ポテトサラダを口に運ぶナオトの向かいで、マナミがため息をついた。彼女のデミグラスハンバーグは、ほとんど手をつけられていない。

「桜田さん、大丈夫? 食が進まないみたいだけど」

 フォークを握ったままうなだれていたマナミは、ナオトの言葉に顔を上げて、

「うん。大丈夫」と無理に笑顔を作る。「五十嵐くん、ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」

「ぜんぜん。元はといえば、僕が桜田さんに声をかけたのがいけなかったんだから」

 正午をまわったところで、マナミとナオトはカフェレストランに入った。マナミは着の身着のまま家を飛び出してきたので所持金はゼロだったが、ナオトが昼食をおごるというので、その言葉に甘えることにした。二人はそろってデミグラスハンバーグのランチセットを注文した。

「どの道、今日は予定もなかったし。それより、どこへ行ってしまったんだろうね、桜田さんの愛猫、ムンク君は」

 間違いなく潜んでいると思っていた『ほらアナ』に、ムンクの姿はなかった。ということは、知らぬ間に店から出ていったとしか考えられない。では、どのタイミングで出ていったのだろう? 考えられるのは、ナオトがマナミに最初に声をかけたときか、もしくは二人で一緒に『ほらアナ』へ入った直後だろうか。ムンクが外へ出るためには、店の唯一の出入口を通るしかない。その際、自動ドアが必ず開くことになる。問題は自動ドアが開いたことに気づくかどうか、だ。店内にいたら、たとえ入口に背を向けていたとしても、空気の流れの変化で感づくかもしれない。やはりナオトが声をかけたときのほうが、可能性は高そうだ。マナミは入口から目を離していたし、ナオトもマナミしか見ていなかった。自動ドアが開いてムンクがこっそり出ていっても、判らなかっただろう。

 二人が気づかないうちにムンクは『ほらアナ』から出ていった、ということで話はまとまり、周囲を手分けして捜索することになった。『ほらアナ』を中心に半径百メートルくらいの範囲を北側と南側に区切り、ナオトは北エリアを、マナミは南エリアを探すことに決めた。半径百メートルの範囲としたのは、それより外に出てしまっていると(もちろんその可能性は十分にあるが)、完全にお手上げだからだ。仮に半径百メートル以内に残っていたとしても、鬼ごっこみたいにムンクが逃げ回っていれば、捕まえるのは至難のわざだろう。一縷の望みに賭けて、二人はムンクの影を追った。

 あらかじめナオトには、ムンクの特徴などを伝えておいた。オス。7歳。柄は灰白。耳と背中と尻尾がグレーで、お腹と脚が白。顔はグレーのハチワレ。丸顔。

「室内飼いだから全身至って清潔。野良猫と見間違うことはないはずよ」と、マナミは付け加えた。

 とにかく『ほらアナ』付近にとどまっていてくれと、祈るような思いで二人はムンクの行方を追った。

 猫の習性として、狭いところ、高いところを好むため、そういった場所を重点的に探した。狭いところは、停車している車の下、建物と壁のはざま、植込みの陰、エアコンの室外機の裏、など。高いところは、民家の屋根や塀の上、トラックの荷台、街路樹の枝、店の看板の上、など。

 裏道には民家が並んでおり、その敷地内にムンクが侵入し、潜伏していたら、見つけるのはほぼ絶望的だった。とはいえ無視することはできず、念のため一軒一軒たずねて回った。お宅にうちの猫が逃げ込んだかもしれません、ご確認いただけますでしょうか、と。しかし拒絶されることが多く、中にはあからさまに不審がる人もいて、もう少しで通報されそうになった。

 戸外にいる人へ、聞き込みもした。サッカーボールで遊んでいる子供や、散歩している老夫婦や、立ち話している主婦や、道路を清掃中のボランティアの人たちや、工事現場の警備員などから、情報を聞き出そうとした。だが誰もが首を横に振るばかりで、収穫はゼロだった。

