第10話 仮面で奏でし恋の唄


 花火が上がった。

 あまりの人の多さに、レッドが目を疑った。


 カーニバルで賑わっている港町。レッドが人にぶつかった。人の間に潜り込んだ。そこから抜け出して、必死な顔をして走り、あたしの手を掴んだ。


「レッド、迷子にならないようにね」

「ここ何?」

「タナトスって聞いたことない? 有名な港町よ」

「声がうるさい」

「あんたはそうでしょうね」


 あたしは出店に近づいた。


「ごめんください。耳栓を一つ」


 レッドの耳に入れ、再び手を握って歩き出す。レッドが物珍しそうにカーニバルの町を眺めた。色んな出店がある中で、美味しそうなキャンディを見つけてしまったようだ。だが、欲しいとは言わない。だって、自分はあのキャンディを舐められる身分ではないことを知っている。大人になったら、たらふく舐めてやるんだと決めて、いつものように我慢する。それを見て、あたしは溜息を吐き、出店に近づいた。


「そのキャンディを一つ」

「まいど!」

「はい」


 レッドに差し出すと、レッドが戸惑った目であたしを見上げてきた。


「カモフラージュよ。こんなカーニバルで何も食べてない子供がいるなんて、妙に思われたらどうするの?」

「そう……ですね!」

「どうぞ」

「はい! いただきます!」


 キャンディを受け取ったレッドが目を輝かせ、ぱくりと口に入れた。そして、もっと赤い目が輝き、あたしを見上げた。


「テリーさん、僕、こんなに甘くておいしいキャンディ、初めてです!」

(……たかがキャンディよ。そんなに喜ばなくてもいいんじゃない?)


 彼は妹のために、どれだけのことを我慢してきたのだろう。そして、彼の努力は報われることなく……死んでいく。


「……アイス食べる?」

「ううん! 僕、キャンディでいい!」

「バニラ? チョコレート?」

「えっと……じゃあ……チョコレート」

「ごめんください。チョコレートアイスをこの子に」


 レッドがチョコレートアイスを受け取り、あたしを見上げた。


「テリーさん、僕……アイスクリームは初めてなんだ。この体になってからも、アイスクリームは……食べたことなくて」

「溶けるわよ。早く食べなさい」

「いただきます!」


 レッドが初めてのアイスクリームを食べた。一口食べた途端、笑い出した。


「んふふ! 本当に冷たいや!」



 ――美味しいですか?

 ――……ん。

 ――それは良かった。食べ比べてみましょう。

 ――ん。

 ――あら。濃厚。美味しいですね。ここには奥様もギルエド様もいませんから、歩きながら食べましょう。



(……逆の立場になっちゃったわ。サリア)

「おや! アイスクリームを食べているのかい!?」


 ピエロがレッドの顔を覗き込んだ。レッドがびっくりして、慌ててあたしに身を寄せた。


「あっはは! 別に君のアイスクリームを奪ったりしないよ! 僕はね、みんなに魔法のふりかけをかけてあげてるんだ! チョコレートが好きなら気に入ると思うけど、かけてもいいかな!?」

「えっと……」


 レッドがあたしを見上げてきたので、あたしは頷いてみせた。レッドがアイスクリームを差し出す。


「じゃあ、お願い……」

「よーし! じゃあ魔法をかけるよ!」


 ピエロが変な道具をアイスクリームの上に持った。


「君が幸せになりますように!」


 カラースプレーがアイスクリームにふりかけられた。


「ほーら! 素敵な魔法のトッピングだ! これで君はもっとハッピーになれるよ!」

「わあ……ありがとう!」

「どういたしまして!」


 その瞬間、あたしははっとした。何も持ってなかったはずの手に、いつの間にか星の杖が掴まれていて、震えていた。


(杖が反応してる……? 一体どうして……)


「それじゃあ、引き続きカーニバルを楽しんで!」

「どうもありがとう!」


 あたしはピエロを見た。ピエロは笑みを浮かべたまま――吸い込まれるように、人混みの中に紛れていった。


「魔法使い!?」

「え?」

「レッド! さっきのピエロを追えない!?」

「え? えっと……」

「アイス舐めながらでいいわ! 上から見れない!?」

「それなら」


 レッドが瞼を閉じると、レッドの体がばらばらになり、大量のコウモリとなり、アイスを舐めながら人の頭の上を飛んでいった。踊っていた人々が悲鳴を上げ、アイスを舐めるコウモリはピエロを追いかける。そしてあたしはアイスを舐めるコウモリを追いかけ、人を押しやる。


「ごめんなさい! 通して! 失礼! 本当にごめんなさい! 急いでるの! 良いカーニバルを! 失礼!」


 アイスを舐めるコウモリが角を曲がった。なんとか人混みから抜け出し、人気のない角道へ走る。杖を向けると、反応がある。


(間違いない! 魔法使いだ!!)


