第9話 雪の姫はワルツを踊る(3)



 雪の降る夜は、一気に寒さがやってくる。今日はとても寒い日だった。だから子供がうずくまった。

 体を震わせている。けれど、ここで止まっているわけにはいかない。子供が立ち上がり、再び歩き出そうとしたところで――声をかけた。


「お嬢さん」

「っ」


 子供が警戒したようにあたしを見てきた。


「今夜、あの宿に泊まるの。良かったら、貴女もどう?」

「あの……いいです」

「大丈夫よ。貴女の分の部屋代はあたしが払うから。あたしね、お金が有り余ってるの。男から捨てられたばかりで、これはあの人のお金なの。捨てたくてたまらないお金なのよ。いつ出て行ってもいいから、お風呂と、食事もつけて、貴女の部屋もつける。それで、出ていきたい時に、鍵をカウンターに返せばいいだけ。ね? 付き合ってくれない?」

「……」

「お願いよ。このお金、どうせなら人のために使いたいの。貴女、どうせ家出してきたんでしょ? この時間帯に出歩いてる子供なんて、それくらいしかいないわ。だったら一泊、宿で親に謝ってもらう作戦を考えなくちゃ。どう?」

「……それなら……」

「決まり。おいで」


 あたしは前払いでお金を渡し、彼女だけの暖かい部屋を用意した。


「あの、こんな良いお部屋……」

「言ったでしょう? 捨てたいお金で払ったの。一泊だけだけど、存分に使って」

「ありがとうございます……!」


 ――ニクスが頭を下げた。


「本当に、どうもありがとう!」

「大人がいないと変に思われる。さあ、部屋に入って」

「お優しい方、この御恩は必ず返します!」

「大丈夫だから一晩この部屋でくつろいでちょうだい。さ、入って。さ、もういいから」


 ニクスを部屋に入れ、あたしは息を吐く。その姿をレッドが見ていた。


「僕らは相部屋なんですか?」

「我儘言わない」


 あたし達の部屋に戻ってきて、再びあたしはベッドでくつろぐ。


「ああ、目が覚めたら夜だなんて。一日を無駄にした気分。レッド、あたしはもうひと眠りしようと思うの。どうかしら?」

「テリーさん、食事がまだです。僕、お腹空いたよ」

「ああ、食事ね。はいはい」


 あたしは起き上がり、レッドを手招きした。レッドがやってきて、小さな体を抱きしめ、あたしの首を差し出す。


「どうぞ」

「……ごめんなさい。いただきます」


 昼間話した通り、レッドがあたしの血を飲むため、首に噛みついた。噛み方が下手で、かなり痛い。思わずぎゅっと体を強張らせるが、レッドはお構いなしに血を吸った。


(……痛くない噛み方を覚えさせないと駄目ね。このままだと痛すぎる)


