第7話 雪の姫はワルツを踊る(1)


 ――雪に埋もれた。


(……まだ……朝ご飯食べてないんだけど……)


 起き上がると、城下町の隅に積もった雪山に落ちたようだった。今度こそエメラルド城の影が見える。


(ゆっくり眠れなかったし、今度こそ安全な宿で休憩しようかな。流石に疲れた……。……さむっ)

「……あの、大丈夫?」

「ええ。平気よ。たった今、体温調節をしたわ。本当、こういうところは魔法って便利……」


 ――はっと息を呑み、振り返った。そこに、さっきの時間軸にいた少年が立ち、雪の中に埋もれるあたしを覗き込んでいた。


(えっ!?)

「……」

(まさか、同じ時間軸に飛んできた?)


 あたしは雪山から抜け出し、街の中を歩き出した。少年があたしの後ろをついてくる。あたしは新聞紙を取り、店番をしていた老人に銀貨を渡した。


「釣りは結構」

「まいど」


 日付を確認する。六年前の――。


(……ニクスと……出会った時期……)


 ちょっと待て。


(あの坊やがいたのは八年前。ここはそれから先の時間軸だ)


 振り返ると、宿にいた姿のままの少年が立っていた。こんな真冬に何も着ず、あたしは暖かそうなマントを羽織っているんで、人々はあたし達を怪しげな目で見てきた。あたしは微笑み、少年の手を掴み、洋服店に入り――少年にコートと長靴を身に着けさせた状態で再び外に戻って来た。


「僕、これいらないよ。飴を舐めてから、気温は感じないんだ」

「人の目があるからよ。坊や」


 路地裏に行き、雪道に膝を立て、少年の顔を覗き込む。


「今から言う言葉をよく聞いて、返事をして。いい?」


 少年が頷いた。


「まず一つ目、今すぐあんたをお家に帰すのが難しくなった」

「……」

「大丈夫よ。必ず家には帰すから。……なんとかなるわ。多分ね。……それが、今は無理ってだけ。ここまでいい?」


 少年が頷いた。不安そうな顔をしている。


「二つ目、あんたが家に帰ったら、あたしと過ごしたことは一時の悪夢だと思いなさい。それを約束してくれないと、あたしは今ここで、あんたを置いて、一人で行く」

「……」

「約束できる?」


 少年が頷いた。かなり不安そうな顔をしている。


「わかった。じゃあ……三つ目……の前に……訊いてもいいかしら?」


 魂を寄越せ。


「貴方、名前は?」

「……レッド」


 少年がか細い声で言った。


「レッド・ピープル」

「……え?」


 その名を聞いた瞬間、あたしの眉間に皺が寄った。


「レッド・ピープル?」

「そう。僕の名前……」

「……ねえ、ちょっと待って。妹がいるって言ってたわね」

「うん」

「お母様が亡くなってて、紫色の魔法使いが現れた」

「……うん」

「あんたの妹」


 ひょっとして、


「ルビィ・ピープル?」

「え?」


 幼い目が輝いた。


「リトルルビィを知ってるの?」


 明るくなった表情を見て――少年を助けたことを後悔した。この子は――一番関わってはいけない人物だった。


 レッド・ピープル。リトルルビィの兄であり――既に、この世にいない人物。


(ルビィの血を飲んで死ぬ運命にある、ルビィの兄!)


 合点がいった。だから吸血鬼だったんだ。だから――リトルルビィの面影があったんだ。


(関わってはいけない人物だったのなら、教えてくれてもいいじゃない! 役立たずの星の杖!)

