第6話 ここは妄想か現実か


 そこは、あたしの家であった。

 小さなあたしがカーテンの後ろに隠れている。


 あたしは辺りを見回した。レッドとニクスがいない。


「やめて、ママ……」


 小さなあたしが呟いた。


「悪魔にならないで……」


 大きな足音が聞こえた。


「怖いわ……。やめて……やめて……」


 あたしは振り返った。

 かごの中に閉じ込められたアメリアヌが、切断された足の指から血を流し、鍋に注いでいた。今夜の食事は血のスープになるようだ。塩分濃度に気を付けなければ。


「大丈夫よ。王妃になれば、何の問題もない」


 錠を作るママが、ゆっくりと歩いてきた。


「歩かずに生活できる」


 錠は、全ての扉に鍵をした。


「さあ、ガラスの靴を履きなさい。テリー」


 大量のガラスの靴が天井から降り、地面に叩き落とされた。割れたガラスが弾ける中、ママの腕の筋肉が変形し、とても筋肉質で巨大な両腕となった。歪な錠をあたしに向かって投げてくる。


「っ」


 あたしはそれを避け、柱に隠れる。ママが柱に向かって錠を投げてきた。柱が崩れる前に、あたしはまだ無事である柱に隠れた。


「怖いわ……怖いわ……」


 小さな役立たずのあたしはカーテンの後ろでめそめそ泣いている。しかし、反抗期を過ぎて成長したあたしは、ママに杖を構えた。


「塔の上のお姫様、双子の父を待っている。盲目王子は、涙で妻を見つけ出す」


 杖からクレアの幻覚が現れた。幻覚のくせに、あたしに大暴れしていい? という確認を目でしてきたので、頷くと、ママに向かって銃を構えて走り出した。


「ガラスの靴を履きなさい!!」


 投げられた錠をクレアの幻覚が両足で蹴飛ばし、ママに返した。戻って来た錠にぶつかったママはその場で気絶し、地面に倒れた。そこを卑怯なクレアの幻覚が現れ、ママの上に乗っかり、拳で殴り出した。ぼこぼこにすれば、痛みで目を覚ましたママがクレアの幻覚を蹴飛ばした。起き上がって、急いで鏡を見ると、ぼこぼこな自分の顔に悲鳴を上げた。


「なんてこと! これじゃあ、舞踏会に行けないじゃない!」


 ドアの錠が二つに増えた。


「くたばれ! くたばれ! くたばれ!」

「ママが悪魔になっちゃった! 怖いわ! 怖いわ!」


 小さなあたしがカーテンの裏で怯え、アメリアヌは悲鳴をあげながら自分の血を鍋に注ぎ続けた。


 ママが大きな錠を二つ作った。それをクレアの幻覚に投げつけた。しかしクレアの幻覚はその一つを両足で蹴飛ばすことでママに返した。戻ってきた錠に気づいたママが避けたが、ママは二つ錠を用意していたから、クレアの幻覚は二つ目の錠もママに返していた。ママが二つ目の錠に当たり、その場で気絶した。クレアの幻覚は楽しそうにやってきて、拳でママをぼこぼこのばこばこにした。痛みで目を覚ましたママがクレアの幻覚を蹴飛ばし、急いで鏡で自分の顔を見に行った。だが、ぼこぼこのばこばこな自分の顔に悲鳴を上げた。


「なんてこと! もう怒った! 怒りましたからね!!」


 ママが大きな錠を四つ作った。それをクレアの幻覚に投げつけた。これに関してはクレアの幻覚も苦戦すると思われたが、クレアの幻覚は楽しそうにその場でロリっ子系の神のレクイエムを踊り始めた。触ったら逮捕らしい。いちとにとさんとよんまで数えて、ママがごめんなさいと言ったが、クレアの幻覚はごめんなさいが聞こえないと歌った。素早いダンスに錠が追い付かない。


 クレアの幻覚は一つ目の錠をダンスによる勢いでママに戻した。二つ目の錠を蹴飛ばした。三つ目の錠を回転の速度で吹き飛ばした。四つ目の錠をバズーカを使ってママへ飛ばした。


 ママは四つも錠が戻って来たものだから、全てを受け止めようとした。しかし、あまりの重たさに、ママは全てを受け止めることは出来なかった。重力にやられ、重たい錠を受け止めたママがその場に倒れ、気絶した。


 そこをクレアの幻覚が現れた。ママの上にのしかかり、ぼこぼこのばこばこのバキバキにした。痛みで目を覚ましたママが、クレアの幻覚を蹴飛ばし、早急に鏡を見に行った。しかし、ぼこぼこのばこばこのバキバキな顔にされていたので、ママが悲鳴をあげた。


