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《おはようございます。『サタデーAM』、ニュースキャスターの鈴木スズキです。毎日本当に暑い日が続きますが、週末の朝、皆様どのようにお過ごしでしょうか?》


「早朝ランニングから家に帰ってきて、シャワーあびて、朝ごはんいただいてまーす」

 スクランブルエッグを挟んだクロワッサンにかぶりつきながら、桜田マナミはテレビに返事した。

「マナミ、あんた今週は仕事で疲れたって言ってたじゃない。早起きしてランニングなんて、大丈夫なの?」テーブルの向かいから、ルリ子が心配そうに訊く。

「わたしは走り続けてないとダメになっちゃう人なの。泳ぎ続けないと死んでしまうサメみたいに。しっかりトレーニングして、筋肉を維持しないと」

「まあ、元気ならいいんだけど……無理しないでね」

「お母さんこそ、もっと自分の身体に気をつかったら? お父さんが亡くなってから、無理ばっかりしてさ。それに、もう若くないんだし」

「いやね、年寄りみたいに言わないでよ。あんたが結婚して、子供が産まれるまで、おばあちゃんとは呼ばせませんから」

「はるか遠い未来の話だわ、そんなの」


《今、日本中を騒がせています「飼い猫大量失踪事件」の続報です。先月から日本各地で相次いで起きているこの事件、未だその全容は謎に包まれています。ある日突然、一部の地域から一斉に、なぜか飼い猫ばかりがいなくなるのです。そのいなくなった地域というのが、日本全国、北海道から沖縄に至るまでの広範囲に及んでいます。そして失踪した猫の数、これまでに報告された総計で五百匹と言われています。実に五百匹という、信じがたい数の猫たちが、忽然と姿を消してしまったのです。》


「また、これね。最近、こればっかり」紅茶をついだカップを手に、ルリ子が眉をひそめる。

「謎だよね。いろいろ言われてるけど、絶対に犯人がいると思う。飼い猫ばかり狙う誘拐犯が」

「でも、日本全国でしょう? 犯人一人じゃ無理よ、いくらなんでも」

「組織的な犯罪ね。全国的に勢力を広げる『飼い猫窃盗団』みたいな闇組織が存在するのよ、きっと」


《謎の多いこの事件ですが、とくに不可解だと言われていることがあります。いなくなったのは、ほとんどが室内飼いされている猫で、しかも飼い主は口をそろえて「猫が家から出ないよう、戸締りはきちんとしていた」と証言しているのです。猫が勝手に家を飛び出すことは、絶対にありえないと。もし仮に何者かが住宅に侵入し、猫をさらっていったのだとしたら、何か痕跡が残っていそうなものですが、鍵が壊されたり、窓ガラスが割られたりといった報告は一切ありません。》


「いやだ。気持ち悪い」ルリ子は身震いする。

「それならやっぱり犯人はマジシャンね。たぶん大がかりなマジックショーで、たくさん猫を使うのよ。そのための猫を集めてるんじゃないかな」


《先月から続いている「飼い猫大量失踪事件」ですが、その件数が今月に入ってからますます増加しています。とくに今週は、およそ二百件の失踪が報告されています。都道府県別で見ますと、新潟で二十三件、栃木で十八件、埼玉で二十七件……》


「げっ。埼玉きた。先週もあったよね、埼玉県」

「うちのムンクは大丈夫かしら……。そういえば今日、ムンクの姿を見てないけど」

「不安になること言わないでよ、お母さん。わたしの部屋で寝てるわよ、きっと」

 桜田家の飼い猫ムンクは、二階のマナミの部屋で一日の大部分を過ごしていた。マナミが仕事で日中不在のときも、彼女の匂いが残る部屋は落ちつくのか、めったにそこから動こうとはしなかった。

「でもなんとなく胸騒ぎがするから、ちょっと見てくる」

 最後のクロワッサン一切れを口に放りこみ、ぱんぱんと手をはたいてから、マナミは二階に上がる。ふだん、マナミの部屋のドアは解放されている。ムンクが部屋へ自由に出入りできるようにしてあるのだ。

 四畳半の部屋には、ベッド、タンス、スチール棚、机が配されている。机の横に並べられたダンベル、腹筋ローラー、プッシュアップバー、アンクルウエイト、ハンドグリップといった勇ましいトレーニング用品の数々が目を引く。一方で、女の子らしく、化粧道具も一式きちんと揃っている。

 灰白ネコのムンクは、ベッドの上に座っていた。そこから、ベッド脇の壁にある窓を、じっと見上げている。マナミは部屋の入口に立ち、愛猫の無事を確認して、ほっと息を吐いた。そしてムンクを抱き上げようと一歩踏み出し……止まる。

 違和感。なんだろう? いつもと違う、この感じ。肌で感じる空気の流れが、わずかに乱れている。二十年この部屋を使ってきて、こんな感覚はかつて一度もなかった。

 野性的なカンと、女性ならではのカンが、未知の危険を感じ取る。

 異変が起きた。ベッド脇の窓は施錠されていたのだが、その鍵がひとりでに回転したのだ。続けてガラス窓が、やはりひとりでにスライドし、開く。全自動でもない、ごく平凡な窓が。

 窓は家の外へと通じている。いつも切り取られた空を眺めては、思いをめぐらせていた外の世界。道は開かれた。ムンクはここぞとばかりにジャンプし、窓枠に飛び乗った。

 まずい、と思った瞬間、ムンクの姿は消えた。ベッドに駆け寄り、窓から頭を出すと、カーポートの屋根を歩くムンクの背中が見えた。歩きながら、カーポートに接する塀に降りようと、窺っている。

 マナミはムンクを追って、家の外へとダッシュ――の前に、自らの格好をチェック。Tシャツにショートパンツ+レギンス。ブラはつけている。よし。マナミはバタバタと階段を駆け下り、玄関から外に出た。声をかけるルリ子を振り切って。

 ムンクは家の前の道路にいた。向こう向きで体を低くし、尾を左右に振り、顔を上げ、目に見えない「何か」を狙っている。背後から抜き足差し足で近づくマナミ。ムンクは体を軽く揺すりながら身構え、弾かれたように「何か」を捕らえんと飛び上がる。

 見えない獲物はムンクの前足をかわし、逃げ出したようだ。逃してなるものかと、ムンクはアスファルトの道路を駆け出す。素早くマナミも続く。「何か」を追うムンク。ムンクを追うマナミ。

 前方には、見通しが悪い交差点。左右の確認もなく、ムンクは勢いよく飛び出した。

「ムンク!」と叫び、マナミはヒッと小さく悲鳴をあげた。右から、ガラの悪そうな黒い車が、ムンクに迫る……。


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