「……あの……でも……リトルルビィ、あまり外出しないし……人見知りだから……あの……貴女と……知り合うことなんて……その……ないと思うんだけど……」

「……ええ。知り合ったのは未来だもの」


 少年が瞬きをした。


「約束できる? この先話すことは、あんたが眠って見ている悪夢よ。本当に、ただの一時の悪夢」

「……」

「約束して。そうでないと、あんたを連れていけない」

「……約束します。僕は……悪夢を見ている」

「そうよ。あんたは悪夢を見ている」


 あたしは手を差し出した。


「あたしはテリー。テリー・ベックス」

「ベックスさん」

「テリーでいいわ。ベックスさんだなんて、あまり呼ばれたことないの」

「……わかりました。テリーさん」

「いいわ。じゃあ三つ目。……ご飯を食べながらでもいい? お腹空いちゃった」


 その瞬間、レッドから大きな腹の虫が声を荒げた。「俺だってお腹空いてるぜ!」レッドの顔が真っ赤になり、恥ずかしそうに俯いた。


「ごめんなさい!」

「……熱は?」

「あの、もう……」


 レッドの額に触れてみた。うん。平熱ね。


「あ、あの……その……大丈夫……」

「お肉は好き?」

「……うん。好き」

「じゃあ、食べに行きましょう。……この時間軸に、あるかしら?」


 レッドの前に、大きなステーキが置かれた。


「当店自慢の特別ステーキです。お召しあがりください」

「シェエエエエフ! 早く次の肉の塩振りをー!」

「ああ、わかったわかった。うるさいなあ」


 レッドがフォークを持った。


「あの、僕、えっと、こういう、食べ方知らなくて……」

「ああ、いいのよ。この店は、そういうの気にせず食べていいの」

「そうなの?」

「ええ。美味しく食べればそれでいいの。さあ、食べなさい」

「……女神アメリアヌ様、感謝します。いただきます」


 呟いてから、レッドがフォークをステーキに刺し、まだ小さな口を大きく広げ、かぶりついた。行儀こそ悪いが、子供らしい食べっぷりに、視界に入った老婆達が微笑ましそうにレッドを見ていた。


(そうよ。ここでは下品で良いの)


 ――ナイフ無しで食べれないわ。

 ――大丈夫。フォークだけで全然いける。

 ――下品よ。

 ――下品でいいんだよ。僕たちは兄妹で、子供なんだから、これくらい粗末な方がいいのさ!




「ほら、ニコラ、大きく口開けて、食べてみなよ。下品に!」







 レッドがあたしを見た。


「……食べないの?」

「……冷ましていたの。あたしは猫舌だから」


 フォークとナイフを使いこなして、上品に食べる。だって、下品には食べれないわ。ここにお兄ちゃんはいないもの。


「レッド、食べながら聞いて。三つ目の話よ」

「うん」

「あたしは貴方の時間軸で言うと……未来から来たことになる」

「……未来から?」

「そう。リトルルビィとは……貴方がまだ経験してない未来で出会った。だから、リトルルビィだけは知ってるの。貴方とは……関わってないから、知らない」

「……そうなんだ」

「ええ。それで……元々あたしは魔法使いではなかった。ただの人間だった。貴方と同じね」

「でも……貴女は魔法を使ってた」

「そうよ。本物の魔法使いから魔力を貰ったの。でも……何の影響か、そいつが使ってたこの杖がね、本来の力を失ってしまったんですって」


 星の杖を見せると、レッドがまじまじと杖を見つめた。


「玩具みたい」

「そうよね。あたしもそう思う。でも本物の杖なんだって」

「ふーん」

「杖を元に戻すには、色んな時間軸に飛んで、魔法使いから魔力を注いでもらわなければいけないの。その途中で……貴方と会ってしまったってわけ」

「じゃあ」


 レッドが肉を呑み込んだ。


「僕の生きてる時間軸……に、テリーさんが来たところで……僕が……テリーさんを襲ったってこと?」

「そういうこと」

「……ごめんなさい」

「そうよ。悪いことをしたら謝るの。もう襲わないでね。血なら飲んでいいから」

「……え、いいの?」

「飲まないと死んじゃうでしょう? リトルルビィもそうだった」

「え?」

「あ」


 魔力が強制的にあたしの唇を閉じさせた。やべ。


「リトルルビィがどうして血を飲むの?」

「……」

「テリーさん、どうして?」

「……」

「もしかして」


 レッドが眉を下げた。


「ルビィが……飴を……」

「レッド」

「止めなきゃ!」


 レッドが立ち上がろうとして――すぐに椅子に座り込んだ。


「ひゃっ!」

「行儀が悪いじゃない」


 あたしは星の杖をくるんと回した。


「食べる時は下品でも良いけど、食事中に立つのはマナー違反よ」

「テリーさん! 止めに行かなきゃ! でないと、リトルルビィが!」

「この時間軸では、もう呪われてる。手遅れよ」


 レッドが唖然として、あたしを見つめた。


「そうよ。リトルルビィはね、飴を舐めて、呪われたの」

「……あの飴は……願いが叶う飴だって……魔法使いさんが言ってたんだ……」

「オズという名の魔法使いよ。世界の終焉を目的とし、呪いの飴を配ってるいかれた魔法使い。……呪いの飴を舐めたら、姿形が変わり、やがてその力に耐えきれなくなり、死に至る」

