第13話 星が広がる素敵な場所で


 そこは、星が広がる素敵なところだった。


 ドロシーが呆れた目であたしを見下ろしている。


「ほらほら、起きた起きた」

「ちょっと、あたし走ったばかりなのよ。もう少し優しくしてくれない? 人使いが荒いわね。お前のそういうところよ」

「いいから早く起きなって」

「わかったってば」


 差し出されたドロシーの手を取り、ゆっくりと起き上がると――ドロシーの後ろに十一人の魔法使いが立っていた。水。黒。毒。土。黄。桃。金。灰。赤。青。白。そして、目の前に、緑。


 ドロシーが笑みを浮かべた。


「精霊が君に感謝しているようだ。天使は天に帰ったけれど、様々な時間軸の世界は残っている。トゥエリー(オズの魔力)はかすかに残っているけれど、歴史は変わり、魔法使いは大々的に存在しない世界となるだろうね」


 ドロシーが首を傾げた。


「さて、それでだ。テリー。精霊が君にプレゼントしたいそうだ。ボクはその役目を与えられた。君が望むなら、オズのいない三周目の世界へ送ることが出来る。またやり直しだ。だけど……呪いは存在しない。魔法も存在しない。クレアはキッドにならず、普通のプリンセスとして暮らしている。レッドとルビィも平和に暮らしている。ソフィアも、リオンも、メニーも、自力で幸せに暮らせて、君の家族もみんな仲良しで、君は、……今までの記憶を忘れる事ができる」


 ドロシーが指を動かした。


「でも、君が望むなら、君が今まで過ごした二週目の世界、魔法も呪いも存在し、魔法使いは追放され、闇に呑まれてしまい、中毒者だらけになった絶望の世界へ送り返すこともできるよ。もちろん、もうオズはいない。でも、いたんだ。だから歴史は残り続ける。矛盾してるかい? でも仕方ない。そういう世界だから。……けれど、欲張ってはいけない。続きからの世界を選べば、君の記憶もそのままだ。君はこれから死ぬまでの間――全てを抱えることになる」


 ドロシーが息を吸った。


「残念ながら、見た通り、一度目の世界は消えてしまった。だから、選ぶならこの二つかな?」


 ドロシーが楽しそうに首を動かした。


「さあ、どうする?」

「どちらを選ぶ?」

「全て平和となった世界か」

「一度絶望に落ちた世界か」

「君はどちらを生きる?」

「それとも」


 ドロシーが――笑顔であたしに手を差し出した。


「一番最初の選択。……ボクと一緒に行く?」


 ――こういう時、常々思う。これが小説の物語だったらと。主人公は、必ず正しい選択をするものだ。


 でも、あたしは残念ながら、正義感溢れる主人公ではない。この先苦しいのは嫌だ。惨めなのは嫌だ。だったら環境も整った平和な世界を希望したい。家族が仲良しで、平和で、メニーが側にいても叱られない。メニーの隣で笑っていられる。あの子の、良き姉として、側にいられる。


 だけど――そしたら――クレアはどうなる? 

 別の誰かと恋に落ちるの?

 あたし以外の人を好きになるの?


 いや……。

 その方がクレアは幸せかもしれない。


 無理に同性である女と恋愛しなくても、結婚しなくてもいいのだ。

 彼女の夢見た王子様と幸せに暮らせるのだ。

 レッドとルビィも幸せに暮らす世界。

 ソフィアも普通の女として過ごしているかもしれない。

 リオンは病気になることなく、馬鹿で元気な王子様として過ごせる世界かもしれない。


 呪いはない。

 魔法もない。


 あたしの犯した罪も全て払拭される。

 あたしですら幸せになれる。

 素晴らしい世界だ。

 これ以上の展開はない。

 その世界は幸せで溢れている。


 幸福に満ちている。


 けれど、じゃあ……あたしが過ごしてきた世界の人達はどうなるの?

 なかったことになるの?

 辛かったことも、痛かったことも、悲しかったことも、キッドがうざかったことも、リトルルビィが可愛かったことも、ニクスと親友になれたことも、ソフィアにからかわれたことも、リオンと踊ったことも、アリスと出会ったことも、クレアに告白したことも、メニーと本音をぶつけたことも、全部、なかったことになるの?


