最終話 本


 客間でニクスが待っていた。しかし、一人で待っていたわけではない。扉を開けた瞬間に、予想は現実となり、あたしの頭が痛くなった。


「ニクス」

「どうも。王妃様。……あれ、メニー」

「こんにちは」

「帰って来たの? 海外はどうだった?」

「すごく楽しかったよ」

「また今度話聞かせてよ。今日はテリーに用があるから」

「ニクス、今度は何をやらかしたの?」

「まあまあ、ちょっと外に出よっか」


 ニクスがあたしとメニーを部屋の外に出し、一人を残して扉を閉めた。


「テリーは……アリスの個展、見に行った?」

「当然。最高だったわ。外国から来たタレントスターも、アリスの作った帽子のデザインに惚れ惚れしてた。あれは才能が詰まった最高の個展だったわ」

「社会科見学で招待を受けてね、生徒を連れて行ったんだけど……そこに偶然強盗がいた。嫌がらせなのか、本当に売ろうとしていたのか……どちらかはわからないけど、とにかく、質の悪い泥棒だった。怒鳴って、脅迫して、人質を取って、すばしっこくて、警備員も逃げられそうになった。だからアリスが叫んだんだ」


 ――誰か、その泥棒捕まえて!


「それを」


 ニクスが手で銃の形を作り、撃つ真似をした。それを見て、あたしは顔をしかめた。


「無事にお縄についたけど……ちょっとやりすぎちゃって」

「言っておくわ」

「アリスが感謝してた。あまり怒らないであげて。悪いことはしてない。少し、過剰になってしまっただけ」

「感情的になりやすいのは誰の血かしら?」


 ニクスが真剣に悩むあたしを見て、笑みを浮かべた。


「とにかく、ありがとう。ニクス。アリスには後で連絡しておく」

「まあ、夫のリオン様もいるし、大丈夫じゃない?」

「だから心配なのよ。連絡しておく」

「じゃあ、後は頼むね」

「サリア、馬車まで送ってあげて。ありがとう。ニクス。またね」


 サリアとニクスが去るのを見届け、あたしは息を吐き、メニーは眉を下げ、あたしは腕を伸ばし――思い切り扉を開けて、お菓子を食べようとしていた我が子を睨んだ。


「――ドロシーーーーーーーー!!!」


 青と赤が混ざった紫色の髪の毛が、大きく揺れた。


「この馬鹿! お母様は! お前を! そんな風に! 育てた覚えは! ありません!!!」

「ボク、何も悪い事してない! 良い事だよ! すっごく!」

「コントロールできないなら使うなって言ってるでしょ! なのにあんたは毎回毎回悪い人を見る度にばーんってやるんだから!!」

「だって! あいつら!」


 ドロシーがソファーから下り、むくれた顔で立った。


「ボクの友達を人質に取ったんだ! 許せないよ!」

「お黙り! それでお前が怪我したらどうするの! なんでそう毎回無茶ばかりするの!!」

「だって!」

「言い訳しない!!」

「テリー、落ち着いて。ドロシーも。感情的になっちゃ駄目」

「メニーおば様!」


 ドロシーがぱっと明るい表情になり、メニーに駆け寄り、背中に隠れた。


「ほらね、メニーおば様はボクの味方だ。ざまあみろ。ママのバーカ!」

「ドロシー! ママじゃない! お母様とお呼び!」

「お姉ちゃん、待って! ……ドロシー」


 メニーがドロシーの前にしゃがみこんだ。


「魔力が暴走するのは、ドロシーが上手く使いこなせないから。だからね、道具を見つけてきたの」