「美しい私の顔が!! いやーーーーー!!」


 クレアの幻覚がとどめを刺そうとした。あたしは杖を構えた。その瞬間――肩を掴まれた。


 振り返った。






 パパが、首を振っていた。







「……」


 パパがあたしの腕を下ろさせ、微笑み……ママの元へ歩み寄った。


「アーメンガード」

「ああ! 顔が! 私の顔が!」

「どうしたんだい? 私の愛する妻の顔は、いつだって美しいよ」


 パパがママの頬を撫でると、ママの顔は元に戻っていた。


「愛してるよ。アーメンガード」

「あ、パパだわ!」


 小さなあたしがカーテンの裏から出てきた。


「パパ!」


 籠から、小さなアメリアヌが下りてきた。


「パパ!」


 小さなアメリアヌと、小さなあたしがパパに抱き着き、ママがパパの胸に顔を寄せて涙を流し続けた。パパはママと、小さなアメリアヌと、小さなあたしを抱きしめ――あたしに顔を向けた。


「行きなさい」

「……」

「ここは大丈夫。もう誰もお前を傷つけたりしないよ」


 あたしは……声を……出すことが、出来ない。たとえ幻覚でも、あたしは……パパに……伝えたいことが、沢山あるのだ。


 でも……言葉が出てこないのだ。


「さあ、早く」

「……」

「アーメンガード、すまないね。少しだけ、待っててくれるかい?」


 パパが家族を離し、前に歩き、おどけた表情で、あたしの顔を覗き込んできた。


「やあ。可愛い私のお花ちゃん。こんなに大きくなってしまったのかい?」

「……パ……パ……」

「テリー、名付けたのは間違いじゃなかった」


 パパの透明な手が、あたしを抱きしめた。


「どこに行ったって愛してるよ。テリー」

「……あたしも……」


 あたしの涙がパパの透明な体を通り抜けて、地面に落とされた。


「あたしも……愛してる……。パパ……」

「……ずっとこうしていたいけれど、テリー、時間がない。早くお行き」

「……っ……」

「お前はまだ先に進まないといけない。前だけを見るんだ。さあ、行きなさい」


 あたしとパパの体が離れた。


「そう。それでいいんだ」


 あたしは杖の導く光に向かって、走り出した。


「それでこそ、私の娘だ」


 闇に包まれ幻覚は消える。あたしは光の中へ入っていった。



(゚∀。)



 アトリの鐘が鳴る。あたしが祈りを捧げていると、大勢の人狼が集まってきて、一緒に祈り始めた。正しき道へ導くアトリの鐘。


 人狼が言った。


 狼が現れたと嘘を言ったのは誰だ。


 全員があたしに指を差した。


「この嘘つきめ!」

「嘘つきは泥棒の始まりなんだぞ!」

「お前など、処刑にしてやる!」


 人狼達があたしを囲い込んだ。その瞬間、あたしの頭に呪文が思い浮かんだので、読み上げる。


「悪戯少年、小さな嘘。ヤギが食べられ、さあ大変。狼出たんだ、本当に。村人誰も信じない。皆食われて、少年逃亡。みんなお陀仏。少年悔いた」


 杖から、ジャンヌとリチョウの幻覚が現れた。


 ジャンヌが銃を構え、白い狼のリチョウは人狼に向かって大きく吠えた。人狼達はまず女のジャンヌに襲い掛かった。しかし、ジャンヌは銃を上手く使いこなし、襲ってくる全ての人狼を仕留めた。


 ならば次はリチョウだ。人狼達はリチョウに襲い掛かったが、リチョウは突然詩を読み始めた。


 たまたま狂疾に因りて殊類と成る

 災患相よりて逃がるべからず

 今日の爪牙誰かあえて敵せん


「どうだ。素晴らしい詩だろう」

「今の詩なの?」

「え、全然意味わかんない」

「なんて中途半端な詩だ」

「皆くたばってしまえ!!」


 詩を認めない民に、リチョウが噛みついた。ただ感想を言っただけの人狼達はリチョウに噛みつかれ、驚きおののいた。


「皆さん! 退いてはいけません!」


 人狼のピーターがアトリの鐘に祈った。


「誤った道を歩む者には、正しい道に導かなければいけない! それが、我々の使命なのです!」


 ピーターがあたしの前に立ち塞がった。


「テリー様、いけないではないですか。いけないことはしてはいけないのですよ。いけないことをするよりも、いけないと言わせないことをするべきです。それが正しき道なのです」