「レッド、そろそろ」


 背中を軽く叩くと、レッドがすぐに離れ、あたしに唾液を乗せた。傷口が塞がり、レッドは唇に残った血を余すことなく舐め回した。


「ねえ、超痛いんだけど」

「そりゃ、噛んでるんだから、痛いと思う」

「痛くない噛み方を覚えてくれない? これじゃあ、この先が思いやられるわ」

「……ごめんなさい……」

「レッド、怒ってるわけじゃないの。ただね……あー……痛いのよ。すごく」

「……」

「リトルルビィも最初は痛かった。今でも痛いけど。……昔よりはだいぶマシになったわ。野生の動物で練習してくれない? なんでもいいわ。命さえ取らなきゃね」

「……わかりました。練習します」

「ん。じゃあ……」


 レッドに笑みを見せる。


「食事にしましょうか。あー、血が減ったらお腹空いた」

「食堂があるって聞きました!」

「食べ放題よ。行きましょう」


 レッドの足が浮かれたように踊り出し、廊下を歩く。食堂の前についても、レッドの足は止まらなかった。


「レッド、ここからは人がいるから、止まりなさい」

「テリーさん、足が勝手に動いちゃう」

「は?」

「なんか、遠くで変な音が聞こえるの。その音を聞いたら、足が反応しちゃうみたい」

「場所わかる?」

「近くに行くの怖いよ。僕の足がもっと動いちゃう」

「一生そのままでいる気? いいから連れて行って」


 とある夜の森の中。逃げ出す影が数体。


「助けてくれ!」

「もう踊りたくない!」


 しかし、その音を聞くと踊ってしまう。盗賊達は真面目な青年を襲ったことを後悔した。


「これからは真面目に働きます! 後生ですから助けてください!」

「悪人は滅びるべきだ。だから俺は演奏を止められない」

「お願いです! 助けてください!」

「頼みは受け入れられない。なぜならあんた達は多くの人々を苦しめたからだ」


 真面目な青年はヴァイオリンを弾き続けた。その音を聞いた者は、足が軽やかにステップを踏み、飛び跳ね、踊る者達同士がぶつかりあった。頭をぶつけ、体をぶつけ、血が流れても、皮膚が切れても、骨が折れても、それでも踊りを自力では止められなかった。それはまるで呪いのようだった。


「助けて!」

「痛くて踊れない! けれど止まらない!」

「これからは真面目になるよ! 助けて!」


 木の枝に心臓が刺さった。盗賊は動かなくなった。それでも足だけは楽しげにステップを踏んだ。耳を塞ごうにも体が言うことを聞かない。彼らは死ぬまで踊り続けるしかないのだ。


 それを見て小人は手を叩いて喜んだ。


「相棒、今夜も最高だぜ! 最高の血祭りだ!」

「悪は滅びるべきだ。正義が残るべきだ」

「よーし、街に行って、もっと悪い奴を見つけに行こうぜ。あんたがいれば、助かる人がいて、あんたに心から感謝するだろうさ!」

「よーし! 街へ出発だ!」


 ――そいつらが街に入る前に、星の杖をくるんと回した。ヴァイオリンが宙を飛び、あたしの手に渡った。


「ああ! ヴァイオリンが!」


 青年があたしを見た。そして、子供のように小さな人もあたしを見て、憤慨した。


「おい、こら、そこの姉ちゃん! 盗みは良くないぜ! ヴァイオリンをこの優しい旦那に返しな!」

「新聞で見たわ。夜な夜な盗賊を襲ってる犯人ってお前達ね? 全然若い人じゃない。何やってるの?」

「美しいお嬢さん」


 真面目な青年があたしに言った。


「それは私のものです。返してください。お願いします」

「これのせいで連れが踊ってしまうの。二度と演奏をしないって誓ってくれるなら返すわ」

「それは出来ません」

「なぜ?」

「悪人が存在するから」

「……何よ。悪人は滅びろっていうタイプ?」

「悪は良くない」

「そうね。でも正義のヒーロー気取りもどうかと思うわよ。どこかの切り裂き魔も同じこと言ってた。悪は滅びるべきだってね」

「悪は滅びるべきだ」

「おうおうおう! 姉ちゃん、わかったらさっさとこの旦那にヴァイオリン返しな! でないと……痛い目見るぜ?」

「へえ。どんな目に遭うのかしら?」

「私の頼みを聞いてくれないのですか?」

「言ってるでしょう? これを持って城下町に入るなんてしないでくれる? 殺人以上のものが起きるわ」

「頼みを断られた。どうしようもない。仕方ない」


 真面目な青年が飴を出した。


「なんとか、ヴァイオリンを取り返さなくては」


 小人が雪山の中に隠れた。正義のヒーロー気取りの真面目な青年が飴を舐め、みんなが憧れるスーパーマンとなった。背中の皮膚がめくれてマント変わりとなり、頭と体が融合し、肉の塊となった。その中心に顔が浮かび上がる。赤ん坊の手足がにょきっと生え、正義のヒーロー気取りが誕生した。


(真面目な人ほど欲望が暴走すると怖いわね。貴方のこと言ってるのよ。お兄ちゃん)


 青年だったものが襲い掛かって来た。しかし、襲われる前にあたしがヴァイオリンを弾いた。するとその音を聞いた赤ん坊の足がステップを踏み始めた。青年だったものがなんとかしようとするが、足は止まらなかった。そこへ大量のコウモリがやってきて、青年の顔に噛みついた。