 次の角を曲がろうと進んでいると、コーンを食べるコウモリが戻って来た。


「レッド!?」


 アイスを食べ終えたコウモリが一つにまとまり、レッドの姿に戻った。


「テリーさん! 大変!」

「どうしたの!?」

「さっきの小人がいる!」

「……は?」



 ――迷子エリア。



「まあ、大変。お母さんとはぐれちゃったの?」

「うん! ママがどっか行っちゃって、俺様、すっごく不安で仕方ないの! ぴえんぴえん!」

「大丈夫よ。きっとお母さんも貴方を探しているわ。お母さんが来るまで、ここで待っていてね」

「お腹空いたよ! ぴえんぴえん!」

「心配でしょうがないのね。でも大丈夫だからね。それまで、お菓子を食べて待ってましょうね」

「やったー!」


 迷子のふりをしたルンペルシュティルツヒェンは、堂々とお菓子を食べ始めた。しめしめ! 体が小さくて良かったぜ! お陰で子供に間違えられて、無料で食べ物が食べ放題だ! これだけのカーニバルで、何も食わないわけにはいかねえ! しめしめ!


「だがよお、食べ物だけ食べたって、何も面白くねえ。俺様は刺激が欲しいんだ。人間どもめ、踊ってるだけじゃねえか。ここは一つ、俺様が盛り上げてやろうじゃねえの」


 ルンペルシュティルツヒェンがそう言うと、懐から魔法のヴァイオリンを取り出し、弾き始めた。魔法のヴァイオリンから曲が流れたものだから、それを聞いた人間達の足が突然踊り始めた。踊っていた人も踊ってなかった人も突然踊り出したので、みんな驚いた。足を止めようにも止まらなくなった。


「な、なんだ、これ!」

「足が止まらない!」

「いてて! おい! 足を踏むなよ!」

「痛い! ちょっと! 一体何なの!?」

「誰か止めてくれー!」

「ぎゃはははは!!」


 悲鳴を上げる人間達を見て、ルンペルシュティルツヒェンがヴァイオリンの操作を魔力に預け、自分はオレンジジュースを飲み、サングラスをかけた。


「いやあ、愉快愉快。これこそ、本物のカーニバルってね! ほら、どうした! もっと踊れ踊れ!」

「痛い!」

「もう疲れたよ!」

「足が止まらない!」

「どうなってるんだ!」

「ぎゃははは! 人間の困るところは何度見ても飽きないぜ! そら、もう一押し! あと少し! 縦に揺れて横に揺れて頭をぶつけて足を踏んで血だらけ血祭り血の祭! 塩分濃度に気を付けな!」

「はあ、止まった」

「なんだったんだ?」

「足痛いよ!」

「酷い目に遭った」

「手当てしましょう」

「ん? なんだ? 演奏が止まったぞ?」


 ルンペルシュティルツヒェンが振り返ると、隣に浮いていたヴァイオリンがなくなっていた。


「あれ? 俺様のヴァイオリンは?」


 後ろを向いたところで……全ての恨みを込めた拳で、その頬をぶん殴った。


「ひゃぶっ!!」


 吹っ飛ばされたルンペルシュティルツヒェンが白目を剥いて気絶したのを、レッドが確認した。


「あら、ひょっとして保護者の方ですか?」

「いいえ。悪戯の度が過ぎていたので迎えに来ました」

「ああ……そうですか。……良い子に待ってましたよ!」

「連れていきますね。それでは」

「あ、ええ。……良いカーニバルを」

「レッド、暴れないようにこれで縛ってから担ぎなさい。そいつ、何をしでかすかわかったもんじゃない」

「わかりました! テリーさん!」


 レッドが強力な縄でルンペルシュティルツヒェンを縛り始めた。



(*'ω'*)



