第17話 泡沫のセイレーン(1)
レッドは目を覚ました時、思わず驚き、目を丸くさせながら部屋全体を見回した。彼の人生の中で、こんなに豪華で美しい部屋のベッドで眠った事がなかったからだ。レッドはすっきりした頭でベッドから抜け出し、口を開いた。
「テリーさん?」
「あ、待って! 着替えてるからドア開けないで!」
「あっ! ごめんなさい!」
「大丈夫よ。……まあまあね。よし。いいわ。ごめんなさい」
ドアを開ければ、レッドがまた驚いた目をしてあたしを見た。
「テリーさん、その格好……どうしたんですか?」
マスクで目元を隠し、贅沢なドレスを着たあたしの全身を見て……顔を上げた。
「あの……すごく……綺麗です……。お姫様みたい……」
「ああ、姉のドレスをちょっと拝借したのよ」
「テリーさん、お姉さんもいるんですか?」
「ええ。物凄く意地悪なお姉ちゃんがね」
「……えっと、この部屋……」
「大丈夫。部屋の主は今ちょっと……人魚になってお出かけしてるの」
メグさん、苦しんでいる中本当にごめんなさい。でもあたしも休みたかったのよ。あなたの部屋のベッドはとても気持ち良かったわ。
「着替えを用意したわ。これに着替えて」
「……僕、このままでいい」
「この船には似合わない。そんな格好してたら笑われるだけよ。手伝ってあげるから、ほら、着替える」
「はい……」
しぶしぶ服を脱いだレッドがスーツに着替えている間に、窓を見て確認する。
(暗いわね。深夜かしら。レッドを連れて歩いたら変に思われそう)
部屋に時計がある。20時。
(……まあ、ぎりぎりかしら)
「テリーさん、僕、ネクタイをつけたことないよ」
「ああ、はいはい。ちょっと待って」
まさかここに飛ばされるとは思わなかった。
(お願いだからハゥフルから魔力を貰え、なんて言わないでよ。あの女は一筋縄ではいかないんだから)
レッドを高級感のある坊ちゃん風に仕立て上げ、部屋から出ていく。途中で見覚えのあるクルーが歩いていたので、声をかけた。
「すみません。弟と勝負をしていて、あたし何度も説明してるんだけどね、この子ったら疑って信じないものだから、貴方の口から言ってもらっていい? 今日は何月何日かしら?」
「……マニュアルを失礼。……三月十一日です」
「ほらね、レッド。船が地上から離れて二日目だって、お姉様の言ったとおりでしょ? どうもありがとう。クルーさん。これで弟も信じるわ」
「いいえ。他にご用件がなければ、これで失礼いたします」
「大丈夫よ。どうもありがとう」
マチェットが一礼して、あたし達から離れていった。
(なるほど。二日目の夜ね。マチェット、目下のクマが濃くなってるわよ。メグさんを捜すのは良いけど、仮眠くらい取りなさいね)
「テリーさん、どこに行きますか?」
「えっとね」
――レッドのお腹の虫が鳴った。レッドが恥ずかしそうに腹を撫でた。
「ご飯にしましょうか。あたしもお腹空いた」
「ごめんなさい……」
「この船のレストランは最高級なの。熱が出てて楽しめなかったから、丁度いいわ」
「……テリーさん、この船乗ったことあるんですか?」
「今頃部屋でぐーすか寝てるわ。16歳の時よ。体調を崩してね、熱が出て大変だった」
「こんな船に乗れるなんてすごい」
「うちの船だもの」
「テリーさんの船?」
「あたしのママが依頼して作らせたものよ」
「テリーさんの家ってお金持ちなの?」
「ああ、……言ってなかったわね。うちは男爵家よ」
「……貴族だったんだ!」
「あら、空いてる。丁度よかったわ。入りましょう」
レストランに入り、バイキングのトレイを渡すと、レッドが首を傾げた。
