落とすソフィーを見逃さない者がナターシャの横に1人。


「その言い方ですと、貴方はそうは思っていようですが」


急に口を開いたアレンの指摘は、まるで鋭い槍のように的確で。えっ、とソフィーは言葉を詰まらせる。これはナターシャも経験がある。この男は計算か無意識か、なりを潜め奇襲を仕掛けるかの如く、他人の動揺を誘うのが得意だ。

お陰で急に襲われたソフィーからは、図星がありありと見て取れた。


だが、ナターシャも彼女に対して違和感を記憶していた。


「ねえ、ソフィー、私も1つ気になったのよ。

アナタ、最初に行方不明者の無事を聞いたわよね。でもこの屋敷から出たら死ぬワケじゃないわ。なんの脅威から無事かを聞きたかったのかしら」

「わ、私は……その、実を言うと皆さんが自分からここを出ていったようには思えなくて、皆さん不満はなかったようですし、私自身そういった事は覚えがなくて、ですから…」

「それは、行方不明には別の要因がある、ってこと?」

「ええ、なのかなと思っていました。なのであの噂の通りに、皆さんが本当に連れていかれてしまったのかと思っていたものですから…アダムさんがそう仰ったのは意外で……」

「そうかしら。彼も夫人が連れていったと思っているようだけど」

「いいえ、いいえ!違います。奥様ではありません!死者の呪いです!!」


死者?


ナターシャは目を丸くする。アレンも小さく息を吸い込んだ。

だが1番動揺を見せたのは、叫んだソフィー本人だっただろう。言ってしまったと言わんばかりに、口を押えて顔を青ざめさせる。


「も、申し訳ありません!警察のお2人にこんなお話…」

「いや、いいわ。聞かせて頂戴」


キョトンとナターシャを見返すソフィーは、幽霊だなんて信じてくれるのか、と言わんばかりに不思議そうであった。だが、そんな不思議と相対してきたのがマトリである。


「アナタは、何が彼らを死者が連れていくと思っているのね?」


ソフィーは頷く。


「噂が……あるんです。夜更けになると、影が人を攫いに来るって。それが、このお屋敷で自殺したメイドの、ライラじゃないかって誰かが言い出して………。最初は信じていなかったんです。でも、仲のいい人達まで急に居なくなってしまうものだから、私…もしかしたら、皆さんはライラに連れていかれたのかもしれないわって……」


ボロっ、とソフィーの目から涙がこぼれる。そうすると止まらないらしく、次から次へと雫は頬を伝っていく。


「いいわ、自分のペースで話して頂戴」


こくこく、頷くソフィーは嗚咽で思い通りに言葉が紡げないようだった。止まらない涙を何度も拭いながら、彼女は震える口を開く。


「ライラは、私の、……私の友達だったんです……」





*




屋敷に帰ってきた主人は、玄関で鉢合わせたナターシャ達の存在に酷く驚いたようだった。


何故ここにいる!悪魔の分際で!


神経質な顔を強ばらせそう言いたげな様だったが、ナターシャはそんな彼に見向きもしないまま、屋敷を出て署へと急ぐ。アレンもまた、彼女に続くのだから、まるでつむじ風のように出ていった2人に、主人も、執事も背中を見送るしかなかった。


ポカンと惚けていた彼らに、ソフィーは申し訳なさそうに、


「ご主人様にお話があると言ってお待ちしてもらったのですが、急用が出来たようで……」

「フンッ、構うな、所詮バーネットの駒だ」


鼻で笑った主人は、雨に濡れたコートをソフィーに預けると、さっさと屋敷の奥へと消えていった。

残された執事のアダムは、彼女の顔を見てギョッとした。


「どうしたんだ?ソフィー、目を真っ赤に腫らして」

「いえ、大丈夫です…」

「本当か?何かあったら僕に言うんだよ」

「ええ。あ、あの、アダムさん」

「なんだ?」

「アダムさんは、あの噂、聞いた事がありますか?ライラが皆さんを連れて行ってしまうという……」

「ああ、死者の呪いとかいうやつだね。信じるわけがないだろう。あんなの死者への冒涜だ、彼女がそんな事をするわけがない!」

「す、すみません!私、不謹慎な事を……」

「……いや。それよりも、そろそろ晩餐の準備を始めようか。2人では手が足らないから」

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