第26話 魔法の鏡よ姿を見せて
水が、だんだん温かくなってきた。
温かいから熱いになって来た。
急に苦しくなった。
メニーがきょとんとして、あたしの肩に触れた。あたしは白目になった。メニーがあたしを抱え、上に泳いでいった。
こいつ、泳ぎまで得意だっての?
メニーが上へ上へと泳いでいく。
畜生! 目がかすんでこいつが天使に見えてきやがった!
(あん?)
途中で胸が全くない女の裸が見えた。
(何よ。今度は熱湯の女神だってか? ふざけんじゃないわよ!)
熱いのよ!!
「ぶはっ!」
「ぴゃっ」
「うわっ!?」
「げほげほっ!! うぼぁ! あっつ!! 何よ! ここ!!」
「テリー、大丈夫?」
「お前本気であたしにそれを訊いてるの!? ええ! もちろん大丈夫よ! 大丈夫だから顔はこんなに真っ赤だし、呼吸は乱れてるし、げほげほっ! 湯気だって気にしてるのよ!」
「テリー、落ち着いて。深呼吸」
「は? 今なんて言った? 深呼吸しろって言った? んー。よく聞いて。メニーちゃん。あたし、今自分の力で頑張って深呼吸しようと努力してたのよ? なのに、お前に言われたから、もう深呼吸したくなくなってきたんだけど! どうしてくれるの!? 生きていく上で必要な呼吸をするという行為のモチベーションが一気に下がったんだけど!? お前は本当にろくなこと言わない! あたしが死んだらどうするの!? ええ!? どう責任取るのよ!!」
「……じゃあ……人工呼吸……する……?」
「「……」」
「それはやめとく」
「あ、呼吸戻ったね」
「あ、戻ったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「てか、まじでここ熱いんだけど」
「お湯だもんね」
「誰よ。お湯の温度設定した奴。こんだけ熱くするなんて、将来は石狩鍋の中でゆでってる鮭にでもなるわけ? まじで信じられない。絶対ろくな奴じゃない」
「ろくな奴じゃなくて悪かったな」
あたしとメニーが振り返った。
――タオルを頭に乗せているクレアが、じーーーとあたし達を見ていた。
「そのろくでなしを好きになったのは、どこのダーリンかしら?」
――あたしの瞳に、クリスタルが輝く。
「メニー、久しぶり。元気だったか」
「お久しぶりです。クレアさん。ご無事で良かったです」
「うむ。あたくしはとても元気だ。外がどんな状況であろうと、日常を忘れてはいけない」
無意識に、あたしの体が動いていた。
「覗き見なんて趣味が悪くってよ。ダーリン。そんなに裸が見たいのなら、いつだってあたくしは大歓迎……」
無言のまま、クレアを抱きしめていた。
「……あら、やだ。ダーリン。あたくし達の妹の前で大胆な」
クレアが濡れた手であたしの頭を掴み、――大切に抱きしめてくれた。
「会えて嬉しい。テリー」
無言で号泣するあたしの涙を、クレアが濡れた指で拭う。
「メニー、外にリトルルビィがいるんだ。タオルを持ってくるよう頼んでくれないか? あたくしはこの通り、動けないものでな」
「……」
「頼める?」
「……わかりました」
メニーが浴槽から抜け出し、濡れたドレスのまま大浴場から出ていった。メニーがいなくなった途端に、あたしの涙がもっと溢れた。クレアの手があたしを肩を撫でた。だからもっと涙が出た。クレアがあたしの背中を撫でた。鼻水をすすると、クレアが頭に乗せていたタオルを持ち、あたしの顔を拭った。けれど涙も鼻水も止まらず、タオルがただ湿っていくだけだった。クレアがあたしの泣き顔を無言で眺めた。あたしは肩を震わせながら、ようやく――口を開いた。
「わ……我の振り見て……我が振り直せ……」
「……」
「ごめん……クレア、ごめん……」
「……久しぶりの再会の一言目がそれか。ふむ。流石はロザリーよ。お前はぶっ飛んでる。久しぶり。会いたかった。愛している。のどれかも言えないと言うのか」
「くたばれ……」
「照れ隠しだろうが、声を震わせて言われても説得力の欠片もない。コミュニケーション不足が目立っているな。貴様、この数か月、メニー以外と話してなかっただろ」
「……船に乗ってから……」
体を起こす。
「すごく後悔した。残るべきだったって」
「お前が残っても狂うだけだ。船は出せない。あのタイミングしかなかった」
「それでも……残るべきだった……」
「賢明ではないな」