「これ、どうするんですか?」
「食べたいの一個ずつトレイに入れるのよ」
「どれが食べて良いもの?」
「どれでも好きに」
「え、どれでも食べれるの!?」
レッドが興奮したように食事達を見て、トレイに入れていく。……肉系が多いわね。
「こら、レッド、野菜も食べなさい」
「野菜……あまり好きじゃない」
「紳士になる男がそんなこと言わないの。はい」
「むう……」
「むくれない」
バイキングは初めてのようだ。レッドは好きなだけ食事をした。だが、根本の空腹は満たされないようだ。
「そうだ。レッド、これを飲んでみて」
宙から出したドリンクをレッドのグラスに注ぐと、レッドがきょとんとしてそれを飲んだ。そして、驚いた顔をしてあたしを見た。
「大丈夫。あたしのじゃないから」
「これ、どうしたの?」
「物凄い研究者がいてね、血と同じ成分で作ったドリンクよ。リトルルビィがよく飲んでるの」
「うん。お腹が満たされてく」
「これならあたしの血を飲まなくてもお腹いっぱいになるんじゃない?」
「大丈夫そう。ありがとう。テリーさん!」
(数は限られてるけどね。……切れたらあたしの血を飲ませればいいか)
「ふう、お腹いっぱい!」
レッドが元気になった。子供は良いわね。いっぱい食べたらすぐ元気になるのだから。
「テリーさん! 今回はどこに行きますか?」
「そうね。目的地は上の階にいるみたいだし……」
緑の光は上を差している。だが、相手は動いていないようだ。この時間だし、寝ているのかもしれない。
「レッド、良い機会だわ。ちょっと寄り道していかない?」
「寄り道して大丈夫なんですか?」
「ちょっとくらい大丈夫よ。元気になったことだし、動きたいでしょ」
手を引いて連れていった先で、レッドは困った顔をした。そこはダンスをする男女で溢れていた。レッドが助けを求めるようにあたしを見上げる。
「紳士になる男はね、踊れないと駄目よ」
「僕、踊ったことない」
「大丈夫よ。初心者に期待はしてない。最初はね、滅茶苦茶でいいのよ」
レッドの手を引き、ダンスホールへ連れていく。
「あたしの手の動きに合わせてみなさい」
「うわわ」
「体が硬いわよ。ね、あたしを信じて」
「わあー」
「そうそう。その調子」
「うわあ、すげえ」
「そうでしょ」
何もわからないレッドを人形のように操る。回して、腕を引っ張って、離して、回す。レッドの背中に手を添えて、体を近づかせて踊る。両手を握りしめて、距離を離して、また近づく。レッドがあたしを見上げた。あたしは笑みを浮かべ、またレッドを回した。レッドの目がくるくる回った。
「あはは! ここまでにしましょうか!」
「ひよこが飛んでる……」
「女を口説くためにダンスは必須よ。レッド。家に帰ったら、リトルルビィと復習しておいて」
「もう覚えてないよ。テリーさんがすごすぎるんだ。足ががくがくする」
「良い準備運動よ。……さて」
緑の光は全く動いてない。
「レッド、光を辿っていける?」
「やってみます」
レッドがあたしを抱え、瞬間移動を使った。緑の光を辿り、上の階までやってくる。ろうそくが灯った廊下は明るい。レッドが止まり、あたしを下ろした。
(……あれ?)
レッドが小走りで緑の光の筋を辿っていく。
「テリーさん、ここみたい」
ドアの前にレッドが止まった。
「大きなドア!」
(……あたしの部屋?)
「誰かいるかな?」
「レッド、廊下に誰も来ないか見てて」
「はい!」
レッドが見張っている間にドアを薄く開く。部屋の明かりは消され、ベッドからは寝息が聞こえる。光の筋は――ベッドで眠るあたしに向けられている。
(……どういうこと?)
