2話 紫煙と私怨と

1

「行方不明事件?」


ナターシャが聞き返すと、通報者のジョン・ハワードは、「いかにも」と頷いた。





ルピシエ市警察署の位置するQの5番地から馬車で10分程の距離に、その屋敷はあった。


貴族、ハワード邸。


通報があり、ナターシャとアレンがそこへ訪問したのは分厚い雲が空を覆う、雨上がりの昼下がりの事だった。



「お待ちしておりました、旦那様の元へご案内します」



笑みを浮かべる若い執事に通された応接間は、まだ午後だというのにカーテンが締め切られていた。代わりに暗がりな部屋を、人工蝋燭(電球)のシャンデリアやランプが照らしている。


大きなソファーにどっしり座っているのが、この屋敷の主人である当主 ジョン・ハワードだった。

神経質そうな顔で、くるりと二股の弧を描く口髭の彼が言う事には、この屋敷の中で相次いで行方不明事件が起きているのだという。


「消えているのは全て使用人だ。今月に入って20人にもなるか」


「ええ」と頷いたのはナターシャ達をこの部屋まで案内した執事で。引いてきたワゴンの上でお茶を用意しながら、


「庭師からコック、執事にメイド、合わせて22人が次々と」

「前日の終業までその者は居たと聞いている、皆 夜更けに消えているのだろう」

「ふぅん…」


差し出された紅茶を味わいながら、相槌を打つナターシャは肩透かしを食らった気分だった。

使用人が横暴な主人に耐えかえ逃げ出した、なんて話は貴族社会では日常茶飯事。


こんな事件をどうしてマトリに割り振られたんだか…

ティーカップをテーブルに戻し、切り捨てる。


「ただの失踪じゃない」と。

だが、当主は鼻で笑った。


「は!何を言い出すかと思えば……

バーネットも食わせ者よな。多額の寄付金を受け取っておいて、私にこのような、礼も弁えん"悪魔"なんぞ寄越してくるとは」


呆れたと言わんばかりの口ぶりの当主は、胸ポケットから銀製のシガレットケースを取り出すと、葉巻を口に咥えた。

まさか、と思う間もなく、執事が膝をつき、そこに火をつける。そうして立ち昇る独特な香りは、ティーカップが3つ並ぶテーブルを超えて、此方まで届いてきた。


何たる無礼な……


ふぅ、と主人は紫煙混じりのため息を吐く。


「全く、キース刑事課長を出せと言うものを……」



は?



噛みつかんばかりに口を開きかけたナターシャだったが、これは隣から突き刺さる視線で止められた。そうしてアレンが口を開く。


「何故、失踪でないと言いきれます」

「居なくなった使用人どもは皆、身一つで消えているからだ。仮に失踪だとしたら、職もないというのに金からなにまで部屋に置いて行くのはおかしいだろう」

「ええ。ですが、違和感を抱いていた割には、遅い通報のように思いますが」

「はあ……。それは……、当初の内は奴らは妻に連れて行かれたものと思っていたものだから、放置していたのだ」

「通報のきっかけは、その見立てが外れたからですか」

「知らん。お前らを呼んだのは、使用人どもが最早たったの2人しかおらんくなって、生活に支障が出ているからだ。

私は居なくなった使用人どもを見つけ出し、ここに連れ戻せと言っている。理由など構ったものか」


何を隠しているのか。

痛いところから逃れる様に捲したてる当主は、最後まで横柄な口ぶりのまま、ナターシャを睨みつけた。


「で?お前らに出来るのか、出来んのか、どちらだ」

「愚問ね、出来るわよ」

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