「……僕も死んじゃうの?」


 そうよ。レッド。あんたはリトルルビィの呪われた血を飲んで死ぬのよ。


「……あんたには、手遅れになる前に薬を入れたから、呪いの後遺症が残ってる状態ってところかしらね」

「……死なない?」

「今のところはね。呪いを浄化する薬を開発してる奴らがいて、その薬を打ったの。だからあんた、昨晩熱に侵されてたのよ」

「……そうだったんだ……」

「だけど、薬は完全じゃないの。人間が作るものでは、本物の魔法使いがかけた呪いには勝てない。だから、あんたはもうしばらく、吸血鬼として過ごすことになると思う」

「……」

「大丈夫よ。言ったでしょう? 頼れる奴がいるから、そいつに頼れば助けてくれる。きっとね」

「……リトルルビィも……助かる?」

「……わかった。じゃあ……」


 杖に訊いてみる。言っても大丈夫? 杖は反応しない。影響はないようだ。


「……リトルルビィの話をしてあげる。どうせあんた、この先見ることになるんだし、ちょっとくらいカンニングしたって構わないわ。でしょ?」

「……あの……じゃあ……」


 レッドが再び肉を食べ始めた。


「リトルルビィは、結婚した?」

「まだしてない。あたしが知る限りでは」

「美人になってる?」

「そりゃもう……美人で、超かっこよくなってる。身長がね、うーんと伸びるのよ」

「え? あんなに小さいのに?」

「そうよ。あたしより大きくなるの。それでもって、すっごくたくましくなるのよ」

「へえ……!」

「確かにあの子は呪われてる。でも心配することないわ。あの子はね、呪いの後遺症を利用して、あんたが戦ったみたいに、あの呪われた連中と戦って、人々を守ってるの」

「リトルルビィが?」

「そうよ。あんたの妹はね、本当にすごい子よ。最高の女なんだから」

「……うん。リトルルビィはね、小さいけど、心が大きいんだ。だから、リトルルビィなんだ」


 レッドが嬉しそうに頬を緩ませた。


「そっか。リトルルビィは……大きくなるんだ」


 小さな兄は、妹の将来を想像して、安心した。


「良かった」


 彼は、それを実際に見ることは出来ない。だって、死んでしまうんだもの。


(……情を移しては駄目。また口が滑ることになる)


「……レッド、杖が元に戻れば、あんたを元の時間軸の……ちゃんとお家に帰してやれると思うの。だから……それまで、その力をあたしに貸してくれない?」


 レッドがジュースを飲んだ。


「お互いを助け合いましょう。あたしは貴方の救世主になる。だから、貴方はあたしの救世主になってちょうだい」

「救世主……? 僕が?」

「あたしが困ったらあたしを助けてくれない? その代わり、貴方のことはあたしが守ってあげる」

「僕に出来るかな……」

「大丈夫よ。貴方はルビィのお兄ちゃんだもの」


 利用できるものは、利用しないと。クレア。今なら貴女の行動が理解できる。


「あたしを守ってくれる?」

「……わかりました」


 レッドが頷いた。


「僕、頑張ります!」

(……悪いわね)


 真実を言うわけにはいかない。元の時間軸に戻れなくなる。大丈夫よ。ちゃんとお家には帰してあげるから。


(あとは……運命に任せるけど)

「ジュース、おかわりする?」

「え、い、いいの?」

「ええ」


 どうせ死ぬんだから、今のうちに、


「子供はね、遠慮せず、我儘言っておきなさい」


 あたしはジュースのおかわりを注文した。



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