「手紙も届かない。船も動かない。情報も入らない。カドリング島は平和そのものだった。だけど……意味がない」
涙が落ちる。
「クレアがいないと、意味がない……」
クレアの指が、あたしの顎を掴んだ。軽く上にすくう。涙と鼻水だらけの顔が上がると、クレアの顔が近づいた。そのまま瞼を下ろすと――クレアと唇が重なった。手を握りしめる。感じる。クレアが生きている。側に居る。目の前にいる。唇が触れ合ってる。しばらくして、唇が離れる。瞼を上げる。目から余ってた涙がこぼれた。視界の中に本物のクレアがいる。手を伸ばす。頬に触れられる。髪の毛に触れられる。頬にキスが出来る。耳に触れられる。クレアがクスクス笑いだした。だから、大切に抱きしめて、囁く。
「愛してるわ。あたしのクリスタル」
「……そろそろ出よう。お前、熱と涙で真っ赤だぞ」
「クレア! 大変だ! なんか、濡れたメニーの幻覚が現れて、私、とうとうストレスがピークになってる!! やばいって! なんかさ、薬とか飲んだほうがい……」
リトルルビィが大浴場に大股で入ってくると、クレアと抱きしめ合うあたしと目が合った。リトルルビィが悲鳴を上げた。
「うわーーーい!!! テリーだ!!」
リトルルビィが白目を剥いてその場に倒れた。外からソフィアとメニーが入って来た。
「ああ、大変! リトルルビィ!」
「……驚いた。本当にいる」
ソフィアがタオルをクレアに渡し、あたしに手を差し出した。
「そこから出られる? 恋しい君」
「……ありがとう」
手を借りて、浴槽から抜け出す。ソフィアが濡れたあたしの格好を眺め、頷いた。
「うん。とても良くない」
かなり大きめのバスタオルで体を覆われ、ソフィアに連れていかれる。大浴場では、浴槽から抜け出すクレアと、リトルルビィをつんつんするメニーが残された。
「二人の着替えを用意するからしばらく待っててくれる?」
「……ええ。わかった」
「……テリー」
ソフィアがあたしを抱きしめた。
「ごめん。ちょっとだけ」
「……」
あたしも少しだけ、ソフィアを抱きしめた。浮気じゃないわよ。そういうのじゃない。ただ――安心しただけ。ソフィアの腕も、自然と強まった気がした。
「……君が無事でよかった」
「……お前もね」
「元気だった?」
「そうでもない」
「……うん。私も一緒。でももう大丈夫。テリーの顔が見れたから」
「……どういう状況なの?」
「着替えてからにしよっか」
ソフィアの手があたしの頬に触れた。
「濡れて色っぽい君を、あまり見せたくないから」
「……相変わらずね」
「嫌い?」
「いいえ。……お前はそのままでいいわ」
「くすす。素直な君もとても魅力的。盗んでしまいたくなる。……待ってて」
ソフィアがあたしとメニーの着替えを探しに脱衣所から出ていく。一方、大浴場ではやはり、気絶したリトルルビィの体をメニーが揺らし、クレアが呆れた目で見ていた。
(*'ω'*)
「今現在、城下町がどういう状況かを順序だてて説明しよう。お察しの通り、ここは貴様らがメイドとして働いていたマールス宮殿である」
あたしとメニーが廊下の窓を覗く。そこから――闇に覆われた世界と――エメラルド城に覆われた魔力の結界が見えた。
「ドロシー死後、彼女が貼っていたであろう結界が解除されたようだ。出入り自由となった都にオズが現れた。よって、城下町に中毒者が溢れかえった。殺戮が起き、パニックが起き、人々は逃げ惑った。だが心配ない。無事に逃げ切れた人々は、塔の下の町にて生活している。もうエネルギーを奪う機械は取り外しているから、体調を崩す恐れもない。魔法使い達が残してくれた畑や木によって、食料もなんとかやりくり出来ている。動物もいる。牧場もある。薬もある。医者もいる。王も女王も現役。マールス宮殿と愛しい我が城、塔までの範囲は、あたくしが結界を貼って確保している。なんか、やろうと思ったら、ふむ、出来てしまったからな。流石はあたくし。自分の実力が怖い。というわけで、地下街で暮らしている者達は絶対に安全だ。むしろ、今までの生活よりも快適かもしれない。ただし、外に広がる闇一色の中でサバイバルライフを送っている者達の状況までは、残念ながらわからない。情報がないのだから仕方がない」
「人間によって滅ぼされる魔法使い達のために作った町が、魔法使いによって滅ぼされようとしている人間達が使うことになるなんて、皮肉なものね」