そっと中に入り、レッドも中に入る。ドアを静かに閉めると、レッドが光の筋を辿って、ベッドに近づいた。ぐっすり眠るあたしを見て、ドアの前にいるあたしを見た。
「……この人、テリーさん?」
「……レッド、そこにいて」
あたしは杖を過去の自分に向けた。どういうことかと魔力に聞いたら、呪文が浮かび上がってきた。あたしはそれを読み上げる。
「巨人が起きて」
――過去のあたしが目を覚ました。レッドが息を呑んで後ずさり、あたしは驚愕したまま固まった。過去のあたしは、ぼんやりとあたしを見て、首を回し、大きな欠伸をした。
「なんだ。おめえら。来るなら昼に来い。体の主は今寝てるぞ」
「……な……」
「あん? よく見たらおめえじゃねえか」
過去のあたしがいやらしい笑みを浮かべた。
「体を借りてるぜ。悪いな」
「……誰……」
「見たらわかるだろ。おめえだ」
「違う。あたしじゃない」
「ほう? だとしたら亡霊でも入ったんだろうな。哀れな、いつまでも女の尾びれを追っかけるような巨人の霊がな」
「巨人ですって? それは神話でしょ?」
「ほう。神話ね。だったらなぜオラは存在した? なぜ人魚は存在した? 言い伝えで片付けられるなら、魔法のハープはなぜ存在したか説明してもらおうか」
「魔法のハープを知ってるの?」
「ああ。オラの所有物だからな」
「……あたしの体で何してるの?」
「魔法のハープが近くにある。この船のどこかだ。探すためには、器が必要だった」
「あたしの体調が悪くなったのはカドリング島に行ってなかったから。でしょう?」
「んだ。呪われた体に入るのは楽勝だった」
「貴方、死んでるの?」
「とっくの昔に」
「……」
「おめえら、この時代の人間じゃねえだろ。ここで何してる」
「これを」
星の杖を差し出すと、過去のあたしの眉間に皺が寄った。
「オズの杖じゃねえか」
「魔力が必要なの」
「ああ。だろうな。まさに不完全体だ」
「魔力を入れてくれたら邪魔はしない。その体も自由に使ってていいわ」
「自由に使うも何も、おめえ、オラが入ってなかったら今頃楽園行きだったぜ? 感謝してもらいたいものだな」
挑発にも近い言い方にレッドが目を充血させて近づくが、襲い掛かる前にあたしが手を上げて止める。レッドがあたしの手を見て、一歩下がった。
「魔法のハープなら見つかるわ。手にも入る」
「だったら持ってこい。そしたら魔力を入れてやる」
「あたしは過去に見たことを伝えてる。魔法のハープは見つかり、あたしの時代ではクレアが厳重に管理してる。つまり、この時代の未来で、貴方は魔法のハープを手に入れることになる」
「ほーう?」
「待っていればいずれ手に入る」
「信じろと?」
「これ以上は言えない。あたしも体調が悪くて、あまり細かく覚えてないから」
「……ん? 土色の魔力があるな。……おめえ、ルンペルシュティルツヒェンに会ったのか?」
「え? あの最低小人のこと?」
「あいつ生きてるのか」
「知り合い?」
「元々はオラの奴隷だ。だのに、オラが死んだ時、家から金を盗みやがった」
「ああ、やりそう」
「今はいないのか?」
「レッド、わかる?」
レッドが耳をすませた。首を振る。
「船にはいないみたい」
「魔法が使えないものね。当然だわ」
「野郎。見つけたらただじゃおかねえ。死んでもオラがあいつの主だ。テリー・ベックス。あいつを見つけたら杖を振って、オラの魔力を見せつけてやれ」
灰の魔法使いが息を吹いた。恐怖を見せつけるような巨大な灰色の魔力が星の杖を囲んだ。そして中に浸透していき……杖が温かくなった……気がした。――気分がだいぶ、良くなった。
「ありがとう。助かるわ」
「おめえのためじゃねえ。奴隷が天狗になってるのが許せねえだけだ」
「大丈夫よ。魔法のハープはちゃんと手に入る。それは紛れもない事実よ」
「だといいがな」
……小さく唸る声が聞こえた。驚いて振り返ると、サリアがベッドの前にある椅子で眠っていた。
(やば!)
