第25話 コウモリ少年



 目を覚ますと――そこはゴミ捨て場であった。


「……」


 汚れた体を起こし、辺りを見回した。

 しかし、頭に思い浮かぶ人を見つけることは出来なかった。


「……」


 コウモリになってみた。空を飛べる。


「……」


 だが、捜しても彼女はいない気がして、諦めてゴミ捨て場に戻って来た。今までのことが――全て夢だったのかと思った。


 救世主は幻だったのだと。


「っ」


 しかし、それはすぐに否定出来た。


 地面に、四葉のクローバーのノートと手紙が置かれていたのだ。どうやら、自分の両手から落ちてしまったようだった。思わず……震える手で拾って、ノートを見てみた。あいにく、文字を習ってない自分には、何と書かれているかわからなかった。だが、彼女が書きそうな汚い字が沢山並んであった。


 レッドは涙を落とした。両手でノートと手紙を大切に抱きしめた。そして――自分の状況を思い出した。リトルルビィはもう少しで八歳である。自分が死ぬのはリトルルビィが八歳の時だと聞いた。リトルルビィの血を飲むことになると、あの人が言っていた。


 それらを全て、悪夢だと思うこともできた。

 自分は渇きに苦しんで、ここで眠っていただけだと。


 だが、やはり、そうは思えなかった。

 太陽が出ていても、肌は痛くない。青だらけだった世界には他の色も混じっている。これは誰のお陰だろう。


 レッドは――走り出した。


 噴水広場を駆けていく。大人にぶつかった。しかし構わない。レッドが走る。馬車が止まる。レッドが走る。女の子とぶつかった。


「きゃっ!」

「アリス、大丈夫!?」

「ちょっと! どこ見てるの! 気を付けてよ!」

「城下町一番のイケメン!」

「え?」

「誰!?」

「え、そ、そんなの、知らない……」


 レッドが走る。アリスが姉のカトレアに振り返り、一緒に首を傾げた。今度は仕事中の女性にぶつかった。


「おっと、くすす。元気だね。大丈夫?」

「城下町一番のイケメンの男の子を知りませんか!?」

「ん? ああ。……君はかっこいいよ。すごくね」


 レッドが走る。


「坊や! 前に気をつけて!」


 女性の声を聞きながらレッドが走る。トンネルの中を駆け。橋を渡り、公園で遊ぶ少年達に訊く。


「城下町一番のイケメンの男の子を知らない?」

「それは俺だな!」

「違うよ。僕だよ!」


 うなりながらレッドが走る。今度は少女達に訊く。


「城下町一番のイケメンの男の子を知らない?」

「なーに? 新手のナンパ?」

「遊びたいなら素直にそう言えばいいのに」

「違うよ!」


 レッドが必死に叫ぶと、少女達が驚いて目を丸くさせた。


「真剣に訊いてるんだ! 誰か知らない!? 城下町一番のイケメンの、すごくかっこいい男の子のこと!」

「何この子」

「こんなに必死になっちゃって、変なの」

「えー……誰だろう?」

「ジョン君は?」

「ジョンなんて駄目よ。あんなちびっこ。フォレット君が一番かっこいい」

「何言ってるのよ。城下町一番かっこいい男の子って言ったら、キッドしかいないわよ」


 キッドという少年の名前が出た途端に、少女達から歓声が上がった。


「やだ、喋ったことあるの!?」

「この間、ハンカチを落としたら、一緒に探してくれたの。で、ちゃんと見つかったのよ! わたし達、友達になったんだから!」

「えー! いいなあ!」

「キッドって、あの青い髪の子!? やだ、紹介してよ!」

「他にいない?」


 少女たちが必死な顔のレッドを見た。


「その人以上にかっこいい人はいない?」

「今のところキッドが一番じゃない?」

「ええ。そう思う」

「どこに住んでるの?」

「中央区域から外れた場所に森があるでしょ? その奥に家があるわよ。見つけにくいところだけど、道を辿って行けばいけるはず」

「もしかして……貴方、好きな子でも取られちゃったの?」


 レッドが走り出した。


「あーあ、あれは間違いないわね!」

「可哀想」

「行ったところで、上手く言いくるめられておしまいよ」

「あのキッドって男の子、どんな人でも友達になっちゃうものね」

「「はあ……。キッド……♡」」


 今日も城下町では沢山の人々が歩いている。その中で、唯一レッドが走っていた。必死な剣幕で手紙を挟んだノートを胸に抱え、人々の間をくぐって、目的地を目指す。


 森の中に入ると、寄り道はせず、まっすぐ道のある方へ進んだ。瞬間移動を使った方が速いだろう。コウモリになった方が速いだろう。でもその衝撃で、このノートと手紙が破けたら?


 もしも、渡す相手がキッドじゃなかったら?