 メニーがずっと持ってたお土産をドロシーに見せた。ラッピングされたリボンを解くと、そこには星の杖が姿を現した。ドロシーがそれを見て、眉をひそめる。


「何これ。可愛くない……」

「デクの木で出来てるの。これに魔力を通して使ってごらん。そしたらきっと、コントロールできるようになるから」

「こんなので?」

「ドロシー」


 ドロシーがあたしを見上げる。


「杖を舐めちゃ駄目。お兄様やお姉様だって、剣や銃を持ってるでしょう? 同じよ。お前が自分の身を守り、人を傷つけないように使うものなの」

「でも……これ銃とか剣みたいに……こう……なんか……ベルトとか……ずっと持ってないといけないの?」

「大丈夫。取り出しは簡単」


 メニーがドロシーの手に手を重ねた。


「ドロシーがいらないと思ったら消せばいいんだよ」

「どうやって?」

「今は必要ないよって思うの」

「今は必要ないよ」


 ドロシーが両手を見て、目を丸くした。


「え!? どこ行ったの!?」


 あたしとメニーが目を合わせる。


「必要! 出てきて! 必要だから!」


 ドロシーが瞬きすると、手の上に消えたはずの杖が置かれていた。


「えー!? 何これ! すごいすごい! ひゃははははは!」

「そう。こうやって取り出せばいい。これはもうドロシーのものだから、自由にしていい。でもね、ドロシー。覚えておいて。これはあくまで、これ以上の暴走をしないために用意したものなの。ちゃんとコントロール出来るように、おば様と練習していこうね」

「わかった」

「ママに言わなきゃいけないことあるんじゃない?」

「ボク、悪くないのに?」

「騒ぎは起こしちゃったでしょ?」


 メニーが優しく促すと、ドロシーがむすっとし、それでもあたしに近づき、口を開いた。


「騒ぎを起こしてごめんなさい」

「違う。騒ぎはいい。悪いのは強盗だから。お母様はお前が『無茶をする』ことに怒ってるの」

「……」

「やり直し」

「……無茶して、ごめんなさい」

「よろしい」


 ドロシーを大切に抱きしめ、小さな背中を撫でた。


「メニーに杖の扱い方を聞きなさい。教えてくれるから」

「わかったよ。ママ」

「ね? ドロシー。ママは冷静に話せばわかってくれるでしょ?」

「冷静じゃないのはいつだってママじゃない。ボクの感情的になりやすいところは、ママ似だってパパが言ってたよ」

「あたしはいつだって冷静よ」

「嘘だ」

「お姉ちゃんは少し言い方がきついんだよ。ドロシーはすごく利口だし、ちゃんと言えばわかってくれるから」

「そうだよ。メニーおば様の言うとおりだ。メニーおば様は本当にボクの理解者だよ。ママはもうちょっとボクの話を聞くべきだ」

「あんたは特に心配なのよ。上三人を生んだのはあたしだけど、あんたを産んだのは紛れもないクレアだから。問題児になりやすい。正義オタクになりやすい。撤退的に躾けておかないと、第二のクレアが生まれるなんて、チッ! たまったもんじゃない!」


 ドロシーがメニーを見た。


「なんかあったの?」

「ドロシー、ママはね、パパと喧嘩して、ちょっと機嫌が悪いだけだから」

「またパパと喧嘩したの!? ママ! 破いた離婚届をリサイクルに出したのこれで何度目? Mr.ジェフが言ってたよ? そろそろ役所で用意してる分の離婚届がなくなって、誰も離婚できなくなっちゃうって! 国の王妃が訳アリ夫婦の邪魔してどうすんのさ!」