「うわあ! やめろ!」


 青年が踊り舞う。


「やめるんだ! やめろ!」


 あたしは演奏を止めない。


「悪に滅ぼされる! 滅ぼされてしまう!」


 青年だったものが叫ぶ。


「ルンペル!」


 小人が息を吹くと――全てが無効化された。ヴァイオリンはただのヴァイオリンとなり、大量のコウモリは異常なほど遠くに吹き飛ばされた。あたしは雪山から出てきた小人を睨んだ。


「人の魔力で悪戯するもんじゃないぜ?」


 小人が肩をすくませた。


「どんなに上手く魔力を扱えたって、本物には勝てない」

「お前……」

「それ、トトの魔力だろう? なんでお前が持ってるんだ? テリー・ベックス」

「どうやらあたしが有名人って本当みたいね」

「国一番の嫌われ者だからな」

「あたしも訊くわ。オズに呪われた奴と何やってるの?」

「質問はこちらが先だ。テリー・ベックス、立場をわかった方が良いぜ? 言ってるだろう? 本物には勝てないってさ!」


 ヴァイオリンがあたしの手から離れた。引き寄せられるように小人の手に渡った。


「返してもらうぜ。魔法のヴァイオリン」


 にやけた小人を、コウモリが襲った。


「ふげっ! うるせえぜ! 退いた! 退いた!」


 小人が息を吹くと、コウモリ達が飛ばされた。


「ふん! この俺様の邪魔をしようたって無駄さ! 無駄な努力はしないに限る!」

「真面目な青年訴えられた、良いことしただけなのに。だから弾いたの。ヴァイオリン」

「え?」


 小人が振り返った。ソフィアの幻覚が現れ、黄金の瞳が彼らの心を盗んだ。


「はぁああん! なんていい女!」

「とろけそうだ!」


 真面目な青年がソフィアに近づいた。


「どうか、私と結婚してください!」


 ソフィアが笛を吹くと、青年だったものと小人が宙に浮かんだ。


「「おっと?」」


 そのまま――地面に叩きつけられた。


 伸びた青年だったものを見下ろし、あたしは膝を立てた。


「消毒」


 注射器を挿すと、青年だったものが白目を剥き、そのまま意識を失わせた。


「いいわ。間に合ったみたい。この子は解決。問題はその小人よ。レッド。縛って。絶対に逃げられないようにするのよ」

「はい。テリーさん!」


 伸びた小人を、レッドが縛り始めた。



(*'ω'*)



「離せーーーーー!!」


 城下町の木にぶら下げられた小人を、あたしとレッドが眺める。思った通り、城下町で魔法は使えないらしい。


「この俺様を誰だと思ってやがる!」

「さあね。どこのどいつかしら? 教えてくださる?」

「馬鹿め! 名前を言う行為を魂を預けることだと気づいてないようだな。しめしめ! だとすれば、俺様が圧倒的有利だ!! だって俺様は、お前の名前を知ってるからなぁ! テリーベックス! 国一番の嫌われ者! 悪女! 悪女!!」

(……この小人、名前を言う行為を魂を預ける事だって知ってるのね。……そういえば、聖・アイネワイルデローゼ学園でクレアが似たような話をしていた。その登場人物で出てきたのも……小人だった)