 あたしが忘れたらそれはなかったことになる。

 そしてあたしの罪はなかったものになる。

 全て払拭され、苦しみも辛みも恥もない。

 あたしは良い子のお嬢様。


 罪を滅ぼし、幸福となるお嬢様。


「……あたし、やっぱり馬鹿ね」


 幸せは目の前にあるのに。


「ドロシー」


 あたしは選択する。


「戻るわ」


 ドロシーが苦笑した。


「あの世界に戻る」

「みんなオズに殺されて、死んでるかもしれないのに?」

「ええ」

「冷たい世界だよ」

「ええ」

「ボクはもういない。君は自分で自分を守らないといけない」

「ええ」

「魔法は君を助けない」

「ええ」

「誰も君を助けない」

「ええ」

「幸せは一生やってこないかもしれない」

「ええ」

「それでも戻るのかい?」


 君は、


「全てを抱えて、生きるのかい?」

「ええ。そうよ」


 転生して幸せになった人の話は物語で何度も見た。

 異世界にトリップして幸せになった人の話は物語で何度も見た。


 でもあたしは、

 今まで生まれて、

 育ってきた世界で生きていく。

 犯した罪も、記憶も、死も、生も、歴史を、全てを背負って。


 あたしの人生、あたしがしてきたことを、大切に抱きしめて、生きていく。


「それが君の選択か」

「馬鹿だと思う?」

「馬鹿かどうかは人の価値観で判断できるものだ。ボクは猫だから、判断できない」

「そっか。そうよね。魔法がなくなったんだから、あんたはただの猫だわ。訊く相手を間違えた。おほほ。やっぱりあたしは馬鹿だわ。猫なんかにあたしの選択が正しかったか訊くなんて。そんなの自分にしかわからないことなのに」


 ドロシーが鼻で笑った。あたしの手が伸びた。ドロシーに、触れられる。ドロシーが微笑んだ。だからあたしは、その頬を軽く小突いた。ドロシーが軽くあたしを睨んだ。あたしはにやりとして――ドロシーを抱きしめた。


「今だけプライドをゴミ箱に捨てるわ。ドロシー、……お前がいなくて寂しくて仕方ない。喧嘩相手がいなくて、頭がおかしくなりそう。寂しいわ」


 腕の力を強める。


「離したくない。離したくないのよ」


 ドロシーがあたしの背中を撫でた。


「どうしてなの? 物語はみんなハッピーエンドで終わるのよ。なのに、どうして現実は上手くいかないの? 人が死ぬの? 騙されるの? 虐めがあるの? 犯罪があるの? 努力が報われないの? 誰も助けてくれないの? どうして? どうしてなの?」

「君の悪いところだ。テリー。すぐ視野が狭くなる。テリー、いいかい? 努力は必ず報われる。痛くても苦しくても、やり続けた人が報われるんだ。人に感謝を忘れてはいけない。ハッピーエンドになるのは、行動をした人の結果さ。いいかい。テリー、忘れてはいけないよ。善と悪を見極め、君は、人を助け、守るんだ。いいね。大犯罪者の君になら出来るさ。大丈夫。自分を信じて、自分の努力を信じて、必ず幸せを掴むんだ。君になら出来る。必ず出来る」


 ドロシーが囁く。


「さあ、もうお行き。でないと、君をさらっていくよ」

「……お前も待たせてるものね」

「長い間ね」

「出会いもあれば別れもある」

「そういうこと」


 体を離し、ドロシーと見つめ合う。


「……守ってくれてありがとう。ドロシー」


 あたしは杖をドロシーに返した。ドロシーが星の杖を握ると――緑色の魔力が、あたしからドロシーに戻っていった。ドロシーの体に戻った魔力が滾り、ドロシーが緑色の目を輝かせ、大きく腕を広げた。


「さあ!」


 星が光る。


「最後の魔法だ!」


 ドロシーがくるんと回った。


「よってらっしゃい見てらっしゃい! 偉大なる大魔法使いの最大魔法、しかとご覧あれ!」


 水の光が輝いた。

 黒の光が輝いた。

 毒の光が輝いた。

 土の光が輝いた。

 黄の光が輝いた。

 桃の光が輝いた。

 金の光が輝いた。

 灰の光が輝いた。

 赤の光が輝いた。

 青の光が輝いた。

 白の光が輝いた。

 緑の光が輝いた。

 紫の光が輝いた。


「星が輝き大団円。夢と希望を抱きしめて、笑い転げて無事終演。開いた本を閉じれば終わり。これにて天晴! ハッピーエンド!」


 闇が光に包まれる。眩しくて、でもあたしはドロシーの姿を見つめ、でも耐えきれなくて、とうとう、あたしは目を閉じた。瞼の裏まで光が届く。眩しい。


 光が、あたしを包む。




「テリー」





「君の幸せな未来を、願ってるよ」






 ドロシーの唇が、あたしの頬に触れた。











 全ては、光に包まれる。













「トト」






 呼ばれて振り返ると、相棒が立っていた。



「トト」



 猫は、相棒の元へ走った。

 相棒は、猫を抱きしめた。


「遅くなってごめんね」


 大切に、強く、抱きしめる。


「迎えに来たよ」

「トト」

「これからは」




「ずっと一緒だから」





 ドロシーがトトを優しく包みこむ。そして、そんなドロシーの肩を、トゥエリーが抱き寄せた。


 トトは、大好きな、温かなぬくもりの中、瞼を閉じた。




 そして、





 役目を終えた魂達は、優しい風により、消えていった。


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