「やってきたことが返って来たのだろう。だが、何もしないまま滅ぼされるのは、実に嫌なものだ。あたくし、まだダーリンとの結婚式も挙げていないのだから、このまま世界を終わらせるなんて嫌なの」
クレアがエメラルド城に指を差した。
「我々は今や、ご近所同士の睨み合い。あの結界を一瞬でも崩すことが出来れば中に入れる。そうすれば、オズと戦える」
「マールス宮殿には誰がいるの?」
「騎士や兵士、貴族。今にも戦いに備えた者達が訓練を行っている」
「あら、貴族は安全な地下に潜りたがるものだと思っていたわ」
「貴族は軍だ。市民を守るのが貴族だ。戦えなければ意味がない」
「そこらへんはきちんとしてるのね」
「ならば貴族権を返せばいい。返した者達は何人もいる。そして地下に潜っていった。逆に、戦いたいと外に出てきた者もいる。実に勇敢な者達だ」
「人間と魔法使いの戦争をやるつもり? 争いなんて残酷なだけよ」
「ただの争いではない」
クレアが手を下ろした。
「守るためだ」
クレアがメニーを見た。
「メニー、どう思う?」
「……似てます」
メニーが外の様子を見ながら……目は、違うところを見ているようだった。
「一度目の世界の状況と」
「ドロシーがいなくなったことで繰り返されてしまったか。悲しいことだ。ちなみに、メニーはあの結界……」
「ごめんなさい。わたしでは……」
だけど、
「今のテリーなら、何とか出来るかもしれません」
あたしは星の杖を見つめた。お前、やれそう?
「ドロシーの魔力がテリーの中に入ってます。ドロシーの魔力は、元々オズのものでした。だから、それさえ使いこなせれば……」
「オズの呪いの解除はテリーが出来る。あん。ダーリン。やっぱりあたくしの見る目は間違いなかった。応援するし、超期待しているぞ」
「久しぶりに会えた愛しい人にプレッシャーを与える気? どうかしてるわ」
星の杖を握りしめ、息を吐く。
「やるだけ……やってはみるけど……」
その前に、杖を戻さなければいけない。
「クレア、魔法の鏡ってどこにある?」
「……ロザリーよ。とうとう魔法の鏡の魅力に気づいてしまったか。やれやれ。こいつは成長したものよ。実に天晴」
「あるのね」
「塔にな」
クレアが歩き出した。
「さあ、行こうではないか」
闇からはみ出る空には、変わらない青空が広がっている。けれど、魔力の結界があちこちに張られている。魔力のない人間でも見えるのだろうか? それとも、あたしが見えるようになっただけだろうか。
クレアについていき、懐かしい塔へと到着する。中に入ると……ソファーに座って本を読むリオンがいた。
「……」
リオンが本を閉じ、立ち上がった。驚いた顔はしていない。あたし達が来るのがわかっていたように、笑顔になった。
「やぁ。ニコラ、メニー。元気?」
「まあまあよ。レオ」
リオンの影を見る。
「久しぶり。ジャック」
「ケケケ!!」
「お求めのものなら、前に僕が眠っていた部屋の奥の倉庫だ」
「……」
「後からでいいよ。少し話せないか?」
「……ええ。いくらでも」
リオンの手に触れると、リオンがきょとんとして、あたしの手を触れ返した。
「……生きててくれて良かった」
「……また後でな。ニコラ」
手を離し、言われた通り、以前ラプンツェルの花の毒にやられ、リオンが眠っていた部屋へ向かうため、研究室に入る。
にやにやする物知り博士が、すごい速さで研究していた。
「この細胞は……ブツブツ……すごい……ブツブツ……わんだほう……ブツブツ……ということはこれを融合させれば……おほっ♡……いいねぇ……♡ ブツブツブツブツ……」
邪魔しないほうが良さそうだ。あたしはドアを開けた。仮眠室。その奥に、またドアがある。メニーが部屋を見回す。クレアが研究中の瓶を眺めた。あたしは倉庫へのドアを開けた。
そこに、男が立っていた。
あたしはビクッとして一歩下がった。
男が気が付き、振り返った。
「……あ……」
あたしの口から声が漏れた。……レックスが立っていたのだ。
あたしに気付くと、その体をこちらに向けた。
「……驚いた。貴方、こんな暗い場所で何してるの?」
倉庫に足を踏み入れた。レックスがあたしを見つめた。
「……えっと、……覚えてるかしら」
「ええ。もちろん」
「そう。……なら、良かった。自己紹介はいらないわね」
「……」
「お久しぶりです。レッ……」
――名前を言いかけて、あたしの口が止まった。
何か、違和感を感じた。
(……あれ?)