「またテメエらかよ!!!!」


 巨木に逆さまに吊るされたルンペルシュティルツヒェンが怒鳴った。


「今日はカーニバルだぞ!? こんな楽しい日に、テメエら人を逆さ吊りにして楽しいのかよ!!」

「先に手を出したのはそっちでしょう? レッドが一部始終を見てて良かったわ。あのままだったら、迷子エリアが大パニック。血の湖になってた」

「俺様の楽しみをよくも邪魔しやがって!」

「何が楽しみよ! 迷子のふりして紛れ込みやがって!」

「俺様を見抜けない人間どもの浅はかさがよくわかる! おい、テリー・ベックス! いい加減に下ろさないと、テメエの頭かち割って、脳みそ吸い尽くしてやるぞ!」


 レッドが大量のコウモリとなって、ルンペルシュティルツヒェンの顔に噛みついた。


「いででででっ! やめろ! いだいいだい!! ごめんなさい! 俺様反省したよ! もう二度としないよ! だからやめろ!! クソガキ!!」

「レッド、もっとやっていいわよ」

「いてててててて! 悪かった! 俺様が悪かったから!! 本当に悪かったって! 本当にごめんなさい!! もうヴァイオリン使わねえから!! まじで使わないから!! 大人しく帰る! 帰るから!!!」


 あたしが手を下ろすと、コウモリがルンペルシュティルツヒェンから離れ、あたしの横にレッドの姿で戻って来た。歯形だらけになったルンペルシュティルツヒェンがあたし達を睨んだ。


「覚えてやがれ……。たかが人間のくせに……。もどきのくせに……。呪われてるくせに……。絶対仕返ししてやるからな……!」

「ほう? ならばカーニバルを壊そうとした君に、僕が仕返ししても文句はないね?」


 途端に、ルンペルシュティルツヒェンの顔が強張った。あたしとレッドが振り返ると、風船を持って立つ笑顔のピエロ。レッドがはっとして、あたしの手を握った。


「テリーさん、さっきのピエロだ!」

「見ていたよ。ルンペルシュティルツヒェン。親と離れて不安そうにしている子供達のいる場所で、君、なんてことをしていたんだい?」

「ろ、ロカトール!」


 ルンペルシュティルツヒェンが変な笑顔を浮かべた。


「ほんの冗談だって! ほら、せっかくのカーニバルだし、ガキどももいたしさ!? ちょっくらびっくりするようなことがないと、盛り上がらないだろう!?」

「そんなことないと思うよ」

「へ、へへ、そうかな……。いや、俺様も……ああ……ちょっと……確かに、冗談が……過ぎたかもしれないな。へへへ……」

「別に構わないんだよ。ルンペルシュティルツヒェン。君の居場所を、巨人達に知らせたって、僕は困らないからね」

「いやー! 俺様、すっげー悪いことしてたって! 今すっげー反省した! うん! もう二度とやんないからさ! 悪かったよ! ロカトール! 俺様が悪かった! めんごめんごー!!」


 ピエロがレッドの頭を優しい手つきで撫でた。


「やあ。坊や。また会ったね」


 そして――あたしを見た。


「君の時間軸のサリアは元気かい?」

「……」

「君は知ってるはずだ。僕はね、昔、サリアと、他の子供達と住んでいた時があるんだよ」

「……それは」


 サリアが子供の時に巻き込まれた。


「誘拐事件」

「あの頃から頭の良い子だったよ。子供達はみんなお菓子の家に魅了された。けれど、サリアだけは僕の本に魅了されていた」

「サリアを覚えてるのね」

「子供達はみんな覚えてる。顔も名前も、大人になったって覚えてる。良い子だったのに、大人になって悪い子になった者もいる。サリアはどうだい?」

「愛しくなるほど、素晴らしい人よ」

「それは良かった。ベックスの一族に引き取られた時は心配していたけれど、まだ僕が経験してない未来でも、上手くやっているようで安心したよ。教えてくれてどうもありがとう。テリー・ベックス」

「……」

「感謝するよ。ルンペルシュティルツヒェンを止めてくれて。悪戯好きの魔法使いは沢山いるが、彼は特に意地悪だ。まるでオズに仕えてないトゥエリーのようだ」

「既にくたばった魔女と一緒にしないでほしいな! 意地悪さも卑怯さしぶとさも、俺様の勝ちだぜ!」

「ルンペルシュティルツヒェンのことは僕に任せておいて。その前に、テリー・ベックス。何か、僕にしてほしいことがあるんじゃないのかい?」

「……これに」


 不完全な星の杖を見せる。


「魔力を注いでくれないかしら」

「もちろん、お安い御用さ」


 黄の魔法使いが息を吹いた。子供の笑顔が浮かぶような黄色の輝かしい魔力が星の杖を囲んだ。そして中に浸透していき……杖が温かくなった……気がした。――気分が少々、良くなった。