 それでも迷う暇はない。そんな時間はないのだ。違ったら他を捜せばいい。足元に気をつけろ。振り向くな。前だけを見ろ。信じろ。あの人は言っていた。城下町一番のイケメンの男の子に、これを渡せと。


 レッドは必死に走る。転びそうになる。なんとか持ちこたえた。レッドは前だけを見て、がむしゃらに走った。


 やがて――木に囲まれた、小さな家を見つけた。レッドが立ち止まった。呼吸を整える。胸が苦しい。肺が張り裂けそうだ。レッドは汗を拭った。足が前に進んだ。レッドの手が震えた。だが、レッドは覚悟を決めた。


 勢いよく、ドアを叩いた。


「はーい」


 間抜けた子供の声が聞こえて、レッドが一歩下がった。ドアが開かれた。ドアを開いた少年を見て――墓地で、自分が死んだことを話すリトルルビィの側にいた人物を思い出した。


 完全に一致した。


 ――キッドが首を傾げた。


「どちら様?」

「飴を舐めました」


 キッドがきょとんとした。


「意味、わかりますよね?」


 キッドが再び首を傾げた。


「僕の心が苦しくなった時、魔法使いが目の前に現れました。そして、不思議な飴を僕に渡しました。僕はそれを舐めました。僕の異常な目の色を見れば、貴女なら理解できると思います」


 レッドが無言でノートを差し出した。それを――キッドが慎重に受け取った。


「ここには、魔法を打ち砕く方法が載ってます」


 キッドが彼を見た。


「僕の恩師が書いたものです」


 彼はキッドに跪いた。


「殿下、この先、その記録書が必ず役に立ちます。嘘だとお思いなら、ページを開いてご覧なさい。そうすれば、貴女は理解するはずだと、あの人は言ってました」


 キッドがノートの中に入った手紙を見つけた。


「貴女に届けるように言われました。そして、僕は……貴女に面倒を見てもらえと」


 キッドが手紙を開き……険しい表情を浮かべた。当然だ。そこには、こう書かれていた。



 クレア姫様


 突然ですが、彼を匿いなさい。

 美味しいものを食べさせなさい。

 安全な場所にいさせなさい。

 辛いことはさせるな。

 痛いこともさせるな。

 時々、妹の顔を見せてあげなさい。

 たまには抱きしめてあげなさい。

 大切にしなさい。

 レッドを保護しなさい。

 その子は、お前の助けとなる。

 実績が欲しいのでしょう?

 やれ。


 レッドを見捨てたら、貴様を末代まで呪ってやる。



 以上。貴女の運命の相手より



 キッドは思った。自分の運命の相手はこんなことを書くわけない。


「殿下、お願いがございます。どうか僕を匿ってください。もう時期、妹は呪われます。しかし、どうやってもその運命を変えることは出来ないのです。このままでは、僕も妹も死んでしまいます」

「……」

「お願いします。殿下、どうか、妹を助けるために、僕を貴女の手下にしてください。何でもします。僕の恩師の最後の言いつけなのです。お願いします。……クレア姫様」


 クレアが中毒者を睨んだ。


「僕と妹を助けてください」


 レッド・ピープルが、涙を浮かべながら懇願した。

 その様子を見て――末代まで呪われるのも嫌だしなと思って――クレアが扉を大きく開けた。


「中に入れ。歓迎しよう」


 レッドが目を見開いた。クレアの笑みを見て、ためていた涙をこぼし、地面に額を擦り付けた。流石のクレアも、この行動には驚いた。


 だって、自分にここまで頭を下げる家来は、一人もいないのだから。


「ありがとうございます! 僕、何でもします! どんなことだってやり遂げてみせます! この力は、これから貴女のために使います! どんな命令だって従います! 僕の知ってることは、全て話します!」

「そんなに慌てなくとも大丈夫だ。あたくしは鬼畜ではない。のんびりいこうではないか」

「ありがとうございます! ありがとう、っ、ございます……!」

「殿方がそんなに全力で泣くものじゃない」


 あ、そういえば手紙に、抱きしめてあげなさいって書いてあったな。クレアが泣きじゃくるレッドを優しく抱きしめてあげた。


「よーしよし。良い子ー、良い子ー」


 涙が止まらない少年の背中を撫で、優しい声で訊く。


「名前は?」

「レッド・ピープルですっ……」

「レッド。ふむ。良い名前だ。気に入った」


 捨て犬を愛でるように頭を撫でる。


「期待しているぞ。レッド。貴様があたくしの手下一号だ。あたくしの心臓となり、働くが良い」

「キッド? どうしたんだい?」


 ビリーが玄関を覗きこんだ。泣いているレッドと、彼を抱きしめてるキッドを見て、ビリーが溜息を吐いた。


「お前はまたお友達を泣かせたのかい? キッドや、何度人のガールフレンドを奪えば気が済むんだい? 駄目じゃろ」

「違うってば! ……お風呂の準備してくれる? あと、あれ、俺の着てない服とかテキトーに出してさ」


 レッドのお腹の虫が演奏を始めた。


「ああ、それと食事も」

「……ごめんなさい……」

「生きてる証拠。素晴らしいじゃないか。さて、紹介するよ。レッド。俺のお目付け役でお守りのビリー」


 レッドを中に入れたキッドが、ドアを閉めた。






 振り向いてはいけない。

 前だけを見なさい。

 感情に流されてはいけない。

 油断は禁物。

 気を緩ますと、すぐに足元をすくわれる。


 だから、足元にお気をつけ。


 忘れないで。


 貴方はあたしの救世主。そして、



「貴女は、俺の救世主」



 赤い瞳を持つ男が、呟いた。














(*'ω'*)