 マナミとナオトの二人による捜索は、少しの成果も得られないまま三時間が経った。そこで一旦打ち切られ、二人は昼食をとることになった。

「桜田さん、これだけ探しても見つからないってことは、すでに遠くまで行ってしまったのかもしれないね……」

「もう限界ってこと?」

「二人だけで探すのはね。後はSNSとか、迷子のチラシを作って、協力をあおぐしか手はないよ」

「ダメ」マナミはフォークの先端をナオトに向け、「そんなことしているあいだに、ムンクにもしものことがあったら、どうするの? すぐにでも見つけ出して、捕まえないと」

「桜田さん……。気持ちは解るけど……」

「解ってなんかないわよ」ぴしゃりと言う。「いいわ、五十嵐くん。聞かせてあげる。わたしがムンクを飼うことになったいきさつを」

 マナミは話した。十歳のときにコインパーキングで出会った、痩せた茶色の子猫のことを。その身を守ることができず、子猫が短い生を終えてしまったことを。七年前、同じ場所で保健所に連れていかれるところだった子猫のムンクを救い出したことを。

「寿命が訪れるそのときまで、誠心誠意、責任をもって育てますって、約束したの。ムンクの身を守らなければいけないの、わたしは。命がけで守らないと」

 マナミの真剣な表情に、ナオトはうなずいた。

 ただちにムンクの安全を確保する必要がある。とは言え、二人きりで行方を追っていては、よほどの幸運に恵まれない限り、ムンクを見つけ出すのは難しいだろう。安心して任せられる強力な助っ人が欲しい。

 ナオトは腕組みし、少し考えてから、

「桜田さん、それじゃ、ペット探偵に依頼しようよ」

「ペット探偵?」

「うん。テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあるんだ。行方不明のペットを探し出すプロだよ。この近くで、いないかな……。ちょっと調べてみよう」

 ナオトはスマホを取り出し、Googleを立ち上げ、検索ワードを入力した。いくつか引っかかったペット探偵事務所のサイトを、一つ一つ開いていく。

「大宮駅から徒歩十五分。ここが一番近いかも」

「五十嵐くん、それ、何ていうところ?」

「『ミラクル・サイキックサーチ』。『失踪、家出、ペットの迷子まで、即解決。確実に発見します!』だって。すごい……口コミの評価は軒並み満点だ。みんな、絶賛してる。『半年前に突然いなくなった飼い犬を見つけていただきました! ペット探偵などにお願いしても発見できず、あきらめかけていたところ『ミラクル・サイキックサーチ』を知人から紹介され、藁にもすがる思いで、飼い犬の捜索を依頼しました。すると、なんと! お願いしたその日のうちに発見できたのです! 宮先生には、どれだけ感謝しても、しきれません』」

「すごいのは解ったけど、『ミラクル・サイキックサーチ』って、何だか怪しい名前ね」

「怪しいはずだよ。超能力を使って探すらしい」

「超能力?」

「『超能力者 宮天聖が、透視、サイコメトリーを駆使し、捜索いたします。』だって」

 超能力。超常的な力。ふいに――マナミは思い起こす。ムンクが家を飛び出すとき、部屋で見た不思議な現象を。そこに誰もいないのに、勝手に鍵が外れ、勝手に窓が開いた。

 目に見えない「何か」を夢中になって追いかけていたムンク。まるで神隠しにあったようにふっつり消息を絶ったムンク。

 ……これは何だろう? 何が起きているのだろう、いま?

 これまで奥底で感じていた曖昧模糊とした思いが、マナミの中で、にわかに浮上した。まるで唐突に耳にした「超能力」という言葉に、引き寄せられたかのように。

「いいじゃない、超能力」マナミはきっぱりと言う。「行ってみましょう。『ミラクル・サイキックサーチ』へ。不思議には不思議で対抗してやる」

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