 ピーターが十字架を捧げた。


「女神アメリアヌ様の仰せのままに! 誤った道を進む者を正しき道へ!!」


 ピーターが牙をあたしに見せた。あたしは舌打ちし、杖を向けると、地面から死人の手が出てきて、ピーターの両足を引っ張った。


「うわあ!」

「大変だ!」

「神父様がミイラに捕まった!」

「ピーター!」


 死人が地面から出てきて、ふくよかな体でピーターの上に乗り込んだ。


「テリーお嬢ちゃまになんてことしやがる!」

「うわあ! ミイラが僕の上に乗っている!」

「誰がミイラだ! こいつめ!」

「痛い!」

「俺ぁ! お前はそんな風に育てた覚えはねえぞ!」


 ――デヴィッドがあたしに顔を向けた。


「テリーお嬢ちゃま! へへ! 遅くなってすいやせん!」

「……デヴィッド……!」

「いやぁ! 大きくなられて! デヴィッドは嬉しいでさ! 貴女の成長を、この目で見たかったでさ! はは!」

「……」

「ここは任せてくだせえ! なんて言ったって、ここの奴ら、みんな俺の家族ですから!」


 デヴィッドがピーターを殴り続ける。


「さあ、行きなせえ! さあ! 早く!!」

「テリー!」


 ジャンヌがあたしに手を差し出した。


「行こう! ここは!」

「美味そうな肉だ!!」


 人狼のエンサンがジャンヌの幻覚に飛びついてきた。ジャンヌの幻覚が悲鳴を上げると、白い狼がエンサンに噛みつこうとした。エンサンが慌てて避け、胸を押さえた。


「ふうっ! 危なかった!」

「エンサン」


 その声を聞いた瞬間……エンサンは眉をひそませて、……訊いてみた。


「その声は、もしやお前、我が友、リチョウではないか」

「そうだ。エンサン。いかにも俺はリチョウだ」


 エンサンが逃げ出した。怒ったリチョウの幻覚が追いかけた。ピーターとその他の人狼を怖がらせるデヴィッドが叫んだ。


「行ってくだせえ! テリーお嬢ちゃま! アメリアヌお嬢ちゃまとメニーお嬢ちゃまとそれから……奥様や、ロイ、みんなに、よろしくお伝えくだせえ!」

「テリー!」


 ジャンヌの幻覚が笑みを浮かべ、腕を引いた。


「行って!!」


 あたしの背中を強く押した。



 闇に包まれ幻覚は消える。あたしは光の中へ入っていった。



(゚∀。)



 大きな会場のコンサート。

 席には人魚に食われた男達が血だらけで拍手をしていた。

 これから待ちに待ったコンサート。舞台に立つのはあの大スターの歌姫だ。


 男達は楽しみに待っていたが、会場に現れたセイレーンによって、それは叶わなかった。男達が悲鳴をあげて逃げていく。しかしセイレーンは男の肉を食い散らかす。やがて全ての男の肉を食ってしまったものだから、滅多に食べない女を食べようとあたしに近づいてきた。


 あたしは食べられたくないので杖を向けると、呪文が頭に浮かび、それを読み上げると、セイレーンが素早く尾であたしの手を叩いた。杖が弾かれ飛んでいく。


 あたしはハッとして杖を見て、セイレーンを見た。セイレーンは禍々しく笑い、叫んだ。たくさんある牙を見せつけるように口を大きく開けた時、ステージにスポットライトが当たった。


「アタシのコンサートへようこそ。今日は楽しんでちょうだいね!」


 イザベラの幻覚がセイレーンを見て、顔をしかめた。


「あら、貴女、顔色悪いわよ? メイクし直したら?」


 セイレーンが怒り狂ったようにイザベラの幻覚へ近づいていった。あたしはその隙に杖を拾い、頭に思い浮かぶ文字を読み上げた。


「声を犠牲に足を。憧れた世界へ旅立つ魚。しかし現実は甘くない」


 杖からクマの幻覚が現れ、セイレーンの前に立ちふさがる。その側で白い薔薇と赤い薔薇の少女達がクマの応援を始めた。クマがうなると、セイレーンは悲鳴をあげて逃げ出した。


 イザベラの幻覚はマイクを握り、ブルースを歌い始めた。あたしにとっては聞き心地の悪くない歌だが、セイレーンは気にくわないらしい。彼女はイザベラが嫌いなようだ。セイレーンはトビウオのように高く飛び、ステージまで飛び込んできた。