「お黙り! ハニーベイビー! ママじゃなくて、お母様とお呼び!」

「ハニーベイビーなんてやめてよ。ボクもう十一歳になるんだよ?」

「まだ十歳よ。十歳なんてね、まだガキンチョよ。でしょ? メニー」

「うふふ。そうだね」

「ドロシー、離婚するとなったらあんたはどっちについていく?」

「メニーおば様」

「最悪。お前なんか愛してるわ。ドロシー」

「ボクも愛してる。ママ。ママもパパも大好き」


 ドロシーを抱っこし、ソファーに座った。


「ママ、今度はなんで怒ってるの?」

「パパがね、ママが先に読むはずの本を勝手に一人で先に読んだの」

「え、ママが先に読むはずの本を? パパが先に読んだの?」

「そうよ」

「いつもベッドでイチャイチャしながら読んでるやつ?」

「それ」

「くだらな」


 あたしはテーブルの裏にしまってあった予備用離婚届を出し、サインをして印鑑を押した。


「直接渡してくる」

「ママー!!!」

「テリーったら!」


 あたしが扉を閉めると、メニーが急いで追いかけ、ドロシーが腕時計型のGPSのスイッチを押した。


「パパ! お兄ちゃん! にーに! ナーシャ! ママがパパに離婚届出しに部屋から出て行っちゃった!」


 ――我が子の声を耳で聞いたキッドが、ゆっくりと立ち上がった。


「まだ怒ってるのか、あいつ」

「お茶にしますか? 陛下」

「頼める? じいや」


 ビリーが頷くと、キッドが公務室から出ていった。


 ――妹の声を聞いたテディが、レッドとリトルルビィを見上げた。


「なんか嫌な予感がするので、僕、行ってきます!」

「嫌な予感する。私らも行こう。お兄ちゃん」

「賛成だ」


 ――妹の声を聞いたアナスタシアが、ソフィアと顔を合わせた。いらっしゃいませ~。お席ご案内しま~す。


「なんでこういう時に限って問題起こすのよ! あーん! ママの馬鹿ー!」

「待って、ナーシャ!」


 ――妹の声を聞いたエリオットが、瞳を輝かせた。


「レオさん! 俺のドロシーが呼んでる! くくっ! 助けに行ってあげなきゃ!」

「あ、エリオット! 忘れ物! ちょ、……悪い、バイト君! ちょっと任せていいかな!」


 あたしは廊下を歩く。

 キッドが廊下を歩く。

 ドロシーとメニーが追いかけた。

 テディが廊下を走った。

 レッドとリトルルビィが追いかけた。

 アナスタシアとソフィアが馬車から下りた。

 エリオットが超特急で走って来た。

 リオンが馬から下りて追いかけた。


 あたしが角を曲がった。

 キッドが角を曲がった。

 ドロシーとメニーがあたしの背中を見つけた。

 テディがキッドを見つけた。

 レッドとリトルルビィが追い付いた。

 アナスタシアとソフィアがあたしとキッドを見つけた。

 エリオットがドロシーを見つけた。

 リオンが追い付いた。


 集合した。


「よくも新刊読みやがったわね! 離婚よ!! 離婚!! おら! 離婚届!!」

「はいはい。ビリビリ~っとね」

「あーーーーーー!!」

「テディ、先生に渡しておいてくれる?」

「母さん、深呼吸して! 過呼吸になっちゃうよ!」

「ふあーーーーー!!」

「どうせ一緒に読むんだから、先に読んだって後から読んだって一緒じゃないか」

「あたしが先に見つけた本よ!? どう思う!? リトルルビィ!」

「テリーは悪くないんじゃない? な? お兄ちゃん」

「はい。悪くないと思います」

「ほら見たことか!」

「この兄妹はお前に甘いんだよ! お前がどうしようもない暴れん坊だから!」

「何をーーーーー!!」

「あれ? そういえばいつ帰って来たの? レッド、お帰り」

「レッド!! そいつボコボコのバコバコにしちゃって!」

「こらこら、テリー。くすす。落ち着いて」

「もう!! パパもママもこんなくだらないことで喧嘩しないでよ! せっかくソフィーと初めてランチ行けるところだったのに!!」

「ドロシー、お前のためにミックスマックスのレアデッキを当ててきた。そこでどうだろう。今夜はにーにの部屋で、ミックスマックスで遊びながらお泊りしないか?」

「やめておく」

「え!?」

「なんで断られると思ってなかったって顔してるの? 嫌だよ。普通に。遊ばないし」

「はっはーん? 照れてるんだな? ……くくっ! 面白い女!」

「照れてない……」