「俺様の名前を当ててごらん! もし当てられたら、命だけは助けてやるよ!」

「ルンペルシュティルツヒェン」

「悪魔だな!? 悪魔がお前に教えたんだろ! でないとありえない! 俺様の名前を、なぜお前が知っている!」

「馬鹿ね。ここで否定しておけばあたしを騙せたかもしれないのに」

「馬鹿はそっちだ! 魂を否定することは死そのもの! クソビッチが! んなことも知らねーのかよ! さっさと俺様を離しやがれ!」

「レッド」


 あたしが手を上げると、レッドが大量のコウモリとなって、ルンペルシュティルツヒェンの顔に噛みついた。


「いでで! やめろ卑怯者! いででで! やめろったら!」


 あたしが手を下ろすと、コウモリがレッドの姿に戻った。ぼろぼろになったルンペルシュティルツヒェンがうなだれる。


「この俺様をボロボロにするなんて……覚えてろ……絶対に許さねえからな……! 地獄の底まで追いかけてやるからな……!」

「テリーさん、この人怖い」

「用が済んだらとっとと解放してあげる」


 星の杖を差し出す。


「魔力を分けて」

「……はーん? あの猫に何かあったんだな?」

「分けたらあんたを解放する。さっさとして」

「何があった? 教えてくれよ。俺様はな、面白い話が大好きなのさ。あいつ、死んだのか?」

「レッド」

「わかった! わかったよ! 畜生! たかがもどき女にしてやられるなんて、俺様も落ちたもんだぜ!」


 土の魔法使いが息を吹いた。土臭い魔力が星の杖を囲んだ。そして中に浸透していき……杖が温かくなった……気がした。――気分が少々、良くなった。


「ほら、これでいいだろ? 俺様を自由にしてくれ。頼むから」

「もう一つ質問。なんで呪われた人と一緒に行動してたわけ?」

「オズから飴を分けてもらってんだよ。俺様は刺激が好きなのさ。だから真面目馬鹿な人間に、願いが叶える飴を与えてやった。それだけのことだ」

「オズの協力者ってこと?」

「協力なんかしねえ。俺様は誰の味方でもない。面白ければそれでいい。人間ってのは面白いぜ。ずっと一緒にいる友達の言葉よりも、今日初めて会った人間の出まかせを信じる生き物だからな。からかい甲斐がある! 遊び甲斐がある! もどき、お前もどうだ? 案外綺麗だし、俺様の愛人にしてやってもいいぜ?」


 あたしが指示してないのに、レッドが大量のコウモリになってルンペルシュティルツヒェンの顔を噛みついた。


「いでででで! 冗談だって! ほんの冗談! おい! なんとかしろ!」

「知らない。あたし指示してないもの」

「坊主! わかった! 飴をやるよ! 願いが叶うとっておきの飴だぜ! あーーーいだだだだ! 悪かった! 俺様が悪かったよ! ごめんごめんごめん!!」


 レッドがあたしの後ろに戻ってきて、ルンペルシュティルツヒェンを威嚇した。


「クソ! 覚えてやがれ! お前ら二人、絶対忘れないからな!」

「今後飴を配ってごらんなさい。これだけじゃ済まさないから」


 あたしはレッドの肩を掴んだ。


「行くわよ。レッド」

「はい」

「え」


 ルンペルシュティルツヒェンが瞬きすると、瞬間移動によって二人は消えていた。


「え、嘘。ちょっと待って。俺様はどうなるの?」


 魔法を使ってはいけない範囲に残されたルンペルシュティルツヒェン。木に吊るされたまま、極寒の風に吹かれ、くしゃみをした。



(*'ω'*)




 危険な震源地に、子供の笑い声が響く。


「待って! テリー!」

「うららららららら!」

「あははは! あはははは!」


 子供が二人、雪玉を投げて遊んでいた。それを見て、レッドがあたしを見て、子供の一人を見て、またあたしを見上げた。


「……あれは、テリーさんですか?」

「ええ。そうよ」

「あの子、さっきの宿の子ですよね?」

「ええ」


 あたしはニクスと過去の自分を見つめ続ける。


「あたしの親友」

「……」

「一緒よ。レッドがルビィを大切なように、あたしにも大切な人がいるの。……大切な人にはね、レッド、正直に言葉を伝えるのよ。好きとか、愛してるとか、ちゃんと伝えないと……会えなくなった時、後悔するから」

「……会えてないの?」

「ええ。……会えてないの。もう、ずっと」


 生きてるかどうかさえ、わからない。だって、ニクスは城下町にいて……どうなったか、わからないんだもの。


「だから、レッドは……帰ったら、ちゃんと伝えるのよ」

「……わかりました。テリーさん」


 ふと、ニクスが手を止めた。それを見ていた小娘も、手を止める。


「ニクス?」

「テリー、今あそこに誰かいなかった?」

「……誰もいないみたいだけど」

「……僕の気のせいだったみたい」

「ねえ、疲れたわ。ちょっと休まない?」

「そうだ。テリー、星を見ようよ。今夜はすごく綺麗だから」


 夜空が広がる。まるでオーロラが見えそうな夜空。星が広がる。月が見える。雪に沈んだニクスが指を差した。


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