 にやりとして顔を上げると、そこにいたのは我儘ボディとなった、囚人服を着たイザベラの幻覚だった。


「なんだい!? このお魚ちゃん! このイザベラ様と遊ぼうってのかい!?」


 さっきとまるで人が変わったイザベラの幻覚に驚き、セイレーンが後ずさった。


「良い度胸じゃないのさ! あん!?」


 イザベラの幻覚がマイクをセイレーンにぶん投げた。セイレーンの顔に当たり、セイレーンが悲鳴を上げてうずくまる。今度は椅子を持ち上げ、セイレーンに向かってぶん投げた。これもクリティカルヒットした。


「ほらほら、どうしたのさ! まさかこれで終わりじゃないだろ!?」


 セイレーンが怒ったように叫び、高く飛び込むと、イザベラの幻覚の首を噛み切った。イザベラの幻覚の頭がセイレーンの口から離される。セイレーンが喜んだように笑みを浮かべると、イザベラの幻覚の首がセイレーンを見るためにくるんと回った。


「ちょっと、首取らないでよ」


 それを見たセイレーンが悲鳴を上げた。首のない体が頭を拾い、首の上に乗せると、骨と神経と皮膚がくっついた。首の音を鳴らし、怯え始めるセイレーンにイザベラの幻覚が笑いながら近づいていく。


「なんだい? これは喧嘩だよ? もっと全力で来なよ!」


 セイレーンが覚悟を決めたようだ。全力でイザベラの幻覚を食おうと、その黒い皮膚に噛みついた。だがしかし、いくら肉を噛みちぎっても、皮膚は復活し、どんなに噛みついても、歯型は修復され、イザベラの幻覚は元のイザベラの幻覚に戻るのだった。


「こんなものかい? しけてるねぇ! テリー・ベックスの方が度胸があったよ!」

「きゃあああああああああああ!!!」

「うるさいんだよ!!!」


 イザベラの幻覚がセイレーンに頭突きをした。セイレーンが白目を剥いた。


「生臭い匂いをまき散らすんじゃないよ! 風呂はね! 週に三回しか入れないんだよ!」

「きゃぁああああ……!」

「さっきからきゃーきゃー叫びやがって! お前の耳元で同じように叫んでやろうか!?」


 イザベラの幻覚が鍛えぬいた腹式呼吸で息を吸い、叫んだ。


「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

「ぎゃああああああああああああああ!!!」


 地面に投げ出されたセイレーンが体を引きずってイザベラの幻覚から後退するが、イザベラの幻覚はマイクスタンドを持って追いかけてくる。


「ぶっ殺してやる!!」


 マイクスタンドを思い切りセイレーンに振り下ろした。セイレーンは悲鳴を上げる。しかし、あたしでは止められないのだ。この状態のイザベラは手がつけられなかった。だからあたしは気絶するまでイザベラに全力で喧嘩していたのだから。


「はん! 弱っちい! 今日の掃除当番、アタシの代わりにお前がやるんだよ! いいね! アタシに逆らったら、こうだよ!」


 動かなくなったセイレーンにイザベラの幻覚が唾を飛ばした。そして、ステージの中央に戻ってきて――観客席に座るあたしを見た。


「……アタシは謝らないよ。そもそも、お前達一族が、あんな船を用意しなければ、アマンダが、アタシに変な肉を食わすこともなかったんだ」


 あたしは笑みを浮かべる。


「アタシは呪われた。歌手活動もできなくなった。支えてくれる友達はいない。恋人も、婚約者も。道は閉ざされた。死ぬこともできない。あんたにわかるかい? 永遠に年を取らず、生き続けるアタシの気持ち。呪われた体を持った、アタシの気持ちが」


 あたしは足を組み直した。


「こんな風にした魔法使いには、痛い目に遭ってもらわないと気が済まない。アタシは、もう二度と、囚人生活なんて、御免だからね」

「同感」

「さっさと消えな」


 クマが可愛らしい目でセイレーンの頭を噛んでいる。


「あんたの顔なんか見たくもない」

「イザベラ」

「何よ」

「さっきのブルース素敵だったわ。新曲?」

「そうよ」


 歌姫のイザベラが満面の笑みを浮かべた。


「最近レコードを出したの。買ってないなら、早めの購入を勧めるわ。売り切れちゃうから」

「レコードショップに行くわ。用が終わったらね」

「気を付けて。アタシの悪友」

「ありがとう。腐れ縁」


 闇に包まれ幻覚は消える。あたしは光の中へ入っていった。


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