クレアは、彼がレックスという名を持つ男だと言った。
(……?)
あたしの足が動いた。クレアが蝋燭に火をつけ、倉庫を照らした。明かりが広がる。
赤い瞳があたしを見下ろす。
あたしは彼の目の前までやってきた。
彼はあたしを見下ろす。
あたしも彼を見上げる。
彼は黙る。
あたしは彼を観察する。
彼は目を逸らさない。
あたしは彼を観察する。
彼がふと、目を逸らした。
その顔を見て、あたしは目を丸くした。
「……え?」
反応したように、赤い瞳があたしに戻ってきた。しかし、一度そう見えたら、もう、彼にしか見えなくなった。
「……」
あたしはクレアに振り返る。クレアがとぼけ顔で首を傾げた。
あたしは再び彼を見上げる。彼はあたしを見下ろす。
「……あの」
一度、断りを入れる。
「人違いならごめんなさい」
訊いてみた。
「レッド?」
――たった一言。
彼の名前が、彼の硬かった表情を一瞬にして崩した。
硬かった眉は下がり、硬かった頬は緩み、涙腺まで緩み、力強い腕は伸ばされ、あたしのシャツを掴み、そのまま――レッドが大きく泣き崩れた。
獣の遠吠えのような泣き声が響く。レッドがあたしの腹に顔を埋め、必死にしがみついた。
――テリーさん、やだ、嫌だ!
その姿は、最後に見たレッドのままだった。
「……まさか……そんなっ……」
泣きじゃくる彼の肩に手を置いた。
「そんなわけない。レッド・ピープルは亡くなった。リトルルビィの呪われた血を飲んで……死んだって……!」
「そうだ。レッドは死んだ」
振り向くと、蝋燭を台に置いたクレアがいた。
「一定期間仮死状態となる薬を飲んだレッドを、リトルルビィは死んだと判断した。薬の効果が切れたら、リトルルビィが眠りについた時にあたくしの血を飲みにやってきて、リトルルビィの情報を渡し、また家に戻り、ベッドで安らかに眠ればいいだけ。リトルルビィを保護した後は、あたくしや部下達が家に訪問し、眠るレッドに触れる。それを合図にレッドはコウモリとなって飛んでいけば、あら不思議。まるで死んだ吸血鬼少年は、キッドの指が触れただけで灰となって消えたように見えるわけだ。ベッドの埃も灰に見えるくらいすごかったしな」
「……」
「こうして誕生したのが、あたくしの最愛の心臓だ」
レックス。
「リトルルビィには、殺人がいけないことだと教える必要があった。死というものはとんでもなく恐ろしいものだと分からせる必要があった。その為には、レッドを使用するのが一番効果的だった」
「お陰でリトルルビィはとんでもない成長を遂げた。あの女は、人を守る騎士となった」
「そしてその兄は、忠実なる影武者となり、スパイとなり、あたくしの心臓となった」
「素晴らしい男よ」
「迅速な行動。先読みの思考。結果は必ず出し、口は硬く、薬の開発に率先して協力する。何をしようと、あたくしには絶対に逆らわない。従順なまでに、恩師の言いつけを守る番犬よ」
クレアが腕を組み、ドアにもたれた。
「今だけ浮気と見做さない。貴様は飼い主の責任を果たせ」
あたしはゆっくりとレッドを見下ろす。
レッドがあたしのシャツに顔を埋めて、体を震わせ、涙を流した。
あたしの手が、レッドの頭を撫でた。レッドの目からもっと涙が溢れた。あたしは上体を倒し、上から覆い被さるように、レッドを抱きしめた。
小さかった体は大きく成長し、細かった腕はたくましいほど太くなり、高かった声はとても低くなっていた。
「……ねえ、本当にレッドなの?」
レッドが無言で頷いた。
「あたしが、連れて行ってしまった貴方?」
レッドが小刻みに頷いた。
「それなら、あたしが今から言う言葉を知ってるはずね。ロカトール」
「……優しい……ピエロ……」
「そうよ。子供を守ってくれる優しい魔法使い。彼は、あたし達に油断してはいけないことを教えてくれた」
「…………油断は…………禁物です」
「足元をすくわれるもの」
「だから足元には注意しろ」
「でも大丈夫。あたしには貴方がいるもの。だって貴方は、あたしの救世主」
「貴女は……」
レッドが震える声で答えた。
「僕の……救世主」
「ああ、レッド!」
