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今、日本中を騒がせている「飼い猫大量失踪事件」の続報です。行方不明となった飼い猫の数が、先週は全国の総計で五百匹と報告されていましたが、その後も増え続け、ついに八百匹となりました。いなくなった猫たちがどうなったかについては、全く判っていません。もし猫たちが虐待を受けているとなると、最悪の場合、殺人事件へと発展しかねないとして、自治体や警察が警戒を強めています。
家族同然だった飼い猫が突然いなくなり、いわゆる「ペットロス症候群」に悩まされる人が増えています。静岡県に住むAさんのお宅では、十年間かわいがってきた飼い猫が失踪し、ショックを受けた九歳の娘さんが、不登校となってしまいました。また、大阪府に住むBさんは、愛猫の失踪により極度のストレスに苛まれ、それが原因で心臓病を発症しました。
そしてとうとう、この事件による死者の情報が入ってきました。三十九歳になる会社員の女性が、溺愛していたペルシャ猫の失踪から重度の抑うつ状態となり、自殺したということです。昨日、女性が家を出てから夜になっても戻らず、付近を捜索したところ、自宅近くの森の中で木にロープをかけ、首を吊って――
週末の関東地方は、大荒れの天気となりました。
夕食の筑前煮を頬張りながら、ルリ子はリモコンをテレビに向けて、チャンネルを替えた。箸が進まないマナミは、テレビの画面をぼんやり眺めている。番組が突然切り替わったことにまったく反応せず、ぼんやりと。
そんな娘の顔をちらっと見やってから、ルリ子は味噌汁に口をつけた。
関東南部に発達した雨雲がかかり、神奈川県や東京都の一部地域で、一時間六十ミリの激しい雨が降っています。河川の氾濫、低い土地の浸水、土砂災害に、十分な警戒が必要です。また落雷や突風などにもご注意ください。
「こっちは大丈夫かしら。大雨警報とか出てないのかしら、埼玉は。ねえ、マナミ?」
「……うん」
「……心配ねえ」
雨の落ちる音が、固く閉められた窓を通して室内にも聞こえてくる。ときどき、不安に駆られるほどの大きな雷鳴が、重く、響く。
落雷による信号機故障の影響で、JR中央線のダイヤが大幅に乱れています。今夜予定されていました隅田川花火大会も、大雨により明日、日曜に延期されました。
「あら、花火大会ですって」ルリ子が明るく言う。「マナミ、行ってきなさいよ。お友達を誘って」
「……うん」
生返事にルリ子は淋しそうな顔を見せ、食事に戻った。マナミは夕食をほとんど残し、お風呂に入ると言って、食卓を離れた。
シャワーを浴びながら、マナミはムンクの身を案じる。
ムンクは今ごろ、どうしているだろうか。道に迷っていないだろうか。ちゃんと食事はとれているだろうか。怪我など負ってないだろうか。病気を患っていないだろうか。
今夜はどしゃ降りの雨だ。雨をしのげる、安全な場所を見つけただろうか。ずぶぬれになって体を震わせながら、家に入れてと、鳴いていないだろうか――。
……チャーちゃん。
あの茶色の子猫を駐車場で見つけたのも、雨の降る日だった。雨を浴び、全身ずぶぬれでうずくまって、痛々しい声で鳴き続けていたのだった。
チャーちゃんとムンクの影が重なり、マナミはむせび泣く。こぼれた涙はシャワーのお湯とまじり合い、足元に流れ落ちる。
いつまでも消えない後悔。こびりついた罪悪感。
もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。
額を石の壁に打ちつけてやりたい。額が割れて血まみれになるまで、何度も何度も打ちつけてやりたい。
ごめんね。本当に、ごめんなさい。
風呂からあがって自分の部屋に戻ると、スマホの画面に着信履歴を見つけた。ナオトからの電話だった。マナミは一時間の間をおき、折り返しの電話をかけた。
『じつは今日、僕一人で、アマリリスさんに会いに行ってきたんだ』軽いやり取りの後、ナオトが切りだした。
「アマリリスさんに?」
『うん。あれから考えたんだけど、もうクニヨシさんを探し出すしか、手はないんじゃないかって。先週、もしかしたらアマリリスさんから聞き出せなかった情報とか、聞き逃した情報があるかもしれない――念のためもう一度、訊いてみよう。そう思ったんだ』
「ありがとう……」マナミはうつむいた。
『桜田さん、元気出しなよ。実を言うとね、いい情報を手に入れたんだ』ナオトは得意げに言う。『僕がまず考えたのは、山奥からめったに出ないクニヨシさんが、どうして新宿に現れたのかっていうこと。アマリリスさんに会うためだけにやって来たとは、考えにくい。アマリリスさんにそこまで思い入れがあるようには、感じられなかったからね。本人の話を聞いた限りでは。それでは、なぜか。もしかして他に目的があったんじゃないか。そこで聞いてみたんだ。クニヨシさんがアマリリスさんに会いに来た日、都内で何かありませんでしたか、って。そうしたらね、隅田川花火大会があったよって言うんだ』
――隅田川花火大会?
『どうしてそんなことを覚えているのか訊いたら、アマリリスさんを訪ねてきたとき、クニヨシさんが言ったそうなんだ。今日は隅田川花火大会を見てきた。懐かしかった。ガキの頃を思い出す――って。無邪気な笑顔で、嬉しそうに語ったらしい』
「ガキの頃を思い出すって……クニヨシは江戸時代に生まれたんでしょう?」
『うん。調べてみたら、隅田川花火大会のルーツは、江戸時代中期の1733年に始まった両国川開きの花火なんだって。そこから時代を越えて、現代にまで続いているそうなんだ。クニヨシさんが江戸に生まれたのは寛政九年で、1797年。きっと子供のときから両国の花火を観てきたのだと思う。毎回、楽しみにしてたんじゃないかな』
「隅田川花火大会も、クニヨシも、江戸時代に誕生した……」
『そこだよ。時代を越えて、両国川開きの花火が、隅田川花火大会となって続いている。クニヨシさんも同じく不老不死となって、時代をまたいで生き続けている。江戸時代から平成まで、花火大会とクニヨシさんはともに歩んできた――時代は目まぐるしく動いて、日本という国はどんどん変わっていくけど、 花火だけは変わることなく続いている――クニヨシさんが隅田川花火大会に特別な愛着をもっていたとしても、不思議ではない』
「ていうことは……」
『クニヨシさんが隅田川花火大会を観るために、都内に現れる可能性は高いと思う。隅田川花火大会は毎年土曜日に開催されるんだけど、今年は大雨のために、明日の日曜日に延期となった。明日だよ、桜田さん。明日、東京に行けば、クニヨシさんに会えるかもしれない。ムンク君を無事に探し出してもらえるかもしれない』
マナミはまた涙をこぼしそうになる。
「五十嵐くん……ありがとう。本当に」
『気にしないで、桜田さん。何でも協力するから』ナオトは力強く言った。
「でも隅田川花火大会って、たくさんの人が観に来るんでしょう?」
『問題はそれ。全国でも有数の花火大会だからね。人出は九十五万人って、言われてる。もちろん花火が目的でない人も、都内には大勢いるし。花火なんてどこからでも観られるから、その範囲を考えると、気が遠くなるね……。クニヨシさんが現れたとしても、僕らだけで見つけ出すのは、相当難しい――』
「待って。それなら、いい考えがある」
ふと、ムンクの明るい鳴き声が聞こえたような気がする。
『……いい考えって、どんな?』
笑みを浮かべて、マナミが言う。
「五十嵐くん、人探しは、人探しのプロに頼みましょうよ」
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