「早く行け」
「レッド!」
サリアが目を開いた。視界には、上体を起こしているテリーがいる。
「起きてしまいましたか?」
「……そうみたい……」
「テリー、朝はまだ先です。寝てください」
「なんか気づいたら起きてたわ。ずびっ。……ふわああ……」
そして再び、ベッドに潜った。
(*'ω'*)
着替えていると、突然ドアが叩かれた。
「はーい」
声を上げて振り返る。しかし、ドアは開かれない。
「……どうぞー?」
返事をする。しかし、ドアが開かれない。
「……?」
歩み寄り、ドアの取っ手を掴んで――手が止まる。
「……」
ドアの向こうから変な気配を感じる。唾を飲み、そっとドアを開けてみると――大量の『コウモリ』が飛んできた。
「っ!!」
驚いて顔を腕で隠す。コウモリが部屋の中へと侵入し、バタバタと羽を激しく動かす音を響かせる。メニーが目を開ける。振り返ると、コウモリが集団で固まり、それが形となっていく。
「……」
それ見て、はっとして、再び廊下へ振り返ると――あたしが立っていた。
「……」
メニーが笑みが浮かべた。
「また……会いに来てくれたの?」
「……」
「……元気?」
「……」
「……入ったら?」
「……すぐ出るわ。ここでいい」
「……誰か来たらどうするの?」
「迷ったって嘘をつくわ」
「紅茶用意するから、入って」
「ドロシーは?」
「いないよ」
「なんで」
「リオンの所にいるの」
「……」
「精神的に危ないんだって。だから、今夜はずっと付きっきりみたい」
(……そうか。あの時の夜か)
「とりあえず……入って?」
メニーが扉を大きく開いた。
「部屋の中で話そう? ……そこは……寒いから」
「……はあ」
中に入ると、メニーがドアを閉めた。
「ドロシーに用があったの。いないなら次の場所に行かないと」
「少しくらいゆっくりしていけばいいのに」
メニーがレッドに笑みを浮かべた。
「こんばんは」
「……こんばんは……」
「リオンのところにいるんだっけ? じゃあ今行けば会えるわね」
「見張りが厳重だから、姿を隠さないと難しいんじゃない?」
「メニー、ドロシーに伝えておいて」
思い切り中指を立てると、メニーが苦笑した。
「次はどこに行くの?」
「杖の導くがままに」
「じゃあ、きっとドロシーにも会えるよ。ドロシーの杖だもん」
「……どうでも良い時は側に居るのにね」
この頃は、こうなるだなんて思ってなかった。あいつは……気がついたらいつだって隣りにいたんだもの。
「メニー、あたしに目を光らせておいて。さっき話したら、あたしじゃなかったの」
「あれ、ジャックに会ったの?」
「……ジャックはリオンでしょ?」
「切り裂きジャックじゃないよ。巨人のジャック」
「……まじで神話の巨人?」
「そうみたい」
「本気であたしの体が乗り移られてたっての? あたしね、この時のことあまり覚えてないのよ。だって体調がすごく悪かったんだもの!」
「せっかく厄除け聖域巡りの旅に行ってたのにね」
「あたしは大馬鹿よ! 素直にカドリング島に行ってればよかったのに!」
ああ、こんなことしてる暇はないわ。
「メニー。人魚に注意して。まじで危ないから」
「わかった」
「そろそろ行くわ」
「紅茶飲んでく?」
「いい」
「そっか。残念」
「メニー」
頭に手を置く。
「あまり危ない目に遭わないでよ」
「……はーい」
「レッド」
メニーがあたしの触れた頭を撫で、そっと目を閉じた。再び開くと、部屋は一人部屋に戻っていた。
「……わたしもそろそろ寝ないと」
頬は、赤く染まっている。
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