強く抱きしめると、レッドがまたあたしを強く抱きしめた。
「レッド! レッドだわ!! あんた、言いつけを守ったのね! あたしを信じてくれたのね!!」
しっかりと彼を抱きしめる。
「偉いわ! レッド! 一人でよく耐えた! よくぞ生き残った! あんたはやっぱり良い子だわ!! 流石、リトルルビィの自慢のお兄ちゃんよ!!」
レッドは、あたしを信じた。
レッドは、クレアを捜した。見つけた。
レッドは、クレアに従った。
レッドは、リトルルビィから隠れた。
レッドは、クレアの心臓となった。
レッドは、中毒の力を最大限利用した。
レッドは、それが全て自分がしてきたことの断罪だとわかっていた。
レッドは、忠実に従った。
レッドは、誠実に従った。
レッドは、いつだってクレアの側にいた。
レッドは、いつもコウモリに化けていた。
レッドは、いつも美味しいものを食べた。
レッドは、いつも温かいベッドで眠った。
レッドは、いつもクレアに親切にしてもらった。
レッドは、いつもクレアに大切にしてもらった。
レッドは、絶対に忘れはしなかった。
レッドは、忠実である。
レッドは、言いつけを守ろうと思った。
レッドは、必ず恩師に会いに行こうと思った。
レッドは、クレアに何度もタイミングを尋ねた。
レッドは、クレアから待てと言われるばかりだった。
レッドは、従った。
レッドは、従うしかなかった。
レッドは、クレアではなく、恩師に従った。
レッドは、時を待った。
レッドは、飼い主を待った。
レッドは、恩師ではない恩師に会えた。
レッドは、名乗れないことに泣きたくなった。
レッドは、再び待つことにした。
レッドは、ようやく会えた。
レッドは、ようやく名乗れた。
レッドは、言いつけを守り、生き残り、あたしに会いに来た。
「よくやった。レッド」
背中を撫でる。
「あんたは本当に偉い。よくやった」
また強く抱きしめて……優しい声でレッドの耳に質問を投げる。
「リトルルビィ、このことは?」
「……伝えてません」
レッドがあたしの肩に頭を擦りつけた。
「こんな兄の顔など……見せられません」
「レッド、……そんなことない。お前はとても良い子よ。リトルルビィも、レッドも、十分過ぎる断罪を行ったわ」
「……」
「この後伝えに行かない? ……大丈夫よ。あたしも一緒に行く」
「……。……。……はい」
「それと、もう一ついい? あたしの覚えてる限り、リトルルビィのお兄ちゃんはあたしと同じ年齢のはずなんだけど、あんた、いくつになったの?」
「19です」
「そう。……やっぱり同級生だったのね。ずるいわ。一人でこんなに立派になっちゃって」
レッドの顔を覗き込む。濡れた頬を指で拭い、頭を撫でると、その手を握られ、レッドが自らの頬に押し付けた。
「諦めなかったのね」
レッドが頷いた。
「頑張ったわね。偉いわ。レッド」
「……クレア姫様から、貴女がいずれ来るだろうと。だから、アレを守っておくよう言われてました」
レッドが立ち上がり、紳士らしい手付きであたしのことも立たせ、倉庫の奥にある――割れた破片を額縁にまとめた鏡を見せた。
「貴女なら、鏡の欠片が消えず、残った原因がわかるだろうと」
あたしは久しぶりに鏡に近付いた。
「魔法は必要な人の元へ現れる。ハープも、笛も、ヴァイオリンも、鏡も」
鏡に自分を写すと、自然と呪文が浮かんできた。あたしは杖を構える。クレアがその様子を見つめた。瞼を閉じれば、ぼやけた文字がはっきりと見えた。あたしは、それを読み上げる。
「魔法の鏡よ、姿を見せて」
魔法の鏡が光った。割れてた破片同士がくっつきあい、魔法の鏡が輝き、あたしを映し、光が走り――鏡に写った自分を見て――、
「……」
あたしは目を丸くした。
「……今ならなぜニクスのお父様が、鏡に魅了されたのかわかるわね」
鏡に触れる。
「何よ。お前」
「ずっと、ここにいたの?」
魔法の鏡は、あたしではなく、あたしの中にいたドロシーを映し出していた。
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