3

ハワード邸での使用人連続行方不明事件。


これはあってないようなもので、最早解決したものとばかり思っていた。

だが、現実はそう簡単にはいかなかった。



大きな白レンガの屋敷であるルピシエ市警察署は、築300年を誇る王国時代よりあり続けた歴史的建造物である。その三階に、マトリのオフィスは設けられていた。

オフィスの大窓から眺められる景色は、本来なら貴族街から市民街までを見下ろし更には、海までもが見通せるのだが、今はどんよりと分厚く暗い雨雲が空に蓋をしていて、それも叶わなかった。


晴れ間を見せない空はまるで、現状のようである。



「ナターシャさん」


呼ばれ、ナターシャはくるりと椅子ごと振り返った。銀のトレーにティーセットを乗せ、アレンが帰ってきていた。

デスクに紅茶を並べる彼は表情の変化に乏しい男だが、これから続くであろう報告内容はなんとなく察せた。


「ハワード元夫人の居場所ですが、未だに掴めません」

「はあ……そんな気はしてたわ」


使用人を連れて行ったであろうハワード元夫人が難敵だった。屋敷を後にしてからの足取りを一切掴ませない。

彼女1人なら、実家を含めた他の貴族家の屋敷に住まわせて貰っていてもよさそうなものだが、使用人20人を引き連れているとなるとそれも無理だろう。

では、新しい屋敷を建築しているかと思えば、


「建築申請も届いていませんでした。そもそも土地を買ってもいないようですし」

「手詰まりじゃないのよ」


そして、出入街記録にも一切ない。

この街のどこかで、20人もの使用人を引き連れていながら、姿どころか噂すら聞かない。

仮に失踪だとしたら、使用人達は新たな職を探さす必要がある。既に散り散りになり、どこかの職についただろうか。だが"改名手続き"は誰1人成されていない。



あれから3日経ったが、お手上げに近かった。


そもそもマトリは行方不明者なんて扱わない。

こんな雑用を任されているのも、寿司バーの一件が記事に大きく取り上げられたせいだ。


ついてしまいそうな悪態は、アレンの用意した紅茶で流し込む。アッサムティーに生クリームを少しと、メープルシロップ、甘さと茶葉の香ばしさの引き立ち方は、ナターシャの好みそのものだった。


「はあ……」

「捜査の方法を変えるべきかもしれませんね。焦点を行方不明者に戻すべきかと」

「…あの執事も言っていたじゃない?そっとしておいて欲しいって。その意思を尊重するってのも1つの手だと思うのよ」

「尊重したのは貴女の怠けでしょう」

「皆の意見を尊重したのよ」



*



二度目のハワード邸への訪問は、五日後の事。

元夫人も使用人も雲隠れした今、別方向からの捜査展開が急務となり、渋々二度目の事情聴取と決め込んだ。


手がかりがゼロだと報告するのは苦痛だ。

罵倒の末、今度こそキースを出せと言われそうである。


うんざりしながら空を見上げると、天を覆った雨雲からは思い出したかのようにポツと雫が落ちてくる。


また、雨が降るようだ。ここ数日この天気ばかりである。

胸ポケットから大きな傘を引き抜いたアレンは、直ぐに傘を差した。彼の胸ポケットは大きさを無視してなんでも出てくるのだ。


彼の差す傘に入れられながら、ナターシャは屋敷へと向かう。その道すがらの庭の芝生は、雨を飲み干し伸び放題で、庭師の不在を物語っていた。


「庭師まで引き取ったなら、夫人の居場所は庭付きの屋敷よね?」

「確かに。市民街にも最近貴族の家を意識して庭のある家が人気のようですから、当たってみましょう」

「ま、失踪の線も捨てきれないけど」

「…またそれですか、有り得ませんってば」


呆れ声を無視して、ナターシャは屋敷のベルを鳴らす。だが待てど返事はなく、以前のように執事が出てこない。


「留守のようですね」


だが、試しにドアを開けてみれば、錠は下ろされておらず、開いてしまった。


「ねえ、あの執事、毎日の様に誰かしら居なくなるって言ってたわよね…」

「……」


「アレン」と。


ナターシャの声音で全てを察したらしい。彼の目の瞳孔は細まっていき、紫色の双眸は次第に金色へと変色していく。


これが魔薬の効力だった。


猫の瞳になった彼は、壁の向こうすら見通せる事をナターシャは知っている。


ナターシャと同じ魔薬を服用したとはいえ、彼の効力は瞳に強く現れた。それは猫のように僅かな光源で闇夜を見通せるものだったはずが、いつしか温度すら色を帯びさせ、サーモグラフィーの様な視界を作り上げてしまうようになった。

壁に遮られようと、彼の目はそれを通り抜けて熱源を視野に捉えてしまう。

そして、


「1人奥の部屋にいます。ですが、大きさからして当主でもあの執事でもありません。もっと小柄です。女性かと」

「女性…まさか、夫人?」

「さあ、そこまでは」


首を傾げるアレン。

ナターシャは息を吸って声を張る。


「ねえ!警察よ。誰かいるの?」

「……近づいてきます」


ナターシャの耳にも、何者かの足音は聞こえた。

駆けてきたのは、ナターシャよりも若そうな10代の女性だった。夫人でない、メイドだ。


「す、すみません!警察の方がいらっしゃっているのに私、全く気づけなくて!」


申し訳なさそうに眉を下げてメイドは言った。

確かに使用人不足は深刻らしい。

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