「……ありがとう」

「これは君へのご褒美さ。君がもし、僕の可愛い子供を酷くしているようだったら、僕は決して君に協力なんてしなかった。サリアと信頼関係を築けている君がいたからこその僕の魔力だ。よく覚えておきなさい」

「何もかもお察しってわけ?」

「僕に予知能力はない。未来を見る力もない。けれどね、君を見ていればわかるよ。だって僕らが最初に見た君は、それはそれは酷く意地悪な顔をしていた。ギロチン台に歩いていく君の側にサリアはいなかった。君にあったのは孤独そのもの」

「……」

「トト……ドロシーに、何かあったと見える。詳しいことは聞かないよ。何せ、僕達は既に禁忌を犯している。世界を一度終わらせて、二度目の世界を始めてしまった。その時点で歯車は狂っている。何があってもおかしくない」


 ピエロがあたしに微笑んだ。


「気をつけなさい。足元をすくわれないように」

「忠告ありがとう。よく覚えておく。それと……」


 あたしは唇を舐めた。


「サリアが……ドロシーは謎のままの方が良い時もあるって言ってたけど……貴方のことを思い出したがってる。……教えてもいいかしら?」

「ドロシーの意見に賛成だね。謎というのは謎のままだから面白い。それに……僕とお菓子の家の思い出は、あってはいけないものなんだ。必要のないものなんだ。だって、約束を破った大人達への見せしめのための子供達の誘拐だったんだから。……それでも、サリアが思い出すことを望んでいるのであれば……サリアの命の炎が消えかけた時、ベッドに眠るサリアに、君が子守歌を歌うように、教えてやってもいいのではないかな。『ロカトール』と言えば思い出すだろう。そうすればきっと、すっきりして楽園に行けると思うよ」

「……じゃあ、そうするわ。ありがとう」

「君達はまだ行かなければいけないところがあるようだ。いいね。お気をつけなさい」

「本当にありがとう。ロカトール」

「君はカーニバルを守ってくれた。子供の笑顔を守る者は皆仲間だ。仲間であれば親切にするとも」


 ただし、


「約束を破る不届き者には、それ以上のことをするのが僕なのさ。ところでルンペルシュティルツヒェン。すっかり昔に、カーニバル中は魔法を使わないと約束したのを覚えているかい?」

「……。……。……。……。……。……。……」

「二人とも、悪いけれど、もう行ってくれるかな? これ以上ここにいても、きっと良いものを見られないと思うよ」

「ええ。そうするわ。レッド、行くわよ」

「……あの」


 レッドが頭を下げた。


「さようなら」

「挨拶が出来て良い子だ。さようなら。レッド」


 レッドが微笑み、あたしの横に戻り、再び手を握って来たので、あたし達はそのまま、その場所から離れることになった。


 子供達を大好きなピエロは、笑顔で小人に振り返った。


「ロカトール、本当に悪かったよ。俺様が悪かった。な? 仲間だろ? 一緒に世界を一度終わらせた同士じゃねえか! 魔法使い同士、仲良くし……アッーーーーーーーーーー!!!!!!!!」


 小人の悲鳴は、カーニバルの音にかき消された。


















 女がピアスを落とした。

 女はそれに気づかず歩き続ける。


 だからあたしはそれを拾い、声をかけた。


「お姉さん」


 黄金の瞳があたしに振り向いた。


「落としましたよ」

「ああ」


 落としたピアスに気づき、ソフィアが笑顔で近づいてきた。


「ご親切にありがとうございます」

「いいえ」


 ピアスを受け取ろうとした白い手を――強く掴んだ。途端に、ソフィアに睨まれる。黄金の瞳がきらりと光るが、今のあたしには全く効かない。声をひそませ、だが確実に目の前の女に言葉を捧げる。


「お嬢様からのメイド勧誘は断りなさい。そっちの方が権力も金も手に入る」

「……勧誘?」

「さようなら。麗しのパストリル様」


 耳に囁く。


「どうか無事でいて」


 視界がコウモリに覆われる。思わずソフィアが目を閉じた。やがてコウモリの音が消え、そっと瞼を上げると――、


 泣きそうな顔をしていた女は、もうどこにもいなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る