「クレアも罪滅ぼし活動をやるべきよ! あんたがあたしを傷付けてきた罪はそれはそれは重たいんだからね!!」

「大丈夫だよ。みんな。夜になったらパパもママも元に戻ってるから」

「メニーおば様」

「帰って来たの?」

「あっ! メニーおば様! お帰りなさい!」

「耳元でわめくな。騒々しい」

「クレアが悪いんでしょ! なんで読んだのよ!」

「気になったから読みたかったの!!」

「あたしだって気になってたもん!!」

「別にいいだろ! 先に読んでも後に読んでも!!」

「なんでそういうこと言うのよ!! そういうところから夫婦に亀裂が入るのよ! 昨日の夜はあんなに優しかったくせに!」

「貴様だってドロドロの甘えん坊だったくせに!」

「子供達の前でドロドロとか言わないでよ! 表現がエッチなのよ!! トロトロにしてよ!」

「変わらないだろ!!」

「全然違うじゃない!!」


 リトルルビィがテディの耳を、リオンがエリオットの耳を、ソフィアがアナスタシアの耳を、メニーがドロシーの耳を塞いだ。聞いちゃいけません。リオンがあたし達に言った。


「一旦二人きりで話し合えば?」

「なんでお前がここにいるのよ!」

「なんだ? 貴族に戻ったか?」

「可愛い甥が忘れ物したんだよ」


 皆が子供達の耳から手を離し、リオンがエリオットに鞄を差し出した。


「はい。エリオット。忘れ物」

「あっ、忘れてた。そうだそうだ。母さん、例のブツ」


 エリオットが鞄から出した本を見て――あたしは目を見開いた。


「あたしの本!」

「そう。この世に一冊しかない母さんが書いた本。今日完成したらしくて、受け取りに行ったんだ」

「でかしたわ! エリオット! 愛してる!」

「俺も愛してるよ。母さん」

「ん、何それ」

「だから、あたしが書いた本よ」


 クレアに答えてから本を開いて、ぱらぱらとめくってみる。……本当に本になっている。にやぁと笑って、クレアを見上げる。


「見たい? ねえ、見たい?」

「本は人に読ませるものだぞ。開かれずに置かれていては、それは飾りで本ではない」

「条件付きよ。これはベッド用」

「残業が出来ないな」

「……結構ページ数があるわね」

「沢山読めていいではないか。音読して読んでくれ」

「嫌よ。ハニーが読んで。掠れた低い声で……いつもみたいに」

「やだわ。ダーリン。あたくしだって、たまには貴様の声が聞きたいの」

「えー? どうしよっかなー?」

「一話ずつ交代してく? 数ページで交代が良い?」

「ハニーの声が聞きたいのに……♡」

「ダーリンったら困った人……♡」

「わたしも読みたい!」


 メニーがあたしとクレアの間に割り込んだ。うぎゃあ! 何すんのよ!


「テリーが書いたの? どうして?」

「どうしてですって? あたしに文章の才能があるからよ。ああ、自分の魅力あふれる文才が恐ろしい!」

「こんなにページ数あったら挫折しそうじゃないか?」

「だからお前は駄目なのよ。リオ……レオさん。本のことをわかってないわね」

「ナーシャ、私も読んでみたいんだけど……君も読みたい?」

「えっ!? べ、別に興味ないけど!? 興味ないけど……ママが作ったものだし!? 仕方ないからソフィー……お前に朗読しながら読んであげてよくってよ!?」

「母さん、僕も読みたい!」

「テリー、……その、読み終わったら……」

「ああ、人気作家は辛いわね! 読んでくれるならぜひ読んでほしいわ。リトルルビィ。感想をちょうだい。面白ければまた作るから」

「テリーさんが作る本なら、俺は、全巻揃えます!!」

「あんたはいつでも優しいわね。レッド。長旅お疲れ様」

「母さん、俺も読みたいよ。ドロシーとベッドの上で読むから、読み終わったら貸して? いいでしょ? 父さん」

「もちろん。でもその前に、お前達が読める本か確認しておかなくちゃ。テリーの事だ。大人なシーンも隠さずあるぞ。絶対」

「タイトルはなんていうの?」


 ドロシーが聞いてきたので、あたしはあくどい笑みを浮かべて、本の表紙を見せた。そこには、タイトルが記載されている。



 タイトルは――。







 おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい END

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