 足が動く。光の方向へ進んでいく。

 どんどん体が重くなっていく。息がしづらくなってくる。

 息が苦しくなってきた。あたしが呼吸を止めた。

 体が一気に浮いた。光が近づいてくる。


 世界が揺れた。


 湖から、頭が出た。




「お帰りなさーーーーーい!!」




 精霊の大声と共に、膝を抱えて座っていたメニーが顔を上げた。あたしは濡れた顔を手で拭い、目を開いた。メニーと目が合った。


 途端に、メニーの顔が真っ赤になり――目が涙でいっぱいになり――勢いよく湖に走って来た。精霊がぎょっとし、端に移動する。


「あらやだ、定員オーバー!」

「テリー!!!」


 メニーが服を着たまま湖に入り、あたしに被さるように抱き着いてきた。うぼっ! 溺れる! 溺れる!! 


「ちょ、おまっ! まじで溺れ……!」

「テリー……!」


 ――震えるメニーの肩と、鼻水をすする音を聞いて、溜息を吐く。


「何よ。ちゃんと帰って来たじゃない」

「……うん。……信じてた」


 メニーが鼻水をすすった。


「信じて……待ってた……」

「……お前はいちいち大袈裟なのよ。男モテはしそう。はあ、まじでそういうところも嫌い」


 メニーを抱きしめる。


「ただいま」

「……お帰りなさい。テリー……」


 美しい涙を流すメニーがあたしから離れ、額をあたしに重ねた。


「会いに来てくれて嬉しかった」

「……お前は馬鹿だから、釘を刺しておかないと余計暴走するでしょ」

「そうだよ。わたし馬鹿なの。だから……これからもテリーがわたしに釘を刺し続けて」

「いい加減、彼氏作りなさい」

「いいの。わたし……テリーが無事なら、それでいいの……」

「……」

「……ぐすん……」

「……あたしが優しく慰めるとでも思った? 残念でした。このままお前の泣き顔を見ててやる。ざまあみろ」

「うふふっ。テリーってば……本当にわたしの涙を止めるのが上手だね……。そんなに見られたら照れちゃう……。……うふふっ! やだ。うふふ!」

(こいつ、勝手に照れて勝手に涙止めやがった……! こんなところまで天才だっての……!? なんて女なの!? ヒロインすぎて憎しみがまた倍増してきやがった! 畜生! てめえなんかくたばっちまえ!!)

「ねーえ! 定員オーバーだってばー!!」

「ああ、悪かったわね。今出る……」


 その時、気が付いた。あたしとメニーが湖の中にあった――あたしの手の中にある杖を見つめる。緑の光が大きな光を放つ。別の時間軸ではありえない量の光だった。強く輝く光は、この時間軸の別の場所に、あたしを導いていた。


 杖は、まだ完全じゃない。

 あたしとメニーが目を合わせた。


「メニー、まだ戻れるわよ。今ならわかるけど、カドリング島は、間違いなく赤の魔法使いに守られている絶対安全地だわ」

「テリー、言ったでしょう? わたしにとって、テリーがいない世界なんて意味がないの。テリーがいないのなら、わたしが助かっても意味がない」

「後悔するかも」

「テリーと一緒なら後悔しない。一緒に居られるなら、わたし、幸せだよ」

「……あとで文句言わないでよ」


 あたしはメニーの腰をしっかりと掴み、精霊を見る。


「妹が世話になったわね」

「ええ。トゥエリーは全く以て丸くなったわ。とっても親切だった。誰も聞きたがらない私の怒涛なる水魔法使い伝説の第8章まで聞いてもらったの! 第9章はまた今度ね!」

「1章何時間?」

「一時間半くらい。よく眠れた」

「それはお疲れ様。ざまあみろ。……行ける?」

「いつでも」

「杖よ」


 あたしは頭に浮かぶ呪文を読み上げた。


「導け」


 少なくとも、あたしが湖に潜ってから、何十時間も経っているようだ。

 きっと今頃、屋敷は大騒ぎだろう。メニーも、あたしもいないのだから。


(それでも)


 行かなければいけない。



 ――杖よ。魔法の鏡の元へ、あたし達を導け。





 二人で――湖の底へと――沈んでいく――。




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